『プロパガンダ戦史』(池田徳眞、中公文庫、2015)を読むと、プロパガンダは第一次世界大戦の英国から始まり、ソ連を中心とする共産圏へと継承されていったことがわかる。
初版は1981年に出版された中公新書だが、ながらく入手不能となっていた。ようやく2015年に文庫化されて入手が容易になった。
それ以後、先駆的な取り組みを行った「日本人による、日本人のためのプロパガンダ入門」として、古典としての位置づけを与えられたわけである。
著者の池田徳眞(いけだ・のりざね)氏は、第2次大戦中には外務省ラジオ室で諸外国の短波放送を傍受する仕事を統括し、陸軍参謀本部駿河台分室で英米の捕虜を使った対敵謀略放送「日の丸アワー」を指導した人物である。
まさに生き字引というべき存在であるわけだ。
5年前に読んだがブログにアップし損ねていた。あらためて今回書いてみることにする。
■近代のプロパガンダは英国生まれ
冒頭に著者が参考にした英国のプロパガンダの原典ともいうべき『クルーハウスの秘密』からの引用が記されている。
「宣伝とは、他人に影響をあたえるように物事を陳述することである」
「対敵宣伝の3冊」として著者が紹介する本の3番目のものである。第1次世界大戦における宣伝本部「クルーハウス」の活動を、その責任者が大戦後の1920年に公表したものだという。この本については「第3章 対敵宣伝の教科書」でくわしく解説されている。
このように、対敵宣伝を意味するプロパガンダは英国で生まれ、英国で発達したものである。
さすが、エリザベス1世女王の寵臣であった17世紀のウォルシンガム卿が元祖スパイマスターとされる英国である。近代的な意味におけるプロパガンダが第1次世界大戦時の英国で生まれたのは、当然というべきかもしれない。
著者があげている『是でも武士か』は、第1次世界大戦時に日本人向けに出版されたプロパガンダ本である。「イギリスの秘密宣伝本部が日本を狙って撃ち込んできた、恐るべき宣伝弾丸である」と著者はいう。
大戦中の1916年に丸善から出版されたこの本は、その目的は「日本人のもつ親ドイツ感情を叩きつぶ」すことにあった。著者は「戦時の残虐宣伝の不朽の名著である」とする。3万5千部も売れたというから驚くべきことだ。
実際に、第1次大戦時の日本はドイツの租借地であった青島(チンタオ)を攻略、一般庶民にいたるまで反ドイツ感情が高まっている。英国のプロパガンダは大成功を収めたわけである。ちなみにこのプロパガンダ本の翻訳者は柳田國男だという。柳田の知られざる側面を見るような気がする。
「宣伝者は質問を出し、結論は相手に考えさせる、という原理をよく守っている」と著者は指摘している。「宣伝とは質問である」と。
ヒトラーが英国を礼賛していたことは、『わが闘争』を読むとよくわかる。わたしは数年前にはじめて通読して、それをつよく感じた。第1次大戦における英国の対外宣伝を知り、英国をリスペクトしていたヒトラーは、ほんとうは英国とは戦争したくなかったのだ。
■プロパガンダには国民性が反映される
「第4章 各国の戦時宣伝態度」では、先進各国のプロパガンダの特性が分類されていて興味深い。
「ドイツは論理派」「フランスは平時派」「アメリカは報道派」「イギリスは謀略派」「ソ連はイギリスの亜流」とある。
おなじ英語圏といっても、本家本元の英国とくらべると、米国は英国の極意を学んでいないのが不思議だという。どうやらある種の「国民性」の違いがクセとして現れているようだ。
よく調べてみると、イギリスは第1次大戦でも第2次大戦でも、初めから敵の崩壊過程を頭に描いていて、その線に沿って宣伝をしている。(・・・中略・・・)イギリス人の宣伝態度を煮詰めていくと、イギリスは「謀略派」ということになる。
近代的なプロパガンダは第1次世界大戦の英国から始まり、ソ連を中心とする共産圏へと継承されていったわけである。
第1次世界大戦中に起こった「ロシア革命」で生まれたソ連体制が、共産主義の宣伝を行ってきたわけだが、ソ連については、著者は「プロパガンダが上手かというと、そうでもない」という。
その理由は、英国から学んだにもかかわらず、英国が得意とする臨機応変さを欠いており、「イギリスの宣伝者には、次にどんな手を打ってくるかわからないという気味悪さがある」が、ソ連のそれにはないからだ、と。
2020年代に生きているわれわれは、ロシアによる「情報工作」にさらされているわけだが、1981年が初版の本書で指摘された点が、現在のロシアにどこまであてはまるのか、よくよく考えてみる必要がありそうだ。
もちろん、歴史的な発展プロセスを踏まえた比較検討が必要なことはいうまでもない。
■プロパガンダは日々進化している
「戦時における宣伝工作」について扱った内容だが、もちろん戦時以外の平時でも応用可能である。プロパガンダをつくる側の手の内を知っていれば、容易にだまされるはずはない。
とはいえ、プロパガンダの原型は変わらないとしても、手を変え品を変えあらたなものが投入されつづけている。
人をだますのはよくないとしても、すくなくとも自分がダマされないという心構えをもつことは現代社会に生きるうえで不可欠である。
いかにダマされないか、いかにダマされた振りをしているか、これまた日々の精進が必要であるな、と。
目 次第1章 外務省のラジオ室ロンダヴァレーへの旅ラジオ室の大活躍敝之館(へいしかん)の人びとアメリカ国内放送の傍受対敵宣伝の3冊の名著第2章 第一次世界大戦の対敵宣伝初期のプロパガンダフランスのプロパガンダドイツのプロパガンダイギリスのプロパガンダ第3章 対敵宣伝の教科書『武器に依らざる世界大戦』『是でも武士か』『クルーハウスの秘密』『対敵宣伝放送の原理』のヒント第4章 各国の戦時宣伝態度ドイツは論理派フランスは平時派アメリカは報道派イギリスは謀略派ソ連はイギリスの亜流対敵宣伝の適格者第5章 第二次世界大戦の対敵宣伝各国の放送宣伝戦ドイツ映画『オーム・クリューガー』アメリカ作の日本語新聞と伝単平時の激烈な宣伝戦ヨーロッパ破壊株式会社付録 『対敵宣伝放送の原理』参考書あとがき解説(佐藤優)
著者プロフィール池田徳眞(いけだ・のりざね)1904(明治37)東京に生まれる。徳川十五代将軍徳川慶喜の孫にあたり、旧鳥取藩主池田氏第十五代当主。東京帝国大学文学部を卒業した後、オックスフォード大学に留学、旧約聖書を研究。帰国後、外務省、陸軍参謀本部、日本赤十字社等に勤務。外務省ラジオ室では諸外国の短波放送を傍受する仕事を統括し、陸軍参謀本部駿河台分室では、英米の捕虜を使った対敵謀略放送を指導した。1993年(平成5)没。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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