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2014年7月17日木曜日

書評『明治キリスト教の流域 ー 静岡バンドと幕臣たち』(太田愛人、中公文庫、1992)ー 静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち


『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992 単行本初版 1979)は、静岡から山梨県や長野県など本州内陸部に向けて伝道活動を行った旧幕臣のキリスト教徒たちの、知られざるエピソードを取り上げた人物伝である。

「明治キリスト教」というタイトルだが、日本文学史においては明治時代はキリスト教の時代であったというのはある意味では「常識」だろう。

だがもちろん文学だけではない、きわめて広い分野にわたってキリスト教の影響が及んだことを無視しては明治時代というものを真に理解することはできないのである。

「明治キリスト教」の特徴は、フレーズ的に要約してしまえば、「英語・アメリカ・キリスト教」となる。つまりアメリカを中心とする宣教師たちによって、英語で伝道されたプロテスタントのキリスト教なのである。これが戦国時代後期から末期にかけてのキリシタンとは異なる点だ。

ただし、本書の副題にある「静岡バンド」においては、それはアメリカが先鞭をつけ、のちにカナダが引き継ぐことになる。


静岡に移封された旧幕臣たちとキリスト教

「静岡バンド」のバンド(band)とは同志的結合という意味だ。Boys, be ambitious ! のクラーク博士の感化を受けた内村鑑三や新渡戸稲造の「札幌バンド」、いちはやく開港して世界への窓口となった横浜の「横浜バンド」は比較的よく知られている。

「熊本バンド」についても、昨年(2013年)のNHK大河ドラマ『八重の桜』において、同志社の初期の主要メンバーとして登場していたのでご記憶の方も多いだろう。

だが、「静岡バンド」については、意外と知られていないようだ。静岡バンドという表現が著者の造語によるものであることらしいのもその理由の一つだろうが、地方伝道を中心としたカナダ・メソジスト教会の方針とも関係があるのかもしれない。

そもそも維新の「負け組」となった徳川将軍家と旧幕臣たちが静岡に減封された歴史に密接にかかわっているからだ。

歴史というものはつねに勝者の側からのみ語られがちである。明治維新もまた勝者である薩長の側からつねに語られてきた。そのため、減封されて静岡藩に移動した約8万人の旧幕臣とその家族たちが困窮のなかで塗炭の苦しみを味わったことも語られることはほとんどないのである。

そんな苦難のなかで出会ったのがキリスト教であった。維新の「負け組」となった彼らのなかには、英学を中心とする洋学とともにキリスト教を受け入れ、キリスト教を精神のよりどころ、学門を武器にして再起を図ったのである。

その象徴的存在が静岡学問所で教鞭をとった元儒者の中村正直であった。明治時代の一大ベストセラー『西国立志篇』の訳者である。英語の Self Help(自助論)をリズミカルな文語体で訳したこの本は、旧幕臣のみならず多くの若者たちをインスパイアしたのであった。中村正直が洗礼を受けたのは40歳になってからのことだという。

中村正直をキリスト教に向かわせた「静岡のクラーク」と呼ばれたアメリカ人教師、カナダ・メソジスト教会の宣教師で医師のマクドナルド、最初の日本人牧師となった土屋彦録や山中共古、ジャーナリストの山路愛山といった人物が本書に取り上げられられている。

その多くが薩長主導の藩閥政府に出仕することを拒み、在野の立場を守りながら、あくまでも地方の精神的指導者として教育や社会運動に身を挺した人たちである。まさに山路愛山が喝破したように、「精神的革命」の担い手は維新の「負け組」であったのだ。 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)に描かれている人たちと合わせ読むと、この意味がよく理解できることだろう。野にあってプリンシプルとプライドを貫き通した人たちがいたのである。

牧師である著者自身、長く地方の教会にいて、地方からの視点でものを見てきた人らしい。とかく中央の目線になりがちなのは、プロテスタント教会においてもかわらないようだ。そんな地方からの目線で捉えられたのが「静岡バンド」という存在なのである。

(静岡と山梨は富士川「流域」としてつながっていた)


山梨とカナダ・メソジスト教会

NHKの連続テレビ小説 『花子とアン』の主人公・村岡花子は、カナダの少女文学『赤毛のアン』の翻訳で有名だが、山梨県の甲府出身である。カナダ・メソジスト教会が設立した東洋英和女学校で英語を学んだのは、山梨県が「静岡バンド」の伝道の結果、カナダ・メソジスト教会の布教地域となったことと関係しているのである。

「静岡バンド」の日本人牧師たちは、静岡県から富士川をさかのぼって甲府方面に布教を行ったのである。だから、いまでも静岡と山梨、東京のトライアングルに東洋英和が存在するのである。

その布教にあたった牧師の一人が山中共古(やまなか・きょうこ)。本名は山中笑(えむ)といい、彼も旧幕臣の出身であった。静岡でカナダ・メソジスト教会の宣教師

民俗学にくわしい人であれば、山中共古といえば柳田國男の先駆者として記憶していると思うが、共古は失われ行く民間の風俗習慣を記録として残すことに意義を感じて、布教先でフィールドワークを行い、聞き取り内容を記録としてまとめている。民俗調査は、布教対象の人々をよく知るためという意味もあったらしい。牧師としての山中共古について書かれているのは本書ならではの特徴だ。

ちなみに共古は、信仰というものは心から欲する人が受け入れればいいのであって、押しつけるものではないと考えていたらしい。このエピソードは、中国の青島(チンタオ)に派遣されていたドイツのプロテスタント神学者で宣教師であったリヒャルト・ヴィルヘルムを想起させるものがある。

中国文明に心酔し、『易経』や『黄金の華の秘密』をドイツ語に翻訳して心理学者のユングに激賞されたリヒャルト・ヴィルヘルムは、ドイツの植民地であった青島には25年間滞在していながら、一人の中国人もキリスト教に改宗させなかったことを誇りにしていたという。プロテスタント系の宣教師のエピソードとして、余談ながら付記しておく。


永井荷風とキリスト教の深い関係

「永井荷風とキリスト教」もまた、牧師としての著者の幅広い関心が取り上げたきわめて重要な視点である。

なるほど、戯作者を自称し、『腕くらべ』や『墨東綺譚』など、遊里の世界や私娼窟などの世界を好んで書いてきた永井荷風だが、書くものに一本筋の通ったプリンシプルが感じられるのは、明治の初期にプロテスタントのキリスト教を受け入れた家系の人であったことが大きいようだ。

長身で黒い背広を着ていた荷風は、ときどき牧師と間違われたらしい。本人はキリスト教信仰からは距離を置いていたとはいえ、次弟の貞二郎は牧師でもあった。しかも母親もキリスト教徒、父親は洗礼は受けていなかったがキリスト教式の葬儀を希望したという。そもそも儒者の妻であった祖母が明治の早い時期にキリスト教徒になった人であった。

戦時下には毎日フランス語訳の聖書を読んでいたという荷風は、フランス的なモラリストの側面もありながら、キリスト教的なものが知らず知らずのうちにその骨格を形成していたのかもしれない。

この本を最初に読んだのは、1992年に文庫化された直後のことであったが、そのとき強く印象にのこったのが山中共古と永井荷風のエピソードであった。22年ぶりに通読してみて、やはりこの二人の印象がきわめて強いのを感じた。


「外面的な近代化」と「内面的な近代化」

日本の「近代化」は、維新政府による上からの制度改革として進行したのだが、倫理という側面で人間精神の内面に大きな影響を与えたのが、アメリカを中心としたプロテスタント系のキリスト教であったことは強調すべきであろう。

禁酒禁煙、廃娼や孤児救済などの社会福祉、家庭(ホーム)重視や女子教育など、維新政府が近代化にあたって重視せず後回しにした、精神面の改革を担ったのがキリスト教の影響を受けた人たちであった。そもそも人格や人権といった概念は、日本の内側からは生まれてこなかったものである。日本仏教もまた、キリスト教の影響を大幅に受けて近代化に取り組んだのである。

政治経済など「外面的な近代化」がとうの昔に完成した日本であるが、いまだに「内面的な近代化」が完全に進まないまま現在に至っている。

「外面的な近代化」は、義務教育や軍隊という「制度」という形から入って、時間厳守などの規律を日本人に内面化させたが、倫理面では旧態依然とした前近代的な状態が続いているような気がしてならない。

シヴィリティ(=文明的礼節)を欠いたまま、人権問題などさまざまな問題が噴出しているのが現在の日本である。その原因がどこにあるのか考えてみることは必要なことだ。近代化が完成し、近代がすでに終わっている日本だが、積み残しの課題があることを忘れてはならない。

その意味でも、読みやすくて内容豊富なこの本は、ぜひなんらかの形で復刊してほしいと思う。中公文庫からでもいいし、あるいは講談社学術文庫や岩波現代文庫あたりでもいいかもしれない。

「地方の時代」である現在、顧みてしかるべき良書である。



目 次

はしがき
Ⅰ 静岡バンドの人びと
 1. 維新と幕臣-時代の陰の人びと
 2. 化学教育の先駆者-静岡のクラーク
 3. 御儒者の回心-中村正直 
 4. 洋学者の家系-杉山孫六と土屋彦六
 5. 医療宣教師-マクドナルド
 6. 民俗学の開拓者-山中共古 
 7. 在野の史家-山路愛山
Ⅱ  明治プロテスタント的人間像
 1. 明治女学校と小諸議塾の創設者-木村熊二
 2. 社会主義的運動の指導者-安部磯雄
 3. 北方の人-新渡戸稲造 
 4. 永井荷風とキリスト教 
 5. 信州穂高の研成義塾と井口喜源治
あとがき
文庫版あとがき
参考文献


著者プロフィール

太田愛人(おおた・あいと)
1928年、岩手県盛岡市生まれ。東京神学大学大学院修了。日本キリスト教団の大町(長野県)、柏原(同)上星川(神奈川県)の各教会で牧師を歴任。現在は社会福祉法人愛の家ファミリーホーム理事長。著書『羊飼の食卓』(現・中公文庫)で第28回日本エッセイストクラブ賞を受賞(2009年出版の著書に記載の情報)。



<参考> 山梨県におけるカナダ・メソジスト教会の宣教

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書
・・山梨県におけるキリスト教の布教については以下の目次を参照

4. 日下部メソジスト教会 (・・カナダ・メソジスト教会系、勝沼方面)
  日下部教会への関心/教線勝沼方面に伸びる
  指導的信徒像/日下部教会の成立
  教勢伸張の背景/東方区の分割
  小野と自給独立/自給問題の背景
  自給への歩み/信徒の苦心
  自給の達成/自給達成への契機
  勝沼教会との比較/教勢の発展

  組合を足場として/禁酒運動との結合
  禁酒運動と地域社会/西保村の禁酒運動
  各地の禁酒運動



『静岡学問所』(樋口雄彦、静岡新聞社、2010)
・・「静岡バンド」の背後にある知的リーダーであった中村正直、アメリカ人教師クラークなどは、みな静岡藩が設置した静岡学問所関係の人たちであった。洋学として、先進国である英仏の学を中心としていた。「もう一人のクラーク」の感化でキリスト教の洗礼を受ける者もでた。「静岡バンド」はクラークの後任のカナダ人宣教師マクドナルドである

目 次

はじめに
1. プロローグ
2. 江戸幕府の遺産
3. 新しい教育
4. 全国への影響
5. 学校の内実
6. 廃藩後の存廃と廃校
7. エピローグ
静岡学問所の教授・職員一覧
静岡学問所関係年表
参考文献
あとがき

<ブログ内関連記事>

「静岡バンド」の影響圏

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・「敗者」(=負け組)となった旧士族たちがキリスト教を選択したのはなぜか?

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・日本に紹介した中村正直は幕臣で儒者出身のキリスト教徒

NHK連続ドラマ小説 『花子とアン』 のモデル村岡花子もまた「英語で身を立てた女性」のロールモデル
・・カナダ・メソジスト教会が設立した東洋英和というミッションスクール

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃、多くの関連本が出版されていた-『誇りてあり-「研成義塾」アメリカに渡る-』(宮原安春、講談社、1988) 
・・「Ⅱ-5 信州穂高の研成義塾と井口喜源治」について参考になる


明治生まれの文学者とキリスト教

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
・・「この度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし」と『断腸亭日乗』に記した荷風。この「天罰」という表現には、旧約聖書の怒れる神のイメージが投影されているのかもしれないと考えてみることも必要かもしれない

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は大東亜戦争末期に聖書を読んで衝撃を受ける。折口信夫は「明治時代はキリスト教の時代」とも語っている


日本近代化の歪み

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
・・近代化の成果である「日本国B」の下に厳然として存在し続ける「日本国A」の存在。シヴィリティ(=文明的な礼節)を欠いた日本人は「近代化」の歪みの反映


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