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2010年8月31日火曜日

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)





動物行動学(エソロジー)の観点から

 ネコの生態については、動物行動学(エソロジー)学者コンラート・ローレンツの『人(ひと) イヌにあう』(コンラート・ローレンツ、小原秀雄訳、2009)に描かれている。

 この本は、題名通り、基本的にイヌについて書かれたエッセイ集だが、実はネコについても全体の1/5くらいのページ数を割いている。ネコと比較することでイヌの特性が明確になるからだ。ネコ好きな人も食わず嫌いはやめて目を通してみたらいい。

 家畜化された動物のなかでは、イヌがもっとも変化したものだとすれば、ネコほどまったく変化していないもの、とローレンンツは書いている。

 イヌが家畜化されたのはきわめて古く、だいたい4~5万年前であるのに対し、ネコが家畜化されたのは古代エジプトで、せいぜい数千年前程度である。穀物を食べるネズミの駆除のため、リビアヤマネコを飼い慣らして家畜化された。ネコのミイラや、ネコの神様がいたくらい、古代エジプトでは大事に扱われてきた。ネコさまさまである。

 エジプトから欧州を経て、アジアに拡がるまでかなりの時間がかかっているようだ。ちなみにこの伝播経路は、アルコール飲料のビールと同じである。だいぶ時間差があるが。

 ローレンツは、ネコは野生動物であり、社会に生きる動物ではないこと、瞬発力はあるが疲れやすくおのれの感情にきわめて素直な動物であると書いている。そこが、イヌと違う点である。
 この人は、日本でいえばムツゴロウの元祖みたいな人で、イヌだけでなくネコも、またそれ以外の動物もたくさん飼育して、日々観察していた学者である。イヌもネコも長年飼い続けていて、身近に観察してきた人ならではのものであるといえよう。

 ウィーン生まれのローレンツが開拓した動物行動学(エソロジー)とは、動物そのものの行動を研究する学問である。


ところで、ネコはどうのように世界を認識しているのだろうか?
 
 『動物と人間の世界認識-イリュージョンなしに世界は見えない-』(日高敏隆、ちくま学芸文庫、2007)という本は、日本における動物行動学者の開拓者である日高敏隆が、動物学者ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)の考えをベースに、動物がどのように「世界」を認識しているか、どのように「世界」を構築しているかについて、さまざまなケースについて語った、実に読みやすい本である。


 この本の第1章は「ネコたちの認識する世界」として、著者が飼っていたネコで実験してみた面白い話が紹介されている。

 大きめの画用紙にネコの絵を描いて、飼いネコに見せたところ、この平面の画像にネコが大いに反応したというのである。ネコは立体のネコの置物に対してだけでなく、平面のネコの画像にも反応。これは何度繰り返しても「学習」することなく、反応しつづけたということで、著者はこの簡単な実験から、ネコが見ている世界は、人間が見ている世界とは違うという話を導き出して、第2章以降ににつなげている。

 外部に現れた行動から、ネコの「認知構造」を探る試みといってもいいだろう。


 日高敏隆には、そのままズバリのタイトルのエッセイを収めた 『ネコはどうしてわがままか』(日高敏隆、新潮文庫、2008)という本がある。


 このエッセイのなかで、単独で行動する習性をもつネコにとって、親密な関係は親子関係だけであると書いてある。それも母ネコと子ネコの関係。

 子ネコが鳴けば母ネコはすっ飛んでくるが、母ネコが鳴いても子ネコはこない。甘えることのできる対象は、あくまでも母ネコだけである。だから、飼いネコが飼い主に甘えるのは、子ネコが母ネコに対するのに似た「疑似親子関係」なのだと。 
 ネコにそういう気持ちがないときは、飼い主(=親)がいくら期待してもネコは従わない。だから、ネコはわがままに映るわけだ。ネコは自分の感情に素直なのである。


ユクスキュルの「環世界」と日高敏隆のいう「イリュージョン」

 先にも触れたユクスキュルとは、古典的名著である、『生物からみた世界』(ユクスキュル/クリサート、日高敏隆/羽田節子、岩波文庫、2005)の著者のことである。

 エストニア生まれのドイツ人動物行動学者ユクスキュル(1864-1944)の提示した「環世界」(Umwelt)という理論で知られているが、生物ごとに見ている世界が違うという説は、発表当初は科学的でないという評価のため、なかなか認知されなかったという。「客観性」こそが科学の身上だからだ。

 「環世界」とは、ごくごく簡単にいってしまえば、それぞれの生物ごとに知覚をつうじた特有の認知構造があるということだ。人間とイヌは違うし、カラスとチョウもまったく違う世界をみている。人間を取り巻くのが「環境」だとすれば、「環世界」とはそれぞれの生物にとって意味のある世界を指した概念である。

 たとえばダニは動物が発する酪酸の匂いだけに反応し、その発生源めがけて落下、その後は温度を感じる皮膚感覚に導かれて動物の皮膚のうえで毛の少ないところに移動し、そして地を吸うのだと。つまりダニにとっては、臭覚と触覚が認知する世界にだけ生きているのだ。

 日高敏隆はこのことを、「知覚の枠」という表現で説明している。人間には聞こえない超音波、人間には見えない紫外線。匂い、触覚といった知覚には、人間に体感できないものがある。

 人間が見ている世界はそういった制約条件のもとにあることを知っておいた方がいい。超音波や紫外線は体感はできないが、知識として知っており、思考世界のなかでさまざまな操作を行うことができるのは、人間と人間以外の生物との大きな違いである。

 ユクスキュルの本は正直いって読みにくい。日高敏隆の本を読んでから、ユクスキュルの原本を読むと理解が深まる。

 岩波文庫版には、クリサートによるイラストが大量に収められているのでイメージしやすい。これらのイラストの意味を本文で確かめるという読み方もいいだろう。


本能に従って「知覚の枠」内で「環世界」を認識する生物、思考世界で「世界」を再構築する人間

 『動物と人間の世界認識』はいい内容の本なのだが、問題がある。

 著者の日高敏隆は「イリュージョン」というコトバを使うが、これは岸田秀の「唯幻論」からの援用でいただけない。「唯幻論」とは、この世はすべて幻想であると説く、精神分析学者の妄説(?)である。

 私からみれば、「イリュージョン」というよりも「バーチュアル・リアリティ」といったほうが、まだピンとくる。人間が見ているのは現実(リアリティ)だが、自分が見たいようにしか世界を見ていないから、現実は現実であっても、その主体が知覚し、認知する現実に過ぎない。

 あるいは社会学の構成主義風にいえば「社会的に構成された現実」といってもよい。

 社会学者バーガーに、Social Construction of Reality という著書があるが、人間の場合は「社会的に構成された現実」をみているのであって、それは「イリュージョン」というのとはニュアンスが違うように思われる。イリュージョンであろうがなかろが、人間は見たいものしか見ていないので、その見たものがその人にとってはリアリティであっても、他の人からみればイリュージョンであるに過ぎないのである。

 見ても見えず、聞いても聞こえず、というやつである。

 個々の人間の実存は、個々の人間によって異なるのは当たり前だ。

 男女の別、大人と子供、身長の高さ、体重の重さ、さらにいえば、世代間、文化および言語によって認識の枠組みが異なる。

 つまり一言で言えば、まったく同じ認知をもった人間は一人として存在しないのであり、あくまでも主観と主観の重なり合う場面でのみ共通理解を行っているにすぎないのである。

 これをさして、現象学者のフッサールは「間主観性」(Inter-subjectivity)と表現した。主観と主観の間に存在するのが共通理解である、と。

 人間以外の生物では、本能に従って「知覚の枠」内で「環世界」を認識している。これは同じ種に属する生物であれば、大きな違いはないようだ。何万年にわたって進化ノプロセスが止まっている生物であれば、何万年にもわたってそのように行動してきたことになる。

 人間がそうではないのは、脳が異常発達したためだろう。
 ただこのテーマは、やりはじめるとあまりにも拡散しすぎてしまうので、ここらへんでやめておこう。


 いずれにせよ、人間がみている「世界」と、ネコが見ている「世界」、セミが見ている「世界」は、それぞれまったく異なるということだ。

 この事実だけは、しっかりと認識しておきたい。



PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判に変更した。内容の変更はない。 (2014年8月23日 記す)



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