アメリカ占領軍による「WGIP」が、戦時中の日本人の行為をことごとく否定し、戦後の日本を歪めた元凶である。そんな言説が流行しだしたのは、いつの頃からだったろうか?
「保守」を自称する人たちのあいだで拡がった「自虐史観」、その根幹をなすのが「東京裁判」と「WGIP」だ。「WGIP」は War Guilt Information Program の略であるが、根拠が不確かな言説であり、わたしは距離をおいて眺めてきた。
「WGIP」を学術的な立場から研究してきたのが、日本政治外交史を専攻し、占領史を研究してきた賀茂道子氏である。その著書『GHQは日本人の戦争観を変えたのか ―「ウォー・ギルト」をめぐる攻防』(光文社新書、2022)をはじめて読んでみた。法政大学出版局から出版した研究書をベースの再構成した新書版である。
まずはっきりさせておかなくてはならないのは、文芸評論家の江藤淳が「WGIP」について言及したので、その名称が日本では一般化して独り歩きを始めたのだが、「WGIP」は「WGP」というべきであること、しかも役割が段階的に縮小していったのが実態であったことである。
さらに重要なことは、「WGP」は「検閲」ではないということだ。私信の開封や映画の検閲を行っていたのは「民間検閲支隊」(C.C.D. )であり、「WGP」を実行していた「民間情報教育局」(C.I.E. )は、あくまでも「サジェスチョン」という形で占領下の日本メディアを「指導・監督」していたのである。「指導・監督」される側の受け取り方はさておき、法的な根拠にもとづく「命令」ではなかった。 「検閲」と「WGP」を混同してはならない!
わかりにくいのが、「ウォー・ギルト」(war guilt)というコトバと概念だ。戦争にかんする法的責任のことではなく、道義的責任のことを指しており、戦争そのものと具体的な戦闘行為にともなう「罪責(観)」にかんするものだ。
占領軍にとって理解しがたかったのが、敗戦当時の日本人の「ウォー・ギルト」の欠如であったようだ。「原爆投下」による大量虐殺を批判している日本人が、一方では「捕虜虐待」の事実を知らず罪責観(sense of guilt)を欠いていたことに、アメリカ人は激しくいらだちと怒りを感じていたらしい。
だからこそ、敗戦国の国民である日本人を「啓蒙」しなくてはならない、「教育」しなくてはならないという、上から目線の「使命感」を抱いていたらしいのだ。
日本軍による捕虜虐待の話は、さすがに現在では日本においても「常識」となっており、事実そのものを否定する日本人はいないだろう。BC級戦犯をめぐる問題は、日米双方で見解の相違があるものの、比較的公平な目で、主体的にものを見ることができるようになっているといっていいだろう。
その意味では、「WGP」の意義もあったかもしれない。だが実際には、プログラムの一環であったラジオ番組の『真相はかうだ』なども、日本人視聴者からの反発もかなり大きかったらしい。けっして日本人が、おとなしくプロパガンダに「洗脳」されたわけではないのである。
ちなみに、映画製作における「検閲」は、先にも書いたように「WGP」ではなく、「民間検閲支隊」(C.C.D. )の所管であった。
「WGP」を実行していた「民間情報教育局」(C.I.E. )は、その主たる任務は「教育改革」であり、「WGP」の役割が縮小してからは日本の教育改革に重点がうつることになる。戦後の教育改革の功罪については、「教育改悪」であると述べたい気はあるが、ここでは省略することにしよう。
そもそも、「言論の自由」を推進するはずのアメリカ人が、報道内容に介入することは、明らかに矛盾しているわけであり、「民間情報教育局」の担当官たちにとっては、なかなか悩ましいものがあったようだ。「主体的に受け入れる」よう仕向けるのは、広告マーケティング的手法を採用しても、クチで言うほど簡単ではない。
むしろ問題とすべきは、占領軍の意向に沿って、いやそれに尻馬に乗る形で「自虐」的で「反日」的な主張を増幅させ、声高に主張するようになった日本の知識人や文化人、マスコミ界や教育界の人間たちである。現在につながる宿痾(しゅくあ)が始まったのが「占領時代」なのである。
したがって、本書『GHQは日本人の戦争観を変えたのか 』を通読して、結論としていえることは「WGP」を過大に評価することは、「事実」を誤って理解することにつながってしまう、ということだ。 諸悪の根源であるというのは過大評価である。
もちろん、わたしも占領軍の政策については、その功罪両面について論じる必要があると考えている。だが、鬼の首をとったかのように「WGP」について語る人たちの言説に違和感を感じてきたのは、根拠のある話だったのだな、と。
江藤淳の『占領軍の検閲と戦後日本 閉ざされた言論空間』(文春文庫、1994)を読んだのはずいぶん昔のことになるが、あくまでも「検閲」によって「私信を開封して中身を盗み見ていた」という内容の本だと理解していた。世論調査の代替としてである。「WGIP」の話は主要なトピックではなかったので、記憶にはなかった。
アメリカに対する見解は人さまざまであろうが、「反米」でも「拝米」でもなく、「知米」であることが望ましい。米軍による占領時代については、松本清張の小説に描かれているように、当時から陰謀論が渦巻いていたわけだが、あくまでもファクトベースで是々非々の態度で理解する必要がある。
現在の日本が「占領時代」後にあることまで否定できないのである。歴史を書き直すことはできるが、それはあくまでも「解釈」についてであって、「事実」そのものを書き直すことはできないのである。
あらたな「事実」が発掘されると、「解釈」の変更も必要になってくる。時代が変わればまた、「事実」の「解釈」も変化するのである。
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目 次まえがき第1章 なぜ「ウォー・ギルト」なのか第2章 戦争の真実が知りたい第3章 戦争から日常へ第4章 「ウォー・ギルト」の本質に向き合う第5章 映像の中のBC級戦犯あとがき主要資料
著者プロフィール賀茂道子(かも・みちこ)名古屋大学大学院環境学研究科・特任准教授。名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。専門は日本政治外交史、占領史研究。著書に『ウォー・ギルト・プログラム―GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版局)。主な論文に「戦後史の中の『押しつけ憲法論』」(『対抗言論』1号, 2019年)「占領初期における新聞懇談会の意義」(『人間環境学研究』15巻2号, 2017年)「ウォー・ギルト・プログラムの本質と政治性」(『同時代史研究』第8号, 2015年)など。(出版社サイトより)
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・・現時点(2026年8月9日現在)では、英語版はない。あくまでも日本の言論空間におけるイシューということなのであろう
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