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2019年1月3日木曜日

「ルーベンス展 ― バロックの誕生」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年1月3日)― 南部ネーデルラントが生んだバロックの巨人をイタリア美術史に位置づける試み

(「パエトンの墜落」(1604~1605))


 「ルーベンス展-バロックの誕生-」(国立西洋美術館)に行ってきた(2019年1月3日)。南部ネーデルラント(現在のベルギー)の都市アントウェルペンが生んだバロックの巨人をイタリア美術史に位置づける試みだ。

  
工房方式で量産していたので、ヨーロッパの美術館には腐るほどあるルーベンス(1577~1640)だが、まとまって日本で見る機会は意外と少ない。これぞバロックというべき、あふれんばかりの色彩感と質感は、たくさん見ていると飽きてくるのだが、それでもまさにバロックなのである。とはいえ、今回の美術展では、やや物足りない感もなくはない。飽きるほどの過剰さ、豊穣さというには、やや不足しているのだ。


(「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」(1615~1616) 筆者撮影)


ルーベンスといえば、個人的には豊満な女性たちや筋肉の塊のような男たちが所狭しとキャンバスのなかを乱舞する「肉のかたまり」といったイメージが強いのだが、そういう見方だけでは大事なことを見落としてしまう。


(旧約聖書に題材をとった「セザンナと長老たち」(1606~1607))


ルーベンスをルネサンス以降のイタリア美術史のなかに位置づけ(・・ルーベンスはイタリアで8年間にわたって絵画修行をしているだけでなく、イタリア的な人文的教養をふんだんに吸収している)、17世紀精神史のなかに位置づけることで、通俗的なイメージとはやや異なるものを見いだすことができるだろう。


17世紀の精神史というのは、カトリック世界のバロックだけではない。17世紀に大流行した「新ストア派」の影響も忘れてはならないのである。過剰なまでのバロック精神は、じつはストア派哲学の抑制によってバランスしていると見ることも可能だ。あふれでんばかりの躍動感をキャンバスのなかに抑制するという絵画技術は、その表れとみるべきではないだろうか。



(「セネカの死」(1615~1616))


今回の出展作品には「セネカの死」(1615年)がある。暴君となった皇帝ネロに使えたセネカは逆鱗に触れて引導を渡され、自宅で自死を選ぶ。それが画題となっている。


ルーベンスは顔だけ描いて、その他の肉体と背景は工房に属する職人が仕上げたものだが、それでも主題に後期ストア派哲学を代表するセネカを選んでいるのである。発注者もルーベンス自身もそういう教養を共有するサークルのなかにいたわけである。今回の出展作品にはないが、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの胸像を描き込んだ作品もルーベンスにはある。

上野ではいま「フェルメール展」もやっているが、同時代の北部ネーデルランドとのテイストの違いを感じ取るべきだろう。カトリック世界の南部(現在のベルギー)とプロテスタント世界の北部(現在のオランダ)の違いでもある。同時代の日本は北部ネーデルランド(=オランダ)と通商関係があったことは、日本近世史の常識であろう。 


簡素で落ち着きのある日常世界を描いたフェルメール作品は、日本人好みでもあるようだが、聖書世界や神話世界をダイナミックに描いた同時代のルーベンスと比較してみることをすすめたい。


まあ、前者のフェルメールが「草食系」とすれば、後者のルーベンスはあきらかに「肉食系」だが、同時代であったことはまぎれもない事実なのであるから。


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PS 同時開催の企画展「ローマの景観」も見るべし

同時開催の企画展「ローマの景観」は、ピラネージのエッチング作品『ローマの景観』を中心に、17世紀以降に広まったローマにかんする視覚イメージの変遷を探ったもので、じつに興味深い。「ルーベンス展」と合わせてみるべき内容である。ともに会期は、2019年1月20日まで。







PS この投稿でブログ記事は2000本目


この投稿でブログ記事は2000本目となりました。ブログ開始から今年2019年で10年目。早いものです。蓄積されるとこんなことになります。われながら驚きです。まだまだ続けますよ!(2019年1月3日 記す)


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■バロック美術


『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!


エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう


「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる!


ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)



■ルーベンスと同時代のフェルメール


上野公園でフェルメールの「はしご」-東京都立美術館と国立西洋美術館で開催中の美術展の目玉は「真珠の●飾りの少女」二点


「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった


■マニエリスム美術

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する

『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』(東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム)にいってきた(2018年1月7日)-2017年に開催された『アルチンボルド展』(国立西洋美術館・上野)を補完する企画展


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2015年7月11日土曜日

「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)に行ってきた(2015年7月11日)-心技体の一体化した入神の演奏に満場の拍手は鳴り止まず


「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)を聴いてきた(2015年7月11日)。本日は梅雨の晴れ間の真夏日。そんな土曜日の午後に、日本を代表する国際的バイオリニスト前橋汀子氏が、3時間弱という長丁場を無伴奏で演奏し尽くした。

前橋汀子はバイオリンの小品の名曲を発掘してコンサートやCDとして発表してきたが、やはりなんといってもバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲が代表作だろう。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲は、二枚組のCDで何度も何度も繰り返し聞き込んだ。購入したのがいつか正確な記憶はないが、録音が1988年、CDの発行年が1993年とあるので、それ以降であることは確かだ。1990年代の半ばくらいではないだろうか。約20年目にしてナマで聴けることとなったのはじつにうれしい。まさか生演奏を聴けるとは思っていなかったからだ。

演奏会場は、横浜市の神奈川県立音楽堂。「近代建築」の第一人者・前川國男による設計。おなじく前川の設計になる東京文化会館と同様、音響のすばらしさでは定評のあるコンサートホールである。

しかも、バッハに代表されるバロック音楽は「西欧近代」そのもの。「西欧近代」そのものを究めるのには、理想的な演奏会場といえるかもしれない。神奈川県立音楽堂は訪れるのは今回が初めてだが、音響のすばらしさは、無伴奏のバイオリン演奏だからこそ価値あるものであるといっていいかもしれない。


本日のプログラムは以下のとおり。

ソナタ第1番 ト短調 BWV1001(全約17分)
パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002(全約25分)
ソナタ第2番 イ短調 BWV1003(全約21分)
パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006(全約17分)
 (休憩) 25分
ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005(全22分)
パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004(全32分)

J.S.バッハによる作品の通し番号である BWV に注目していただきたいが、本日のプログラムでは BWV番号どおりにはなっていない。BWV番号の最後にくるはずのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006 を「休憩」前にもってきて、順番を変えてパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 を最後にもってきているのだ。

これはじつに心憎い演出である。なぜなら、パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 の第5曲シャコンヌこそが、「バロック音楽のバイオリン曲では最高傑作」と評されているものだからだ。

それだけに超絶技巧の要求される難曲であるが、前橋汀子の演奏は、最後の最後にいたって、まさに神がかり的といっていいほどの心技体が一体化した入神状態のものであった。すでに70歳を越えているとは信じがたい入神の演奏。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲を弾き通したフィナーレがシャコンヌとは、計算し尽くされたものであるだけでなく、聴く側としてもすばらしいの一語に尽きる。満場の拍手が鳴り止まなかったも、当然といえば当然だろう。

前橋汀子は日本の至宝である。クラシック音楽が日本の「伝統芸能」ではないので人間国宝となることはないが、個人的にはそれに値するアーチストだと思っている。本日もあらためてその感をつよくしたのであった。





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「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol. 7」(2011年7月30日) にいってきた-低価格のコンサートを開催すること意味について考えてみた

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.6 (2010年6月20日)

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.5 (ピアノ:イーゴリ・ウリヤシュ)


バロック芸術

「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる!

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

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2015年6月8日月曜日

フィリピンのバロック教会建築は「世界遺産」-フィリピンはスペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点であった

(マニラの聖アグスティン教会正面 筆者撮影)

バロックというと初期近代の西欧キリスト教世界、とくに対抗宗教改革でパワー全開したカトリック諸国で花開いた芸術様式のことを指しているが、とくにスペインによる植民地支配の拡大にともなって西欧以外にも拡がったことが知られている。

とくに多いのが現在でもスペイン語圏である中南米であり、18世紀メキシコでは土着の文化と融合した独特のバロックが栄えたことも知られている。

だが、バロック様式が残っているのは西欧や中南米だけではない。アジアにもある。それはフィリピンである。16世紀以来、約300年にわたってスペイン、その後アメリカの植民地となっていたフィリピンは、人口の9割がキリスト教徒、人口の7割がカトリックである。

いわゆる「大航海時代」に世界一周航海をなしとげたの探検家のマゼランは、フィリピンのセブで殺されたことを想起しておきたい。その後スペインはフィリピンを領有し、当時の国王フェリペ二世にちなんで、その地をフィリピンと命名したのであった。

(マゼランの世界一周 右がフィリピン wikipediaより)

中南米と同様、植民地となったフィリピンもまたスペインによってキリスト教化された。スペインは、カトリックの対抗宗教改革の一大中心であった。フィリピンの植民地化が開始された16世紀は、バロック芸術が栄えた時代である。したがって、フィリピンにも、スペイン本国と同様にバロック様式のキリスト教会が建築されたわけである。

16世紀に建てられた4つの教会が「世界遺産」として1993年に登録されているが、とくに首都マニラにある聖アグスティン教会は、1571年に建築され、フィリピン最古の教会といわれている。現在でも現役の教会堂として使用されている(・・下の写真を参照)。

(聖アグスティン教会はいまでも現役 筆者撮影)

聖アグスティン(=サン・アグスティン San Agusutin)とは、『神の国』で有名な初期キリスト教を代表する教父アウグスティヌスのことである。

4世紀エジプトに生まれたアウグスティヌスは、自叙伝ともいうべき『告白』のなかで、"異教" であるマニ教からキリスト教に改宗したことを書いており、キリスト教への改宗を促進する拠点となった教会の名前としてふさわしいとされたのであろう。

ちなみに日本の戦国時代のキリシタン大名の小西行長(1558~1600)の洗礼名はアゴスティノ(=アウグスティヌス)であった。同じくキリシタン大名であった高山右近(1552~1615)の洗礼名はジュスト、徳川家康によるキリシタン国外追放令によって、追放先のマニラで病死している。葬儀は、スペインのフィリピン総督の指示によって聖アンナ教会(1578年建造)で執り行われた。ドン・ジュスト高山は、2015年には福者として列せられる予定である。

(スペイン植民地のバロック建築と文化の流れ 左下がフィリピン)

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)という本はメキシコのバロックをテーマにした写真集だが、同書に掲載されている「本書のスペイン植民地のバロック建築と文化の流れ」という地図をみると、メキシコが圧倒的にスペインのハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの影響下にあっただけでなく一方では太平洋をはさんでフィリピンのマニラを中心としたスペイン植民地との接点もあったことがわかる。

フィリピンにおいても、ローカル文化とカトリックが融合して「フォーク・カトリシズム」(=民衆カトリック)ともいうべき形態が定着しているとされているが、聖アグスティン教会にもその端緒ともみるべきものが見られる。

たとえば、教会建築の側面にはキリスト教の聖者の石造が飾られているが、その下にはなんと獅子が鎮座している。ライオンというよりも、はるかに中国風の獅子である(・・下の写真を参照)。

(聖アグスティン教会の側面にある獅子のレリーフ 筆者撮影)

日本の戦国時代と同時代であった「大航海時代」というと、どうしても南蛮人はポルトガルでアジア拠点はマカオという連想が働きがちだろうが、アジア地域においては、マカオを拠点としたポルトガルに対し、フィリピンを拠点としたスペインという図式があった。

米西戦争の結果、フィリピンの領有権がキューバとともに、スペインから米国に譲渡されたのは1898年である。それ以降、日本人の認識から「アジアにおけるスペイン」が消えているが、聖アグスティン教会など世界遺産に登録された教会建築や、ビールの銘柄でもあるサン・ミゲール(=聖ミカエル)、そしてフィリピン人の姓名に、スペイン支配時代の痕跡を見ることができる。

江戸時代に入ってからだが、仙台藩から慶長遣欧使節団を率いて渡欧した支倉常長(はせくら・つねなが 1571~1622)は、地球を右回りで太平洋を横断し、スペイン領となっていたメキシコのアカプルコを経て欧州に渡航し、帰途にはスペイン領となっていたマニラを経由して帰国している。スペイン王国の援助があったためである。地球の半分が、ローマ教皇によって勝手にスペインとポルトガルに分割されていた(!)のだ。

(支倉常長の慶長遣欧使節団ルート wikipediaより)


日本でキリシタンが禁止されるに至った理由の一つに、ポルトガル王国の支持を受けていた先発組のイエズス会と、スペイン王国の支持を受けていた後発組のフランシスコ会の日本布教をめぐる対立があった。キリスト教内部の内輪もめのために両者共倒れになったのは皮肉なことだ。

日本にも、明治時代以降に建築されたバロック様式の建築物もあるが、初期近代のバロック時代のまっただなかに建築されたものがフィリピンに残されてることは、ぜひアタマのなかにいれておきたいことである。

いわゆる「鎖国体制」(・・じっさいは「鎖国」ともいうよりも管理貿易体制)をとるにいたった日本人の認識からは消えてしまったが、20世紀がはじまる時期まで、日本のすぐ近くにスペインの存在があったのである。

フィリピンというとアメリカという連想が強いが、アメリカ植民地時代以前のスペイン植民地時代の方が長かったのである。そしてそのフィリピンは、スペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点なのであった。


<関連サイト>

<ブログ内関連記事>

「大航海時代」と「戦国時代」

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・日本の戦国時代は、西欧の大航海時代と同時代である

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・中南米を植民地としたスペインとポルトガル、中米と北米を植民地とした英国とフランス

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る
・・スペイン領の南米におけるイエズス会の栄光と挫折

オペラ 『ドン・カルロ』(ミラノ・スカラ座日本公演)に行ってきた(2009年9月12日)
・・フィリピンの名ももととなったスペイン・ハプスブルク家絶頂期のフェリペ二世の治世が時代背景

■非西欧世界のカトリック布教

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する
・・スペインの植民地メキシコで花開いたバロック

「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・カトリック国メキシコの「聖週間」について。フィリピンにおいても聖週間は盛大に祝われる

ベトナムのカトリック教会
・・アジアのカトリック国はフィリピンだけではない。韓国とベトナムもまたそうである

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?


フィリピンを多面的に見る

フィリピン(Philippines)とポーランド(Poland)、この「2つのP」には2つ以上の共通点がある! (2010年)
・・カトリック人口が7割を超えるフィリピンだが、「カトリックは経済成長の阻害要因」というマックス・ウェーバー以来の一般常識は疑ってかかるべきだろう

書評 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)
・・多島国ギリシアとフィリピンの共通性について言及。現在はさらに相違点についても指摘すべきであろう

映画 『イメルダ』 をみる
・・フィリピン戦後史そのもののイメルダ・マルコス

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2014年8月8日金曜日

書評『からくり人形の夢 ― 人間・機械・近代ヨーロッパ』(竹下節子、岩波書店、2001)―「西洋からくり人形」にさぐるバロック時代の精神世界



「からくり人形」というと、まず想起するのは江戸時代の「茶運び人形」などだが、同時代のヨーロッパにも「からくり人形」が存在した。「西洋からくり人形」である。

日本の「からくり人形」は、17世紀から19世紀半ばにかけてつくられたものだ。もっぱら見て楽しませるための娯楽用として製作されたものだが、「第一次グローバリゼーション」の16世紀に西洋から伝来した機械時計に使用されていた「歯車」(ギア)を応用したものだ。歯車はきわめて重要な機構部品である。

「西洋からくり人形」もまた17世紀から19世紀半ばまでが全盛期であったが、本書の表現を借りれば、「奇跡と遊びとパッションが一体をなしていたバロック時代」の産物である。おなじく工学的発想にもとづく「からくり人形」であるが、日本の「からくり人形」とは背景となる思想が異なっていた。

「西洋からくり人形」は、正確にはオートマタ(automata)という。単数形はオートマトン(automaton)直訳すれば自動機械である。機構そのものにプログラムを内蔵させたオートマトンは、機械言語によって動くコンピュータとロボットの前身である。

本書は、「西洋からくり人形」の背景を見ていくことによって、「近代科学」成立以前のバロック時代の科学観と人間観を明らかににしながら、「近代科学」成立によって切り捨てられていった初期近代の精神世界についてエッセー風に考察したものである。

日本ではいまだに「科学技術」と4文字熟語で一緒くたにされているが、「科学」と「技術」(=工学)はイコールではない。近代科学を生み出した西欧と生み出せなかった日本。その違いについて考えるためにも、「西洋からくり人形」というオートマトンについて振り返ってみる意味がある。

以下、わたし自身の関心にしたがって、わたしのコトバで解釈しながら読んでみる。著者はオートマタととしているが、19世紀以降の「近代科学」のもとにおける発展を視野に入れた場合、オートマトンと表記したほうが適切であろう。、


オートマトンは機械式時計の技術と連動

「西洋からくり人形」のオートマトンは、本書によれば、精密機器である機械時計技術と連動して発展したらしい。からくり時計もその一つであるが、時計職人のブランドイメージのため製作されたもので、いわば技術のショーケースといった性格をもっていたようだ。

機械式時計の製作は、フランス・アルプスの北側グルノーブルからスイスのフランス語圏へと波及していった。だからオートマトンはフランスを中心に発達したようだ。レオナルド・ダヴィンチを生んだイタリアで発達せず、フランスで発達した理由も興味深い。

本書カバーの写真は、自らオルガンを弾く貴婦人の「西洋からくり人形」だが、もともと「自動楽器」のほうがオートマトンに先行していたようだ。

自動楽器は、音楽の保存方法として、楽譜による記譜法と並列して重要な役割をもっていたらしい。記録媒体としてのレコードと蓄音機が19世紀にエジソンによって発明される以前は、自動楽器が貴重な音源となっていた。18世紀から19世紀にかけて活躍したベートヴェンもまた、自動楽器向けの曲を作曲しているらしい。

自動楽器は、現代でもオルゴールとして生き残っているが、ピックという楔(くさび)のついたシリンダーを回転させ、楔を鍵盤をひっかけて音を再生する仕組みである。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置であるといっていいだろう。

音楽の再生にあたって動力源は人力だが、オペレーターが手動で駆動しながら同時に制御するか、ゼンマイに蓄えたエネルギーを利用して自動再生するかの二種類があったが、機構そのものはおなじである。

この自動楽器の技術がオートマトンに活かされることになる。機構そのものにプログラムを組み込んだ記憶装置であり、再生装置である点は同じである。人間がプログラムを作成し、人間が動力源であり、オペレーターでもある。


オートマトンと「人間機械論」

オートマトンの製作は、初期近代のバロック時代の科学観が背景にある。いわゆる「近代科学」成立以前の科学観である。

そもそも機械式時計は、神が造った被造物の一つである天体の動きを、歯車のかみあわせでムーブメントとしてメカニカルに再現したものである。大宇宙であるマクロコスモスと小宇宙であるミクロコスモスがコレスポンデンス(=照応)しているという近代以前の神学的科学観が背景にある。

人工美を表現した幾何学的なフランス庭園もそうであるが、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望がストレートに表現されたものといえるだろう。「目に見えるもの」をいじっているうちに「目に見えないもの」を感じ始める日本人とは、真逆の発想なのかもしれない。

オートマトンにおいては、神が造った被造物である人間を一個の機械として理解した「人間機械論」が思想的背景にある。「人間機械論」は、「心身二元論」で有名な哲学者デカルトが打ち出したものだが、当事の西欧世界に与えたインパクトはきわめて大きかったようだ。フランスがオートマトン製作の中心であった理由の一つがデカルト哲学の影響である。

初期近代は、数学と解剖学の時代であり、解剖学の知見がメカニズムの解明と再現へ、そして数学で世界を表現する思考が浸透していった。

だが著者によれば、「人間機械論」は、現代人のわれわれが理解している「心身二元論」とはニュアンスが異なるようだ。デカルトはあくまでも人間は神の被造物であるという前提に立っていたのである。身体のメカニズムの究明をつうじて、精神の秘密を探ろうとしていた。「目に見える身体」のメカニズムをつうじて「目に見えない精神」を、探ろうという方法論である。

オートマトンもまた、目に見える機構というメカニズムをつうじて魂の問題を探求するという姿勢があったことを著者は強調している。人形に魂が宿るという発想は、日本人的な発想と似ていなくもないが、「人間機械論」においては、探求心が向かう方向と方法論が日本人とは異なるようだ。

「近代科学」を生み出した西欧人の発想をオートマトンに見ることができるのである。


ロボットの原型としてのオートマトン

人形には魂が宿る。こういう感覚は日本人なら子ども時代に誰もが観じたことがあるのではないだろうか。ロボット工学者の森政弘博士による「不気味の谷」仮説がその一つの説明であろう。人間型ロボットは人間に近づくと親近感を増すが、ある閾値を超えると「不気味の谷」に入り込むという仮説である。

日本人に限らず、西欧人も人形には魂が宿るという感覚があったようだ。西欧人の深層意識に痕跡を残している古代的な感性といえようか。

自動人形のオートマトンであれ、マリオネットなどの操り人形であれ、人形自体には魂は存在しない。したがって誰かが動かしてやらなくてはならない。操り人形の場合は、人形師に憑依するという形で神の意志が反映されるというのは、ある意味では古代的な感性といえるだろう。

オートマトンは、アタマのなかで考えたイメージを素材をつかって表現したいという西欧人の欲望の表現であるが、オートマトンの延長線上にロボットがあると考えると、ロボットの原型となるイメージについて振り返ってみる意味もある。

著者は、オートマトンには以下の3つの類型があるとしている。わたしなりに補足して整理すると以下のようになる。

アダム型: 神自身が造った神の似姿(←旧約聖書 『創世記』)
ゴーレム型: ドッペルゲンガー型の分身。人格統合されるべき人間の「影」(←中欧ユダヤ伝承)
イヴ型: 自分の理想や夢の投影。ギリシア神話のピュグマリオン。ピノッキオ

アダム=ゴーレム型の代表としてドイツ文学の『ゴーレム』(グスタフ・マイリンク)イブ型の代表としてフランス文学の『未来のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン)をとりあげて、内容を紹介しながらにくわしく解説している。

著者が使用していない精神分析的な解釈を加えれば、西欧人の深層意識を知るうえで有効な分析材料となるだろう。ロボットの原型としてのオートマトンについて考えることは、つまるところ人間の欲望について考えることなのである。

ロボットがますます身近な存在となりつつある現在、初期近代のバロック時代、「近代科学」以前の西欧を視野にいれることの重要性をあらためて感じるのである。


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目 次

はじめに
序章 オートマタのフランス
第1章 パリのバロック夢追い人たち
第2章 歴史の中の自動楽器
第3章 歴史の中のオートマタ
第4章 オートマタのファンタジー
終章 夢見るオートマタ
おわりに
参考文献について


著者プロフィール
竹下節子(たけした・せつこ)
1976年、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を学んだ。パリでアーティスト支援の文化協会を主宰し、室内楽アンサンブルのメンバーとしても活動中。著書に『パリのマリア』『ジャンヌ・ダルク』『ローマ法王』『バロックの聖女』『さよならノストラダムス』など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<参考>

『機械式時計【解体新書】-歴史をひもとき機構を識る-』(本間誠二=監修、大泉書店、2002)
・・この本は時計職人が書いた機械式時計のメカニズムと歴史がつまった本。出版以来のロングセラー





<ブログ内関連記事>

機械文明の原型

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である
・・銃器という機械もまた、西欧近代を推進した軍事テクノロジーである

電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
・・自動人形もエネルギー源に電気を使用しない機械である

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか
・・なぜスイスが機械式時計の一大生産地帯となったのか

『西洋事物起原 全4巻』(ヨハン・ベックマン、特許庁技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000)は、暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれる本
・・近代が生み出したさまざまな機械についても、その起源を調べている


解剖学とバロック精神

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界


ロボットと魂

書評 『ロボット新世紀』(シリル・フィエヴェ、本多力訳、文庫クセジュ、2003)-ロボット大国ではないフランスのジャーナリストが簡潔にまとめたロボット開発の見取り図

書評 『ロボットとは何か-人の心を写す鏡-』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」という哲学的な問いを考える手引き ・・ロボットに魂をもちうるのか?

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない
・・デカルトの「動物機械論」の波紋とその攻防の西欧近代思想史

(2014年8月9日 情報追加)


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2014年7月23日水曜日

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する


バロックはヨーロッパのカトリック地帯を中心に17世紀から18世紀にかけて展開した。しかも、「新大陸」では異様な展開を示したこともアタマのなかに入れておきたい。

先に取り上げた 『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)が出版された翌年には、ここに取り上げる 『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)という本も登場している。

「ウルトラバロック」とは、著者の表現を借りれば、「(西欧から移植されたバロック)様式がメキシコに集められた世界中の様式をのみこみながら、さらには古代アメリカの土着の感性とも融合し、建築を閉所恐怖症とも呼べるように装飾でびっしりと埋めるように」なったものだ。

バロックとはポルトガル語の「歪んだ真珠」から来ているというのは定説だが、メキシコの「ウルトラバロック」は本家本元のヨーロッパのバロックよりも、さらに「歪んだ真珠」になっている。とにかくごちゃごちゃと、これでもかこれでもかとつくりこまれた過剰なまでの装飾空間

そもそも建築物というものは、そのなかに入って体感するものだ。音声や空気は断念するとしても、二次元の写真画像や、三次元であってもビデオカメラの視野では捉えきれないものがある。だが、この小型サイズの写真集に収録された写真をみていても、その過剰なバロックぶりには圧倒される。

かつて1ヶ月をかけてメキシコを回ったとき、わたしも多数の教会建築のなかに入ってみたが、まさにヨーロッパの合理と非合理が、コロニアル社会で土着文化と融合するとこんなものになるのかという印象を受けたものである。

どこの教会かは覚えていないのだが、カトリック信者たちの熱狂ぶりがロックコンサート並で、バチカンの比ではないという強烈な印象を受けたのもメキシコでのことだった。


(スペイン植民地のバロック建築と文化の流れ P.85より)


本書に挿入された 「本書のスペイン植民地のバロック建築と文化の流れ」という地図をみると、メキシコは圧倒的にスペインのハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの影響下にあったことがわかるが、一方では太平洋をはさんでフィリピンのマニラを中心としたスペイン植民地との接点もあったことがわかる。

伊達政宗が派遣した支倉常長(はせくら・つねなが)率いる「慶長遣欧使節団」もまた、このルートをつかって、仙台から太平洋を横断し、メキシコのアカプルコ経由でヨーロッパに渡航したのである。長崎で殉教した「二十六聖人」の殉教画がメキシコのクエルナバカの教会に壁画として残されていることは有名である。この壁画は、わたしも見に行った。 

メキシコをテーマにしたソビエトの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳!』(¡ Que viva México ! 1932年)には、辺境で活動するフランシスコ会の修道士たちが賊の襲撃で壊滅するシーンがあったが、現在は米国領となっているカリフォルニアはフランシスコ会のミッションがつくったものだ。サン・フランシスコという地名は、フランシスコ会の創設者であるアッシジの聖フランチェスコ から来ている。

(『メキシコ万歳』のシーンより フランシスコ会士とメキシコを象徴する骸骨)

スペインの後押しを受けたフランシスコ会があとから新規参入してきて日本で宣教活動を行った結果、すでに活動を活発に行っていたポルトガルの後押しを受けていたイエズス会と激しい競争となり、結果として日本におけるカトリック布教活動が共倒れとなったわけだが、大局観を欠いた競争がいかに自滅的であるかを示した事例でもある。

「キリシタン禁教令」がでたのは1613年だが、もし、日本で「キリシタン禁教令」がでなければ、メキシコとは違った意味で日本の土着と融合した面白いバロックが展開していたかもしれないと夢想してみる。凡庸な歴史家は「歴史にイフは禁物」などとたわけたことをクチにするが、What-if (もし~かも)思考であり得たかもしれない可能性について考えることは、無意味なことではない。


装飾過剰な東照宮という日本型バロックの実例もあることだし(・・このキッチュさは霊柩車のごてごてした装飾に継承されたことは有名)、リアルタイムでヨーロッパ世界と全面的にかかわっていれば、面白い展開もあったのではないかな、と。

だが、1980年代後半のバブル期にも似た、黄金の安土桃山時代の豊臣秀吉が「蓑虫」(みのむし)だといって嫌ったフランシスコ会の「清貧」志向も、ある意味では「わびさび」という形で日本人にはあることも想起しておいたほうがいいかもしれない。

日本人もまた、その後の元禄時代やバブル期に全面開花したようなバロック的な過剰と、清貧志向のシンプルライフの両面が存在し、それが交互に交代しながら浮上しては引っ込みを繰り返している。大乗仏教でいえば、真言密教と禅仏教の対比といっていいかもしれない。

カトリックとの接点が二世紀以上にわたって消滅した結果、明治維新後は当時の最先端であった英米アングロサクソン世界というプロテスタントを基調とするキリスト教世界の影響を全面的に受けたことで、日本は近代化に成功して先進国となることができたのではあったが・・・。

これもまた「意図せざる結果」であったというべきか。まさか徳川幕府に先見の明があったわけでもあるまいが。不幸中の幸い(?)といえるかもしれない。

もちろん、これは21世紀の現時点でいえることであって、歴史解釈というものがつねに書き直されるのはそのためなのである。


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<関連サイト>

Sergei Eisenstein: Que viva Mexico! (1931) (YouTube 85分弱)
・・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳』


<ブログ内関連記事>

メキシコ関連

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)
・・メキシコといえば20世紀の「壁画運動」

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)(2009年12月27日)
・・ルイス バラカンはメキシコの建築家。展示会で再現されていた寝室はフランシスコ会の修道士のような部屋であった


カトリックとバロック時代

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

フィリピンのバロック教会建築は「世界遺産」-フィリピンはスペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点であった

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る


「もし~かも」思考

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

(2015年6月11日 情報追加)
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