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2010年8月13日金曜日

書評『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史 09)』(杉山正明、講談社、2008)ー 海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに




日本文明の独自性を「間接的に」あきらかにする内容の本

 本書は「ユーラシア」とは何かについて、歴史学の立場から、一人で全体像を描き出そうとした労作である。

 ある意味、不可能なことをあえて実行しようとしたドンキホーテ的な試みであるかもしれない。語学だけでもモンゴル語、ペルシア語、漢文・・・と膨大な量の史料を読みこなさなければならない研究分野であるからだ。

 1206年のチンギス・カンによる「大モンゴル国」の成立により、はじめて「世界史」が誕生した。
 ユーラシア大陸を舞台に、世界がつながったのである。これは本書のなかでも触れられているように、日本のモンゴル学者による日本発の世界史認識である。

 中国や中央アジアだけでなく、中近東からインド亜大陸、そしてロシア東欧に至るまで、いかに「モンゴル帝国」が後世に与えた影響が大きかったか
 モンゴルによる統一国家である元が滅亡したのちも、モンゴルが作り上げた政治制度とチンギス・カンの権威は、清朝滅亡にいたるまでユーラシア大陸では「正統性の源泉」となり続けた

 本書をよむと、日本がなぜグローバリゼーションの波に乗れたのか、間接的な説明となっていることに気づかされる。本書では直接言及されていないが、梅棹忠夫が『文明の生態史観』として提出した仮説を、間接的に裏書きするものとなっているからだ。日本はいうまでもなく、ユーラシア大陸国家ではなく、西端に位置する英国と同様、ユーラシア大陸の東端に位置する島国である。

 著者は、ユーラシアの「ランドパワー」(Land power)の重要性が忘れ去られたのは、16世紀に西欧から始まった第一次グローバリゼーションが「シーパワー」(Sea power)中心の文明であることの影響が大きいという。それ以前の風まかせの帆船ではなく、19世紀の蒸気船の発明により動力源を備えた自走船時代をリードしたのは、近代科学と技術を背景にした西欧諸国であった。

 もともとが「シーパワー」でありながら、17世紀半ば以降「鎖国」し、シーパワーとしての性格を自ら封印した日本は、この第二次グローバリゼーション時代に開国を余儀なくされたが、その後に「海洋国家」的性格を取り戻し、西欧中心の世界史認識の枠組みのなかで思考し行動してきた。
 このこともまた、大陸への軍事的経済的進出という形でコミットしながら、ユーラシア大陸内部で働くロジックの理解を困難にしたことは否定できない事実であろう。

 著者は本書のいたるところで、西欧中心史観への異議申し立てを行っている。

 それはそれで結構なことであるが、私は本書を通読することで、ユーラシア大陸内部の諸問題には深入りすることなく、あくまでも「シーパワー」(海洋国家)としての自らのアイデンティティを明確に認識し行動することこそ、日本の生きる道であると、あらためて確信するにいたった。

 日本人が、ユーラシア大陸内部で起こっていることにはあまりにもうとく、自分が見たいことだけ見がちなことは、かつてNHKで放送されて大ヒットした「シルクロード」のロマンチックな映像詩を思い出せばそれで十分だろう。

 私自身の自省も込めて記すが、日本人の多くが、ユーラシア大陸の「大陸国家」中国についても、本当の意味で理解しているとはいいがたい。根本的に「ランドパワー」である中国は、根本的に「シーパワー」である日本とは、まったく異なる文明なのである。近年、海洋進出を活発化させている中国であるが、本質的に「ランドパワー」あることには変わりはない。

 ユーラシア大陸内部の歴史は、日本にとっては「反面教師」そのものである。

 これは、著者が伝えたいメッセージではないかもしれないが、読んでいて私はその感を強くしたのである。日本はユーラシア大陸内部の問題には深入りすべきではない。アタマでは理解できたとしても、感覚的に理解できないからだ。

 本書には、実に多くの固有名詞がでてくるが、一読後はすべて忘れてしまってもまったく問題ないだろう。
 ユーラシア大陸内部で働くロジックについて、おおざっぱながらも把握できればそれでよしとしたい。そのためにもぜひ読んでおきたい本である。


<初出情報>

■bk1書評「日本文明の独自性を「間接的に」あきらかにする内容の本」投稿掲載(2010年6月28日)
■amazon書評「日本文明の独自性を「間接的に」あきらかにする内容の本」投稿掲載(2010年6月28日)


 

目 次

序章 なんのために歴史はあるのか
第1章 滔滔たるユーラシア国家の伝統
第2章 モンゴルは世界と世界史をどう見たか
第3章 大モンゴルとジャハーン・グシャー
第4章 モンゴルとロシア
第5章 モンゴルと中東
第6章 地中海・ヨーロッパ、そしてむすばれる東西
第7章 「婿どの」たちのユーラシア
終章 アフガニスタンからの眺望


著者プロフィール

杉山正明(すぎやま・まさあき)

1952年静岡県生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、京都大学大学院文学研究科教授。博士(文学)。1995年、『クビライの挑戦』(朝日新聞社)でサントリー学芸賞。モンゴル時代史研究の功績により、2003年に司馬遼太郎賞、2006年に紫綬褒章。『モンゴル帝国と大元ウルス』(京都大学学術出版会)で2007年に日本学士院賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<書評への付記>

ユーラシアが「大陸」であることの意味を日本人は体感できているか?

 外交官出身の政治家であった吉田茂の長男で、作家の吉田健一は『ヨオロッパの人間』(新潮社、1973)で以下のように書いている(太字ゴチックは引用者による)

戦争は近親のものに別れて戦場に赴くとか原子爆弾で何十萬もの人間が一時に、或は漸次に死ぬとかいふことではない。それは宣戦布告が行はれればいつ敵が自分の門前に現れるか解らず、又そのことを当然のこととして自分の国とその文明が亡びることもその覚悟のうちに含まれることになる(P.220)


 陸続きの大陸国家における戦争の本質について、これほど的確に表現した文章はほかに知らない。


 第一次世界大戦でも、第二次世界大戦で激しく破壊された西欧。
 陸続きの大陸国家においては、国境線は地図上に人為的に引かれたボーダーラインに過ぎないのである。

 13世紀のモンゴル軍は、ハンガリーまで侵攻した。以後、長きにわたってロシアはモンゴル統治下に置かれる。
 17世紀末には、バルカン半島を統治下に置いていたオスマントルコ帝国軍は、ウィーン包囲を実行、寸止めで終わったが、欧州の本丸が落城寸前までいった。

 第二次大戦後も、1956年の「ハンガリー革命」、1968年の「プラハの春」鎮圧に、ソ連軍の戦車隊が突入した。

 こういったことは、「島国日本」にいるとアタマではわかっても、感覚的に理解できない。

 想像力(イマジネーション)を鍛えるためには、ユーラシア大陸国家にいって、陸路で国境を越える体験を積む必要がある。
 この実感を味わいたいがために、私は、仕事での移動も含めて、好きこのんで陸路で国境を越える旅を楽しんできた。

 現在の欧州はすでにシェンゲン条約を結んでいるEU国家間では、パスポートコントロールすら存在しないが、かつては夜行列車で国境を通過する際は、国境警察が列車に乗り込んできて、真夜中でもたたきおこされたものである。

 シベリア鉄道で、中国からロシアへ国境越えする際は、レールのゲージ(軌道の幅)が違うので台車を取り替える作業が発生する、このときの荷物検査はきわめて厳しい。幸い私は大丈夫だったが、カギを壊されたものもいると列車のなかで聞いた。
 ロシアからフィンランドへは、フィンランドがかつてロシア帝国に領土だったこともあり、ゲージ軌道の幅が同じである。サンクロペテルブルク発ヘルシンキ行きの列車は、そのまま乗り換えることなく、車内でパスポートチェックを受ける。フィンランドが、対人地雷廃止に反対している理由は理解できなくもない。

 このほか、以下のような国境越えを体験してきた。

 ●シンガポールからコーズウェイを通って、マレーシアのジョホールバルへ。
 ●香港から列車で中国へ、中国からバスで香港へ(・・これは本当に大変だった)
 ●中国の南寧からベトナムへ。
 ●ベトナムのホーチミンからカンボジアへ。
 ●タイからミャンマー(・・ただしミャンマー滞在は2時間)。
 ●タイからラオスへ。
 ●インドからネパールへ。
 ●チベットからネパールへ陸路を下った・・中国とネパールの国境には、内陸なのに「海関」(!)というファニーな・・。中国語で、海関とは税関のことだ。
 ●米国からカナダへ自分で運転、カナダから米国へ再び戻った。
 ●韓国と北朝鮮国境の DMZ(非武装地帯)にもいった。


 国境で、パスポートコントロールと税関すらなければ、陸路で国境を越えるのはたやすいことだ。
 しかし、空路と違って陸路のパスポートコントロールは比較的厳しいものがある。海路で入国する場合も、空路よりは厳しいが、陸路ほどではない。

 
 そもそもが「海洋国家」で、すでにまったく「大陸国家」でない日本生まれで、日本育ちの人間は、とくに中国奥地に経済進出するべきではない。中国に文字通り骨を埋めるつもりならまだしも、そうでない場合は絶対に沿海地区以外には進出すべきではない。
 もし政策が急転換し、資産をすべて接収されるような事態が発生したとき、いざとなったら脱出するシナリオをもっているのだろうか?

 かつての日本は、植民地の満洲と朝鮮、そして樺太においては陸で国境を接していた。
 しかし、結局のところ敗戦の結果、すべての海外領土を失い、撤退して引きこもって今日にいたるのである。

 だが、私はかつてのように大陸に雄飛せよなどというつもりは毛頭ない。

 その後、大陸に残された「残留孤児」の命運を考えてみるべきだろう。

 あなたは、あのような悲劇を繰り返したいのか?




<ブログ内関連記事>

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)


梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

書評 『朝青龍はなぜ強いのか?-日本人のためのモンゴル学-』(宮脇淳子、WAC、2008)-モンゴルという日本人にとっての「異文化」を知る上で、信頼できる手頃な入門書


書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)

書評『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

書評『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)


政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!

(2014年8月26日 情報追加)


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