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2026年7月5日日曜日

「アメリカ独立250年」の2026年は「アダム・スミスの『国富論』250年」の年でもある!(2026年7月4日)― 資本主義の機能不全が顕在化しているいま「倫理学者」であったアダム・スミスに注目すべき

 

 7月4日は「インデペンデンス・デイ」(Independence Day)アメリカ合州国の「独立宣言」が発せられた日である。 

実際に独立したのは7年に及ぶ独立戦争を経てからのことだが、記念日として重要なのは7月4日である。 

ことし2026年は「独立宣言」が発生されてから250年の記念すべき年である。アメリカの誕生日である。ハッピーバースデー!

「250年祭」は Semiquincentennial(セミクインセンテニアル)というらしい。ほとんどラテン語そのものだな。この単語はおそらく今回限りで見ることもなかろう。実際につかわれているのを聞いたこともないし、ラテン語の素養がなければ語彙力の豊富なアメリカ人でも理解不能だろう。

いまから50年前は「アメリカ独立200年」であった。南部のジョージア州の出身で庶民派とみなされていたジミー・カーターが大統領であった。そのときわたしは中学2年生だった。

学校の授業と平行して受講していた『NHKラジオ 続基礎英語』を受講していた。日本人講師とマーシャ・クラカワーさんとジャン・マケイレブさんの2人のアメリカ人のトリオだった。

ところが、中学2年の学力をはるかに越えた難しさに、えらく戸惑ったことを覚えている。内容もでてくる語彙も極めつきにむずかしい。中学1年生のときに聴いていた『NHKラジオ基礎英語』とは段違いの難しさだった。中学3年生のときには『NHKラジオ英会話』を受講したが、えらく簡単に感じられたものだ。

「200年祭」を意味する bicentennial(バイセンテニアル)という英単語を知ったのはそのときであった。「100年祭」ば centennial なので、接頭語の  bi をつけて2倍にするということ。だが、この単語はその後ふたたび目にしたことがない。ふつうのアメリカ人のボキャブラリーにはないのだろう。


(英economist誌のカバー)


250年目の節目がドナルド・トランプ大統領であることが批判のまとになっているが、50年前の200年祭の節目のときは、はたしてどうだったのだろうか?

1976年時点では新鮮なイメージのあったカーター大統領だが、その3年後の1979年に起こった「イランの米大使館占拠事件」のハンドリングのまずさが大きな批判を生んだことは、鮮明に記憶している。カーター政権は1期で終わった。


■「アメリカ独立250年」は「アダム・スミスの『国富論』250年」の年でもある!


1776年はアメリカの「独立宣言」だけではない。経済学の古典であるアダム・スミスの『国富論』(The wealth of Nations 諸国民の富)が英国で出版された年であることも記憶しておきたい。 






「独立宣言」が発せられた1776年、『国富論』が出版された

米国で「独立宣言」が発せられた1776年、この年に英国では分厚い二巻本が出版されて いた。アダム・スミスの「国富論」だ。

「国富論』(=ウェルス・オブ・ネーションズ)は、「近代経済学」の原点として有名だが、アダム・ スミスは、「国富論」の最終章の末尾で、国民経済全体の立場からすると、植民地からの税収 より植民地維持コストが上回っているのであれば、北米植民地の分離が望ましいという意味の 発言を行っている。それは、18世紀当時の英国もまた追求していた「重商主義」に反対する立 場からする主張であった。 特権層ではなく、国民経済全体の立場からする発言である。

植民地貿易独占の結果は、すでに明らかにしたとおり、国民の大多数にとって、利益どこ ろか、もっぱら損失のみだったからである。(中略)そして、もし、大英帝国のどの領土に せよ、帝国全体を支えるために貢献できないのなら、いまこそ大ブリテンは、戦時にこれらの領土を防衛する経費、平時にその政治的・軍事的施設を維持する経費からみずからを 解放し、未来への展望と構図とを、その国情の真にあるべき中庸に合致させるように努めるべき秋(とき)なのである。
 (出典:「国富論Ⅲ」(大河内一男監訳、 中公文庫、1978年) 

「国富論」は、右の一節で終わっている。じっさいに、アダム・スミスが示唆したとおり、米 国は「独立宣言」を行い、7年間におよぶ長く苦しい戦いをへて分離独立を達成した。

アダム・スミスといえば、日本でも「見えざる手」がいちばんよく知られているように、「市 場経済」の守護者とみなされ、米国では大歓迎されることになった。政府による規制を撤廃し た、「レッセフェール」(=自由放任)による自由競争は、ミクロ的にみた個人の「私欲」が、 マクロの全体で見たら「公益」になるという発想である。この発想が、米国を根底で支えてい 自由主義経済とビジネス中心主義を正当化してきたのである。

だが、経済学者である前に、そもそも倫理学者であったアダム・スミスの発想は、むきだし 「欲望」を礼賛するものではなかった。「国富論」の末尾の文章のなかにあるように、「中庸」 のを説いているのである。この点を無視した都合のよい解釈によって、米国資本主義は貪欲 に富を追求して発展したといえるかもしれない。(・・・以下省略・・・)


現在の米国では、ニューヨーク市長に社会主義者(!)のマムダニ氏が当選したように、行き過ぎた資本主義の弊害が顕在化してきている。 

こんな時だからこそ、あらためてアダム・スミスのことを想起する必要があるだろう。 アダム・スミスが『国富論』を出版したのは1776年、その8年前に出版したのが『道徳感情論』であった。

アダム・スミスは倫理学者だったのである。 経済人は経済倫理について考えることが必要なのである。 


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