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2016年10月26日水曜日

10月も終わりに近づいているのに朝顔が咲いている-秋なんだか夏なんだか・・・(2016年10月26日)

(東京都江戸川区にて筆者撮影)

10月も終わりに近づいているのに朝顔が咲いている。いったいぜんたい、秋なんだか夏なんだかよくわからない状態の関東地方だ。

本日(2016年10月26日)の気温は約26℃。とても秋の気温ではない。

そもそも朝顔(アサガオ)は、ヒルガオ科の植物で、原産地は熱帯アジアらしい。ヒルガオ科目の栽培植物であるサツマイモ(・・ヒルガオのような花を咲かせることがときにある)も、南方から渡来したものだ。サツマイモの原産地は中南米である。

江戸時代の日本で園芸植物として徹底的に改良された朝顔だが、さすがに夏の花である。秋の花ではない。

なんと蕾みも多数。まだまだ花を咲かせますよ、ということか。

いわゆる狂い咲きではない。よほど寒くならない限り、まだ咲き続けるような感じだ。いったいぜんたい、ことしはいつになったら秋になるのか。



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朝顔 Morning glory

まだ5月なのに咲き乱れる昼顔

冬のたんぽぽ 冬のライオン




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2016年10月24日月曜日

映画『奇蹟がくれた数式』(英国、2015年)を見にいってきた(2016年10月23日)-天才数学者ラマヌジャンもまた夭折した「神に愛された天才」


映画 『奇蹟がくれた数式』(英国、2015年)にいってきた(2016年10月23日)。

ヒンドゥー教の神に愛されたインド人天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの短い生涯を描いたヒューマンドラマ。第一次世界大戦を挟んだ時期の英国とその植民地であったインドに生きた二人の数学者の「友情」がテーマである。

英国人とインド人。いまでこそ対等の関係であるが、100年前の第一次世界大戦の時期はそうではなかった。衰退傾向にあったとはいえ大英帝国、第一次世界大戦後の「民族自決」の流れのなかで独立志向を高めていったインド。

帝国と植民地という真逆の関係。ケンブリッジ大学教授と、無名で学歴もないインド人の若者という真逆の関係。信仰にかんしては無神論者と熱烈なヒンドゥー教信者という真逆の関係。そんな真逆の関係でありながら、英国人の天才数学者と無名の天才インド人を結びつけたのは、ただ一つ、「数学愛」であった。


英語のオリジナル・タイトルは、The Man Who Knew Infinity(無限を知っていた男)。「無限∞」を知っていた男とは、この映画主人公、夭折の天才ラマヌジャンのことである。

この英語のタイトルに注目する必要がある。「無限を知った男」(The Man Who Got to Know Infinity)ではない、「無限を知っていた男」(The Man Who Knew Infinity)なのである。「無限」につづく「素数」のなかで生きていた人なのである。

熱烈なヒンドゥー教信者であったラマヌジャンにとって、「無限」とは当然のことながら神が創ったものである。だから、ラマヌジャンが「発見」した数多くの公式は、彼みずから編み出したものではなく、神に教えられたものなのだという発言につながるのだ。これは嘘偽りのない発言だと受け取るべきだろう。

「神に愛された者は若死にする」というフレーズがあるが、天才数学者ラマヌジャンもまたそうだったのだろうか。

もちろんラマヌジャンが短命に終わった理由はいくつでもならべることができる。

出身地の南インドのマドラス(・・現在のチェンナイ)と英国の気候風土の違い、バラモンの家系に生まれたためにベジタリアンであったものの当時の英国では菜食主義にかんする理解が一般的に乏しかったこと、結核に感染していたがベジタリアンのため十分な栄養が取れなかったこと、無理解な英国人社会のなかでのマイノリティとしての苦痛、第一次世界大戦の最中であり故郷に残してきた妻と再会できなかったことによる孤独など。



だが、100年かかって、現在ようやっとラマヌジャンの公式の証明が進みつつあるという事実が示すように、あまりにも時代の先をいっている内容であったことに、夭折の理由があったような気もする。数学者のコミュニティ内部での無理解にもとづく癒やされることのない孤独感。

天啓によって数学の公式を知ったラマヌジャン自身の認識においては、熱烈に神を信仰していた彼は、また同時に神の加護にもとにあったというものだったのではないだろうか。日本人の天才数学者・岡潔(おか・きよし)もまた、晩年は熱烈な念仏信者となっていたことを想起する。

天才の脳内の仕組みは、正直いってよくわからない。数学の天才も、宗教の天才もまた、常人の理解を超えた存在である。だから、「神に愛された天才は若死にする」といっても、かならずしも的外れな指摘とは言えないのではないか。

いまから100年前の話だが感動的な内容の映画である。そしてこの映画をみたあとは、天才数学者ラマヌジャンが生きた存在として、映画を見た人の脳内に生き続けることになるであろう。






<関連サイト>

映画 『奇蹟がくれた数式』 公式サイト(日本公開版)

The Man Who Knew Infinity – Official Trailer

現代の数学者を悩ませ続ける「100年前の数学の魔術師」シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(WIRED.jp、2016年10月21日)



<ブログ内関連記事>

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる


数学関連

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう

月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号の 「特集 そして、「理系」が世界を支配する。」は必読!-数学を中心とした「文理融合」の時代なのだ

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

映画 『イミテーション・ゲーム』(英国・米国、2014年)をみてきた(2015年3月14日)- 天才数学者チューリングの生涯をドイツの暗号機エニグマ解読を軸に描いたヒューマンドラマ


ケンブリッジ大学

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)

書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ

書評 『名門大学スキャンダル史-あぶない教授たちの素顔-』(海野弘、平凡社新書、2010)-奇人変人の巣窟である大学を人物エピソードで描いた英米名門大学史


インド関連

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる
・・「著者は、とくに知識層としてのバラモン階級がヒンドゥー教徒としての「心の内なる規制」が足かせになっていたことを、実例をもって指摘している。 同時に、宗教上の理由から行われてきた詠唱(チャンティング:chanting)がインド人科学者たちの論理的能力のバックボーンにあることも著者は指摘している。詠唱によって、まとまった長い文章を記憶する訓練。 そして、サンスクリット語の論理的厳密性が、現在でもインド人科学者たちの論理的思考能力の支えになっている」



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2016年10月23日日曜日

「ガスパール・カサド没後50年 原智恵子没後15年記念演奏会」(玉川大学 University Concert Hall)にいってきた(2016年10月23日)


「ガスパール・カサド没後50年 原智恵子没後15年記念演奏会」(玉川大学 University Concert Hall)にいってきた(2016年10月23日)。委員を務めているので招待をいただいた。

正式名称は非常に長い。「2016年 「玉川大学教育博物館ガスパール・カサド 原智恵子コレクション目録」公開記念 The Memorial Festival ガスパール・カサド没後50年 原智恵子没後15年記念祭 記念演奏会-今よみがえるカサドと智恵子の音色」。

原智恵子氏から玉川大学教育博物館に寄贈されたカサドと原智恵子夫妻の遺品のコレクションの整理が完了し、その目録が完成したことを記念して行われたフェスティバルの一環として、チェリストであり作曲家でもあったカサドの作品を演奏するコンサートが開催されたということなのだ。

詳細は以下の通り。

●開催日: 2016年10月23日(日)
●時間: 14:00 開演 13:30 開場(終演 17時前)
●会場: 玉川大学 University Concert Hall 2016 大ホール(大学構内)
●プログラムと出演者
 ① カサド: 無伴奏チェロ組曲 堤 剛(チェロ)
 ② ショパン: ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 中井 正子(ピアノ)
   ※原智恵子のピアノ(スタインウェイ)を使用 【没後初・夫妻使用の楽器共演】
 ③カサド: レクイエブロス(親愛の言葉) ほか ドナルド・リッチャー(チェロ) 松川 儒(ピアノ)
   (休憩) 
 ④カサド: 緑の悪魔の踊り 香月圭佑(チェロ独奏)
 ⑤カサド: チェロ協奏曲 *世界初演!ベアンテ・ボーマン(チェロ独奏) *指揮:野本由紀夫 *管弦楽:玉川大学管弦楽団

スペイン出身(・・正確にいうとカタロニアのバルセローナ出身)のチェリストであるガスパール・カサド(1897~1966)。おなじくバルセローナ出身のカザルスの弟子である。

現役のチェリストとしては、ヨーヨー・マやミッシャ・マイスキーといった人たちが世界的に著名でわたし自身もファンであるが、残念ながらカサドについては、それほど知っていたわけではない。ましてやカサドが作曲家でもあったことは知らなかった。2016年時点ですでに没後50年ということであるから仕方ないかもしれない。

(玉川大学 University Concert Hall 2016  筆者撮影)

そんなわたしであるが、今回のコンサートに出かけることにしたのは、原智恵子(1914~2001)という「伝説の日本人ピアニスト」に関心があったからだ。

原智恵子の名前を知ったのは、『原智恵子 伝説のピアニスト』 (石川康子、ベスト新書、2001)が出版されたから。購入してすぐに読んだわけではないが、「伝説の日本人ピアニスト」という副題に大いに関心をそそられたのであった。だが、この出版直後の2001年12月11日に原智恵子は亡くなっている。奥付の出版日の10日後のことである。訃報記事のコピーをこの本に挟んでおいたのはそのためだ。

著者の石川氏は、配偶者の仕事の関係でイタリアのフィレンツェに住んでいたときに晩年の原智恵子の知遇を得たという。同時期には歴史作家の塩野七生もフィレンツェに住んでいた。だから帯には塩野七生氏の推薦文が掲載されている。

生きつくした女の一生、それも日本とヨーロッパの両方で生き仕事をした女の一生が、ここにはすべて入っています。 塩野七生(作家)

塩野七生氏の推薦文は文字通り受け取っていい。今回はじめて通読してみての感想だ。

原智恵子がどんな人だったかについては、『原智恵子 伝説のピアニスト』の紹介文を引用しておくのがいいだろう。

日本人ピアニストの草分けとしてショパンコンクールにはじめて入賞し、戦前戦後を通じて聴衆を魅了、世界から「東洋の奇跡」とまで称えられ、わが国クラシック界で一世を風靡した美貌のそのひとこそ、原智恵子(1914年~)である。1959年にチェロの巨匠、ガスパール・カサドと再婚しておもな活動の場を海外に移してからは、欧米での名声は高まる一方、なぜかその名は日本の音楽界からは次第に消えてしまった・・・。

石川氏はk、原智恵子のことをデモーニッシュな芸術家と評しているが、その一言ですべてがわかるような気がする。再婚相手となったカサドもまたデモーニッシュな芸術家であったという。芸術のためにはいっさいの妥協を許さない姿勢。この姿勢があってこそ、チェロとピアノのたぐいまれな「デュオ・カサド」として評価されたのだ、と。

カサドも原智恵子も、ともに故人である現在、その演奏をライブで聴くことはできないが、今回のコンサートでは世界初演も含めたカサドの作品を中心に、原智恵子の弟子である中井正子氏による入魂のショパンを堪能することができた。ピアノは、原智恵子が使用していたスタインウェイを修復したものである。カサド作曲の世界初演のオーケストラ曲もまた、予想外にすぐれた作品であった。

玉川大学 University Concert Hallは、今年2016年に改築されたもの。音響がじつに素晴らしい。日曜日の午後、すてきな時間を過ごさせていただいた。







<関連サイト>

伝説のピアニスト 原 智恵子 ショパン ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品 11 第1楽章(YouTube)

Chieko Hara plays Chopin Piano Concerto No.1 Third movement (YouTube)


<ブログ内関連記事>

毎年恒例の玉川大学の「第九演奏会」(サントリーホール)にいってきた(2013年12月2日)-ことしはチャイコフスキーの 『荘厳序曲(1812年)作品 49』

毎年恒例の玉川大学の「第九演奏会」(サントリーホール)にいってきた(2012年12月9日)-ことしはシベリウスの交響詩 『フィンランディア』!

毎年恒例の玉川大学の「第九演奏会」(サントリーホール)にいってきた-多事多難な2011年を振り返り、勇気をもって乗り越えなくてはと思う

今年(2010年)もまた毎年恒例の玉川大学の「第九演奏会」(サントリーホール)に行ってきた

師走の風物詩 「第九」を聴きに行ってきた・・・つれづれに欧州連合(EU)について考える




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2016年10月21日金曜日

『イメージとマネージ-リーダーシップとゲームメイクの戦略的指針-』(集英社、1996)-平尾誠二氏のあまりにも早い死を悼む(2016年10月20日)


昨日(2016年10月20日)、ラグビーの平尾誠二氏が53歳の若さで亡くなったことを知った。衝撃的なニュースだった。ショックだ。同世代としては他人事ではない。いや、学校は違うが同学年なのだ。

ひさびさに平尾誠二氏の著書を引っ張り出してきて、パラパラとめくってみた。『イメージとマネージ-リーダーシップとゲームメイクの戦略的指針-』(集英社、1996)。いまからちょうど20年前に出版された本だ。 編集工学の松岡正剛氏との二人の京都人による対話を読むと、平尾誠二氏が選手として優秀だっただけでなく、いかに知的な人であったかがわかる。

この本から平尾氏の発言を中心に抜き書きをしておこう。

平尾 そう、合理的です。流れに従っている。われわれはつい彼らの爆発力に目を奪われますが、実は理屈にあっている。無理がない。流れが正確につかまえられているんです。(P.78)


平尾 イメージがものすごく鮮明だから断定的に物事が言える。(P.121)


平尾 リーダーとして求められることは、物事の本質を見抜けるか、見抜けないかということですね。いろんなものがあるなかで何がいちばん大事なのか、それをある程度はずさないで言えるかが大事だと思います。
(・・中略・・)
松岡 構想力と判断力と理解力でしょうね。もうひとつ大事なことはプロセスを説明できるということ。これからの時代はとくにプロセスを共有することが求められるでしょう。(P.122)


松岡 ところで、バイブレーションを伝える意味で関西弁というのも大きな役割をはたしているんじゃないですか。
平尾 たしかに関西弁というのは、標準語とくらべると、入り込み方が違いますね。ぼくの感じとしてですが、言葉の浸透度が違う。
(・・中略・・)
やっぱりスピード感が違いますね。標準語は理屈っぽいというか、説明をしようとしても、「そんなことはハナからわかってるこっちゃ」というのが、われわれ関西人みんなの感想なんですよ(笑)
(・・中略・・)
ぼくら試合前のしゃべりは瞬発力でしょう。これで一気にテンションを上げていくという世界ですから、これで間延びするとよくないんですよ。関西弁で「ほな、行くでえ」でいいわけです。この言葉に全部凝縮されている感じがある。(P.134~137)


平尾 ぼくは臆病なんでしょうね。何をするにも注意深くて慎重だったしね。でも「怖がり」というのは、けっして悪いことじゃないと思うんです。というのは、何か怖いことが先にあると予測できるからそう思うんですよ。
松岡 その指摘はこの対話中の白眉です。
平尾 だから、怖いと思わないのは無神経というか、思慮深くないことにつながってくると思うんですよ。
松岡 そうそう。大賛成。 (P.149)


平尾 結論からいうと、体でおぼえなきゃダメだと思っているんです。体で覚えるというのは、頭を使わないことじゃないんですよ。体でおぼえるのは無意識的な反応だと思うんです。そこまでもっていかないとダメだということですね。 
(・・中略・・)
ぼくが最近思ってきたのは、体で反応していくということで、これはある種の「超人的な速さ」でないとダメだと思うのです。 (P.162~163)


松岡 (ラグビーが)ぼくがもうひとつ編集的だと思うのは、楕円形のボールによって生まれるイレギュラーなバウンドによってノンリニア(非線形的)な思考が生まれやすいではないかということです。 (P.191)


平尾 すごい戦術とか戦略とか考えついたとします。でも、それだけではまだやるべきことの20パーセントにしか過ぎない。それを仲間にどう説明して、自分のイメージどうりに実現できるか、そこが大事なんだよと。 (P.213)


平尾 ラグビーもそうですが、近代スポーツ、ようするに輸入してきたスポーツは、基本的には日本に適さないところがあるかもしれない。そこをどう考えるか。
世界と日本のラグビーの違いは、闘争心なんです。それがチームとしてのもつ闘争心ではなくて、個人がもつ闘争心に圧倒的な違いがあります。そこをどうするかというのは、すごく難しい。
(・・中略・・)
問題はチームプレーのなかにおける個人なんです。どうしてもチームがからむと甘いものが出てくる。 (P.223)


とくに印象的なのは、チームと個人の関係だろう。チームスポーツとチームワークの意味について深く考えさせられるのは、つねに試合という実践の場において考える人であったからだ。

わたし自身はラガーはないし、とくにラグビーファンというわけではないが、ラグビーといえば平尾誠二という連想があっただけに残念でならない。

53歳という短い人生を走り抜いた平尾氏のご冥福を祈ります。合掌。






<ブログ内関連記事>

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)-法然は「念仏」というキーワードを膨大な大乗仏教経典のなかからいかに抽出したのか?


英連邦と英国起源の近代スポーツであるラグビー

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!
・・ラグビーは英国生まれのスポーツ。上流階級のスポーツであるラグビーと中流以下のスポーツであったサッカーとの違い

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・英国仕込みのジェントルマン


スポーツと知性、アタマとカラダ

コトバのチカラ-『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)より

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)-「論理力」と「言語力」こそ、いま最も日本人に必要なスキル

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)-日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法!

『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年3月10日号 特集:名将の言葉学。-2011年のリーダー論-』

書評 『采配』(落合博満、ダイヤモンド社、2011)-ビジネス書の域を超えた「人生の書」になっている

(2016年10月27日 情報追加)




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2016年10月13日木曜日

タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)-つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・

(プミポン国王作曲のジャズ作品集 CD マイコレクションより)

タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御された。2016年10月13日。 ついにその日が来てしまった。X-Day が来ることはわかっていたというものの、まさか・・・・。 1927年生まれの88歳であった。いまはただ、ご冥福を祈るばかりです。合掌。

東南アジアの偉大な指導者たちが、つぎからつぎへと世を去っている。2015年にはシンガポールの国父リー・クアンユー氏(享年91)2012年にはカンボジアのシハヌーク国王(享年89)・・・。みな88歳を超える長命で、激動の戦後アジア史をリードしてきた創業者ともいうべき巨人たちであった。

タイのプミポン国王の存在を強烈に意識したのは、流血事態となった1992年の「5月騒乱」の際の映像である。国王の前に横座りでひざまずく首相と反対派リーダー。この映像は強烈な印象を見る者に感じさせるものがあった。わたしはこの映像を、米国を去る前の自動車旅行中にモーテルのテレビで CNN の報道として視聴したのだった。

(国王の前にひざまず首相 wikipediaより)

さらに意識するようになったのは、2007年からあしかけ3年にわたってタイ王国で暮らしていた頃である。単なる旅行者としての印象と、居住者としての印象では大いに異なるものがある。

いたるところに遍在するプミポン国王の肖像画ビルの壁面に肖像画、歩道橋には垂れ幕、道路の中央分離帯には肖像画のパネルが、建物の内部に入れば、オフィス内にはかならず国王の「ご真影」。現地法人を立ち上げたわたしも、当然のことながら「ご真影」は写真屋で購入して用意した。


タイ現代史におけるプミポン国王

プミポン国王とタイ現代史について知れば知るほど、その存在の大きさを意識するようになる。

国民統合の象徴として政治的な安定感をもたらしたという側面だけでなく、ジャズやヨットといった多趣味の才人でもあったこと。みずから作曲もし、サクソフォン・プレイヤーでもあった。国王の権威だけでなく、その人間性によって国民から広く敬愛される存在であった。まさに「賢人王」というにふさわしい人であった。

タイの歴史において、プミポン国王は、チュラーロンコン国王と並んで、大王の名にふさわしい

ちなみにラーマ5世は明治大帝の同時代人である。ラーマ5世も明治大帝も、アジアで「近代化」を推進した君主である。現王朝のチャクリ王朝は1792年に成立、プミポン国王は9代目であった。そのためラーマ9世というのが正式名称である。プラム・ガウである。

米国のボストン生まれで、スイスのフランス語圏のローザンヌで教育を受けたプミポン国王は、「西欧近代化」を体現した存在であったともいえよう。その一方、立憲君主でありながら、ヒンドゥー的な王権神授説による東南アジアの王朝の君主として、「神聖にして不可侵」な存在でありつづけた。タイの王室を考えるには、戦前の日本を想定すると理解しやすいだろう。近代天皇制のもとの日本の天皇も、「西欧近代化」を体現する存在であるとともに、神道の祭司という側面をもつ。

午前8時と午後6時に国歌が流れる時間帯には、歩行者も立ち止まって直立不動の姿勢を取ることが求められるのがタイ王国である。大衆消費社会でありながら、戦前の日本が同時に存在するという不思議な空間といえようか。

プミポン国王の70年の在位が終わったことは、タイ国民には深い喪失感として長期的にじわじわと影響を及ぼすだろう。タイ国民は1年間にわたって喪に服すことが求められている。最初の30日間は「歌舞音曲」の自粛が求められる。さすがに前国王のラーマ8世アーナンダ国王のように服装期間が3年ということはないが、それでも経済活動の観点からいって1年は長い。

わたしがタイに在住中の2008年に、プミポン国王の実姉ガラヤニ王女が亡くなった際は、町中が黒衣状態になっていたことを思い出す。今回はそれ以上の悲しみのなかにあり、徐々に黒衣状態は減少していくだろうが、それでも黒衣を着続けるタイ国民もいるはずだ。

政治経済情勢にも、間違いなく大きな影響を与えるだろう。いや東南アジアを超えて、東アジアにも大きな影響を及ぼすことは必至だ。なぜなら、タイは、日本と中国の影響力行使競争の主戦場の一つであるからだ。

しかも、第2次世界大戦で日本と同盟を組んだタイ王国に対して、英国は厳しい態度で臨んだが、米国は密接な関係を持ち続けてきたこともあり(・・米国とタイのあいだには特恵関税がある)、米国とタイの関係も太い。ベトナム戦争中は、タイは米軍の後方支援基地を提供していた。米中の影響力行使競争の舞台でもある。


「在位70年」のもつ意味

「在位70年」はタイの王政において最長であるが、「70年」という年月のもつ意味について考える必要がある。

プミポン国王の70年の在位は、30年を一世代とすると二世代以上の期間にまたがる期間となる。つまり、タイ国民の大半は、それ以外の期間を知らないのである。プミポン国王「以後」に生きるひとのは、そのほとんどがプミポン国王「以前」を想像できないということになるのだ。

つい先頃、日本は「戦後70年」を体験したが、1989年に崩御された昭和天皇の在位は64年であった。すでに平成になってから28年もたつが、いまだに「昭和時代64年間」は圧倒的な存在感を日本人に及ぼし続けている。その時代を生きた人間がまだまだ社会の第一線に存在するからだ。

例として引き合いに出すのは適切かどうかわからないが、1991年に崩壊したソ連も、1917年の「ロシア革命」から74年で崩壊したことを想定のなかに入れておくべきかもしれない。「70年」という年月は、それ以前の長い年月を個人の体験のなかから想起することがほぼ不可能なので、「移行期」には大きな混乱をともなうことが多いのだ。

しかも、プミポン国王はあまりにも偉大すぎた。偉大すぎる人物の後継者となる者は、とくにそれが「世襲」の場合は、なにかと前代が引き合いに出されて人物比較をされてしまう宿命にある。経営者であろうが国王であろうが、それは同じことだ。


「王位継承」もまた「世襲」

世襲の難しさは、大きく分けて二つある。まず王位承継する本人にとっての難しさと、それを受け入れる国民にとっての難しさだ。王位継承する本人にとっては「覚悟」の問題であり、これはある程度まで幼少期からの帝王教育によってカバーされる。

一方、受け入れる国民の側からみれば、それは「納得」の問題になる。この人のリーダーシップに従って自分は幸せになれるのか、自分の家族を幸せにできるのか。これはリーダーシップというよりも、フォロワーシップの問題だ。従うチカラのこと。これは意外と重要な問題だ。

だが、『自省録』で有名な古代ローマ帝国の「哲人皇帝」マルクス・アウレリウスの息子が粗暴だったことを想起せずにはいられない。あまりにも素晴らし過ぎる父親は、結果として息子をスポイルしてしまうことが多々ある。これは父親にとっても、子どもにとっても不幸なことだ。もちろん、皇太子については噂だけで判断するのは適切とはいえまい。

王国においては、国王死去にともない、ただちに新王即位が宣言されるのが普通である。なぜなら、王位継承において断絶を生じさせず、反対勢力による介入を防止するためである。フランス語の Le roi est mort. Vive le roi ! というフレーズは、前後で同じ roi(=国王)という単語が登場するが、前者は逝去した国王、後者は即位した新たな国王であり、同じ人間ではない。日本語に訳せば、「国王は崩御した。新王万歳!」となる。

タイ王国の王位継承については、すでにワチラロンコーン皇太子が継承することで決定済みのようだ。制度的な意味では問題ないのだが、現在64歳の皇太子本人はすぐに即位することは避けたい意向のようだ。国民世論の動向を見極めたいという思いもあるのではないだろうか。

したがって、しばらくタイ王国は国王不在の状態がつづくことになるが、それが望ましいことかどうかはわからない。不確定要素と考えるべきであろう。


何が起こるかわからない時代に

タイは2014年のクーデターによって軍政がつづいている。タイ陸軍としては、軍政を敷いている状態であったことは不幸中の幸いとみなしているかもしれない。そうでなくても国論が二分された状態が続いており、陸軍がグリップしている軍政のもとでは、反対派も表だった行動にでにくいことは確かである。

何が起こるのかわからない時代だ。タイ王国にかんしても想定外のことが起こらないとは限らない。十分に覚悟しておくことが必要だろう。




PS  暫定摂政にプレーム氏が就任(2016年10月18日)

ワチラロンコーン皇太子が即位するまで、憲法上の規定にもとづき、暫定摂政に枢密院議長のプレーム・ティンスーラーノン氏が就任した。プレム氏は1920年生まれで現在96歳。陸軍大将を経て1980年に首相に就任。8年間首相を務めた。プミポン国王の信任がきわめて厚く、枢密院議長として全面的に支えてきた存在である。タイ政治の安定装置として機能してきた「影の実力者」といってよいが、皇太子との関係はかならずしも良好ではないという噂が以前から流れており、今後の動向にいかなる影響を及ぼすか注視が必要である。

(2016年10月18日 記す)


PS2 ラーマ10世ワチラロンコーン国王が即位(2016年12月2日)

タイのワチラロンコン皇太子、新国王に即位 (BBC News、2016年12月2日)
・・「国会にあたる国民立法議会が即位を要請したのに応えて、皇太子はテレビ中継された即位式で正式に新国王となった。」 10月13日以来、50日近い日数を置いてからの即位となる。大多数のタイ国民にとって初めて目にする王位継承となる。新国王は「ラーマ10世」となるが、タイ人のあいだではチャクリ王朝の末路にかんする伝説が語られていることを想起してしまうが・・・。まずは王位継承がスムーズに進んだことに安堵する。

(2016年12月3日 記す)


PS3 あらたに「国王の前にひざまく首相」の画像を加えた。(2017年10月28日 記す)




* 『The King Never Smiles: A Biography of Thailand's Bhumibol Adulyadej 』(Paul M. Handley、2006)は、「不敬罪」の存在するタイ王国内では発禁であり、タイ国内への持ち込みも禁止されている。プミポン国王の伝記的事実をタイ王国の現代史と東南アジア情勢のなかに位置づけて、きわめて詳細で深い分析がされている。日本語訳は、なぜか出版されていないので、英語版だが関心のある人には読むことを強く薦めたい。




<関連サイト>

Candlelight Blues
by His Majesty The King of Thailand

タイ「プミポン国王」とは何だったのか?(樋泉克夫、Foresight、2016年10月13日)

ユニクロもモノクロに、悲しみに沈むバンコク 街は平静、パニックは日系スーパーの店頭だけ? (三田村蕗子、日経ビジネスオンライン、2016年10月17日)

プミポン国王死去、後継濃厚な皇太子はどんな人か 浅見靖仁教授にタイ情勢を聞く (BLOGOS、2016年10月22日)
・・法政大学の浅見靖仁教授へのインタビュー記事。読みであり。

プミポン国王様がご崩御されたバンコクの今を実録レポート!(ティラキタ駱駝通信、2016年10月26日)
・・写真多数の現地レポート

プミポン国王大誤算、タイ君主制が存続の危機に 皇太子がドイツで豪遊、海外でタクシン元首相と密談か (末永恵、JBPress、2016年11月8日)
・・ここまで書いてもいいののか?という内容だが、可能性は低くないk

タイ最大の危機は喪が明けた時に訪れる? 皇太子はいつ即位するのか~背後にちらつくタクシンの影 (川島博之、JBPress、2016年11月15日)
・・タクシンを支持する東北部の農民が武装蜂起すれば内戦が始まり、混乱の末の共和制以降というシナリオ。あり得ない話ではない

(2016年10月17日、23日、11月8日・15日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

プミポン国王とタイ王国関連

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・タイのプミポン国王ラーマ9世は「足るを知る経済」を提唱する哲人でもある

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ

タイのあれこれ (14) タイのコーヒーとロイヤル・プロジェクト

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


東南アジアの「巨人」たち

巨星墜つ リー・クアンユー氏逝く(2015年3月23日)-「シンガポール建国の父」は「アジアの賢人」でもあった

シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


国論が二分されたタイ王国

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた

タイで8年ぶりにクーデター(2014年5月22日)-今後の推移を考えるには、まずは前回2006年の「9.19クーデター」のおさらいから始めるのが第一歩だ

『国際シンポジウム 混迷続くタイ政治:その先に何が待っているのか』("Thailand’s Turbulent Politics: Peering Ahead")に参加(2014年3月27日)

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは


■王位継承もまた「世襲」

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!

天皇陛下のお気持ちに応えることこそ日本国民の義務(2016年8月9日)
・・「生前退位」をご希望なさっている天皇陛下。タイ王国の場合もラーマ7世は「立憲革命」の後に「生前退位」しているが、ラーマ9世プミポン国王は「生前退位」することなく崩御されるまで王位にあった。スムーズな王位継承のためには、「生前退位」によってみずからが新国王の「後見役」となるブータン型の王位継承モデルが望ましいかもしれない。

(2016年10月17日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)







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