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2014年5月13日火曜日

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌


「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)とは、泰(タイ)と緬(ビルマ)を結ぶ鉄道路線。「大東亜戦争」中に日本軍が英国とオーストラリアなどの約5万人の戦争捕虜や、25万人を超えるといわれるアジア人労務者を酷使して、雨期もはさんでわずか一年間の突貫工事で完成させたものだ。

古くはクワイ河マーチ(・・別名ボギー大佐)で有名な映画 『戦場にかける橋』(英米合作、1957年)、あたらしいところではことし(2014年)に日本でも公開された映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)がテーマとなっている。

「泰緬鉄道」はタイにとっては貴重な観光資源として世界中から多くの観光客を集め、ガイドブックでかならず言及される人気の観光スポットだが、その全体像を描いたものはきわめて少ない。


タイ国立公文書館に保存された一次資料を駆使した研究

『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』は、いまから20年前に出版された専門書だが、当分のあいだ書き換えられる見込みはなさそうだ。雄山閣から2011年に復刊されたのもそれが理由だろう。

遺著となった 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)において、著者の吉川氏は「大東亜戦争」の呼称を使用しているが、本書ではまだ「アジア太平洋戦争」という名称を使用している。

「アジア太平洋戦争」という名称を使用するのは、「太平洋戦争」では米異国との戦争ばかりがクローズアップされて、東南アジアおける英国を中心とした連合国との戦争の実態が見えなくなるからだ。とはいえ、「大東亜戦争」のほうがより望ましいことは言うまでもない。

本書は、大日本帝国とは同盟関係にあり「枢軸国」として大東亜戦争期に英米に宣戦布告したタイに、外交文書として保管されていた一次史料である公文書を駆使した研究である。本書によって、はじめて泰緬鉄道の全貌が明らかにされた。

タイ語の公文書だけでなく、日本側からタイに提出された日本語の公文書の複写(カーボンコピー)も保存されており、著者ははじめてそれらを閲覧して研究することができた

アメリカ占領軍が押収した公文書やアメリカ側の公文書をもとにした研究、ソ連崩壊後にロシアが公開した文書に基づく研究は多いが、タイ側の史料を駆使した研究もあるのだ。公文書公開がされたからこそ可能となった研究なのである。

(2011年の新装版のカバー)

一般読者も読める「泰緬鉄道」の全貌

本書は、泰緬鉄道の全貌を明らかにした専門書であるが、一般読者も読める内容になっている。

泰緬鉄道で過酷な労働を強いられ、現地で斃れて帰らぬ人となった戦争捕虜たちについての話は、英国人やオーストラリア人の元捕虜による回想録が多数出版されてきており、そのいくつかはすでに日本語訳されて日本でも出版されてきただけでなく、事実関係をゆがめている面がなくはないとはいえ映像化もされているので、、本書オリジナルといった内容ではない。

本書の白眉は、泰緬鉄道建設の発想と計画決定に至る経緯、そして建設中のタイ側との交渉、日本側で建設を担った鉄道部隊にかんする記述である。これらは日タイ双方の一次史料なくしては書かれ得なかったものである。

「南方へ向かう日本鉄軍道隊:泰緬鉄道道建設計画」「ビルマ占領とタイとの建設交渉」「泰緬鉄道は軍用か民用か」「鉄道隊の組織と建設基地」「タイ人労務者とバーンポーン事件」は、タイ側に残された一次資料と日本側の史料を付き合わせることによって初めて真相が明らかになったものだ。

興味深いのは、泰緬鉄道はあくまでも貨物輸送ルートとして発想され建設されたということだ。英領ビルマへでの作戦遂行のためタイを兵站基地として利用した日本は、タイに集積した軍事物資をビルマに移送するルートを確保する必要があったのだ。海上ルートが危険であったため、あえてジャングルの山中を切り開いて鉄道を通すという発想になったのである。

(第二次大戦当時の東南アジアと泰緬鉄道 『レイルウェイ 運命の旅路』より)

しかも、泰緬鉄道建設の主体となった陸軍鉄道部隊は満州から転戦した部隊。これに加えて満鉄関係と国鉄関係の民間技術者が関わったのであった。発想の原点には満鉄と満州経営があったのである。だからこそタイ側は鉄道建設が植民地支配に転化することを恐れていたのである。

ビルマからさらに西の英領インドに向けての侵攻作戦である「インパール作戦」実行のため、泰緬鉄道建設が急がされたのだが、英国人やオーストラリア人元捕虜による回想録では突っ込んで言及されていない「タイ国内外のアジア人労務者」(いわゆるロームシャやクーリー)にかんする章も重要である。建設にたずさわったのは圧倒的にアジア人労務者であったのだが、日本軍が人集めに苦労していた事情を知ることができる。

そして、泰緬鉄道の代替ルートとして建設された「クラ地峡横断鉄道」という知られざる事実を取り上げた章は貴重である。クラ地峡は「象の鼻の付け根」付近で、タイからビルマ(=ミャンマー)に抜ける最短ルートで、運河掘削計画が浮上しては消えるという歴史を繰り返してきた地帯だ。

「泰緬鉄道の運行と機能」は、じっさいに貨客輸送として使用された泰緬鉄道の短い歴史を描いたもので、「乗り鉄」なら読んでみたい記述である。熱帯雨林を徹る路線で雨期の土砂崩れがあり、戦争末期には米英軍による空襲もあって、かなり危険なルートであったようだ。

スリリングな乗車体験を、著名人や将兵の記録をとおして追体験することもできる。


「泰緬鉄道」とは「近代日本」にとって何であったのか

泰緬鉄道は戦後賠償の一環として、タイが英国から買い取らされたが、現在では全体の 1/3 しか運行されていない。

わたしは1995年だったと思うが、「泰緬鉄道」の現在の終点のナントクまで行ったことがある。終点から先はレールが取りはずされていることを確認して残念に思ったことを覚えている。折り返し運転なので停車時間が短く、終点ではあまりゆっくりできない。

建設から70年の2012年には、泰緬鉄道の復活計画があることが NHK で報道されていた。以下の写真はTV映像をキャプチャしたものだ。

(NHKの報道番組より 2012年)

さすがに「復活」は一年ではできないだろう。また、そんなことは望みもしない! 時間をかけてでも「記憶遺産」として、ぜひ計画が実行されることを期待したいものだ。もちろんタイのことだから、想起建設など期待する必要もなさそうだが。

「泰緬鉄道」に乗る機会があれば、ぜひカンチャナプリで下車してほしいもの。わたしは何の情報ももたずに訪れた際、カンチャナプリにある戦没者墓地に立つ大量の十字架に衝撃を受けた。英国やオーストラリアの捕虜を中心にした墓地である。日本人が戦争中にやった事実から目を背けてはいけないのである。

まずは歴史を知ること。歴史的事実を知ること、これはすべての前提となるからだ。

日本国内にも「泰緬鉄道」関連の遺跡があることをご存じだろうか。千葉県習志野市のJR津田沼駅前にある千葉工業大学のキャンパスは、泰緬鉄道建設に関わった鉄道第9連隊(津田沼)の跡地にある。レンガつくりの門に在りし日の姿をとどめているので、機会があれば訪れてみるといいだろう。

(千葉工業大学は鉄道第9連隊の正門をそのまま保存している 筆者撮影)


また、現在の新京成電鉄は、陸軍鉄道部隊が演習に使用していた路線で、カーブの多い、しかもR(半径)のきついカーブの多い路線として、その世界ではよく知られた存在だ。もちろん線路はその当時のものではない。わたしが撮影してYouTube にアップした「日本有数のS字カーブ(新京成線)」 を参考にしていただけると幸いである。

陸軍工兵のなかでも鉄道建設に特化した部隊があったということは、アタマのなかに入れておきたいことだ。鉄道建設は戦場だけでなく、植民地化の先兵でもあったのだ。


(鉄道部隊が演習に使用したのが現在の新京成電鉄 新津田沼駅ホームにて)

近代技術の粋である鉄道技術、これは明治維新後に日本が英国から学んで導入したものだ。アメリカ横断鉄道の建設にあたったのは、主に中国から連れてこられた苦力(クーリー)たちであったことを考えれば、アジアで泰緬鉄道建設に従事させられた英国人とオーストラリア人の捕虜たちにとっては、まさかの歴史の皮肉であったといわねばならない。

追い詰められていた日本軍は、捕虜たちやアジア人労務者たちを厳しい熱帯性気候のなかで酷使した。生産性の低さを人海戦術で乗り切るという「悪しき精神主義」は、「規律と勤勉という近代精神」が生み出したマインドセットの形骸化であり、なれの果てである。

日本国内の「常識」を「外地」でごり押しした結果は、いまに至るまで亡霊のように日本人につきまとう。

近代が生み出した機械工学と、形骸化した近代精神の奇妙な結合これが泰緬鉄道であった。「ブラック企業」が社会問題化する現在、「悪しき精神主義」にかんする反省はふたたび意識する必要がある。

「戦後」の日本が、アメリカ占領軍が指導した科学的生産管理を積極的に導入してモノつくり大国となったのは、その意味では当然であったのだ。少子高齢化のなか労働力不足が懸念される現在、つぎの課題が労働集約型産業であるサービス業であるのは言うまでもない。

勤勉の美名のもと、長時間労働を当たり前のように課してきた日本企業の「常識」、そしてそれを当たり前のように受け入れてきた日本人の「常識」、いまに至るまで完全に払拭されていないこれら「常識」はともに厳しく問われなければならないのである。

「悪しき精神主義」の呪縛からいかに離脱するか、これは日本人全体にとっていまだ解決していない課題である。「近代の亡霊」といっても過言ではあるまい。





目 次

まえがき
1. 南方へ向かう日本鉄軍道隊
 鉄道隊の誕生
 東南アジアへ出陣する鉄道隊
 国鉄職員の軍属鉄道隊
 鉄道隊と満鉄・国鉄
 鉄道第五連隊と鉄道第九連隊
2. 泰緬鉄道道建設計画
 バンコクに集う満州の参謀と高官
 経済線としての泰緬鉄道建設計画
 タイからビルマへのルート
 ビルマ国境へ逃走するイギリス人と侵攻する日本人
3. ビルマ占領とタイとの建設交渉
 ビルマ作戦
 ミッドウェー海戦の敗北と大本営の指令
 捕虜の使役
 タイ側との建設交渉
 疑念を抱くタイ側
 建設用宿舎の用地確保
 偵察調査行
4. 泰緬鉄道は軍用か民用か
 タイ側の「軍用鉄道建設審議委員会」
 「泰緬連接鉄道建設ニ関スル協定」
 泰緬鉄道の法的位置づけ
5. 鉄道隊の組織と建設基地
 南方軍鉄道隊
 タイ国内鉄道隊と捕虜(俘虜)収容所
 建設工事開始
 建設地の区分
 建設中継基地バーンポーン
 建設基地カーンチャンブリー
6. タイ人労務者とバーンポーン事件
 タイの労務者
 技能者の募集
 日本兵がタイの僧侶を殴打
 「バーンポーン事件」糾明委員会
 外国人の立ち入り禁止
 「バーンポーン事件」の処分
 タイ駐屯軍の設置
 タイ駐屯軍と捕虜管理の問題
7. 連合国捕虜
 陸続と送り込まれる捕虜
 連合軍が示す統計
 日本軍が示す統計
 捕虜(俘虜)収容所
 三人に一人は死亡した "F" 部隊
 日本へふたたび送られていく捕虜
8. 捕虜の行軍と労働
 シンガポールからの誘い出し
 武士道とは「騙し打ち」
 「戦場にかける橋」の建設
 「オペレイション・スピードー」
 捕虜収容所の生活
 国境のキャンプ
 労働と食糧
 暴行と拷問
 給料
 「ジャングル大学」
9. 疫病に倒れる捕虜
 栄養不足で蔓延する伝染病
 赤痢患者
 「死の家」
 コレラとマラリアの蔓延
 熱帯性潰瘍の荒療治、ベリベリ病
 日本軍の衛生医療部隊
 「馬来(マレー)俘虜収容所」 "F" 部隊の悲劇
 病死者を示す日本側の統計
 死亡者の数
 ナコーンパトム病院
 慰霊塔と連合軍墓地
10. タイ国内外のアジア人労務者
 建設の工期短縮命令
 タイの華僑労務者
 タイ国内の労務者追加募集
 タイ人労務者
 華僑労務者の追加募集
 特殊技術者の募集
 ビルマ人労務者
 ビルマ "汗の部隊"
 労務者の生活
 拷問と暴行、疫病
 マラヤ・ジャワからの労務者
 マラヤのゴム園労務者?
11. クラ地峡横断鉄道
 現地調査とタイ側の疑心
 建設工事の交渉
 クラ地峡横断鉄道建設協定
 鉄道建設の労務者
 チュンポーン経由でビルマ戦線へ
 ラノーンに防衛陣地構築
12. 泰緬鉄道完工のころの日本軍・捕虜・労務者
 タイ側の統計
 日本側の証言
 泰緬鉄道建設と牛肉
 爆撃される「戦場にかける橋」
 廃墟と化した駅や橋
 日本に送るられる捕虜
 日本軍の傷病兵
13. 泰緬鉄道の運行と機能
 当初の規模と運行状況
 インドの女士官や女兵を乗せ、"女人" 列車も走った
 空襲に備えて警戒
 世陰に乗じて動く輸送列車
 谷底に転落する列車
 爆撃目標にされていた泰緬鉄道
 ビルマから退却する日本兵
 終戦の日に要人を乗せて走る泰緬鉄道
 泰緬鉄道の車輌と運営
 駅名と区間距離
 鉄道工場と駅の施設
14. 戦後の泰緬鉄道と戦争裁判
 残された日本兵
 泰緬鉄道沿線に点在する日本兵
 定住するビルマ人労務者
 戦争裁判で裁かれる泰緬鉄道隊と俘虜収容所
 「戦陣訓」と「近代の超克」

図版出典一覧
泰緬鉄道関係引用参考資料文献目録
アジア太平洋戦争の時代の泰緬鉄道関係年表
「泰緬鉄道要図」(昭和19年8月現在)
人名索引
地名索引
事項索引


著者プロフィール

吉川利治(よしかわ・としはる)
1939年大阪市生まれ。1962~64タイ国立チュラーロンコーン大学文学部留学。1963年大阪外国語大学タイ語学科卒業。1964年大阪外国語大学タイ語学科助手。1985年大阪外国語大学地域文化学科タイ語専攻教授。1987‐89年京都大学東南アジア研究センター客員教授。1994‐95年東南アジア史学会会長。2002年タイ国立シンラパコーン大学文学部客員教授。2005年大阪外国語大学名誉教授。2009年タイ国アユタヤで急逝。著書に『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある


「泰緬鉄道」

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る
・・「鉄道連隊は、工兵隊のなかでも、占領地における鉄道の敷設と破壊を専門にした部隊で、かの有名な泰緬鉄道にもかかわっている。・・(中略)・・ このほか、中国大陸や朝鮮半島だけでなく、日本内地でも訓練を兼ねて鉄道敷設を請け負っていたという。くわしくは『本当にあった陸自鉄道部隊-知られざる第101建設隊の活躍-』(伊藤東作、光人社NF文庫、2008)を参照されたい」



映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

『貨物列車のひみつ』(PHP研究所編、PHP、2013)は、貨物列車好きにはたまらないビジュアル本だ!


人的資源不足と人海戦術-人間を軽視する「精神主義」がなぜ?

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・「「持たざる国」日本には「有形」の資産は人間しかいない。この有形の資産をフル稼働させるために「無形」の精神力が強調されることになる。合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかった理由はここにあったのだ。「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という『戦陣訓』は、「撃ちてし止まん」という敢闘精神は死に物狂いの万歳突撃を生み出し、そしてついには合理的な観点からはまったく意味のない総攻撃による全滅を、「玉砕」というレトリカルな美辞麗句で飾って称賛するまでにいたる」  ⇒ 不足する労働力をどこに求めたか? 「泰緬鉄道」建設においては、それは戦争捕虜とアジア人労務者であったのだ

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・「戦争のための大規模動員による人的資源不足(・・その結果、植民地と占領地から労働不足解消のための強制徴募を行ったことが現在も訴訟という形で尾を引いている)・・・・。これでは戦争に勝てるわけがないではないか。失敗すべくして失敗したことは誰の目にも明らかではないか」 ⇒ 本書には記載はないが、在外資産凍結で財政的に苦しい日本が、同盟を結んだタイ政府から金(ゴールド)を担保に借款を受けたことは吉川氏の遺著『同盟国と駐屯日本軍』(雄山閣、2010)に書かれている。

(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…
・・ソ連のスターリンによるシベリア収容所における強制労働もまた、労働力不足解消が主目的であった


物流とロジスティクス(兵站)

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹
・・大東亜戦争においても、ベトナム戦争においても、日本企業の本格的進出時代においても、タイはつねに東南アジアの交通ハブであり、ロジスティクスの中心であった

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-


■大東亜戦争と東南アジア(=南洋)

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

タイのあれこれ (25) DVDで視聴可能なタイの映画 ④人生もの=恋愛もの
・・◆『クー・ガム』(日本語タイトル:「メナムの残照」) 製作公開1996年 監督:ユッタナー・ムクダーサニット)は、日本人海軍将校とタイ人女性の悲恋もの

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

(2014年5月16日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)





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