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2010年8月16日月曜日

書評『指揮官の決断 ー 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(早坂 隆、文春新書、2010)ー ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝


「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝

 本書が出版されるまで樋口季一郎中将の名前を知っていた人は、果たしてどれだけいたのだろか。

 これまでにも大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちについては多くの評伝が書かれてきた。戦史家による評伝は別にして、文芸評論家・福田和也による山下奉文大将、ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾(あなみ・これちか)大将、本間雅晴中将、そして梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、については、多くの一般読者の眼に触れて、記憶に残っているのだろう。
 
 樋口季一郎中将をノンフィクション作家が、戦史ファン向けではなく、一般読者向けの評伝として取り上げたのは、もしかすると本書が初めての試みであるかもしれない。

 著者は、この樋口将軍の生涯を誕生から戦後の逝去まで、事実関係にもとづいて徹底的に検証した。いわば人物プロファイリングといった趣で、淡々とした叙述に徹している。
 
 陸軍情報将校としてのインテリジェンス専門家のキャリア、同期の石原完爾を始めとする陸軍内の交友関係、陸軍内外の豊富な人脈。芸術を愛し、多趣味であったエリート軍事官僚、ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった情報将校ポーランドのワルシャワ駐在武官時代は社交ダンスを得意としていた。

 国際的視野も広く、複眼的にものを見ることの出来る、石原完爾の影響で日蓮宗を信仰した、穏健で人間的で理知的なリーダーであった

 ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。
 
 著者はイスラエルまででかけて、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している。

 人道的な動機から、当時の同盟国ドイツの意に反してまでも、万難を排してユダヤ人を救うべく奔走したハルビン特務機関長は、その後のキャリアにおいてはアッツ島玉砕の司令官として、心ならずも多くの日本人将兵を死なせることになってしまうという運命の皮肉を味わう。まさに人生とは「禍福はあざなえる縄のごとし」。アッツ島玉砕と引き換えに、キスカ島の撤退作戦を成功させたのではあったが・・・

 ロシア人とソ連という国家の本質を知り尽くしていた樋口中将は、8月15日の終戦の詔勅後も、8月18日午後4時の武装解除開始のデッドラインのギリギリまで、北方領土の占守島に違法に上陸したソ連軍の侵攻を徹底的に阻止する命令を出す。樋口将軍の決断のおかげで、北海道がソ連の領土となり、民族が分断される危機が回避されたといっても言い過ぎではないかもしれない。

 ハルビン特務機関長というインテリジェンス関係、占守島の戦いなどの罪状による、ソ連からの戦犯指名を回避できたのは、ジェネラル・ヒグチが救出したユダヤ人たちによる米国政府への強いロビー活動があったからだという。この事実には、著者はさらりと触れている。

 戦後の樋口将軍の人生は、ユダヤ人を救ったことよりも、アッツ島玉砕の責任者としての贖罪意識を持ち続けていたのではないかと著者はいう。本書を読んで、ラバウルの将軍・今村均大将の戦後にも比すべきものを感じたのは、私だけではないのではないかと思う。

 劇的な盛り上がりには欠ける人生かもしれないが、出処進退が鮮やかで、誠実に職務(ワーク)と人生(ライフ)を全うした樋口季一郎という一人の日本人の生涯。ぜひ一度は振り返っておきたいものである。



<初出情報>

■bk1書評「「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝」投稿掲載(2010年8月16日)
■amazon書評「「禍福はあざなえる縄のごとし」-ジェネラル樋口の人物プロファイリング的評伝」投稿掲載(2010年8月16日)

*再録にあたって、一部の修正加筆を行った。
 



目 次

第1章 オトポール事件の発生
第2章 出生~インテリジェンスの世界へ
第3章 ポーランド駐在~相沢事件
第4章 オトポール事件とその後
第5章 アッツ島玉砕
第6章 占守島の戦い
最終章 軍服を脱いで


著者プロフィール

早坂 隆(はやさか・たかし)

1973年生まれ、ルポライターでノンフィクション作家。日本文藝家協会会員。主な作品には、『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(中公文庫)、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)など多数。(Wikipedia記載の情報から作成)


<書評への付記>

 「禍福はあざなえる縄のごとし」とは、三省堂の『大辞林』によれば、こういう意味だ。災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。吉凶は糾える縄の如し。
 まさに、樋口季一郎将軍の人生そのままである。

 ジェネラル・ヒグチの話は、満洲やユダヤ関係に興味のある人なら、一度は耳にしたことがあるはずだ。シベリア鉄道でソ連経由で欧州を脱出したユダヤ人たいが、ソ満国境のオトポール駅にて立ち往生を続けていた事件。1938年3月8日のことである。
 この降着状況を知ったハルビン特務機関長の樋口中将は、局面打開のためにユダヤ人たちの満洲国への入国を認める決断を下し、関係者に働きかけを行って実現にこぎつけた、その当事者である。
 私は、1999年に逆ルートで、北京から、満洲里(マンジョウリ)駅で国境を越えて、シベリア鉄道でモスクワまで行ったが、現在はオトポールではなく、ザバイカリスクという名前の駅になっている。

 陸軍の安江大佐、海軍の犬塚大佐といったユダヤ専門家の名前とならんで、戦時中のユダヤ人救出にチカラのあった軍人として、一部の人たちのあいだでは記憶されてきた。

 本書における著者の功績は、イスラエルまでいって、「ゴールドブック」の実物を確認したことだろう(第4章)。本書の中に、ジェネラル樋口の名前は、安江大佐とアブラハム・カウフマンの名前とともに記載されていることが、写真によって示されている。ぜひ直接、本文で確認いただきたい。

 本書は、ユダヤ人救出がメインテーマではないので、この関係については樋口将軍の軌跡についてのみ記されているが、満鉄総裁であった松岡洋右だけでなく、その当時、関東軍参謀長であった東條英機の役割も無視できない。

 本書の書き方では、頑固な東條英機に直言したような書き方だが、少しニュアンスが違うのではないかと思う。カミソリ東條といわれた東條英機が、間接的な形でユダヤ人救出にゴーサインを出したことは、まだまだウラのある話ではないかとも思われる。
 いずれにせよ、関東軍のトップが、組織として了承したことの意味は重い。『河豚計画』の著者ラビ・トケイヤーは、『ユダヤ製国家日本-日本・ユダヤ封印の近現代史-』(加藤英明訳、徳間書房、2006)では、「ゴールデン・ブック」に記載はないものの、ユダヤ人救出劇における東條英機の役割を積極的に評価している。

 アッツ島玉砕の話は、小学生の頃から知っていたが、責任者が樋口中将だとは知らなかった。

 ここには煩瑣になるので書かないが、さまざな意味で樋口季一郎という人物には興味をそそられる。
 ロシアを熟知していたインテリジェンス専門家の情報将校として、まだまだ知られざる側面があるのではないかと思われるのである。



<ブログ内関連記事>

64年前のきょう、ソ連軍が「対日宣戦布告」して侵攻を開始した

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「満洲とユダヤ人」というテーマについて

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・戦後ユダヤ教に改宗した聖書学者は、満洲でユダヤ難民に脱出に多大な協力をして樋口季一朗とともに「ゴールデンブック」にその名が記載されている

(2015年7月27日 情報追加)



<読書ガイド>

 本文で触れた、大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちの伝記を、絶版も含めて紹介する。現在もっとも入手しやすいエディションを掲載しておく。

『山下奉文-昭和の悲劇-』(福田和也、文春文庫、2008)
・・文芸評論家・福田和也による山下奉文大将

『責任-ラバウルの将軍 今村均-』(角田房子、ちくま文庫、2006)
『一死、大罪を謝す-陸軍大臣阿南惟幾-』(角田房子、PHP文庫、2004)
『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(角田房子、中公文庫、1975)
・・ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将の伝記

『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道-』(梯久美子、新潮文庫、2008)
・・梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、



P.S. 『ソ連軍上陸す-最果ての要衝・占守島攻防記-』(大野 芳、新潮文庫、2010 単行本初版 2008)の紹介

 書評のなかに以下のように書いた。

ロシア人とソ連という国家の本質を知り尽くしていた樋口中将は、8月15日の終戦の詔勅後も、8月18日午後4時の武装解除開始のデッドラインのギリギリまで、北方領土の占守島に違法に上陸したソ連軍の侵攻を徹底的に阻止する命令を出す。樋口将軍の決断のおかげで、北海道がソ連の領土となり、民族が分断される危機が回避されたといっても言い過ぎではないかもしれない。

 この事項について、より詳細な掘り起こしを行っている『ソ連軍上陸す-最果ての要衝・占守島攻防記-』(大野 芳、新潮文庫、2010 単行本初版 2008)が文庫化さfれている。

 「占守島攻防戦」は、ポツダム宣言受諾による無条件降伏後の8月17日のことであり、証言者の証言がまちまちで食い違いも多い。事実関係をあきらかにしたいという思いで書かれたこのノンフィクションは、このためけっして読みやすいものはないが、「占守島攻防戦」にかんする詳細な事実を知るためには、ぜひ存在だけでもアタマのなかにいれておいてほしい。
 
 とくに、イスラーム史研究者の山内昌之(東京大学大学院教授)による「解説-陸軍最後の戦闘、そのリーダーシップと教訓-」は長文で心のこもったものであり、北海道出身者ならではのものであるといえる。ぜひこの文庫版の「解説」だけでも読んでほしいと思う。

 (2011年8月17日 「占守島攻防戦」開始日に記す)



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