昨日(2024年3月14日)のことだが、ようやく「東京都水道歴史館」にいってきた。東京都水道歴史館は、場所は文京区の本郷で、順天堂大学の北側にある。入場無料!写真撮影OK!
「ようやく・・」というのは、「都市インフラ」の「社会科見学」を個人的に行っていたのだが、下水道のつぎは水道だと思っていた矢先、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行でで入場制限がかかったため、そういうのは面倒くさいと先延ばしにしてきたためだ。
タイミング的にはギリギリセーフであった。というのも、あとから知ったのだが、公式サイトによれば、設備改修に伴う長期休館(2024年4月1日~2024年9月30日)になるとのことだ。
■水道こそ「都市インフラ」の要(かなめ)
近代の「都市インフラ」には、水道・ガス・電気・通信、そして下水道があるが、もっとも重要なのは上水道ネットワークである。水がなくては人間は生きていけないからだ。
水道といえば、古代ローマのそれが有名だ。江戸時代の日本はそれに匹敵するといっていいだろう。将軍様のお膝元の100万都市江戸の人口を支えたのは、じつに水道であった。
その江戸時代の水道システムの展示は、2Fのスペースすべてをつかって行われている。
(江戸時代の給水システムの構成要素 筆者撮影)
古代ローマでは、水道は石造りで、地上に設置された。江戸時代の日本では、木造りで、しかも地下に設置されていた。
(長屋の水道の仕組み 筆者撮影)
江戸においては、玉川兄弟の尽力によって多摩川から江戸まで玉川上水が掘削され、都市部においては地下水道が設置されたのである。水道は江戸だけではなく、各地の城下町に設置されていた。
(左から右へ。多摩川から玉川上水を経て都市部に給水 筆者撮影)
日本では都市部の水道は、最初から地下に設置されていたのである。しかも、導管の素材は木材だ。それを木樋(もくひ)という。その現物を発掘品として、この博物館の2Fの展示スペースで見ることができるのだ。
(「木樋」 筆者撮影)
もちろん、貴重な発掘品なので触ることはできないが、木樋を覗くことはできる。木材を組み合わせてつくった樋(とい)とは、すばらしい発明ではないか!
(「木樋」の導管内部を覗いてみる 筆者撮影)
とはいえ、江戸時代末期には木樋の老朽化などが原因で、水道水が濁るなどさまざまな問題が生じていたらしい。つまるところ、明治維新があろうがなかろうが、水道システムの近代化は不可避だったことがわかる。
明治時代以降の展示は1F全体をつかって展示されている。
(大名屋敷の給水システム 筆者撮影)
この博物館は、いわゆる「産業博物館」といっていいだろう。「技術史博物館」といってもいい。なにごとも「現場・現物・現実」の「三現主義」でいきたいものだ。
訪問時には「社会科見学」の子どもたちがいなかったので、思う存分にゆっくりと堪能することができたのは幸いだった。
これでようやく「都市インフラ」の社会科見学という懸案事項のひとつがまた片付いた。
(画像をクリック!)
PS 玉川上水とわたし
小学生低学年で東京の三鷹市に移住し、玉川上水でザリガニ捕りなどして遊んだ経験をもっていることもある。しかも、大学時代は小平にいたこともあって、「ラバーズレーン」という俗称ももっている玉川上水は親しく接してきた。玉川上水というと、梅雨時に太宰治が愛人と入水自殺したことで知られているが、なぜ死体がなかなかあがってこなかったかは、玉川上水で遊んだ経験をもっていので、よくわかっている。
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