(チャンドラ・ボースと「インド国民軍」(INA)(1964年インド発行の記念切手) Wikipediaより)
JBPressの連載コラム第62回は、「悲惨なインパール作戦、インドからはどう見えるのか- 「形を変えて」インド独立につながっていた」(2019年10月8日)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57816
「インパール作戦」について考えていると、正直いって「ノモンハン事件」以上に気が滅入ってくる。
無謀で杜撰な作戦であっただけでなく、戦闘停止命令が出され、撤退が始まってからがさらに悲惨なものとなった。ジャングルの熱帯性疫病による病死者や食糧不足による餓死者が続出し、生きながら放置された兵士の肉体からはウジが湧き、街道沿いに放置された遺体は回収されることもなく白骨と化していった・・・
しかしながら、きわめて多くの犠牲者を出し悲惨な結果に終わったとはいえ、インパール作戦をまったく無意味だったと言い切ってしまうこともできない。「インド独立」という観点からは異なる側面が見てくるからだ。
インド独立の指導者といえば、まずガンディーが想起されることだろう。だが、インド独立は非暴力だけから生まれたのではない。最終局面においては暴力による実力行使がなされたのである。そして、その指導者こそ、日本とも縁の深いチャンドラ・ボースであった。
(ガンディーとボース(1938年) Wikipediaより)
インパール作戦の日本史における位置づけと、インド史および世界史における位置づけにはズレが生じているのである。この点は、前回取り上げたシンガポール陥落と同様であり、その延長線で考えてみる必要がある。
つづきは、本文にて ⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57816
インパール作戦についても、大東亜戦争全般についても、またインド独立についても、新たな視点を得ることができるでしょう。複眼的な視点が重要なのです。
<関連サイト>
Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero | (YouTube full version)
⇒ 2004年制作公開のインド映画。『ボース:忘れられた英雄』(音声はヒンディー語と英語。ただし字幕なし)
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