勝海舟と西郷隆盛。いうまでもなく幕末から明治維新革命の時期のキーパ ーソンたちである。
この二人が「江戸城無血開城」の立役者であることは、日本人なら知らない人はまずいないはずだ。この二人のサムライが和室で対座する画像はあまりにも有名だ。
(結城素明画『江戸開城談判』(聖徳記念絵画館所蔵)Wikipediaより)
では、なぜ「江戸城無血開城」が実現したのか?
さまざまな解説がそれこそ無数になされてきたわけだが、その深い精神的意味について考えてみる必要もあるだろう。
そのヒントになるのが、勝海舟と西郷隆盛の二人に共通するキリスト教との接点だ。いずれも洗礼を受けたわけではないが、限りなくキリスト教に近づいていた人たちであることは、まだ日本人全体の「常識」となっていないかもしれない。
■勝海舟とキリスト教との接点
勝海舟が、明治になってからアメリカ人宣教師家族ときわめて親しい関係をもっていたことは、意外に思うかもしれないが、知る人ぞ知る事実である。息子の一人と宣教師の娘と結婚したことで、宣教師ファミリーとは親族になってもいた。
長崎の海軍伝習所時代にはオランダ人海軍軍人カッッテンディーケをつうじて、西洋文明の根源にあるキリスト教のなんたるかを理解していたらしい。オランダ語で出世の糸口をつかんだ勝海舟は、オランダ語で聖書を読んでいた可能性もある。
■西郷隆盛とキリスト教との接点
西郷隆盛の有名なフレーズ「敬天愛人」とは、「天を敬い人を愛す」と読めるが、ここでいう「天」は儒教的でいう「天」とはニュアンスが異なる。絶対的な存在であるが、人格神的な意味合いを帯びているとされる。
いかなるルートで入手したかわからないが、西郷隆盛は上海で出版された「漢訳聖書」を、読みこんでいたらしい。そう考えれば、「敬天愛人」の意味もより深く理解することも可能になるだろう。
そもそも「敬天愛人」という漢字四文字のフレーズは、『西国立志編』というベストセラーを生み出した中村敬宇(正直)から教えられたとされる。敬宇は幕府の儒者で、佐藤一斎の晩年の愛弟子であったが、幕府が派遣した英国留学生の監督とつとめ、それをきっかけにしてキリスト教徒になっていた。
『中村敬宇とキリスト教』(小泉仰、北樹出版、1991)によれば、敬宇は、明治元年には「敬天愛人説」という小論を漢文で書いており、静岡時代に敬宇に学んだ西郷の弟子をつうじて「敬天愛人」は西郷のものとなったようだ。西郷が「敬天愛人」をさかんに揮毫するようになったのは、明治8年(1975年)以降のことである。
主君や天皇を越えた存在である「天」。しかも儒教的な「天」そのものではなく、人格神的な意味合いを帯びた「天」を意識することで、鎌倉時代に始まる封建制を超克する可能性が拓けてくる。
無教会主義を唱えた内村鑑三が、なぜ『代表的日本人』で西郷隆盛を筆頭に取り上げているのか、その意味も見えてくるのではないだろうか。
■人格や人権という概念は日本社会から内発的に生まれてこなかった
このテーマにかんしては、『勝海舟 最期の告白』 と 『西郷隆盛と聖書』という本がある。
いずれも『聖書を読んだサムライたち』(2009年)に始まるシリーズ本で、キリスト教ライターの守部喜雅氏によるものだ。前者は2011年、後者は2018年にキリスト教出版のフォレストブックス(いのちのことば社)から出版されている。
勝海舟にかんしては、資料的な裏付けが十分にとれているが、西郷隆盛にかんしては、すくなからず憶測がまじっているのは仕方ない。
座談録である『氷川清話』に示されているように、饒舌で話を盛る傾向すらあった勝海舟と違って、寡黙でみずからを語ることのない西郷隆盛がのこした文書があまりにも少ないからだ。 したがって西郷にかんしては、あくまでも可能性の範囲にとどめておくことが必要だろう。
結論としては、「江戸城無血開城」を実現した立役者である勝海舟と西郷隆盛の二人が、ともに限りなくキリスト教に接近していたという事実は、日本人の「常識」としておきたい。
さらに、現代の日本人がつよく意識しておかなくてはならないことは、仏教や神道からは、人格や人権という近代社会の根底をなす概念は、けっして「内発的」に生まれてこなかったという事実である。
明治時代に入ってから公認されたキリスト教、とくにプロテスタントの影響によって初めて、「外発的」ではあるが、人格や人権は日本に浸透し始めたのである。この点は、『近現代仏教の歴史』(吉田久一、ちくま学芸文庫、2017)においても指摘されている重要事項だ。
とはいえ、いまだ道半ばであることは、不祥事があいつぐ状況をみれば明かであろう。外国メディアで取り上げられてはじめて問題化された事案は、ジャニーズ社による「性加害問題」をはじめ枚挙にいとまない。ガイアツ(外圧)がなければ、見て見ぬ振りをする日本人の悪癖としか言いようがない。
制度や仕組みとしての近代化はとっくの昔に完成したが、精神の内面における近代化が完全に実現していないのである。日本人は、この事実に真剣に取り合うことが必要だといわなくてはならない。
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・・「第一次グローバリゼーションの戦国時代末期に伝来したカトリックとは異なり、聖書を読むことに重きをおいていたプロテスタント諸派にとって、儒教を中心として漢学を修めていたことで武士階級は読み書きの基礎学力があった点、伝道相手としては格好の存在であったことだろう。旧武士階級、なかでも精神のよりどころを求めていた没落士族にとっては「干天の慈雨」というべきものだったのだろう。武士として仕えるべき主君を失い、渇きを求めた精神は水を吸うようにキリスト教を吸収したのであった。」
・・「彼の生涯は、西欧近代文明の粋を家職である砲術から始め、佐久間象山のもとで学んだ蘭学をつうじて西欧の社会制度全般、そして最後は新島襄をつうじてキリスト教まで至ったものであるということもできよう。工学から自然科学、社会科学、そして精神科学という道筋ということもできるだろう。」
・・キリスト教徒ではないが、英国のケンブリッジ大学で西洋中世史を専攻した白洲次郎は、ヨーロッパ精神のなんたるかを骨身で理解し、体現した生き様を貫いている
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