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2017年12月28日木曜日

福澤諭吉の『文明論之概略』は、現代語訳でもいいから読むべき日本初の「文明論」だ



「文明論」と題した本は多数ある。そのなかでも、日本でよく言及されるのは、米国の政治学者ハンチントン教授による『文明の衝突』(集英社、1998)であろう。ことし2017年には単行本出版から19年もたって、ようやく文庫化もされている。つまり集英社にとっては、単行本としてよく売れてきたということだ。

中国文明とイスラーム文明が手を結ぶことになる(!)など荒唐無稽の説が書かれているのは、著者のハンチントン教授が「文明論」を専門にするわけではなく、あくまでも政治学者であることがその理由だろう。時の米国政権の委嘱によって執筆したという説もあることはアタマに入れておいていい。

とはいえ、「日本文明」を「中国文明」とは異なる別個の文明として扱った点は、日本でも好意的に評価されてきた。「日本文明」というテーマを打ち出したのは、「文明の生態史観」(1957年)で「文明論」の論客としても知られる梅棹忠夫氏の一連の業績であるが、梅棹忠夫氏自身もハンチントンの著書にかんしては、その点は評価していた。

だが、待って欲しい。何も20世紀の米国政治学者が書いた大冊をあがめ奉ることはない。本は長きがゆえに尊からず。日本には、すでに明治時代に「文明論」が登場している。それは、福澤諭吉の『文明論之概略』だ。「之」は「の」と読む。最近は中国人でも日本語のかな文字「の」を使いたがるくらいだから、このタイトルは古色蒼然(こしょくそうぜん)とした印象を受けるのも無理はない。

この本こそ、「日本文明」という概念を最初に打ち出し、啓蒙主義の立場から日本が進むべき道を指し示した古典的名著である。

ただいかんせん、『学問のすゝめ』と同様に全編が文語体で書かれており、岩波文庫版で本文が300ページもある。歯切れのいいリズミカルな文体でわたしは好きなのだが、現在の日本人の読解力からいったら、敬遠してしまうのも仕方ないだろう。


近代社会の枠組みはアングロサクソンが作った

ネット販売の amazon のサイトには「よく一緒に購入されている商品」 という項目がある。 拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)の 場合は、『文明論之概略』がでてくる。これは、最新の「現代語訳」だ。近代思想史の研究者・先崎彰容(せんざき・あきなか)氏によるものだ。


この書籍の画像をクリックすると、こんな情報が出てくる。拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』と『ユダヤ人の教養-グローバリズム教育の三千年-』(大澤武男、ちくま新書、2013)とあわせて3冊が「よく一緒に購入されている」ようだ。


拙著の「第5章 第2次グローバリゼーション時代とパックスブリタニカ-19世紀は植民地帝国イギリスが主導した」の「1 大英帝国が世界を一体化した」では、「文明」について考えるための手引きとして『文明論之概略』を使用したことを読み取った読者がいるのだろうか? そういう読み方をしてくれているのは、たいへんありがたいことだ。著者冥利に尽きる。
  
福澤諭吉は、「日本文明」を独自の存在として認めたうえで、当時は先進であった大英帝国を中心とした西欧にキャッチアップするためには、「西欧文明」を積極的に導入して「近代化」すべきことを説いた人だ。これは、「第2章 西洋の文明を目的とする事」の冒頭で論じられている。

「目次」を紹介しておこう。あくまでも日本人として日本の「自国の独立」を中心におき、「日本文明」の発達を実現するために「西洋文明」を学ぶのはそのためであるとする姿勢が感じられるであろう。じつに骨太の議論を展開しているのだ。


目 次  

緒言
巻之一
 第1章 議論の本位を定る事
 第2章 西洋の文明を目的とする事 
 第3章 文明の本旨を論ず
巻之二
 第4章 一国人民の智徳を論ず
 第5章 前論の続
巻之三
 第6章 智徳の弁
巻之四
 第7章 智徳の行わるべき時代と場所とを論ず
 第8章 西洋文明の由来
巻之五
 第9章 日本文明の由来
巻之六
 第10章 自国の独立を論ず


引用したい箇所は多いが、「条文解釈」は丸山真男の『「文明論之概略」を読む 上中下』(岩波新書、1986)があるので、そちらを参照するとよいだろう。ここでは、文章のリズムを感じてもらうために、岩波文庫版からいくつか引用しておきたい。現代語訳もいいが、できれば原文の雰囲気の一端でも感じてほしいからだ。

智恵は則ち然らず。一度び物理を発明してこれを人に告れば、忽ち一国の人心を動かし、あるいはその発明の大なるに至ては、一人の力、よく全世界の面(おもて)を一変することあり。ゼイムス・ワット蒸気機関を工夫して、世界中の工業これがためにその趣を一変し、アダム・スミス経済の定則を発明して、世界中の商売これがために面目を改めり。(第6章 智徳の弁)

宗教は文明進歩の度に従てその趣を変ずるものなり。(・・中略・・) 人智発生の力は大河の流れるが如く、これを塞がんとしてかえってこれに激し、宗旨の権力、一時にその声価を落すに至れり。則ち紀元千五百年代に始まりたる宗門の改革、これなり。(第6章 智徳の弁)

ここに我日本の殷鑑(いんかん)として印度の一例を示さん。英人が東印度の地方を支配するに、その処置の無情残酷なる、実にいうにしのびざるものあり。(第10章 自国の独立を論ず)


「よく一緒に購入されている3冊」について先に触れたが、拙著ではまた、英米アングロサクソンが作った枠組みの中で、日本人より半世紀先行して西欧世界に入ったユダヤ人についてページ数をかなり割いて取り上げている。なぜなら、現代社会、とくにビジネス界は、アングロサクソンの枠組みのなかでユダヤ人が併走するという枠組みのなかで動いてきたからだ。

ユダヤ人については、俗説にまどわされずに正確な事実を知るべきである。その意味では、拙著では直接使用しなかったが、『ユダヤ人の教養-グローバリズム教育の三千年』(大澤武夫、ちくま新書、2013)もあわせて読むことを推奨しておきたい。


「よく一緒に購入されている商品」として列挙されているこの3冊は、ぜひみなさんの読書計画の参考にしていただきたいと思う次第。






<ブログ内関連記事>

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ! (2012年の執筆時点で140年前)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
・・「中華文明と日本文明の2つの文明の差異について展開してきた議論が、ついに「アジア主義との永遠の訣別」の表明に至るのを読むとき、同じく東アジアの二国に深く関与したが故に「脱亜論」を説かねばならなかった福澤諭吉を想起するのは、私だけではないだろう」

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
・・「近代(化)」を主導した福澤諭吉についての言及がある。「明治維新に前後して、新しい日本国Bをつくろうとする機運が生じる。福澤諭吉や伊藤博文などは、その最大のイデオローグであった。日本国Bは、古い国家伝統である「脱亜」を「入欧」と読み変えてみせた。そのうえで、文明開化と富国強兵という、西欧化と近代化とを織り合わせた政策を展開するのである」

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ 
・・「(西郷隆盛は)福澤諭吉の『文明論之概略』を愛読し大いに評価していたこと。福澤諭吉が西南戦争に際して西郷隆盛を政府の横暴に対する抵抗であると弁護したことは、たとえ会ったことはなくても、両者が互いにリスペクトしあっていたことを物語るものだ。

書評 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)-日本とほぼ同時期に「開国」したシャム(=タイ)はどう「西欧の衝撃」に対応したのか
・・「開国」後に、日本は「明治維新」という「革命」を断行し「近代化」=「西欧化」を全面的に遂行して「国民」形成の道を突き進んだのに対し、シャムは上層エリートは「近代化」=「西欧化」を受け入れたものの、「立憲革命」という「革命」は日本に遅れること64年、「国民」形成はそれ以降の課題となった。出発点が同じであったのにかかわらず、日本とタイで大きな差が生まれたのはこのためだ」

書評 『テヘランからきた男-西田厚聰と東芝壊滅-』(児玉博、小学館、2017)-研究者の道を断念してビジネス界に入った辣腕ビジネスマンの成功と失敗の軌跡
・・この本のP.125で、『「文明論之概略」を読む 下』(丸山真男、岩波新書、1986)の「結び」で言及されているイラン人女子留学生のエピソードの謎解きができた。このイラン人女子学生こそ、西田氏の妻となったファルディン・モタメディ氏である。

(2018年1月17日 情報追加)


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