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2014年9月27日土曜日

漱石の 『こゝろ』 が出版されてから100年!-漱石と八雲の二つの Kokoro (心)

(袖珍本の復刻版の箱 装幀は漱石自身による)

ことし2014年9月は、漱石の『こゝろ』が出版されてから100年になる。1914年(大正3年)は、明治大帝の崩御から2年後であり、第一次世界大戦が勃発した年でもある。

初出は朝日新聞の連載である。当時は東京朝日新聞と大阪朝日新聞の二拠点体制で、その双方で連載されたいわゆる新聞連載小説である。

連載期間は、1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで。単行本は、1914年(大正3年)9月20日の出版。現在よりも出版にいたるスピードが早いような気がする。連載中からすでに単行本化が進んでいたということだろう。

漱石の『こゝろ』は、岩波書店の出版第一号となった記念すべき作品でもある。著作者は、夏目金之助と本名で表示されている。

(袖珍本の本体 装幀は漱石自身による)

冒頭に掲げたのは、初版単行本を出版した岩波書店から3年後の1917年(大正6年)に出版された縮刷版である「袖珍本」の復刻版である。「袖珍版」と書いて「しゅうちん・ばん」と読むが、「袖珍」とはポケットのことだ。文字通りポケットサイズの本である。1984年の岩波書店創業70年記念として復刻されたものを入手したマイコレクションである。


(袖珍本の本体 装幀は漱石自身による)

『こゝろ』は、漱石の作品では、おそらく『坊っちゃん』についで日本国民に読まれてきたものではないだろうか。知名度では『吾輩は猫である』も高いが、なにぶんにも長編なので、意外と読んでいる人は多くないような気がする。



したがって、『こゝろ』の内容については、いまさらここで繰り返す必要はないと思う。主人公のKとその親友の先生の年齢を超えた交流、そして先生の「遺書」で打ち明けられた一人の女性をめぐっての物語と、自死にいたった先生の深い悔恨と喪失感。乃木将軍夫妻の殉死と明治という日本史にとっての大きな時代の終焉。


『こゝろ』は、岩波書店の出版第一号であると書いたが、すでに作家としての地位を確立していた漱石を口説き落とすことができたのは、創業者の岩波茂雄の一高人脈のなせるわざである。岩波茂雄の同級生たちが漱石の弟子であったのだ。

(袖珍本の見返し 装幀は漱石自身による)

朝日新聞で連載した連載小説を無名の出版社(!)から単行本化するにあたって、漱石は本文だけでなく、ブックデザインという装幀まで手がけている。

装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。

(袖珍本の扉 装幀は漱石自身による)

ブックデザイナーとしての漱石にも注目すべきなのである。すでに著作権が切れて国民のみならず、全世界の共有財産となっているので、本文だけなら青空文庫でも読めるのだが、本というものは活字情報だけではない。「紙の本」はそれ自体がコレクションの対象にもなる美術工芸品である。


(袖珍本の奥付 装幀は漱石自身による)


漱石の Kokoro

『こゝろ』は英訳されている。『こころ』の英訳者エドウィン・マクレラン(Edwin McClellan)といいうスコットランド出身の英国人である。英訳版は名訳とされている。Kokoro (Translated by Edwin McClellan) at Google Books にスキャンした英文がアップされているほか、Ibiblio には全文がアップされている。

冒頭の文章を引用してみよう。

Sensei and I
I ALWAYS called him "Sensei." I shall therefore refer to him simply as "Sensei, " and not by his real name. It is not because I consider it more discreet, but it is because I find it more natural that I do so. Whenever the memory of him comes back to me now, I find that I think of him as  "Sensei" still. And with pen in hand, I cannot bring myself to write of him in any other way.

日本語の原文は以下の通りである。新字体と現代かなづかいに改めた青空文庫版から引用する。

上 先生と私 一私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はばか)る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

どうだろう。これなら高校二年生くらいの英語力で理解できるのではかないだろうか。日本語と英語を対比させて、日本語のニュアンスがどこまで英語で表現できているか確認してみるといいだろう。ちなみに sensei という英単語は、武道や茶道などの「先生」として、すでに英語圏では一般化している。

日本文学の英訳者といえば、「3-11」後に日本国籍を取得し、日本に骨を埋めることにされたドナルド・キーン氏やエドワード・サイデンステッカーといった米国人、アーサー・ウェイリーといった英国人が有名だが、『こころ』の英訳者エドウィン・マクレランも記憶にとどめておきたい存在である。

wikipedia英語版 には、Edwin McClellan (October 24, 1925 – April 27, 2009) was a British Japanologist. He was an academic—a scholar, teacher, writer, translator and interpreter of Japanese literature and culture. とある。日本学者(ジャパノロジスト)で日本文学の翻訳と紹介を行った人だ。

日本人を母とし、日本で成長した日本語に堪能で、日本人のメンタリティにもよく通じた人であったらしい。どういう容貌の人であったかは、英語版をみるとよいだろう。


(わたしがアメリカ時代に買った Kokoro)

『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)の「エピローグ 戦後アメリカ思想史を貫いた漱石の「こころ」」と題された章に、エドワード・マッケランが英訳した漱石の Kokoro をめぐる奇しき縁がつづられている。

著者の会田氏が敬愛してやまないヨーロッパ型保守思想の大物ラッセル・カークというアメリカ人、経済学者でリバタリアン思想のフリードリッヒ・フォン・ハイエクというオーストリア人、『こころ』の英訳者エドウィン・マクレランといいうスコットランド出身の英国人は、漱石の『こゝろ』の英訳本がつないだ意外な「つながり」と「きずな」が生まれていたのである

ラッセル・カークとハイエクも、エドウィン・マクレランによる英訳版の『Kokoro』を読んで深く感動したらしい。意外なことに日本通であったラッセル・カークも、日本の関係も深いハイエクも、日本人のメンタリティを理解できたカギがここにあったのかもしれない。

これは思想のドラマの背後にあるものを鮮やかにみせてくれるものであった。著者によって初めて掘り起こされたこの「物語」は、静かな感動をもたらしてくれる。人と人との「つながり」のなかで思想は生まれ、後代に継承されていくという経緯を物語としてつづったものだ。

冒頭に述べたように、漱石の『こゝろ』が出版されてからことしはちょうど100年である。明治大帝の崩御から2年後の2014年は第一次世界大戦が勃発した年でもあった。

だが、連載が終了した8月11日、単行本が出版された9月時点では、いまだ「第一次世界大戦」という表現もなく、「世界大戦」という表現もなかった。日本の一般人にとっては、遠い欧州の出来事であったのだ。

欧州においてもクリスマスまでには戦争は終わるという楽観視が支配的であったのだが・・・


小泉八雲の Kokoro 

Kokoro とローマ字で書くと、この作品には夏目漱石に先行する作品があることに気がつく。そう、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの Kokoro である。副題は、Hints and Echoes of Japanese Inner Life とある。


(タトル商会版の八雲の Kokoro)

小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)の Kokoro は 1895年の出版。漱石の『こゝろ』の英訳版がでたのは 1957年である。Kokoro といえば、英語圏では40年以上にわたってラフカディオ・ハーンの作品が唯一であった。。

『こゝろ』の英訳者マッケランは、Kokoro の短い Foreword の末尾にこう書いている。

The best rendering of the Japanese word "kokoro" that I have seen is Lafcadio Hearn's, which is: "the heart of things." (私訳: 日本語の「心」について、私がいままで見たなかでもっとも適切な説明はラフカディオ・ハーンによる「事物の核心」というものである)

内容的には、八雲の Kokoro は、漱石の Kokoro よりも内容的に古い。猛スピードで突っ走る「近代化」のなかで、失われつつある日本人の「心」を描いた作品であう。しかもハーンが日本人自身ではなく日本語を母語とする人でもなかったので、内在的理解という点でみると、漱石のものに劣るのはいたしかたないだろう。

(漱石と八雲の二つの Kokoro  マイコレクションより)

かつては英語圏の読者に大きな影響を与えたラオフカディオ・ハーンであるが、はたして現在はどうであろうか。

マッカサー元帥の副官であったフェラーズ准将というという学者肌のアメリカの陸軍軍人がいた。天皇を戦犯として訴追することを回避させることに大きな役割を果たした人である。

『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)によれば、フェラーズは大学時代にはアメリカに留学してきていた日本人女性との交友から日本びいきになり、ラフカディオ・ハーンの全作品を読み込んでいた人だったそうだ。

フェラーズは、当然のことながらラフカディオ・ハーンの Kokoro も読んでいたわけで、その知識が敗戦国日本の占領政策を遂行するうえでポジティブな影響をもたらしたことは、知られざるエピソードかもしれない。漱石の『こゝろ』の英訳版がでたのは 1957年だから、その時点ではフェラーズは読んでいなかったのだろう。

日本の占領政策遂行というテーマにかんしては、文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』が引き合いに出されることが多いが、ラオフカディオ・ハーンの影響もあったのである。

(漱石と八雲の二つの Kokoro  マイコレクションより)

二つの Kokoro

21世紀になっても、漱石の『こゝろ』も、英訳版の 『Kokoro』 もともに読みつがれていったほしいものだ。

発信型英語教育の必要性が叫ばれる現在だが、それならこの名訳で『こゝろ』とKokoroを対比させながら教科書として読んだらいいのではないだろうか。先に冒頭の文章を英訳と日本語原文で並記しておいたが、この英語なら高校生レベルで十分に理解できるはずだろう。それが名訳の名訳たるゆえんである。

東大で夏目漱石の先任者であったハーンは英語で講義を行っていたが、学生にはたいへん人気があたらしい。後任の漱石の授業はそれを劣等感を感じて、苦痛だったらしい。

大学をやめて文筆一本の生活に入った理由の一つが、レクチャーする教師としての適性不足という自己認識にあったようだ。物理学者の寺田寅彦から作家の芥川龍之介まで、数多くの弟子をもった漱石である。人間の適性というものは、一概にはいえないものだ。その意味では、漱石の前任者がラフカディオ・ハーンであったのは、作家としての漱石を自立させる存在であったことになる。

外国人が意識的に発見した日本人の「心」(Kokoro)、日本人が無意識のうちに表現している日本人の「心」(Kokoro)。

二つの Kokoro が英語圏の読者に与え続けている影響はじつに大きいのである。








<関連サイト>

『こころ』(新字新仮名バージョン)  青空文庫

『こゝろ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション (初版本のスキャン)



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(2014年11月30日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)











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