福澤諭吉の『脱亜論』(明治18年3月16日)が発表されてから130年になる。東アジアの国際環境が厳しさを増すなか『脱亜論』が甦ってきたというべきだろう。
すでに7年前の出版であるが、『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)という本が出版されているので、この機会にあらためて本書を紹介しておきたい。
著者の渡辺利夫氏は、『韓国-ヴェンチャー・キャピタリズム-』(講談社現代新書、1986)や『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書、1994)などをつうじて、アジア経済にかかわるビジネスパーソンなら少なくとも名前くらいは知っているはずだし、開発経済学でこの人の名を知らなかったらモグリともいうべきパイオニア的存在の人だ。
厳しい言論統制を敷いていたシンガポールや、かつて戒厳令下にあった韓国や台湾などアジア諸国において、急速な経済発展をもたらした「開発独裁」というコンセプトを世に知らしめた功績は強調してもし過ぎることはない。
そんな渡辺利夫氏が拓殖大学学長に就任し、しかもこのような内容の本を書かれるとは思いもしなかったというのが、2008年に本書が出版されたときの感想である。
だがよくよく考えてみれば、拓殖大学は台湾統治を成功させた後藤新平以来の伝統をもつ大学だし、渡辺氏自身も福澤諭吉が設立した慶應義塾の出身であり、東南アジアも東アジアも経済を軸に熟知しているからこそ、『新 脱亜論』なるタイトルの本を発表するに至ったのだと深く納得した次第である。つよい危機感が背景にあるのだ。
たんに経済についてのみ語っていては済まない時代にわれわれは生きているのである。政治と経済は不可分の関係にある。「政治経済学」として捉えなくてはならないのだ。
内容は、福澤諭吉の時代からの日本近現代史を、著者なりに振り返って「再編集」したもの。書かれている歴史的事実そのものはべつに目新しいものではないが、『新 脱亜論』というタイトルによって「再編集」された、著者の一貫した史観にもとづく歴史叙述こそ読むべき内容となっているのである。
まずは目次をご覧になっていただきたい。日本は中国やロシアのような「大陸国家」ではなく、島国の「海洋国家」であるという地政学の認識が最重要であることが強調されている。そしてこれは、明治の先人たちのリアリズムに基づいた認識でもあったのだ。
著者の思いは以下の一文に集約されている。
日本の地政学上のポジションは「海洋国家」。中国のような「大陸国家」でも韓国・朝鮮のような「半島国家」でもない。「海洋国家」としていかに厳しい国際環境のなかを生き抜いていくか。そのために学ぶべき先人たちのリアリズムに立脚した認識と意志決定を若者向けに描き下ろした内容である。
なぜ、福澤諭吉は『脱亜論』を書かなければならなかったのかについては、この本のとくに「第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉」を読むと手に取るように理解できると思う。韓国併合による韓国近代化についての著者の筆致は、開発経済学者らしく冷静である。
厳しい国際情勢のなかでの「近代日本」の成功と手痛い失敗について本当のことを知りたい若者だけでなく、若者ではなくてもぜひ一読して、若者たちに薦めていただきたい本である。
そんな渡辺利夫氏が拓殖大学学長に就任し、しかもこのような内容の本を書かれるとは思いもしなかったというのが、2008年に本書が出版されたときの感想である。
だがよくよく考えてみれば、拓殖大学は台湾統治を成功させた後藤新平以来の伝統をもつ大学だし、渡辺氏自身も福澤諭吉が設立した慶應義塾の出身であり、東南アジアも東アジアも経済を軸に熟知しているからこそ、『新 脱亜論』なるタイトルの本を発表するに至ったのだと深く納得した次第である。つよい危機感が背景にあるのだ。
たんに経済についてのみ語っていては済まない時代にわれわれは生きているのである。政治と経済は不可分の関係にある。「政治経済学」として捉えなくてはならないのだ。
内容は、福澤諭吉の時代からの日本近現代史を、著者なりに振り返って「再編集」したもの。書かれている歴史的事実そのものはべつに目新しいものではないが、『新 脱亜論』というタイトルによって「再編集」された、著者の一貫した史観にもとづく歴史叙述こそ読むべき内容となっているのである。
まずは目次をご覧になっていただきたい。日本は中国やロシアのような「大陸国家」ではなく、島国の「海洋国家」であるという地政学の認識が最重要であることが強調されている。そしてこれは、明治の先人たちのリアリズムに基づいた認識でもあったのだ。
第1章 先祖返りする極東アジア地政学
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か
おわりに
著者の思いは以下の一文に集約されている。
近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに観察して行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。
日本の地政学上のポジションは「海洋国家」。中国のような「大陸国家」でも韓国・朝鮮のような「半島国家」でもない。「海洋国家」としていかに厳しい国際環境のなかを生き抜いていくか。そのために学ぶべき先人たちのリアリズムに立脚した認識と意志決定を若者向けに描き下ろした内容である。
なぜ、福澤諭吉は『脱亜論』を書かなければならなかったのかについては、この本のとくに「第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉」を読むと手に取るように理解できると思う。韓国併合による韓国近代化についての著者の筆致は、開発経済学者らしく冷静である。
厳しい国際情勢のなかでの「近代日本」の成功と手痛い失敗について本当のことを知りたい若者だけでなく、若者ではなくてもぜひ一読して、若者たちに薦めていただきたい本である。
目 次 (詳細)
第1章 先祖返りする極東アジア地政学
ポストモダニズムの落とし穴
「先祖返り」する極東地政学
生存リアリズムの欠如-北朝鮮
反米、反日、親北の制度化-韓国
「侮日政策」の在処(ありか)-中国
「ペトロステート」-ロシア
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
激怒する福澤諭吉
華夷秩序への挑戦、日本の自衛
尊皇攘夷と衛正斥邪
清韓宗属関係の破壊を狙う陸奥
天津条約-「李鴻章対日政策の一大錯誤」
陸奥、開戦への決意
帝国主義にめざめた清国の「東征論」
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉
「独立自尊」
外国人からみた李氏朝鮮
清韓宗属関係とは何か
金玉均の登場
朝鮮の独立自尊、福澤の政治的課題
金玉均、福澤との邂逅
壬午事変
借款交渉進展せず
国王高宗と金玉均
甲申事変
李朝近代化のラストチャンス
日本滞在十年
金玉均暗殺
高まる反清感情
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望
ロシアに傾斜する朝鮮
東学党の乱
機先を制する日本
日清戦争勝利
三国干渉
「他策なかりしを信ぜんと欲す」
内閣弾劾上奏案
閔妃暗殺
ウィッテと李鴻章
露清密約
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味
ロシアの対清圧力
小村、露清協約の廃棄への努力
義和団事変と日本
在清公使館付武官 柴五郎
第一次小村意見書
日英同盟成立
ロシア、満洲から撤兵せず
第二次小村意見書
小村の開戦外交
開戦へ
戦費調達
ポーツマスへの道
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか
ポーツマス条約と韓国「自由処分」
韓国の「保護国化」
ハーグ密使事件
韓国併合へ
反日義兵闘争
併合に対する韓国内の支持
韓国併合と発展基盤の形成
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの
化外の地、化外の民
牡丹社事件と台湾出兵
洋務派官僚による台湾開発
日清戦争と台湾割譲
後藤新平
米糖経済
教育制度の拡充
日本統治の終焉
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本
交流から凋落へ
「黄禍」日本
日本人移民排斥運動、ハリマンの満鉄買収計画
ノックス満鉄中立化提議
第一次世界大戦根の参戦
対支二十一ヵ条は愚策だったか
五・四運動と対中国世論強化
ワシントン体制と日本の孤立化
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発
四分五裂
シベリア出兵に意義はなかったか
なおつづく四分五裂
「対支政策綱領」
済南事件
満洲事変へ
満洲国建国から国際連盟脱退へ
通州事件
南京事件
暴支膺懲
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択
中国茫々
佐藤鉄太郎の海洋国家思想
日英同盟廃棄の慚愧
「文明の生態史観」とアジア経済学
文明の生態史観と現代
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ
東アジア経済統合の時代
共同体とは何か
東アジア共同体は可能か
中国の地域覇権主義をどうみるか
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か
集団自衛権-保有するが行使できない?
個別的自衛権-これこそが問題である
触らぬ神に祟りなし-非核三原則
おわりに
著者プロフィール
渡辺利夫(わたなべ・としお)
拓殖大学学長。1939年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て現職。おもな著書に『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)『開発経済学の時代』(大平正芳記念賞)『神経症の時代』(開高健賞・正賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
中国、外国教材の実態調査に着手-「西洋的価値観」排除へ(ウォールストリートジャーナル日本版、2015年3月17日)
・・おろかな対応をとる中国共産党
新・脱亜論 「内なる中国」と闘え(平野聡・東京大学大学院教授、文藝春秋 SPECIAL 2015秋、2015年09月09)
・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡)
(2015年9月9日 情報追加)
<ブログ内関連記事>
「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた
■「海洋国家・日本」は大陸国家でも半島国家でもない
書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)には以下の記述がある。
書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ
書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている
■戦後日本を支配してきた悪しき思想風潮
書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか
■東アジアの国際情勢
書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」
書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」
書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない
書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける
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・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡)
(2015年9月9日 情報追加)
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「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた
■「海洋国家・日本」は大陸国家でも半島国家でもない
書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)には以下の記述がある。
「アジア太平洋問題に関する首相の私的懇談会が設置され、私も委員の一人に指名された。第一回の懇談会のゲストスピーカーとして梅棹忠夫氏が出席した。「日本が大陸アジアと付き合ってろくなことはない、というのが私の今日の話の結論です」と話を切り出して、委員全員が呆気に取られるというシチュエーションを私は鮮明に記憶している」(P.272)「ユーラシア問題に深入りするな!」というのは、海洋国家日本にとって国是とすべきなのである。これが、日本近代史から引き出すべき最大の教訓の一つである。
書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ
書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である
書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている
■戦後日本を支配してきた悪しき思想風潮
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■東アジアの国際情勢
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書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける
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