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2014年1月3日金曜日

午年(うまどし)の「絵馬」は馬!-船橋大神宮に初詣(2014年1月3日)


2014年(平成26年)の初詣は船橋大神宮にいってきた。"世界一小さい" 大神宮である。"日本一小さい"大神宮と言われているので(・・ただし真偽は不明)、日本一イコール世界一だろう。

船橋大神宮は、正式には意富比(おほひ)神社という。創建されてから1903年というのだから(・・創建が1903年ではない!)、ものすごく古い。なんせヤマトタケル以来の由緒ある古社である。


午年の絵馬

午年(うまどし)なので絵馬でも買ってみようかと思ったが、どうも絵馬に個人情報を書いて奉納するのは、いまの時代、写真に撮られてアップされてしまう恐れもあるので躊躇してしまう。さりとて願主の名前を書かないのも効果が少なかろう。どこで情報漏洩があるかわからないというイヤな時代である。

というわけで、絵馬の写真ではなく、大神宮に掲示されていた「謹賀新年」のポスターから絵馬の図柄を撮影してみた。他人様の絵馬の写真を撮影するのも趣味が悪い。

絵馬(えま)は日本語である。馬じたいはことばも実体も外来のものであるが、絵と馬が合体して絵馬となった。

馬そのものを神社に奉納して神馬(しんめ)とするのは、いつの時代でもおカネに余裕のある人でなければできないことだ。奉納された側も世話が大変でもある。馬はよく食べる。だから一般庶民は絵に描いた馬を奉納したわけだ。

起源は奈良時代までさかのぼることができるらしい。平安時代からは木の板に馬を描いたものを奉納するようになったようだ。

午年(うまどし)だからことし(2014年)の絵馬の図柄は馬が多いが、絵馬の図柄は馬とは限らない。干支に応じてその年の動物が描かれたり、郷土の偉人が描かれたりさまざまである。

絵馬というとカタカナではエマ。エマは英語ではEmma と女性名。つづりどおりに発音するとエンマ。エンマは閻魔大王と、音からの連想がつづいてしまうが、これは余計な話。


馬は江戸時代には主要な交通手段であった

ついでに船橋大神宮から馬関連の話題をいくつか書いておこう。

船橋大神宮はちょうど交差点の前にあり、船橋から直進していく道が国道296号線、旧成田街道である。成田街道とはいうまでもなく庶民信仰の一代中心地であった成田山へとつづく道だ。



成田街道(=なりたみち)の登り坂をすこしあがると船橋大神宮の裏門(?)があるが、そこには以下の注意書きが書かれた木の板が掲示されている。


(みたりに車馬で乗り入れること・・禁止!)


かすれて読みにくいので、ここに文字を写しておこう。


一 竹木を伐ること
一 魚鳥を捕ること
一 みたりに車馬で乗り入れること
右境内に於て禁止します
船橋大神宮社務所

竹や木を伐ったり、魚鳥を捕ってはいけないのは当然だろう。神社の神域なのだから。だがこの禁止条項は子ども向けに書かれたのではなさそうだ。

しかし、「みたりに車馬で乗り入れること」禁止というのはねえ。「車馬」とは、「馬車」じゃありませんよ(笑) 「車」はさておき、いまどき神社に「馬」で乗り入れる人がおられるのだろうか・・・

またそのすぐそばに奉納の石塀があるのだが、たまたま目を見やっていたら、「馬具善」という文字が目に入った。


(まんなかの石塀に「馬具善」の文字)

コンピュータのバグではありません。馬具ですよ(笑)

隣の石塀には「佐渡屋 勘兵衛」とあるので、正確な時期はわからないが江戸時代のものだろう。

江戸時代には馬具屋が商売として成立していたわけだ。いわゆる乗馬関連用品の商売は現在でもあるが、石塀に刻まれている「馬具」はレジャー用ではなく、一般的な交通手段としての馬であり、そのための馬具だろう。

船橋大神宮から成田方面にクルマで20分くらい走ると、高根木戸というものがある。その一帯は江戸時代には「下野牧」とよばれており、習志野大地はかつて野馬の放牧地であったのである。江戸時代から明治時代にかけては馬の社会的位置はきわめて高かったのだ。

どの神社の境内にも、いまでも「馬止め」がある。そこで馬を下りて、馬をつないでおくための石のことだ。交通手段としての馬は消えてから久しいが、コトバは現在に至るまで残る。面白いことだ。

手押し車の「猫車」、ガソリンスタンドの「犬走り」など、外来語に置き換えられない日本語が残っているというのは面白いことだ。「馬止まり」もまたその一つといいうことか。


(船橋大神宮に近い海老川河口にかかる「船橋」 この先は海である)


以上、午年の正月にちなんで馬関連の話題を書いてみた。




PS 船橋大神宮の公式サイト

意富比神社 船橋大神宮 公式サイト
・・2013年に開設されていたようだ。これは失念

(2016年1月2日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)


「馬」関連

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった
・・日本における「馬の文化」について、千葉県の習志野を中心にややくわしく書いておいた

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた・・千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地に配属されている戦略部隊の「第一空挺団」の前身は「騎兵隊」。基地内には「日本騎兵之碑」がある

冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本



「馬」年には「馬」肉をナマで食べる-ナマ肉バッシングの風潮のなか、せめて「馬刺し」くらい食わせてくれ!

「人間万事塞翁之馬」-なにごとにも一喜一憂せず、あたかも自然現象を観察するような態度が現実的だ!





(2012年7月3日発売の拙著です)





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