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2014年9月30日火曜日

「におい」で秋を知る-ギンナンとキンモクセイは同時期に「臭い」と「匂い」を放つ・・・


キンモクセイが秋を感じさせてくれる芳香だとすれば、思わず鼻を突く異臭で秋を感じさせてくれるのがギンナンである。

通行者に踏みつぶされて空気中に拡散するギンナンの「におい」。イチョウ並木を歩いていることに気がつく瞬間だ。

「におい」がきついギンナンだが、拾い上げて手のひらにおいて眺めてみると、なんだか砂糖菓子のようでもある。そのまま食べてしまいたくなる。


ギンナンとキンモクセイはほとんど同時期に匂い(=臭い)を放つ存在だ。キンモクセイの匂い(=香り)に癒されてて秋を感じたつぎの瞬間、歩き続けるとギンナンの臭い(=異臭)にかき消される。

キンモクセイの香りとギンナンの異臭では感じ方は違えども、秋は秋である。

五感、とくに嗅覚ををつうじて秋を知る。また楽しからずや。






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銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日

♪ ちいさい秋 み~つけた-ほのかな香りでその存在を知るキンモクセイ

嗅覚に敏感になるためには、「この国を出よ!」






(2012年7月3日発売の拙著です)







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2014年9月28日日曜日

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)

(火渡り修行をする成田修法師)

京成線沿線やその関連路線の沿線に住んでいると目に入ってくるのが、成田山参詣を促すポスターである。成田山新勝寺は、年始の正月だけでなく、「五月詣」と「九月詣」が重視されている。

「正五九」(しょうごく)といって、節目の季節に参詣すると、 御利益を授かることが大きいとされているのである。これは江戸時代以来らしい。ポスターの絵柄はいつも浮世絵である。

9月28日は、その「九月詣」(くがつもうで)の月で、かつ28日のお不動様の縁日でもある。ことし2014年(平成26年)の9月28日は、しかも日曜日である。この日には山伏姿の修法師(しゅうほうし)による「火渡り修行」が行われることを知った。修法師は、成田修験ともいう。密教と修験道が習合しているのが成田山の面白いところだ。

大本山成田山の公式ウェブサイトに掲載されている内容紹介は以下のとおりである。

成田山の「柴灯大護摩供 火渡り修行」
http://www.naritasan.or.jp/gyoji_sp/hiwatari.html
   
開催日:平成26年9月28日(日)
時 間:午前11時30分
道 場:成田山大本堂西側広場
    
(説明)
柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)は野外で修する御護摩祈願です。成田山では毎年5月と9月、12月に行い、5月と9月はご信徒の開運厄除と所願成就の護摩木祈願として厳修しています。また、被災地岩手県陸前高田市の高田松原の松材をお焚き上げして、大震災物故者の供養と被災地の復興を祈願しております。ご信徒の皆さまには、お詣りいただいて被災地の復興を共にお祈りください。  

山伏の火渡りはテレビなどでは見たことがあっても、実際の火渡りをリアルで見て体験したことがなかった。火渡りはぜひ一度は体験してみたいと思っていたので、この機会を利用して参加することにした。

本日(2014年9月18日)は秋晴れの青天、絶好の参詣日和となった。成田山新勝寺に参詣するのは、断食修行以来のことなので約4年ぶりということになる。


「柴灯大護摩供」(さいとうおおごまく)に参加する

「火渡り修行」は、正式には「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく) 火渡り修行」という。柴灯大護摩供は、野外で行う護摩法要のことだ。柴(しば)を使って護摩壇を設け、燃え上がる紅蓮の炎に祈願を行う護摩のことだ。

燃えさかる炎のなかに護摩木を投げ込みながら、不動明王の真言と般若心経が読経される。熱さに耐え、煙に耐え、約1時間にわたっておこなわれる護摩である。この護摩が屋外で行われるのである。

「柴灯大護摩供」は午前11時半から開始されるが、わたしは念のため 10時から会場に待機して場所取りすることにした。かぶりつきで見物し祈願したかったからだ。不動尊の不動心を身につけたいという切なる願いをもっていたからだ。そのため、そうとう煙を吸い込んだし、熱さでめまいがしそうになったのだが・・・

野外に設けられた護摩壇には、山野に生えている灌木をかぶせている。なんだか 2005年の中部万博のマスコットのモリゾーとキッコロみたいだ。というより、キッコロが緑の護摩壇に似ているというべきか、緑の護摩壇が森の精霊に似ているというべきか。

稲穂の束を身にまとった存在なら、秋田県のなまはげや沖縄の民俗芸能にもあるが、それは稲作が日本に伝来した弥生時代以降の信仰から生まれたものだろう。

説明にあったわけではないが、でつくられた緑の護摩壇は、もしかすると稲作以前の縄文時代の古層につらなる信仰とかかわりがあるのかもしれないと考えてみたりもする。修験道は日本独自の山岳信仰である。

(燃やされることになる護摩壇は森の精霊か?)

この緑の護摩壇に火が付けられて燃やされるまえに、種々の儀式が行われるわけだが、護摩壇のまわりにはしめ縄が張られている。山伏姿の修法師たちが入場してくる。

 (山伏姿の成田修法師の入場)

当日は儀式の内容にかんする説明が行われていたのだが、内容にかんする正式名称など正確に記憶していないので、一般用語をつかって説明しておきたいと思う。

まずは先達(せんだつ)が護摩壇の前で鉞(まさかり)を振り下ろす所作が何度も行われる。

 (護摩壇に点火する前の儀式 まさかりを振り下ろす)

そのあと、別の先達が鏑矢(かぶらや)を地面に向けて射る。この所作を東西南北の4カ所で行い、結界(けっかい)をつくる。これで聖なる空間ができあがることになる。

  (護摩壇に点火する前の儀式 鏑矢で結界をつくる)

四方に鏑矢を射たあと、最後に護摩壇に向けて鏑矢が射られる。矢を射られる対象であるということは、やはり燃やされる前の護摩壇は、森の精霊という魔物なのであろうか。

 (護摩壇に点火する前の儀式 鏑矢を護摩壇に向けて放つ)

このあと、別の先達が、利剣でもって居合いを行い、最後には護摩壇に向けて剣を突き刺す所作を行う。

 (護摩壇に点火する前の儀式 利剣を護摩壇に向けて突き刺す所作)

このあと僧侶が行う護摩の儀式がある。以上で一連の儀式が終わり、いよいよ護摩壇に火を付けることになる。

祭壇からもらい火した青竹の松明(たいまつ)を二人の修法師が抱え持ち、儀式を行ったのち、護摩壇に二カ所から点火する。

 (青竹の松明で護摩壇に点火する)

護摩壇のなかから上がってきた炎をあおるため、二人の修法師がモップのような梵天(ぼんてん)であおいで風を起こす。炎とともに、もうもうたる煙が立ち上がる。このあと、参詣者の頭上で神道のお祓いのように梵天が振られる。わたしもそのお祓いに与ることができた。

(梵天をつかって火の巡りをよくする)

ときどき、成田山の銘の入った柄のついた枡(ます)で水をかける。延焼をふせぐためであろう。

 (延焼しないように水をかけながら)

護摩壇が燃やされているあいだ、「不動明王の真言」と「般若心経」がひたすら唱えられる。参詣者も唱えることがもとめられ、熱さと煙に耐えながら、わたしもクチのなかでブルブツ唱えながら合掌する。

不動明王の真言は以下の通り。

のーまく さんまんだー
ばーざらだん せんだー
まーかろしゃーだー
そわたや うんたらたー
かんまん

火はすべてを浄化する。祭壇に飾られていた将棋の駒のような成田山の「勝守り」を、護摩壇の炎で先達が浄める。この間、信者がもってきた古いお札や護摩木をつぎつぎと炎のなかにくべていく。

(燃えさかる護摩壇の炎でお守りを浄める)

一連の浄めの儀式が終わったあとは、参詣者のバッグや財布などの持ち物を浄めていただくセッションに入る。わたしも背負っていたデイバッグを浄めてもらった。

(燃えさかる護摩壇の炎でバッグなど信者の持ち物を浄める)

護摩壇が燃え尽きると、いよいよ火渡り修行の準備に入る。

(仁王立ちする修法師 火渡り準備中)

護摩壇が燃え尽きて炭と灰になったら、道具をつかって地面をならして整地する。修法師たちは白足袋を脱いで裸足となる。足袋を履いていては、残り火が燃え移る可能性があるのでかえって危険なのだ。

整地がおわると前方と後方に枝葉のついた青竹を二本づつ立て、しめ縄をはる。先頭にたつ先達が利剣でしめ縄を断ち切り、火渡りの先陣を切る

(火渡り場所の二本の竹にかけたしめ縄を利剣で断ち切る)

炎は消えても、熾火(おきび)が残っているのでまだまだかなり熱そうだ。なかには飛び跳ねて走る修法師もいてたしなめられていた。

 (まだまだ熱いなか裸足で火渡り修行する修法師たち)

 飛び上がって走るとかえって熱いらしい。足の裏をしっかりとつけて、下を見ずにまっすぐ前を見て歩ききるのがよいのだという。

  (まだまだ熱いなか裸足で火渡り修行する修法師たち)

万難を排して「火渡り修行」を体験する

修法師たちによる火渡り修行が終わると、だいたい12時半を過ぎたくらいの時間になっている。

これから先は「一般火渡り修行者」の番となる。参加希望者はすでに長い列をつくって後方に並んでおり、わたしの目の前でつぎつぎと渡し始めていた。まだそうとう熱いのだろうに、気合いが入っているなあ。

「火渡り修行」をじっさいに見たいという気持ちと、今後の人生を乗り切るためにお不動様の加持力を得たいという気持ちの両方で参加したが、この日はなぜか風邪気味でカラダの節々に筋肉痛が残っていた。

熱さと煙のためだろうか、ずっと立ちつづけていたこともあるが、見学中に目の前に集まってきたる山伏たちが突然真っ黄色に変わっていくのを感じた。「なんだこれは・・」と思っているうちに、くらくらしてきたぶっ倒れるのではないかという気がこみあげてきた。

これは危ないと思って、倒れる前にしゃがみ込んだことで、なんとかやり過ごすことができたのだが、いったいこれは何だったのだろうか・・・。知覚異常という脳内現象かそれとも・・・。

一瞬の出来事だったと思うが、火渡りは断念してそのまま帰ろうとかとさえ思ってしまった。だが、せっかくの機会であるし、ここで火渡りを行わなければ絶対に後悔するだろうと思い直し、意を決して列に並ぶことにしたのである。

すでに列はながく続いており、火渡りできるまで40分以上待つこととなったが、そのくらい待てばもう熱くないだろうと思ってみたりもする。

 (せっかくの機会なのでわたしも火渡り修行に参加)

自分が火渡りするシーンは写真に撮れないのが残念だが、そんな雑念はもたないのが賢明というべきだろう。裸足になってズボンの裾をめくる。火が燃え移るのを防ぐためだ。

じっさいに火渡りしてみると、だいぶ時間がたっていたにかかわらず、まだ熱かった最初に踏み出した右足にかなりの熱さを感じたが、なんとか渡り終えた。最後に大先達の前にひざまづき、密教法具の独鈷(とっこ)をアタマにあてていただいて祝福を受けることができた。

火渡りが終了したら水で足を洗い、靴下をはいて靴を履く。 終わってみればあっという間の一瞬の出来事であったが、火渡りを体験できたのはよかった。聞くと見るのは大違い、見るのとやるのはさらに違う。何事も体験してみないと、ほんとうの実感というものはわかないものである。

火渡り修行に参加してほんとうによかった。こういう機会を逃すと、つぎはいつ参加できるかまったく未知数だからだ。

 (大本堂の西隣で火渡り修行が行われる)

わたしが火渡りを終えたあとも、まだまだ一般火渡り修行者の列は続いていた。大本堂の西隣で火渡り修行が行わるので、見学するだけなら大本堂の渡り廊下から眺めるのもよいかもしれない。

成田山に来るのは4年ぶりになるので、ひさびさに断食参籠道場に立ち寄ってみた。といっても中に入ったわけではない。修行中でないと中には入れない。

参籠道場の二階は成田山修法師の修行道場となっている。一般参詣者がこの参籠道場までくることはめったにないと思うが、成田修験とも呼ばれる山伏姿の修法師たちが成田山と密接な関係をもっていることは、アタマの片隅にでも置いておくべきだろう。


 「柴灯大護摩供 火渡り修行」もまた日本なのである。修験道は日本独自の山岳信仰である。こんな日本を日本人自身が知るべきであり、そして外国人観光客にも知ってもらうべきではないかと思うのである。

毎年五月と九月の二回行われているので、ぜひ一度は 「柴灯大護摩供 火渡り修行」に参加してみるとよいと思う。






<関連サイト>

大本山成田山 (公式サイト)


(成田山の九月詣でを促すポスター)



愛・地球博公式マスコットキャラクター 「モリゾーとキッコロ」
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N2/N2.1/N2.1.26/



<ブログ内関連記事>

庄内平野と出羽三山への旅 (9) 月山八号目から月山山頂を経て湯殿山へ縦走する
・・このご神体は、熱い温泉が湧きだしている、こんもりした山のような巨岩である。・・(中略)・・ご神体の拝礼は、なんとご神体そのものを、ご神体の左脇から裸足で登って、また下りることが求められる。ご神体の上を歩いていいなんて! ご神体からわき出るお湯は実に熱く、裸足ではとても耐えられないくらい熱い。あまりにも熱いのでやけどしそうだ。立ち止まることは不可能、登り続けるしかない。 ご神体は、目で見て驚くだけでなく、足の裏で感じ取り、匂いを嗅ぎ、森の発する音を耳で聴きながら、五感すべてをつうじて感じ取るものなのである。 だからこそ、直接体験するにしくはないのだ」 成田山とも関係の深い湯殿山信仰


■修験道関連

「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に (総目次)

とくに 庄内平野と出羽三山への旅 (11) 湯殿山で感じる「出羽三山の奥の院」の意味 の 「成田山新勝寺の成田修験と湯殿山との関係」という小項目を参照。
⇒ 湯殿山信仰と成田山信仰圏の重なり  

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・日本独自の山岳信仰である修験道が「神々の明治維新」でいかなる大打撃を受けたかについて

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ


成田と成田山新勝寺関連

不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!

節分の豆まきといえば成田山、その成田山新勝寺の「勝守り」の御利益に期待

「企画展 成田へ-江戸の旅・近代の旅-(鉄道歴史展示室 東京・汐留 )にいってみた

書評 『京成電鉄-昭和の記憶-』(三好好三、彩流社、2012)-かつて京成には行商専用列車があった!

月島で生まれて初めて「もんじゃ焼き」を食べてみた-もんじゃ焼きの味は食べてみないとわからない!
・・東京都江東区の門前仲町駅前には成田山別院がある


「複数の日本」を知る

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること

「かなまら祭」にいってきた(2010年4月4日)-これまた JAPANs(複数形の日本)の一つである
・・外国人観光客にもよく知られた奇祭

(2015年7月28日 情報追加)





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2014年9月27日土曜日

漱石の 『こゝろ』 が出版されてから100年!-漱石と八雲の二つの Kokoro (心)

(袖珍本の復刻版の箱 装幀は漱石自身による)

ことし2014年9月は、漱石の『こゝろ』が出版されてから100年になる。1914年(大正3年)は、明治大帝の崩御から2年後であり、第一次世界大戦が勃発した年でもある。

初出は朝日新聞の連載である。当時は東京朝日新聞と大阪朝日新聞の二拠点体制で、その双方で連載されたいわゆる新聞連載小説である。

連載期間は、1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで。単行本は、1914年(大正3年)9月20日の出版。現在よりも出版にいたるスピードが早いような気がする。連載中からすでに単行本化が進んでいたということだろう。

漱石の『こゝろ』は、岩波書店の出版第一号となった記念すべき作品でもある。著作者は、夏目金之助と本名で表示されている。

(袖珍本の本体 装幀は漱石自身による)

冒頭に掲げたのは、初版単行本を出版した岩波書店から3年後の1917年(大正6年)に出版された縮刷版である「袖珍本」の復刻版である。「袖珍版」と書いて「しゅうちん・ばん」と読むが、「袖珍」とはポケットのことだ。文字通りポケットサイズの本である。1984年の岩波書店創業70年記念として復刻されたものを入手したマイコレクションである。


(袖珍本の本体 装幀は漱石自身による)

『こゝろ』は、漱石の作品では、おそらく『坊っちゃん』についで日本国民に読まれてきたものではないだろうか。知名度では『吾輩は猫である』も高いが、なにぶんにも長編なので、意外と読んでいる人は多くないような気がする。



したがって、『こゝろ』の内容については、いまさらここで繰り返す必要はないと思う。主人公のKとその親友の先生の年齢を超えた交流、そして先生の「遺書」で打ち明けられた一人の女性をめぐっての物語と、自死にいたった先生の深い悔恨と喪失感。乃木将軍夫妻の殉死と明治という日本史にとっての大きな時代の終焉。


『こゝろ』は、岩波書店の出版第一号であると書いたが、すでに作家としての地位を確立していた漱石を口説き落とすことができたのは、創業者の岩波茂雄の一高人脈のなせるわざである。岩波茂雄の同級生たちが漱石の弟子であったのだ。

(袖珍本の見返し 装幀は漱石自身による)

朝日新聞で連載した連載小説を無名の出版社(!)から単行本化するにあたって、漱石は本文だけでなく、ブックデザインという装幀まで手がけている。

装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。

(袖珍本の扉 装幀は漱石自身による)

ブックデザイナーとしての漱石にも注目すべきなのである。すでに著作権が切れて国民のみならず、全世界の共有財産となっているので、本文だけなら青空文庫でも読めるのだが、本というものは活字情報だけではない。「紙の本」はそれ自体がコレクションの対象にもなる美術工芸品である。


(袖珍本の奥付 装幀は漱石自身による)


漱石の Kokoro

『こゝろ』は英訳されている。『こころ』の英訳者エドウィン・マクレラン(Edwin McClellan)といいうスコットランド出身の英国人である。英訳版は名訳とされている。Kokoro (Translated by Edwin McClellan) at Google Books にスキャンした英文がアップされているほか、Ibiblio には全文がアップされている。

冒頭の文章を引用してみよう。

Sensei and I
I ALWAYS called him "Sensei." I shall therefore refer to him simply as "Sensei, " and not by his real name. It is not because I consider it more discreet, but it is because I find it more natural that I do so. Whenever the memory of him comes back to me now, I find that I think of him as  "Sensei" still. And with pen in hand, I cannot bring myself to write of him in any other way.

日本語の原文は以下の通りである。新字体と現代かなづかいに改めた青空文庫版から引用する。

上 先生と私 一私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はばか)る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

どうだろう。これなら高校二年生くらいの英語力で理解できるのではかないだろうか。日本語と英語を対比させて、日本語のニュアンスがどこまで英語で表現できているか確認してみるといいだろう。ちなみに sensei という英単語は、武道や茶道などの「先生」として、すでに英語圏では一般化している。

日本文学の英訳者といえば、「3-11」後に日本国籍を取得し、日本に骨を埋めることにされたドナルド・キーン氏やエドワード・サイデンステッカーといった米国人、アーサー・ウェイリーといった英国人が有名だが、『こころ』の英訳者エドウィン・マクレランも記憶にとどめておきたい存在である。

wikipedia英語版 には、Edwin McClellan (October 24, 1925 – April 27, 2009) was a British Japanologist. He was an academic—a scholar, teacher, writer, translator and interpreter of Japanese literature and culture. とある。日本学者(ジャパノロジスト)で日本文学の翻訳と紹介を行った人だ。

日本人を母とし、日本で成長した日本語に堪能で、日本人のメンタリティにもよく通じた人であったらしい。どういう容貌の人であったかは、英語版をみるとよいだろう。


(わたしがアメリカ時代に買った Kokoro)

『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)の「エピローグ 戦後アメリカ思想史を貫いた漱石の「こころ」」と題された章に、エドワード・マッケランが英訳した漱石の Kokoro をめぐる奇しき縁がつづられている。

著者の会田氏が敬愛してやまないヨーロッパ型保守思想の大物ラッセル・カークというアメリカ人、経済学者でリバタリアン思想のフリードリッヒ・フォン・ハイエクというオーストリア人、『こころ』の英訳者エドウィン・マクレランといいうスコットランド出身の英国人は、漱石の『こゝろ』の英訳本がつないだ意外な「つながり」と「きずな」が生まれていたのである

ラッセル・カークとハイエクも、エドウィン・マクレランによる英訳版の『Kokoro』を読んで深く感動したらしい。意外なことに日本通であったラッセル・カークも、日本の関係も深いハイエクも、日本人のメンタリティを理解できたカギがここにあったのかもしれない。

これは思想のドラマの背後にあるものを鮮やかにみせてくれるものであった。著者によって初めて掘り起こされたこの「物語」は、静かな感動をもたらしてくれる。人と人との「つながり」のなかで思想は生まれ、後代に継承されていくという経緯を物語としてつづったものだ。

冒頭に述べたように、漱石の『こゝろ』が出版されてからことしはちょうど100年である。明治大帝の崩御から2年後の2014年は第一次世界大戦が勃発した年でもあった。

だが、連載が終了した8月11日、単行本が出版された9月時点では、いまだ「第一次世界大戦」という表現もなく、「世界大戦」という表現もなかった。日本の一般人にとっては、遠い欧州の出来事であったのだ。

欧州においてもクリスマスまでには戦争は終わるという楽観視が支配的であったのだが・・・


小泉八雲の Kokoro 

Kokoro とローマ字で書くと、この作品には夏目漱石に先行する作品があることに気がつく。そう、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの Kokoro である。副題は、Hints and Echoes of Japanese Inner Life とある。


(タトル商会版の八雲の Kokoro)

小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)の Kokoro は 1895年の出版。漱石の『こゝろ』の英訳版がでたのは 1957年である。Kokoro といえば、英語圏では40年以上にわたってラフカディオ・ハーンの作品が唯一であった。。

『こゝろ』の英訳者マッケランは、Kokoro の短い Foreword の末尾にこう書いている。

The best rendering of the Japanese word "kokoro" that I have seen is Lafcadio Hearn's, which is: "the heart of things." (私訳: 日本語の「心」について、私がいままで見たなかでもっとも適切な説明はラフカディオ・ハーンによる「事物の核心」というものである)

内容的には、八雲の Kokoro は、漱石の Kokoro よりも内容的に古い。猛スピードで突っ走る「近代化」のなかで、失われつつある日本人の「心」を描いた作品であう。しかもハーンが日本人自身ではなく日本語を母語とする人でもなかったので、内在的理解という点でみると、漱石のものに劣るのはいたしかたないだろう。

(漱石と八雲の二つの Kokoro  マイコレクションより)

かつては英語圏の読者に大きな影響を与えたラオフカディオ・ハーンであるが、はたして現在はどうであろうか。

マッカサー元帥の副官であったフェラーズ准将というという学者肌のアメリカの陸軍軍人がいた。天皇を戦犯として訴追することを回避させることに大きな役割を果たした人である。

『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)によれば、フェラーズは大学時代にはアメリカに留学してきていた日本人女性との交友から日本びいきになり、ラフカディオ・ハーンの全作品を読み込んでいた人だったそうだ。

フェラーズは、当然のことながらラフカディオ・ハーンの Kokoro も読んでいたわけで、その知識が敗戦国日本の占領政策を遂行するうえでポジティブな影響をもたらしたことは、知られざるエピソードかもしれない。漱石の『こゝろ』の英訳版がでたのは 1957年だから、その時点ではフェラーズは読んでいなかったのだろう。

日本の占領政策遂行というテーマにかんしては、文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』が引き合いに出されることが多いが、ラオフカディオ・ハーンの影響もあったのである。

(漱石と八雲の二つの Kokoro  マイコレクションより)

二つの Kokoro

21世紀になっても、漱石の『こゝろ』も、英訳版の 『Kokoro』 もともに読みつがれていったほしいものだ。

発信型英語教育の必要性が叫ばれる現在だが、それならこの名訳で『こゝろ』とKokoroを対比させながら教科書として読んだらいいのではないだろうか。先に冒頭の文章を英訳と日本語原文で並記しておいたが、この英語なら高校生レベルで十分に理解できるはずだろう。それが名訳の名訳たるゆえんである。

東大で夏目漱石の先任者であったハーンは英語で講義を行っていたが、学生にはたいへん人気があたらしい。後任の漱石の授業はそれを劣等感を感じて、苦痛だったらしい。

大学をやめて文筆一本の生活に入った理由の一つが、レクチャーする教師としての適性不足という自己認識にあったようだ。物理学者の寺田寅彦から作家の芥川龍之介まで、数多くの弟子をもった漱石である。人間の適性というものは、一概にはいえないものだ。その意味では、漱石の前任者がラフカディオ・ハーンであったのは、作家としての漱石を自立させる存在であったことになる。

外国人が意識的に発見した日本人の「心」(Kokoro)、日本人が無意識のうちに表現している日本人の「心」(Kokoro)。

二つの Kokoro が英語圏の読者に与え続けている影響はじつに大きいのである。








<関連サイト>

『こころ』(新字新仮名バージョン)  青空文庫

『こゝろ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション (初版本のスキャン)



<ブログ内関連記事>

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・エドワード・マッケランによる漱石の『こゝろ』の英訳がつないだ日米のきずな

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる
・・寺田寅彦は漱石の弟子であった

書評 『惜櫟荘だより』(佐伯泰英、岩波書店、2012)-現在と過去、熱海とスペインと、時空を飛び交い思い起こされる回想の数々
・・熱海の惜櫟荘(せきらくそう)は、岩波書店の創業者・岩波茂雄の旧別荘

「第一次世界大戦」の勃発(1914年7月28日)から100年-この「世界大戦」でグローバル規模のシステミック・リスクが顕在化

書評 『1914年-100年前から今を考える-』(海野弘、平凡社新書、2014)-「センチュリー」(=100年)の最初の「デケイド」(=10年)をハード・ソフトの両面から振り返る

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・ラフカディオ・ハーンを読みこんでいたフェラーズ准将

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

(2014年11月30日 情報追加)




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2014年9月25日木曜日

マンガ 『きのう何食べた? ⑨』(よしなが ふみ、講談社、2014)-平凡な(?)人生にも小さなトラブルはつきもの

(作りたい料理には付箋を貼っておこう!)

マンガ 『きのう何食べた?』(よしなが ふみ)もすえに第9巻。同じ作者による『愛がなくても喰ってゆけます。』(2005年)が一巻で終わってしまったのに対して、こちらはずいぶん息が長いですね。もう7年もたっている息の長い連載マンガです。

大きなドラマ展開はなくても、平凡な(?)人生にはつきもののの小さなトラブルはつぎからつぎへと起こるので、いっけん平凡な日常生活がつづいているように見えながら、物語は確実に前に進んでいくわけ。『うる★やつら』のような、いわゆる「終わりなき日常」ではないのです。

もういっぽうのゲイのカップル宅では、なんと夏の盛りに冷蔵庫が故障。じつはうちも10数年もつかってきた冷蔵庫が、ことしのはじめに寿命を閉じたということもあったので、なんともいえない奇妙な偶然(?)に驚いたりして。

近所の食品スーパーが閉店! これも2年前に体験しています。競合店がなくなるとお店どうしの切磋琢磨がなくなるのは困ったものですよねえ。

主人公の弁護士・筧史郎も、なんと50歳(!)の誕生日を迎え、老眼鏡のお世話になる。もともと近眼のわたしは老眼鏡は使用してませんが、主人公とは同世代のわたしにはリアリティありすぎ(!)と感じてしまいます。

第9巻のカバーが夏向けになっているのは、出版されたのが2014年8月だから。帯には「涼もう、作ろう、食べよう。」とありますが、残念ながらかき氷はマンガには登場しません。

今回の料理は、ラタトゥイユ、ローストビーフ、アクアパッツァ、ジャガイモのグラタン、かぼちゃサラダ、鶏手羽元のにににく酢じょうゆ、キャベツ炒め、正月料理の黒豆、ブロッコリー入りカルボナーラ、ブリの照り焼き、お弁当レシピ用の肉だんご、などなど。

基本は一ヶ月の食費は二人で 2万5千円という制約条件があるのですが(・・だから格安が売りの食品スーパーの閉店が痛い!)、たまにはハプニングでぜいたくな食材をつかった料理を楽しむことがあってもいいでしょうね。

ということで、どこまで長期連載になるのかわかりませんが、「作ろう、食べよう。」という料理と食事を軸にした物語はつづきます。スローテンポですが、主人公も読者も確実に年を取っていくわけです。






<関連サイト>

きのう何食べた?"なにたべ"公式ブログ

きのう何食べた? / よしながふみ - モーニング公式サイト

祝!画業20周年記念サイト よしながふみの漫画世界 (白泉社)
・・立ち読みできます!


<ブログ内関連記事>

マンガ 『きのう何食べた?⑧』(よしなが ふみ、講談社、2013)-一年に一回の楽しみはまだまだ続く!?

『きのう何食べた?⑦』(よしなが ふみ、講談社、2012)-主人公以外がつくる料理が増えてきてちょっと違った展開になってきた

『きのう何食べた?⑥』(よしなが ふみ、講談社、2012)-レシピは読んだあとに利用できます

『きのう何食べた? ⑤ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた? ④ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)


『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ

『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ





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2014年9月24日水曜日

飛んでウラジオストク!-成田とウラジオストクの直行便が2014年7月31日に開設


つい最近まで知らなかったが、2014年7月31日に成田とウラジオストクの直行便」が開設されたらしい。木曜出発の週一便ではあるが、成田空港と極東ロシアのウラジオストを結ぶ定期便である。このポスターは、上野から成田空港までむすぶ京成電鉄の駅の構内で見かけたものだ。

だいぶ以前のことになるが、かつて出張でウラジオストクに行ったときは、わざわざ新幹線で東京駅から新潟駅までいって、新潟空港からウラジオストクまで飛んだものだった。帰国はハバロフスクから富山空港に戻った。富山からは羽田まで ANA の国内便である。

国際便が成田空港から羽田空港にシフトしつつあるなか、成田空港はLCC(ローコストキャリア)の誘致を積極的に進めているという報道がなされているが、ウラジオストク直行便の開設は成田空港の発着枠に空きがでたためだろうか? 成田とウラジオストク直行便は事業収支の点からいっていつまでつづくかわからないが、日露のビジネスと人的交流のうえでは喜ばしいことである。

オーロラ航空と表記されているが、よりロシア語っぽくいえば「アヴローラ」に近い。ウラジオストクも「ヴラヂヴォストーク」。もちろん、カタカナではロシア語の音は再現できない。

「ヴラヂヴォストーク」は、東方(=ヴォストーク)を征服せよ(=ヴラヂ)という意味なので、「東方を征服せよ」という意味になる。日本人にとってはあまり好ましい地名ではないが・・・。

ウラジオストクには「金角湾」がある。黒海の出口にあるイスタンブールの金角湾から名前を借りたものだ。「金角」とは黄金の角(つの)のことで、ロシア語でいえば「ザラトイ・ローク」、英語ならゴールデン・ホーン(Golden Horn)である。

下図に示したのは、ウラジオストックで買ったウォッカの銘柄。シカの黄金の角が図案化されている。

(ロシア・ウォッカ 「ゴールデンホーン」(金角)

というわけで、当方も 「飛んでイスタンブール」をもじって、このブログ記事のタイトルを「飛んでウラジオストク」とした次第。「飛んでイスタンブール」は、1978年の庄野真代のヒット曲。

わたしはイスタンブールは2回、ウラジオストクは1回、両方とも自分の足で歩いて自分の目で見ているので、金角湾をつうじて両者につながりがあると言えるわけだ。

ハードな話をしておくと、極東ロシアの金角湾もイスタンブールの金角湾も、ともにロシア海軍にとっては重要な港湾だ。

ウラジオストクは、ソ連時代は外国人立ち入り禁止都市であった。ソ連崩壊のおかげで、ソ連時代の潜水艦が一般公開されており、なかに入ることもできる。わたしもウラジオストク湾に係留されている潜水艦のなかに入った。

ソ連崩壊後の現在では、帝政時代の首都であったサンクトペテルブルク港に係留された軍艦も見学が可能だ。運河網の発達したサンクトペテルブルクは、「北のベニス」とも呼ばれていた。サンクトペテルブルクというは聖ペテロの町を意味するドイツ語である。

日本と同様、「近代化」が遅れて開始された「後進国ロシア」においては、「金角湾」も「北のベニス」も、「先進国」に対応するものをもってきて「ロシアの○○」と形容したものだ。「日本の○○」と命名したがる日本人と同様、後進国意識の表れかもしれない。

ウラジオストクの「金角湾」はイスタンブールの「金角湾」から来ているわけだが、19世紀当時のトルコはオスマントルコ帝国であったが、ロシアよりも先進地帯であったことはアタマのなかに入れておく必要がある。

百聞は一見にしかず。機会をつくってウラジオストックを訪問してみることをおすすめしますよ。ただし、治安はかならずしも良くないので要注意!







<関連サイト>

オーロラ航空 公式ウェブサイト(日本語)

オーロラ (航空会社) (wikipedia日本語版)
・・「2013年11月8日、サハリン航空とウラジオストク航空の合併により設立された[1]。社名は、投票で選ばれた「タイガ」に決まっていた。潜在的需要の見込まれる日本、韓国、中国では「シベリア」をイメージされることから、「オーロラ」という名称に改称した」。

飛んでイスタンブール 庄野真代 - YouTube
・・1978年のヒット曲


<ブログ内関連記事>

シベリアとロシア

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ

書評 『女三人のシベリア鉄道』(森まゆみ、集英社文庫 、2012、単行本初版 2009)-シベリア鉄道を女流文学者たちによる文学紀行で実体験する

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である


地名を取ってきた先の先進地帯

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・
・・「北のベニス」はロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルク

書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・先進国であったオスマントルコ

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・主人公カンディードたちは最終的にイスタンブール近郊に落ち着くことになる





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2014年9月18日木曜日

秋の夏みかん


これはスダチではありません。

写真だとわからないかもしれませんが、
大きさがぜんぜん違います。

これはスダチではなくてナツミカン

九月の夏みかんは「青い果実」。いや「緑の果実」。
夏みかんは、熟すまでの時間がすごく長い。


しかも熟すのは盛夏ではなく初夏
夏みかんというのは不思議なネーミングだ。

さまざまな柑橘類が日本の食卓に登るようになって
皮の厚い夏みかんの存在感が薄れつつあるが、
温州ミカンとならんで夏みかんは日本を代表する柑橘類。

夏みかんは実が潮の流れの乗って漂着したことから
山口県で栽培が始まったという起源のストーリー(=ヒストリー)が面白い。
没落士族の救済策として栽培が奨励されたのだ、と。

椰子の実だけでなく、柑橘類もまた漂着物なのです。





<ブログ内関連記事>

青いみかんは旬の果物-野菜に季節感がなくなったいまも果物には旬がある!

鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた

イスラエル産スウィーティーの季節

"あきづき" という梨の新品種について

タイのホテルの朝食はオールシーズン「フルーツ三点セット」-タイのあれこれ(番外編)

万病に効く!-パパイヤ健康法のススメ

ゼスプリ(Zespri)というニュージーランドのキウイフルーツの統一ブランド-「ブランド連想」について






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2014年9月17日水曜日

書評 『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』(井田克征、平凡社新書、2014)-現代インドを中心とする南アジアの「聖者」たちに「宗教復興」の具体的な姿を読み取る


「宗教復興」の大きな流れのなかにある南アジア。本書はインドを中心にネパール、チベット、そして在外インド人まで含め、そのなかで圧倒的な存在感をもっている「聖者」たちと、それを受け入れる側の双方からその動きを描いたものだ。

取り上げられている「聖者」は、大きくわけて二つに分類される。本人自身が「聖性」を帯びている「聖者」と、本人には「聖性」があるという認識がないのにかかわらず「聖者」として崇められる人たちである。

前者は、いわゆる文字通りの「聖者」であり、生き神や化身(=アヴァター)タイプである。具体的にはネパールの生ける女神クマリ、チベットのダライ・ラマ14世、サティヤ・サイ・ババ(・・いわゆるサイババ)が取り上げられている。もちろん本人自身に「聖性」があるとしても、それを受け入れる側における「聖者信仰」が不可欠であることはいうまでもない。

後者には、社会活動家が取り上げられている。具体的には狭義の社会活動家のアンナー・ハザーレー、ヨーガ・マスターのババ・ラームデーヴ、憲法の父でインド新仏教の父となったアンベードカルが取り上げられている。彼らは生き神や化身というよりも、司祭・預言者タイプである。

読んでいて興味深いのは、本人には「聖性」があるという認識がないのにかかわらず「聖者」として崇められる社会活動家たちのほうだ。

アンナー・ハザーレーはガンディーの再来のような存在で、その清廉潔白で倫理的な生き方は、本人の意志にかかわりなく「聖者」として崇められるだけの宗教性を帯びている。あまりにも酷い現代インドの政治の汚職や腐敗に対して、たびたび公開の場での「断食」を実行して、政府に改革を迫り、じっさいに政治を動かしている。

ヨーガ・マスターのババ・ラームデーヴは、健康志向の高まる一般のインド人向けにヨーガを近づきやくした導師(グル)で、聖俗のあわいに存在するインド的な「聖者」である。倫理性には疑問が突くその存在は、社会活動家アンナー・ハザーレーとは真逆のタイプである。

項目として立てられてはいないが、シルディ・サイ・ババ、ヴィヴェーカーナンダ、ガンディーといった「聖者」が本書には登場する。そういった過去の植民地時代のインドの「聖者」と、グローバル資本主義時代の現代インドの「聖者」たちを比較すると、おのずから現代という時代の「宗教復興」の姿がみえてくるわけだ。この点にかんしては、『インドの時代-豊かさと苦悩の幕開け-』(中島岳志、新潮社、2006)を合わせて読むといいだろう。

現代の「聖者」たちは、二項対立の関係にあるグローバリゼーションとナショナリズム、聖と俗、宗教と政治との結節点に存在する。いまという時代の「聖者」がスポーツ選手などカルト的崇拝の対象となる「セレブ」に似てくるのは、ある意味では当然といえるかもしれない。

「近代のなれの果て」に新たな宗教性が拡がりつつあるのは、個人にとってのスピリチュアリティの重要性が増しているからであり、「宗教のるつぼ」というべきインドもその例外ではない。本書には言及がないが、日本生まれのレイキ(reiki)なども現代インドでは人気がある。

タイトルが、『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』となっているが、対象はあくまでも南アジア、とくに現代インドの事例に限定されている。グローバルレベルのカリスマに該当するのはダライラマ14世だけであるが、それ以外の登場人物はインド通でもなければ耳にしない名前である。その意味では面白く読むことが出来た。

個人的には、社会活動家のアンナー・ハザーレーをもっと深掘りすると、現代インドの宗教と政治のかかわりがよく見てくるのではないだろうか、と思う。アンナー・ハザーレーにかんしては、日本語の文献は存在しないようなので、ぜひ著者も含めた誰かに、単行本を書いていただきたいものと思う。





目 次 

はじめに
第1章 近代化と聖者
第2章 クマリ-生ける女神の伝統は現代を生き残れるか
第3章 ダライ・ラマ14世-活仏はチベットと世界をつなぐ
第4章 サティヤ・サイ・ババ-奇跡を起こす地上の神
第5章 アンナー・ハザーレー-世俗の活動家が宗教的カリスマを帯びるまで
第6章 ババ・ラームデーヴ-人騒がせなヨーガ・マスター
第7章 アンベードカル-菩薩となった憲法の父
おわりに
参考文献


著者プロフィール
井田克征(いだ・かつゆき)
1973年高崎生まれ。インド・プネー大学への留学を経て金沢大学大学院社会環境科学研究科修了。博士(文学)。現在、金沢医科大学など非常勤講師。専門は南アジア宗教史、ヒンドゥー教思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

The lotus leaders Narendra Modi, India's prime minister, leads the world in a demonstration of Indian cultural power (The Economist,Jun 21st 2015 | DELHI | Asia)
・・インドが主催して第一回開催にこぎつけた6月21日の「国際ヨガデー」(International Yoga Day)にかんする記事。インドがその「ソフトパワー」として売り出そうとしている対外的イメージ向上策

(2015年6月24日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

インド文明とインド文化

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インド世界と中東という「中洋」の発見

「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記

インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民

エコノミー(=サード・クラス)利用で、お金を一銭もかけずに、ちょっとだけ特別扱いされる方法
・・インドのベジタリアンについて


インド社会の問題

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!


アンベードガル博士とその後継者

書評 『男一代菩薩道-インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺-』(小林三旅、アスペクト、2008)-こんなすごい日本人がこの地球上にいるのだ!
・・インド在住40年、新仏教の創始者アンベードカル博士の衣鉢を”勝手に”継いだ日本人僧侶・佐々木秀嶺の波乱万丈の人生

書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)-インド仏教復興の日本人指導者の生き様を見よ!
・・インド社会の底流にあるどす黒い現実に目を向けるという意味でも必読書


ダライラマ14世

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜 2010年6月26日)にいってきた

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる





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2014年9月16日火曜日

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録


「ヒンドゥー・ナショナリズム」にかんする、現地フィールドワークにも基づく体験と思索の記録が読ませる力作だ。

なによりも執筆当時27歳の著者自身の「主語」が明確なのがよい。「自分」という研究者自身の存在が、研究対象に与える影響に自覚的なとことがいい。研究者は無色透明な存在ではありえないのである。

下手な要約よりも「著者からのコメント」をそのまま引用させていただくこととしよう。amazon に掲載されているものである。著者にとっては初の単著であろう。自著紹介の姿勢がポジティブでよい。

「著者からのコメント」(著者 中島岳志, 2002/07/29)
インドはどこに向かっているのか?
現代インドにおいて、RSS(=民族奉仕団)を中心としたヒンドゥー・ナショナリズムの潮流が急速に拡大している。1992年12月のアヨーディヤーにおけるモスク破壊事件。RSS から派生した BJP による政権奪取。そして、今年(2002年)のグジャラート暴動とアヨーディヤーのラーム寺院建設問題。近年のインドを揺るがす大きな問題の背景に常に関係するヒンドゥーナショナリズムの潮流を捉えることは、現代インドと関わる際、非常に重要であり、かつ必要不可欠である。
本書は、この RSS をはじめとした「サング・パリワール」諸団体の内部に入り込み、フィールドワークを行なってきた私の現場報告である。
RSS が最も重要視する毎日の「シャーカー」というトレーニング活動。「サング・パリワール」の団体が運営する学校や福祉団体の活動の現場。ヒンドゥー・ナショナリズムの有力なイデオローグへのインタビュー。緊張が続くアヨーディヤーにおけるRSS・VHPの活動。デモや政治集会の現場など、外部からはなかなか見えにくいヒンドゥー・ナショナリズムの最前線を、解説を付しながら詳細に伝える。ヒンドゥー・ナショナリズムの拡大にいたるインド現代史も収録。写真多数。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

すでに12年前に発表された本である。現時点では副題の「印パ緊張の背景」は不要だろう。時事的テーマを扱うことの多い中公新書ラクレといいうフォーマットでの出版であったためだと推測されるからだ。

内容はそういった時事的なものよりも、現代インド社会の底流に流れているものをあぶり出してみせたことにある。「ヒンドゥー・ナショナリズム」という潮流そのものを、素手でつかみ取ろうという気負いもまたよい。

「右派ナショナリスト」団体というインド人の社会集団のなかに、若き日本人研究者が一人で入っていくということ。それは、研究対象であるインド人からみれば「異分子」以外の何者でもない。他者の言動が「自分」に与える影響だけでなく、「他者」の言動が「自分」に与える影響も当然ならがある。

フィールドワークとはそういうものだ。もちろん、著者の立ち位置からくる思考にすべて賛同する必要はない。著者の体験と考察というフィルターをとおして見えてくるものを、読者が自分自身のフィルターをといして吟味してみたらよいのである。

自分自身で直接体験できない対象であるからこそ、読者自身にもこのような態度が不可欠なのだ。


「近代化」=「ネーション」構築のまっただ中にあるインド

1974年生まれの日本人にとって、インドを研究することが何を意味するのかナショナリズムを研究することが何を意味するのか。1995年のオウム事件を19歳の時に体験しているのが、1974年生まれの世代である。そしてまた、「就職氷河期世代」でもある。自分という「存在」を意識せざるを得ない世代である。存在不安を抱えた世代なのである。

「近代のゆきづまり」のあとに出現した「宗教復興」という時代の流れに敏感なのはそのためだ。先行する世代でも一部の人間は気づいていたが、けっしてマジョリティではなかった。この感覚と、それにもとづいた自覚が、本書のような力作を生んだのだろうし、その後の旺盛な著作活動の原点となっているのであろう。

フィールドワークの記録の面白さは、著者の意図した解釈とはかかわりなく、読者それぞれの「読み」が可能だということにある。

たとえば、本書の「第1章 草の根のナショナリズム」というフィールドワークの記録に登場する「シャーカー」についての記述を読んでいて思うのは、インド人の「近代化」がまさにその渦中にあるという事実だ。

カラダをつうじて「規律」をたたき込むことによって、秩序感覚や時間感覚、自発性といった「近代」を内面化させる手法。これは明治時代に徴兵制と義務教育をつうじて日本人もたたき込まれたものだ。個人主義的なインド人に規律をたたき込み、カーストにとらわれない「均質なインド国民」をつくりあげるのである。日本人にとっては既視感がある現象だ。

インドはいま、草の根レベルで「近代化」が行われているのである。「近代のゆきづまり」のあとに出現した「宗教復興」という時代と同時進行で観察されるという不思議さ。これは同じく「近代化」を体験した日本とのズレである。

著者自身の問題関心とは異なるかもしれないが、わたしはこの章を読んで納得するとともに、大いに安心を覚えたこれなら、インドが製造業大国となる必要条件はできつつあるな、と。

この件についてはブログに書いた、日体大の『集団行動』は、「自律型個人」と「自律型組織」のインタラクティブな関係を教えてくれる好例 や 修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった を読んでいただきたい。パラドクシカルであるが、個人レベルの自律があって、はじめて集団としての自律も可能なのである。

規律をたたき込み、身分差別意識を払拭させることで、「国民」で構成される「ネーション」を成立させることの大きな意味。

もちろん、共通の敵を設定することで求心力を求めるという負の側面もあるのだが、西欧も日本もこの「近代化」プロセスを経ているからこそ、次のステージに行くことができたのである。順番を間違えてはいけない。その意味では、解釈は別にして事実関係を記してくれたことを評価したい。

組織という社会集団の一員として働くとはどいうことか、組織を動かすとはどういうことか、ここらへんは、大学院生しか体験していない27歳の若者にはアタマでは理解したつもりでも、カラダでは理解できない点だろう。著者がその後どういう経験を積んだかは知らないが、思考が成熟していることを望みたい。


インドは「アジア主義」の枠内で捉える必要はない

わたしは、『中村屋のボース-インド独立運動と近代日本のアジア主義-』(白水社、2005)を読んでおおいに感心したのが著者の作品を読んだ最初の経験だ。大川周明や頭山満といった右翼人のインドとの接点が、チャンドラ・ボースではない、「中村屋のボース」を軸に描かれている。これもまた力作である。

「アジア」は、中国や韓国などの東アジアだけではないのである。東南アジアも南アジアも「アジア」である。

「アジアは一つ」(岡倉天心)は、唯一神的汎神論の響きのある表現だが、その意味ではインド的でもある。「一にして多、多にして一」である。多様性をもった一つの存在だ。

反米保守の西部邁(にしべ・すすむ)氏と親しい中島岳志氏は、「リベラル保守」(?)を自称しているようで、「アジア主義」の復権を図ろうとしている印象を受けるのだが、わたし自身は、もはや「アジア主義の時代」ではないと考えている。基本は親米でいくのが現実的だからだ。「アジア "主義" の時代」ではなく、「アジアの時代」なのである。

だがさらにいえば、わたしはむしろ、梅棹忠夫が『文明の生態史観』で表明している「中洋」という地理認識のほうが、インドを考えるうえではるかに重要だと考えている。西隣に中近東世界と隣接した南アジアという認識である。西洋と東洋の中間に位置する「中洋」である。

大英帝国の植民地となる前に、インドはイスラーム王朝であるムガール帝国によって支配」されていたわけである。インドは、東南アジアには直接的に、東アジアには間接的に影響を与えてきたが、インドそのものは中近東世界の影響を多大に受けてきた存在である。イスラームと西欧による支配という重層的な歴史が、現代インドを性格づけている事実なのである。

だからこそ、インドにとって「内なるイスラーム」とどう向き合うかが、ナショナリズムを偏狭なものとするか、開かれた健全なものとするかの分かれ道と考えるべきなのである。反イスラーム色を全面に出している「ヒンドゥー・ナショナリズム」について知っておくことが重要なのはそのためだ。

はたして RSS は、今後も偏狭なナショナリズムを追求していくのか、それとも政権党である BJP との関係から穏健なナショナリズムとなるのか? 

いまから12年前の本であるが読む価値があるのは、たんなる文献調査ではない、生きた現実をフィールドワークした記録だからである。






目 次

地図-南アジアとインドの州
序章 ヒンドゥー・ナショナリズムの現場から
第1章 草の根のヒンドゥー・ナショナリズム-RSSのシャーカー活動
第2章 ムスリムとの対立
第3章 RSSの諸活動
第4章 宗教ナショナリズムの台頭
第5章 現代インドの現場からの問い-リベラリズムの限界・宗教復興の可能性
あとがき


著者プロフィール
 中島岳志(なかじま・たけし)
1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒業。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。学術博士(地域研究)。現在、北海道大学大学院法学研究科准教授。専門は南アジア地域研究と近代政治思想史。アジア研究を背景に日本の近代政治思想史を読みかえ、再構築する仕事を続けるとともに現代の政治状況についても積極的に発言している。『中村屋のボース』(大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞)など著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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BJP(=インド人民党)関連

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード

書評 『インド日記-牛とコンピュータの国から-』(小熊英二、新曜社、2000)-ディテールにこだわった濃厚な2ヶ月間のドキュメントで展開される日印比較による「近代化論」と「ナショナリズム論」


ナショナリズム関連

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書


インド文明とインド文化

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インド世界と中東という「中洋」の発見

「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記

インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民


インド社会の問題

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

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書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)
・・インド社会の底流にあるどす黒い現実に目を向けるという意味でも必読書

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!


参与観察によるアジアのフィールドワーク

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い

書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学


1974年生まれの世代

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・著者の太田氏は1974年生まれの若手宗教学者

書評 『毒婦。木嶋佳苗 100日裁判傍聴記』(北原みのり、朝日新聞出版社、2012)-これは「女の事件」である。だから「女目線」でないとその本質はわからない
・・木嶋佳苗は1974年生まれ

本の紹介 『「空気読み」企画術-「消費者の隠れたニーズ」を見つけ出す-』(跡部 徹、日本実業出版社、2010)の紹介
・・著者は1974年生まれ

書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション
・・「就職氷河期世代」(1993~2005)、いわゆる「ロストジェネレーション」(ロスジェネ)たちの世代は、1971年から1983年生まれまでの世代

(2014年9月23日、10月23日、2016年3月7日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)










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2014年9月15日月曜日

書評 『インド日記-牛とコンピュータの国から-』(小熊英二、新曜社、2000)-ディテールにこだわった濃厚な2ヶ月間のドキュメントで展開される日印比較による「近代化論」と「ナショナリズム論」


日本ナショナリズムの研究で膨大な業績を積み上げてきた小熊英二氏の「インド日記」である。

インドの体験記はそれこそ無数に書かれてきたが、著者の立ち位置はバックパッカーのものでもビジネスパーソンのものでもない。

客員教授として2ヶ月間滞在したインドで日本近代史を教えるという体験。この2ヶ月間をめいっぱい使って、自分の足で歩き自分の目で見て体験したことを、自分のアタマで考え、日本にいる配偶者あてに発信したメール通信を単行本化したものだ。

著者自身に語ってもらう形で本書の内容を紹介しておこう。「あとがき」からの引用に、わたしがコメントをつけるという形で。

2000年の1月から2月にかけて、国際交流基金の専門家派遣事業でインドのデリー大学に行き、 中国・日本研究科の客員教授として日本近代史を講義した。私は二ヶ月の滞在のあいだ、デリーをはじめインド各地を回り、近代日本 の歴史を講義して回った。その間の経験や観察、あるいは現地の人びとと話したことを、日記にしたためたのである」(あとがき)

インドの1月から2月にかけては過ごしやすい季節であるはずだ。それでも小熊氏には厳しい経験だったようだ。インドは5月が灼熱地獄である。わたしは、インドの5月は体験していないが、タイの3月よりもはるかに過酷なものだろう。

おりしも、インドは高度経済成長とグローバリゼーションに揺れ、急速な社会の変化や価値観の動揺、そして右派ナショナリズムの 台頭に直面していた。本書でも記したように、現在のインドは「コンピュータ・カフェの門前に牛が立ち、お寺が最新式の音響システ ムを使っている」といったかたちで、古いものと新しいもの、伝統と近代が入り混じった状態にある。インド人にむかって近代日本の 歴史を描いてみせ、その反応を聞くという経験もさることながら、こうしたインド社会の状況も十分に刺激的なものだった。(あとがき)

1991年に「経済改革」に踏み切ってから9年後の2000年のインドである。独立以来、インドの政治を牛耳ってきた国民会議派政権は、「ネルー・ガンディー王朝」とも呼ばれてきたが、長期政権につきものの腐敗がひどく、1998年には国民の支持を受けた BJP(=インド人民党)による政権交代が行われている。
  
著者がいう「右派ナショナリズム」とは、BJP に代表される「ヒンドゥー・ナショナリズム」のことである。その後、政権交代があってふたたび国民会議派の政権となたが、2014年にはナレンドラ・モディのもとで BJP が政権に復帰した。「インドは世界最大の民主主義国」であるとはこういうことだ。

著者の政治的な立場がリベラルであるため、「日記」の最初の頃は「右派ナショナリスト政党」の台頭への危機感(?)が吐露されているが、さすがに日本のナショナリズム研究の第一人者である。その知識には驚嘆すべきものがあり、「日記」を読み進むにつれ、なぜインドで「右派ナショナリスト政党」が台頭してきたのかについての分析が深まっていくことに気がつく。日本とインドを比較すると見えてくるものが面白い。読ませる内容である。

日記である以上、統一された主題というものはない。しかし書いたことは、結局のところ、日本にいたときから私が抱いていた関心 の延長に位置する。その関心とは、社会の変動と近代化のなかで、人間がどのように自己の位置とアイデンティティを定めてゆくのか、 またそうした人間のつくる社会のあり方はどのようなものなのか、その場合に国家と人間はどのような関係を築いてゆくのか、といった ものである。(あとがき)

インドから日本が見える。日本からインドが見える。日本近代とインド近代のパラレルな関係。その共通性と相違点。現代インドを考えることは、日本近代とは何だったのかを考えることでもある。近代化とナショナリズムの関係、そしてグローバリゼーションとナショナリズムの関係についても。ただし、インドには植民地体験がある点が日本とは異なる。

従来、私は近代日本の民族論やマイノリティの問題から、こうしたテーマを論じていた。本書でもインドのナショナリズムやマイノ リティ問題にしばしば言及しているが、日々の体験から書くという日記の脈絡のなさゆえに、より多様な角度からアプローチしている。 たとえば地域の自立性、伝統や宗教のあり方、文化の相互影響や革新、テクノロジーと社会変動、社会階層と意識などといったものが挙 げられる。(あとがき)

日常的なこまごまとした話から、社会や宗教、文化芸術、NGO、フェミニズムまで、テーマはじつに多岐にわたっている。だから、ディテールの記述には読ませるものがある。たとえ著者とは政治的立場が異なる人であっても、その点は同感することだろう。

印象論に終始しがちな体験記や日記とは異なるのは、著者には膨大な知識がバックグラウンドとしてあるからだ。著者の多産ぶりと、単行本一冊当たりの重量(!)から考えれば納得いくはずだ。『単一民族神話の起源』、『"日本人" の境界』、『<民主>と<愛国>』などの主著を大型書店や図書館で手に取ってみれば体感できるだろう。わたしは、いまだに『単一民族神話の起源』しか読めていないのだが・・・。

もっとも本書は、あくまでも日記である。研究書という形態ではなく、こうしたテーマを日々の出来事から語ることになったので、 読みやすいものになっていると思う。読者は、目次や本文中の小見出しなどをガイドに、それぞれの関心にそって、どこからでも自由に読んでいただければ幸いである。(あとがき)

とはいうものの、わたしは最初のページから読み始めるといいと思う。2ヶ月という比較的短期間の体験であるが、「日記」の最初のほうと最後のほうではだいぶトーンが異なっている

そもそも著者のインド行きは、みずから希望したという内発的な動機ではなく、招待を受けたからという外発的なものであった。とはいえ本書が、「異文化体験」のドキュメントであることには変わりない。外発的なキッカケをどう実りある体験に変えることができるかは、本人のマインドセット次第である。

インドがわかったなんて、言うつもりはない。ただ僕はいま、インドから刺激を受けて、日本と自分自身を再発見しているんだ。

「日記」の終わり近くにでてくる一節である。

私が見たのはインドそのものよりも、インドを通して見えてきた何かだった。そしてその過程で問われたのは、私自身の想像力と、世界に対する姿勢だったといえるかもしれない。

「日記」の最後にでてくる一節である。

「わかるとは、かわること」というコトバがる。わが恩師の阿部謹也先生の恩師であった歴史学者・上原専禄のものだが、この「日記」もまた、「わかるとは、かわること」プロセスの事例になっているいることに気づく。著者自身の「気づき」や考察の深化が手に取るようにわかるのである。著者自身の、ある種の「自己変容」の記録にもなっている。

この「日記」は、メール通信としてインドから発信したものだという。いまなら「ブログ日記」として書かれるのが普通だろう。2014年にはふたたびナショナリスト政党のBJPが政権交代で復帰しているが、BJPが最初に政権をとった時期の、2000年当時のインドを知るうえでも貴重なドキュメントだといえるかもしれない。

著者は知識人にしてはサービス精神が旺盛だからだろうか、ディテールが細かすぎるという感もなくもない。それでもこの「日記」に切り取られた「現実」は、インドのほんの一部分にしかすぎないのである。

著者とともにインドを追体験してみると面白い。インド体験のある人は自分の体験と比較しながら、そうでない人は知的な体験記として読むと面白いと思う。ある意味では、近代化論とナショナリズム論入門書として気楽に読めるのではないだろうか。





目 次

第1章 「インドの右翼」
第2章 デリーで日本史
第3章 博物館は国家の縮図
第4章 映画・フェミニズム・共和国記念日
第5章 農村のNGO
第6章 カルカッタ
第7章 僧との対話
第8章 聖都ベナレス
第9章 学校見学
第10章 ビジネス都市バンガロール
第11章  観光地ケーララ
第12章  国境の町
第13章  スラムでダンス
あとがき

著者プロフィール 

小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年、東京生まれ。1987年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。著書は、『単一民族神話の起源』や『“日本人”の境界』『<民主>と<愛国>』など多数。



<ブログ内関連記事>

『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ


BJP(=インド人民党)関連

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録


ナショナリズム関連

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る
・・ナショナリズム論の名著といえば『想像の共同体』

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・戦後日本の「健全なナショナリズム」の名著

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

(2015年8月24日、2016年3月7日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)










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