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2014年1月5日日曜日

『新版 河童駒引考 ー 比較民族学的研究』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本



文化人類学者・石田英一郎の『新版 河童駒引考 ー 比較民族学的研究』が、1994年に岩波文庫から文庫化されて20年。本書は『桃太郎の母』とならんで石田英一郎の代表作である。

研究が行われたのは戦前から戦中にかけて、初版は戦後の1948年(昭和23年)、英語版を経て改訂版が1966年に出版されている。1961年には東京大学から文学博士を授与されているが、その論文のタイトルは『河童伝説:日本の水精河童と馬を水中に引き入れんとするその習性とに関する比較民族学的研究』。本書のことである。

「謹しみて この書を 柳田國男先生の霊前に ささぐ」という献辞が1965年版にあるように、前提としているのは一国民俗学を主張した柳田國男の『山島民譚集』に収録されている「河童駒引」と「馬蹄石」の論考である。

『河童駒引「考」』は、国内事例だけで組み立てられた柳田國男の「河童駒引」の推論を、ユーラシア全域レベルにパースペクティブを拡大し、「民俗」学でなく「民族」学の手法で跡付けた長い論文だ。「歴史民族学」の成果である。

「河童駒引」とは、水の妖怪である河童(カッパ)が馬を水中に引きこもうとする伝説のことだ。柳田國男が収集したように、日本各地に伝承されているらしい。

石田英一郎は、東は中国から西はヨーロッパにいたるユーラシア全域にのこされた膨大な民間伝承を分析整理することによって、「馬と水神の関係」から牛と水神の関係」にさかのぼり、さらに「猿と水神」の関係が加わって「河童駒引」に転化したと結論づけている。

本書は、「第1章 馬と水神」、「第2章 牛と水神」、「第3章 猿と水神」の3章で構成されているが、推論の順番もまたこの配列にしたがっている。日本からはじまり、近隣の中国をくわしく検証し、ユーラシア大陸の西のスラブ、ゲルマン、フィンランド、そして地中海世界まではばひろく時空をこえて具体的に事例を読み解いていく。

「第1章 馬と水神」で面白いのは中国における「竜馬」伝説である。日本では坂本龍馬で有名な「竜馬」であるが、馬が水神としての龍と密接な関係があるのだ。十二支で「辰・巳・馬・・」と連続しているのは、龍と蛇が水神という性格において共通しているだけでなく、龍(≒蛇)と馬が連続していることの意味を考えさせてくれる。

そしてギリシア神話のポセイドン。「海神」ポセイドンはもともと「馬神」であっただけでなく、それより古層においては「牛神」でもあったのだ。これが本書の探求を第2章へ導いていく重要な導線となる。 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013)は、ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史であるが、ポセイドンが「馬神」であったことまでしか書いていない。

どうやら歴史学者は『河童駒引考』を参照していなかったようだ。「歴史学」と「歴史民族学」の違いといってしまえばそのとおりだが、『河童駒引考』というあまりにも地味なタイトルが災いして「馬」関連の参考書籍から漏れてしまったのかもしれない。

ポセイドンは「牛神」であり「海神」(≒水神)であったわけだが、なぜこれが「馬神」であり「海神」(≒水神)となったのか? この疑問が『河童駒引考』の主要テーマとなる。


(文庫本カバーと同じ図 馬頭観音信仰に「猿引駒」)


結論をいってしまえば、東南アジアからインドをへて地中海にいたる「南方ユーラシア圏」においては、もともと牛を耕作に使用する農耕文明が主流であり、したがって「牛神=水神」の信仰が広がっていたのであった。

この牛神中心の「南方ユーラシア圏」に南下してきたのが、「北方ユーラシア圏」の馬神である。もともとあった牛神と馬神が混交し、あるいは馬神が優勢となった結果、牛神=水神の連想が馬神=水神の連想に転化したのである。

この関係は「二項対立」として整理することができる。

●牛(神)-大地-母神-農耕-南方ユーラシア
●馬(神)-天上-父神-遊牧-北方ユーラシア

こう整理するとあまりにも単純化しすぎのようにみえるが、じっさいはこの両者は混交してしまっており、簡単に分離することはむずかしい。

だが、あきらかなことは、人類史において最初に家畜化されたのが牛であり、馬が家畜されたのはその後だということだ。牛がもっぱら耕作に使用され、馬が遊牧世界において戦車や騎兵として軍事で活用され、その後は輸送や交通手段として使用されるようになったのである。

そして最後の「第3章 猿と水神」。この章はきわめて短い。

猿は日本からインドにかけて分布しているがユーラシア全域に分布しているわけではない。その猿が河童に代替されていき、「猿駒引」が「河童駒引」となるわけなのだ。狭い意味の河童は、もちろん日本固有の産物である。

ここにおいて、日本固有とされてきた河童が、じつはユーラシアにおける水神との関係があきらかにされる。これが「民俗」学を補完しながらも越えた「民族」学の本領というわけなのだ。

本書はそういった結論もさることながら、膨大な民間伝承を分析整理したことそのものにある。読んでいて面白いのは、ユーラシア全域にわたって同類の民間承が存在するという事実を確認できることなのである。

現在ならデータベース化したうえで、コンピュータを駆使すれところだろが、『河童駒引考』はもちろんそのような作業によるものではない。漢籍をはじめとして古今東西の文献を渉猟したこの研究は、本書にも一か所だけ引用されている南方熊楠の論考にも似た博覧強記の時代の産物とみるべきかもしれない。

かつては日本の内藤湖南やドイツ生まれのアメリカ人ベルトルト・ラウファー(Berthold Laufer)など博覧強記の東洋学者も存在したのだが、もはや前世紀の遺物となったしまったのだろうか。記憶をハードディスクドライブ(HDD)やクラウドサーバーなどの外部記憶装置にゆだねてしまったインターネット時代の弱点が露呈しているような気がしてならない。

ユーラシア大陸の東端の島国の住人である日本人が、世界的な視野でものを考えるための方法論としての「歴史民族学」は戦前戦中の東洋史研究の成果を貪欲に踏まえたものであるが、その遺産をなんとか後世にも伝えることができないものかと思う。

戦前戦中の東洋史研究の成果を踏まえたという点においては、梅棹忠夫の生態学をベースにした人類学研究もまた、内藤湖南もその一人であった京大東洋史学の伝統を継承しているのである。


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目 次

口絵
新版序文
第1版序文
はじめに
第1章 馬と水神
第2章 牛と水神
第3章 猿と水神
むすび

解説(田中克彦)
参照文献
図版目次


著者プロフィール

石田英一郎(いしだ・えいいちろう
1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。1903年、男爵石田八弥(土佐藩出身の幕末志士石田英吉の後嗣)の長男として大阪府に誕生する。義兄は警視総監を務めた横山助成。1925年6月1日襲爵。天王寺中学、東京府立四中、一高を経て、京都帝国大学経済学部中退。1928年、京都学連事件および三・一五事件に連座して爵位を返上。1934年まで入獄する。 1937年から2年間ウィーン大学に留学し歴史民族学を専攻。同大学に留学経験のある岡正雄とは生涯多く交流があった。1944年、蒙古善隣協会西北研究所次長。1948年、『河童駒引考』を出版、1949年に、法政大学教授。1951年、東京大学教養学部教授となり、文化人類学教室の初代主任を務めた。また第一次東大アンデス学術調査団団長。1964年、定年退官後は、東北大学日本文化研究施設所教授、多摩美術大学学長などを歴任。1967年、『マヤ文明』で毎日出版文化賞受賞。日本民族学会会長を務めた。翌年大学紛争による激務にも毅然と対応したが、肺がんにより没した。没後『石田英一郎全集 全8巻』(1970~72年 筑摩書房)が刊行された(wikipedia記述より。


<ブログ内関連記事>

河童関連と十二支(龍と蛇)

リニューアルオープンした国立歴史民俗博物館の第4展示室 「列島の民俗と文化」を見てきた(2013年5月3日)-面白い展示もあるがややインパクトに欠ける
・・国立歴史「民俗」学博物館(・・こちらは「民俗」!) 実物大の河童の模型(?)展示もある

「龍馬精神」(ロンマー・チンシャン)
・・中国の「龍馬精神j」とは??

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ


「馬」関連

書評 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013、講談社現代新書 2001)-ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった
・・馬頭観音など「馬神」についても考えるヒントがあるだろう

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた・・千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地に配属されている戦略部隊の「第一空挺団」の前身は「騎兵隊」。基地内には「日本騎兵之碑」がある

インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった


ユーラシア大陸

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!
・・戦前の内蒙古におけるフィールドワークの記録。馬についての生物学、生態学、人類学的な記述がある。梅棹忠夫は、今西錦司が所長、石田英一郎が副所長をつとめる蒙古善隣協会西北研究所に所属していた

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である! 
・・ユーラシア全体を視野に収める壮大な文明論


人類学的思考と博覧強記

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・泉靖一は石田英一郎とともに東大の文化人類学をささえた学者。アンデス調査もともに行っている

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る
・・石田英一郎のもう一つの名著 『桃太郎の母』を紹介しておいた、地中海の大地母神がマリア崇拝の起源にある

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

(2014年8月18日 情報追加)


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