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2013年3月7日木曜日

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある


「牧師にして小野派一刀流第17代宗家」という肩書がまずもって異色である。というよりも、すぐにはアタマのなかで結びつかない意外性をもっている。

著者の笹森建美師が牧師をつとめる駒場エデン教会は、プロテスタントのメソジスト派の教会であるが、その教会で説教が終わったあとは、教会がそのまま小野派一刀流の道場になるそうだ。

柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)創始の柳生新陰流とならんで将軍家御流儀の剣術として採用された小野派一刀流である。牧師として信者の魂を導き、かつ師範として剣術の免許皆伝を授けることのできる宗家でもある!

本書は、そんな著者のライフストーリーを織り交ぜながら、なぜこのような異色の組み合わせが青森県弘前の地で誕生するに至ったか、そして日本人のDNAにあるはずの武士道精神とキリスト教精神には重なり合うものがあると説いた興味深い本である。

『武士道』といえば、キリスト教徒でクエーカー派であった新渡戸稲造の名前がすぐにでてくるだろう。原書は BUshido という英文著作である。また、『余は如何にして基督教徒となりしか』の著者で無教会派の思想家で実践者であった内村鑑三の名前を想起する人もいるだろう。この二人はともに士族、すなわち旧武士階級の出身である。

著者もまた、明治維新以降のキリスト教布教にあたって旧武士階級出身者が多かったことについて、はじめの2章をさいて説明している。

明治初期に来日したアメリカ人宣教師には南北戦争を体験した軍人が少なくなかったこと、幕末には官学であった朱子学ではなく、実践を旨とした陽明学がひろく普及していたことが、武士階級がキリスト教を受け入れた理由として指摘しており、なるほどと納得するのである。これは、内村鑑三の名著 『代表的日本人』に西郷隆盛が取り上げられていることでもわかる。

さらにいえば、本書には指摘はないが、維新の負け組となった幕臣や佐幕派出身者にキリスト教徒になった武士が多かったことを付け加えておこう。NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公で会津藩の新島八重(=山本八重)もまたその一人である。いずれもカトリックではなくプロテスタント諸派である。

キリスト教徒ではないわたしにとっては、第3章の「どんな相手でも倒す剣術を求めて」がなんといっても面白く読めた。

小野派一刀流の極意「切落」(きりおとし)の説明からはじまり、170あるという型の稽古によって、無理と無駄のないシンプルな剣さばきを身につけることは、剣術にかぎらず武道武術のすべてにあてはまることであるし、さらには日本の芸事すべてに共通することである。わたしはこの章を読んでいて、古武術えおベースにあらたな身体運動を広めている甲野善紀(こうの・よしのり)氏の話を思い出した。

武士の「切腹」とキリスト教徒の「殉教」に共通性を見出す第6章にはなるほどと感心させられた。著者はプロテスタントのメソジスト派の牧師であるが、カトリックにも目配りした説明は説得力があるだろう。

たしかに著者のいうように、武士道には死生観はあっても、あくまでも深い精神性そのものは存在しない。だからこそ、宮本武蔵の「剣禅一如」などの表現にもあるように禅仏教を心のよりどころとすることもあり、合気道もそうであるが、神道を精神的支柱にするケースもある。その意味では、著者のようにキリスト教をバックボーンとする剣術があってもけっしておかしくはないわけだ。

現代の日本人は、教会式結婚式などのように、「キリスト教っぽい」ものは好きだが、キリスト教やその精神そのものはかならずしも好きではないようだ。もちろん、近代化を受け入れた時点で、すでに見えない形でキリスト教化が進んでいるとはいえ。

著者にとっては残念だろうが、日本ではキリスト教人口が今後も増えるとは考えにくい。しかも、日本のキリスト教のなかには、すでに土着化して変容してしまっているものさえある。

わたし自身、キリスト教徒になるつもりは今後もまったくないが、武士道とキリスト教に共通するものがあるということを知ることは重要ではないかと思うのである。ともに「道を極める」ということに深い共通性があるからだ。

武士道とキリスト教、そのどちらか一方か、あるいはその両方ともに関心のある人はぜひ読むことをすすめたい。





目 次

はじめに
一 「武」とは戦いを止めること
二 勇気と自己犠牲の先にあるもの
三 どんな相手も倒す剣術を求めて
四 武士道とキリスト教が同居した心
五 格好だけ良いのは本物でない
六 キリスト教は「切腹」を認めるか、武士道に「愛」はあるか
七 武士道が教えない「私」に向き合う
おわりに

著者プロフィール

笹森建美(ささもり・たけみ)
1933(昭和8)年青森県生まれ。牧師。小野派一刀流第17代宗家。大長刀直元流、居合神無想林崎流宗家も受け継ぎ、日本古武道協会常任理事を務める。早稲田大学哲学科、米国デューク大学大学院神学部卒業。拠点は駒場エデン教会。著書に『神への道・神からの道』などがある(出版社サイトより)。


<関連サイト>

REPRESENTATIVE MEN OF JAPAN by Kanzo Uchimura (内村鑑三の『代表的日本人』原文)






<ブログ内関連記事>

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・・合気道の開祖・植芝盛平は古神道系の大本教の出口王仁三郎師のもとで精神修業した

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「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)
・・陽明学の西郷隆盛




(2012年7月3日発売の拙著です)





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