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2014年7月23日水曜日

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する


バロックはヨーロッパのカトリック地帯を中心に17世紀から18世紀にかけて展開した。しかも、「新大陸」では異様な展開を示したこともアタマのなかに入れておきたい。

先に取り上げた 『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)が出版された翌年には、ここに取り上げる 『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)という本も登場している。

「ウルトラバロック」とは、著者の表現を借りれば、「(西欧から移植されたバロック)様式がメキシコに集められた世界中の様式をのみこみながら、さらには古代アメリカの土着の感性とも融合し、建築を閉所恐怖症とも呼べるように装飾でびっしりと埋めるように」なったものだ。

バロックとはポルトガル語の「歪んだ真珠」から来ているというのは定説だが、メキシコの「ウルトラバロック」は本家本元のヨーロッパのバロックよりも、さらに「歪んだ真珠」になっている。とにかくごちゃごちゃと、これでもかこれでもかとつくりこまれた過剰なまでの装飾空間

そもそも建築物というものは、そのなかに入って体感するものだ。音声や空気は断念するとしても、二次元の写真画像や、三次元であってもビデオカメラの視野では捉えきれないものがある。だが、この小型サイズの写真集に収録された写真をみていても、その過剰なバロックぶりには圧倒される。

かつて1ヶ月をかけてメキシコを回ったとき、わたしも多数の教会建築のなかに入ってみたが、まさにヨーロッパの合理と非合理が、コロニアル社会で土着文化と融合するとこんなものになるのかという印象を受けたものである。

どこの教会かは覚えていないのだが、カトリック信者たちの熱狂ぶりがロックコンサート並で、バチカンの比ではないという強烈な印象を受けたのもメキシコでのことだった。


(スペイン植民地のバロック建築と文化の流れ P.85より)


本書に挿入された 「本書のスペイン植民地のバロック建築と文化の流れ」という地図をみると、メキシコは圧倒的にスペインのハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの影響下にあったことがわかるが、一方では太平洋をはさんでフィリピンのマニラを中心としたスペイン植民地との接点もあったことがわかる。

伊達政宗が派遣した支倉常長(はせくら・つねなが)率いる「慶長遣欧使節団」もまた、このルートをつかって、仙台から太平洋を横断し、メキシコのアカプルコ経由でヨーロッパに渡航したのである。長崎で殉教した「二十六聖人」の殉教画がメキシコのクエルナバカの教会に壁画として残されていることは有名である。この壁画は、わたしも見に行った。 

メキシコをテーマにしたソビエトの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳!』(¡ Que viva México ! 1932年)には、辺境で活動するフランシスコ会の修道士たちが賊の襲撃で壊滅するシーンがあったが、現在は米国領となっているカリフォルニアはフランシスコ会のミッションがつくったものだ。サン・フランシスコという地名は、フランシスコ会の創設者であるアッシジの聖フランチェスコ から来ている。

(『メキシコ万歳』のシーンより フランシスコ会士とメキシコを象徴する骸骨)

スペインの後押しを受けたフランシスコ会があとから新規参入してきて日本で宣教活動を行った結果、すでに活動を活発に行っていたポルトガルの後押しを受けていたイエズス会と激しい競争となり、結果として日本におけるカトリック布教活動が共倒れとなったわけだが、大局観を欠いた競争がいかに自滅的であるかを示した事例でもある。

「キリシタン禁教令」がでたのは1613年だが、もし、日本で「キリシタン禁教令」がでなければ、メキシコとは違った意味で日本の土着と融合した面白いバロックが展開していたかもしれないと夢想してみる。凡庸な歴史家は「歴史にイフは禁物」などとたわけたことをクチにするが、What-if (もし~かも)思考であり得たかもしれない可能性について考えることは、無意味なことではない。


装飾過剰な東照宮という日本型バロックの実例もあることだし(・・このキッチュさは霊柩車のごてごてした装飾に継承されたことは有名)、リアルタイムでヨーロッパ世界と全面的にかかわっていれば、面白い展開もあったのではないかな、と。

だが、1980年代後半のバブル期にも似た、黄金の安土桃山時代の豊臣秀吉が「蓑虫」(みのむし)だといって嫌ったフランシスコ会の「清貧」志向も、ある意味では「わびさび」という形で日本人にはあることも想起しておいたほうがいいかもしれない。

日本人もまた、その後の元禄時代やバブル期に全面開花したようなバロック的な過剰と、清貧志向のシンプルライフの両面が存在し、それが交互に交代しながら浮上しては引っ込みを繰り返している。大乗仏教でいえば、真言密教と禅仏教の対比といっていいかもしれない。

カトリックとの接点が二世紀以上にわたって消滅した結果、明治維新後は当時の最先端であった英米アングロサクソン世界というプロテスタントを基調とするキリスト教世界の影響を全面的に受けたことで、日本は近代化に成功して先進国となることができたのではあったが・・・。

これもまた「意図せざる結果」であったというべきか。まさか徳川幕府に先見の明があったわけでもあるまいが。不幸中の幸い(?)といえるかもしれない。

もちろん、これは21世紀の現時点でいえることであって、歴史解釈というものがつねに書き直されるのはそのためなのである。





<関連サイト>

Sergei Eisenstein: Que viva Mexico! (1931) (YouTube 85分弱)
・・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳』


<ブログ内関連記事>

メキシコ関連

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)
・・メキシコといえば20世紀の「壁画運動」

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)(2009年12月27日)
・・ルイス バラカンはメキシコの建築家。展示会で再現されていた寝室はフランシスコ会の修道士のような部屋であった


カトリックとバロック時代

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

フィリピンのバロック教会建築は「世界遺産」-フィリピンはスペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点であった

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る


「もし~かも」思考

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

(2015年6月11日 情報追加)



 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



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