(中山法華経寺にある聖教殿 筆者撮影)
伊東忠太設計のインド風建造物が中山法華経寺にもある。「聖教殿」(しょうきょうでん)という名の建築物だ。
中山法華経寺は、千葉県市川市の中山にある日蓮宗の寺院。創建は鎌倉時代にもさかのぼることのできる由緒ある寺院である。日蓮を迫害から保護した領主が建立した寺で、その関係から時の鎌倉幕府に来るべき蒙古襲来をし警告した『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)など、日蓮遺文(・・日蓮の直筆原稿も多くこの寺に保存されているらしい。
その貴重な直筆原稿を収めた「正教殿」(しょうきょうでん)が、伊東忠太設計の建築物である。平成11年(1999年)に設置された説明書きによれば、「盗難、火災、虫害、湿気の害等を長きに亘って受けないよう、近代科学教えるところを取り入れた保存方法を講じて」いるのだという。
「聖教殿」は、1931年(昭和6年)の建設である。伊東忠太(1867~1954)は当時、東京帝国大学工学部教授で建築家でもあった。代表作は、築地本願寺や東京商科大学(・・現在の一橋大学)の兼松講堂などである。
築地本願寺は、その名のとおり浄土真宗のお寺だが、インド風の外観をもつ石造の建築物である。いわゆるお寺という感じのない、エキゾチックな建築物だ。西域探検を主導した大谷光瑞が施主であったためでもある。
(聖教殿を守る二匹の西域ライオン)
ストゥーパの形をした中山法華経寺の「正教殿」もまたインド風の建築物である。伊東忠太というとインド風という連想があるが、おそらく発注者の側もそれを期待していたのだろう。そもそも日蓮宗が奉じる法華経は大乗仏教のなかではもっともインドとの関連が深い。インドで布教している日本山妙法寺も日蓮宗の系統である。その意味では、しかるべき場所に、しかるべき建築物があるというべきか。
その初参詣の際に境内をくまなく歩き回り、そこではじめて「正教殿」と遭遇したのであった。説明書きで伊東忠太の設計ということを知って、記憶に刻み込まれたのである。一橋大学出身のわたしにとって、兼松講堂の設計者・伊東忠太の名前は親しみを感じていたからだ。
だが25年ぶりに再訪してみて、意外と大きな建築物だったのだなと、少し驚いた。
(正教殿を飾る動物たち-左にゾウ、右にヒツジ)
25年ぶりにあらためてじっくり見てわかったのは、外観がインド風であるだけでなく、さまざまな動物が配置されていることだ。
狛犬ならぬライオン(=阿吽の二頭の獅子)が守護しているだけでなく、さまざまな動物が装飾として配置されている。狛犬は中近東のライオン(=獅子)が変容したものであり、ビルマ式仏教寺院では二頭のライオンが配置されている。
内部には入れないので正面からしか見ることができないが、右側面にはゾウとヒツジが配置されていることがわかる。仏教にも縁の深いゾウもさることながら、ヒツジがあるのは面白い。建築史の研究のためにユーラシア大陸を踏破した伊東忠太ならではの発想か? ことし2015年がヒツジ年なのでわたしの目についたのかもしれない。
狛犬ならぬライオン(=阿吽の二頭の獅子)が守護しているだけでなく、さまざまな動物が装飾として配置されている。狛犬は中近東のライオン(=獅子)が変容したものであり、ビルマ式仏教寺院では二頭のライオンが配置されている。
内部には入れないので正面からしか見ることができないが、右側面にはゾウとヒツジが配置されていることがわかる。仏教にも縁の深いゾウもさることながら、ヒツジがあるのは面白い。建築史の研究のためにユーラシア大陸を踏破した伊東忠太ならではの発想か? ことし2015年がヒツジ年なのでわたしの目についたのかもしれない。
ちなみに、法隆寺の円柱と古代ギリシアの神殿の石柱の類似性をはじめて指摘したのは伊東忠太であった。
今回の訪問は寒中の1月半ば。正教殿のとなりの荒行堂から大音声の読経の声と、バシャっと水をかぶる音が聞こえてくる。「世界三大荒行」の一つとされる「寒百日大荒行」が、いまままさに進行中なのだ。
11月1日から2月10日まで100日間にわたって行われるこの荒行は、中山法華経寺がその根本修行道場となっている。全国から日蓮宗の僧侶がこの荒行に参加するために集まってきている。
日蓮宗の僧侶は、「法華経の行者」ともいわれるように、信者である一般民衆の期待に応えるべく、祈祷師あるいは霊能者としての役割も期待されている。100日に及ぶ荒行(あらぎょう)は、修行者たちを極限状態に追い込んで、祈祷師としての能力を高めることも目的の一つとしているのだ。
法華経に登場する「鬼子母神」(きしもじん)の信仰は、日蓮宗のなかにビルトインされた民間信仰であるが、これは仏教というよりも限りなくシャマニズム的である。そしてなによりも、南無妙法蓮華経というお題目がマントラ(呪文)そのものなのである。
このほか境内には大黒天を祭ったお堂や宇賀神(うがじん)を祭ったお堂もある。庶民信仰そのものの神仏習合的な要素を現在まで遺しているといえよう。
(中山法華経寺の参道は門前町の風情)
中山法華経寺は、「正中山本妙法華経寺」(しょうちゅうざん・ほんみょう・ほけきょうじ)として『江戸名所図絵』にも登場している。
船橋街道の左側にあり。(この地を中山村といふ。)日蓮大士最初転法輪の道場にして、一本寺なり。開山は日常上人、中興は日祐尊師たり。(『鎌倉大草紙』に云ふ、・・(後略)・・)(出典:『江戸名所図絵 六』(角川文庫、1968))
『江戸名所図絵』は、江戸時代末期のトラベルガイドともいうべき本で、江戸だけでなく市川から船橋あたりまでカバーしている。この本に取り上げられているということは、庶民にとってはそれなりの観光スポットであったことも意味しているのであろう。とくに鬼子母神信仰は、江戸では入谷や雑司ヶ谷が有名だが、中山法華経寺もそれなりに有名だったようだ。
(JR下総中山駅からつづく参道を京成中山駅を経て正門へ)
中山法華経寺の周辺には寺院が集中している寺町になっている(上図)。JR下総中山駅からつづく参道は京成中山駅を経て正門へ至っている。クルマも通行する石畳の参道は門前町としての風情もある。
建築好きであるなら、伊東忠太設計のインド風建造物である「聖教殿」を見るためだけのために中山法華経寺に足を運んでみる意味はある。「聖教殿」境内の奥まった位置にあって訪れる人も少ないが、そこまで足を伸ばす価値はある。
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(2017年7月31日、9月20日 情報追加)
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