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2025年10月22日水曜日

もはや日本には「二季」しかなくなったと歎くなかれ。短くても秋は秋。匂いで感じる秋がある

 

温暖化による夏の猛暑の悪影響で、もはや日本には夏と冬の「二季」しかないという悲観的な言い方をされることもある。

とはいっても秋は秋。秋であることは匂いでわかる。キンモクセイの芳香。短い秋ではあるが、キンモクセイの香りに包まれた道を散歩するのは秋の楽しみだ。

とくに雨上がりの朝は最高だ。五感を開いて、秋を胸一杯に吸ってみよう。


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2014年9月30日火曜日

「におい」で秋を知る-ギンナンとキンモクセイは同時期に「臭い」と「匂い」を放つ・・・


キンモクセイが秋を感じさせてくれる芳香だとすれば、思わず鼻を突く異臭で秋を感じさせてくれるのがギンナンである。

通行者に踏みつぶされて空気中に拡散するギンナンの「におい」。イチョウ並木を歩いていることに気がつく瞬間だ。

「におい」がきついギンナンだが、拾い上げて手のひらにおいて眺めてみると、なんだか砂糖菓子のようでもある。そのまま食べてしまいたくなる。


ギンナンとキンモクセイはほとんど同時期に匂い(=臭い)を放つ存在だ。キンモクセイの匂い(=香り)に癒されてて秋を感じたつぎの瞬間、歩き続けるとギンナンの臭い(=異臭)にかき消される。

キンモクセイの香りとギンナンの異臭では感じ方は違えども、秋は秋である。

五感、とくに嗅覚ををつうじて秋を知る。また楽しからずや。






<ブログ内関連記事>

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日

♪ ちいさい秋 み~つけた-ほのかな香りでその存在を知るキンモクセイ

嗅覚に敏感になるためには、「この国を出よ!」



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2011年12月16日金曜日

書評『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)ー「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録



「困難は克服するためにある」と説いた梅棹忠夫の失明体験観察記録

『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994) が、先日なんと17年ぶりに第2刷が発行された。

わたしはこの文庫本が出版されてすぐに読んだが、長いあいだ品切れになっていたのはじつに残念なことだと思ってきた。

昨年2010年に梅棹忠夫が亡くなってから、今年も次から次へと特集が組まれ、新たな本が編集され、また長らく品切れだった本が復刊されているのは、たいへんうれしいことだ。

梅棹忠夫の人生は、挫折とその克服によって全うされたものであったことを書いておくべきだろう。

山歩きにのめり込んで授業に出なかったために放校された三高時代から始まって、日本隊が初登頂を実現したマナスル登頂計画の前にして肺結核で二年間療養、そして学者としては致命的な両目の失明、と挫折につぐ挫折も経験している。 

とくに本書は、梅棹忠夫の数ある挫折のうちで最大のものといえる失明体験について体験記と自分自身を観察したドキュメントになっている。

中国で感染したウイルスによる突然の両眼失明は、老年期に入って学問研究の総括をすべき時期に遭遇した悲劇であった。視覚による観察が命である学者にとって、視覚を失うということは、想像をはるかにこえた試練であり、それは壮絶な体験であったのだから。

しかし、『梅棹忠夫 語る』でもつよく断言しているように、「困難は克服するためにある」という精神力が最大の挫折を乗り越えさせるチカラとなっただけでなく、長年の懸案事項でもあった「著作集」の編集という一大プロジェクトを完遂させるキッカケと原動力になったのもすごいことである。

本書は、そうした挫折と闘病をリハビリによって挫折を乗り越えた記録であり、かつ自分自身のカラダすら観察対象として記録した自然科学者の記録でもある。失明による視覚機能の喪失によってあわられた世界は、著者にとっては最後の秘境であったといってもいいかもしれない。

本書はその探検と観察の記録であり、また骨太の人生論にもなっている。書店の店頭にまだ在庫があるこの機会にぜひ購入して読んでほしい本である。




目 次

まえがき

夜はまだ明けぬか
退院まで
みえないなりの知的生産
薄明をいきる
音楽に挑む
本づくり
初出一覧
文庫版のためのあとがき



<書評への付記>

もともと「耳で聞いてわかる日本語」を提唱してきた著者だけに、失明してからも著作集の編纂やあらたな執筆も比較的可能としたのであろう。

この「耳で聞いてわかる日本語」については、別途ブログで書く予定にしている。



<ブログ内関連記事>

失明体験をした人が書いた本

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「7歳で完全失明、15歳で突然視力を回復、自殺未遂、人生40年と見定めての10年間の放浪生活と思索の日々」を送った "沖仲仕の哲学者" ホッファー

コロンビア大学ビジネススクールの心理学者シーナ・アイエンガー教授の「白熱教室」(NHK・Eテレ)が始まりました
・・高校時代に病気によって視力を失った心理学者による授業。この授業を TV で見る限り、授業内容がこまかい事実や数字まで含めてすべて教授のアタマのなかに入っており驚かされる

書評 『まっくらな中での対話』(茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク、講談社文庫、2011)
・・人為的に視覚が効かない世界で、聴覚と触覚をフルに使用する世界を体験

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・成人になってから全盲になった人の長い後半生

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)
・・江戸時代後期?の盲目の国文学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)の驚異的な記憶力について触れている


科学者の闘病体験記

書評 『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社文庫、2010)-脳梗塞に倒れた免疫学者による 「人間の尊厳」回復の記録


梅棹忠夫関連の記事

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

・・とくにモンゴル学者で社会言語学者の田中克彦との対談を参照。「ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家であったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ」。

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)


書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

(2014年6月24日 情報追加)


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2011年12月15日木曜日

書評 『まっくらな中での対話』(茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク、講談社文庫、2011)-視覚にたよらずに聴覚や触覚などの五感による体験。まずは活字で疑似体験してみよう


視覚にたよらずに聴覚や触覚などの五感による体験。まずは活字で疑似体験してみよう

東京の渋谷・神宮前に常設になった施設 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、一度はいってみたいと思いながらもまだ実現できていませんが、幸か不幸か「3-11」後に起こった「原発事故」という人災による「計画停電」(=輪番停電)のおかげで(?)、夜の時間帯に「真っ暗闇」を体験することになりました。

夜中に「計画停電」にあたると、室内だけでなく、外もすべて明かりが消えてしまいます。懐中電灯や予備の電源を使わない限り、まったくの暗闇になってしまう。こんなに真っ暗な夜を過ごすのは久々です。あらためて電気のありがたさを感じるとともに、同時に明るすぎる現代の生活に疑問を感じたりもします。

茂木健一郎も本書のなかでふれている、善光寺の「お戒壇巡り」は私も体験したことはありますが、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はまだ体験していません。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、体験していない人も体験した人も、体験の意味を考えるために、ぜひこの一冊を薦めたいと思います。

視覚にたよらずに、聴覚や触覚などの知覚器官をフルに活性化してみるという体験。こういう体験は、あくまでも体験するものであって、本や活字で二次体験すべきものではないのだとしても。

本書を読んで、ぜひ一度、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」体験したいと強く思いました。


<初出情報>

■bk1書評「視覚にたよらずに聴覚や触覚などの五感による体験。まずは活字で疑似体験してみよう」投稿掲載(2011年5月1日)
■amazon書評「視覚にたよらずに聴覚や触覚などの五感による体験。まずは活字で疑似体験してみよう」投稿掲載(2011年5月1日)






<書評への付記>

「東北関東大震災」後に発生した「原発事故」によって、東京電力管内では「計画停電」(=輪番停電)が実施されました。

実際に体験された方は記憶につよく刻み込まれていると思いますが、停電が晴れた日の昼間の時間帯であれば、日常生活には多少の不便もあるものの大きく困ることはありません。

もちろんビジネスマンとしては、「計画停電」にはいろいろ言いたいことも多いのですが、なかなかできない希有な体験として捉えることも、人生とうまくつき合うためには必要な心得かもしれないと思って見たりもします。

時間帯が夜の時間にかかっていると、ほんとうに真っ暗になってしまうのですね。こんな暗闇は近郊とはいえ都市に住んでいるのが大半のいまの日本人には遠い存在になっていたかもしれません。

わたし子どもの頃は、大きな落雷のあるたびに停電したものでした。だが最近では電力供給が安定しているので停電はほとんど経験することがなくなっていました。

かつては、どんな家庭でもかならずロウソクとマッチが用意されていたものでしたね。最近はスイッチひねればガスがつくし、オール電化の家庭ではガスすら使う事もない状況となっていた。安心の結果の慢心でしょうか。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、ぜひ一度いってみたいと思いながらもまだ実現していません。関東の「計画停電」該当地域に居住している人は、「計画停電」のときを思い出しながら、「まっくらななかでの対話」をそれぞれの家庭やその他の集まりで意図的に体験してみるのもいいかもしれません。



<関連サイト>

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」公式サイト

目に見えない壁を取り除く「暗やみの中の対話」  A・ハイネッケ氏(ダイアログ・イン・ザ・ダーク創設者)の半生(上) 渡邉奈々) (日経ビジネスオンライン、2014年6月16日)
・・「僕が伝えたいことは、僕たちが『障害』と呼んでいるある特定の能力の欠如の定義は、『コンテクスト(文脈)』によって変わるということなんだ。 それが、この取り組みを通して最も伝えたいことのひとつなんだよね」とハイネッケは続ける・・(中略)・・「僕は、他人ではなく自分の幸福感を追求する利己的な利他主義者なんだ。周りの人たちを愛し、幸せにすることによって初めて幸福感を得るし、達成感も得られる。これまで25年間やってきた仕事は、すべて自分を幸せにするためにやってきたんだ。誰かのためにとか、いたずらな自己犠牲なんて僕は信じない」

社会起業を、規模拡大するうえで一番大事なこと  A・ハイネッケ(ダイアログ・イン・ザ・ダーク創設者)の半生(下) 渡邉 奈々) (日経ビジネスオンライン、2014年6月24日)

(2014年6月16日、24日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)-「社会起業家」というコトバを日本に紹介した原典となる本

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)・・聴覚を含めた五感の重要性

日本版「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」

善光寺御開帳 2009 体験記・・「お戒壇巡り」について書いている。御本尊の真下の真っ暗な回廊をめぐるのだが、この回廊は全長45メートルもあるという


全盲の人の人生に学ぶ

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録
・・これから業績をまとめに入るというときに視力を失った学者の、後半生の生き様

コロンビア大学ビジネススクールの心理学者シーナ・アイエンガー教授の「白熱教室」(NHK・Eテレ)が始まりました
・・高校時代に病気によって視力を失った心理学者による授業。この授業を TV で見る限り、授業内容がこまかい事実や数字まで含めてすべて教授のアタマのなかに入っており驚かされる

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・成人になってから全盲になったものの多大な功績を残した山本覚馬

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「7歳で完全失明、15歳で突然視力を回復、自殺未遂、人生40年と見定めての10年間の放浪生活と思索の日々」を送った "沖仲仕の哲学者" ホッファー

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)
・・文盲の大学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)の記憶力について触れておいた

視聴覚障害と闘う人生

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・聴覚療法士との対話

(2014年6月16日、24日 情報追加)





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2011年5月16日月曜日

「目には青葉 山ほととぎず 初かつを」― 五感をフルに満足させる旬のアイテムが列挙された一句


 
目には青葉 山ほととぎず 初かつを(山口素堂)

 いまの季節にピッタリの俳句。作者の山口素堂(やまぐち・そどう 1642年~1716年)は、江戸時代前期の俳人・治水家だそうだ。松尾芭蕉の同時代人である。
 
 江戸時代前期には、すでに初鰹(はつがつを)が旬の食材として話題に上っていたことがわかる。

 この俳句は、ただたんに季節ものを並べただけなのだが、ビジュアルなイメージが浮かんでくるだけでなく、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚の五感すべてを満足させてくれるものになっているのが面白い。

 まずは青葉。青葉とは新緑のこと。目にまぶしい青葉で、太陽光とともに視覚が刺激される。

 ホトトギスが鳴いているのが聞こえる。聴覚の刺激。耳に聞こえてくるホトトギスの鳴き声で、姿は見えぬがココロのなかで視覚イメージとして再現する。ホトトギスの鳴き声は、YouTube で聞いてみるとよい。

 初鰹(はつがつを。これはいうまでもなく味覚。そして舌触りという触覚目で見て楽しむ赤身。現代なら、冷やしたビールでクイっと一杯といったところか。

 それにしても、初かつを、これはちょっと値段は高いが、じつに旨い。
 
 そういえば、たしか、徒然草にも「かつを」がでてきたという記憶がある。

第百十九段

 鎌倉の海に、かつをと云ふ魚は、彼(か)のさかひには雙(さう)なきものにて、此(こ)の比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍(はべ)りしは、「此の魚、己等若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍(はべ)れ。
(*太字ゴチックは引用者=私)
(出典)Japanese Text Initiative 所収の「徒然草」(Tsurezuregusa)
Japanese Text Initiative は、バージニア大学図書館エレクトロニック・テキスト・センターとピッツバーグ大学東アジア図書館が行っている共同事業。

 鰹(かつを)は、すでに鎌倉時代には食べられていたということがわかるエビデンスのひとつである。

 いちおう現代語訳をつけておこう。文学者の佐藤春夫訳による。

 鎌倉の海で、鰹(かつを)という魚は、あの辺では無上のものとして近来は賞美されている。これも鎌倉の老人が話したのだが、「この魚は自分らの若年の時代までは相当な人の前には出なかったものである。頭(かしら)は、下男ですら食べず、切って捨てていたものである」ということであった。このようなものでも世が末になると上流へもはいりこむものである。
(出典:『現代語訳 徒然草』(吉田兼好作、佐藤春夫訳、河出文庫、2004、原版1976)

 吉田兼好がこの話を聞いてからすでに、800年近くもたった現在は、世の末の末の末・・・か? それでも日本人は生きているわけだ。

 ところで、冒頭に掲載した「桜の若葉」、これもまた目で楽しむだけでなく、食用にもなる edible leaves である。塩漬けにして道明寺を包むのに使う。柏餅の柏の葉っぱは包むだけだが、道明寺を包む桜の若葉はそのまま食べることができるわけだ。

 そういえば、このブログでも、以前に「味噌で酒を飲む話」を書いたのだったなあ。

 どうも、食べものの話に終始してしまいがちなわたしである(笑)。また、そういう話ばかり「アタマの引き出し」のなかにあるというのもまた、「好きこそものの上手なれ」ということか?



<ブログ内関連記事>

味噌を肴に酒を飲む
・・『徒然草』第二百二十五段にでてくる話

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

『伊勢物語』を21世紀に読む意味

「桜餅のような八重桜」-この表現にピンとくるあなたは関西人!
・・塩漬けにした桜の葉っぱで餅を包んだ道明寺

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2010年10月8日金曜日

キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日




 キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日だ。

 キンモクセイは、漢字で書くと金木犀となるが、中国南部が原産で江戸時代に渡来したとのこと。中国では桂花といわれている。英語では、学名 Osmanthus fragrans そのままなのは、日常化していないからだろう。

 実は、生まれて初めていった外国は、返還前の香港と中国南部なのだが、桂林で土産物として買ってきたのが「桂花茶」だった。桂花茶は、キンモクセイの匂いのするお茶。いい香りなのでお土産としては喜ばれた記憶がある。

 甘い匂いで季節がわかるといったら、このキンモクセイの右にでるものはないだろう。日本で秋を過ごす喜びの一つが、キンモクセイの匂いで秋を知ることである。
 
 視覚よりも嗅覚で先に感じる四季。動物としての人間にとって、もっとも原始的でかつ根源的な知覚が嗅覚である。下等生物になればなるほど、この嗅覚の占めるウェイトが大きい。

 視覚中心の現代人にとって、五感をフルに使う貴重な体験が、このキンモクセイで知る秋の一日なのだ。






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