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2026年5月30日土曜日

明治時代の人物をめぐる「井上円了/森鴎外/黒田清輝/横山大観」のウォーキングツアー(2026年5月30日) ― 「点」と「点」を結んだ線上に、あらたに「点」が浮上するという得難い体験をした

(「文京区立 森鴎外記念館」 筆者撮影 以下同様) 


 昨日(2026年5月30日)のことだが、ひさびさに文京区から台東区に向けてウォーキングツアーを実施した。

テーマは、近代日本と明治時代の人物。移動距離は Google Map で約5キロ強。 いままで訪れたことのなかった「点」と「点」を結んだルートを歩いて移動していくのである。

東京都内は環状線である山手線や中央線を除くと、南北方向の移動は地下鉄のネットワークが発達しているが、東西方向の移動はバスやタクシーに乗るか歩くしかない。 



■井上円了から横山大観まで

出発点は「井上円了記念博物館」、終点は「横山大観記念館」。前者は文京区の東洋大学のキャンパス内、後者は台東区上野の不忍池に面した池之端にある。いずれも今回がはじめての訪問だ。 

(「井上記念館」を前に立つ井上円了の銅像)


東洋大学は四半世紀ほど前に一度訪問しているが、2005年に設置されたという「井上円了記念館」の存在はまだなかった。 

井上円了(1858~1919)は、仏教界出身の哲学者で妖怪研究でも有名な人

哲学者として釈迦・孔子・ソクラテス・カントを「四聖」として尊敬、東洋大学の前身である哲学館を設立している。


(入口にある「四聖」)


記念博物館は、入場無料で小スペースだが充実した内容である。 井上円了がつくった「哲学堂」はまだ訪れたことがないので、いずれ行ってみようと思っている。その際にあらためて井上円了について取り組んでみたい。


(井上円了とツーショット)


*****

 横山大観(1868~1958)は、近代日本において「日本画」を大成した巨匠である。

つい最近まで「横山大観記念館」の存在も、横山大観が長年にわたって不忍池の西端にある池之端に住んでいたことも知らなかった。まったくもって迂闊な話である。 


(池之端にある「横山大観記念館」)


「横山大観記念館」は、アトリエ兼住居の数寄屋造りの日本建築で、空襲で焼けたあとに再建されたもの。大観は池之端には50年近く住んでいたらしい。入場料1000円。

再建された日本家屋と日本庭園が文化財に指定され、記念館として開館してからことしがちょうど50周年になるらしい。

「開館50周年記念」ということで、「大観の描く人物」という企画展が記念館で開催されていた。

チラシの表に掲載されている「寒山拾得」など、江戸時代の曾我蕭白(そが・しょうはく)が描くような奇っ怪な老人2人ではなく、そこらへんにいるような若い兄ちゃん2人が肩を組んで笑っている風情の明るい図柄で描かれており、寒山拾得のイメージを裏切る作品になっている。

見ているだけで愉快になってくる。なかなか面白いではないか! 大観は霊峰富士だけではない。




屏風絵や軸装された日本画は、美術館ではなく畳を敷いた和室で鑑賞するのがふさわしい。 
絹本着色の絵画もガラスケース越しではなく、じかに見ることができたのはありがたい。

また、数寄屋造りの和室なので、正座するにうせよ胡座をかくにせよ、畳の上に腰を下ろして見るその視線の位置が「日本画」の鑑賞にふさわしいと実感する。


(和室なので靴は脱いでバッグに入れて自分で持ち運ぶ)


畳の生活が消えていった現代日本では、「日本画」は難しいだろう、そんなことも体感した。 


(室内から庭を見る)



*****

話は前後するが、出発点と終点のルート上に「黒田清輝記念館」を入れておいた。

「黒田清輝記念館」は、藝大前にあるということをつい最近まで知らなかった。藝大前の道路に面した上島珈琲のカフェは目に付くのだが、その後ろのレンガつくりの建築物が、まさか黒田清輝記念館だったとは・・・。 




入場料無料の記念館に入って、黒田清輝とその師でであるフランス人画家による「洋画」の展示スペースを見て回ったが、とくに印象はない。

黒田清輝(1866~1924)は、フランスに留学して日本に本格的な洋画の技法をもたらした人物であるが、正直いって訴えかけてくるものがまったくない。現代から見たらアマチュア画家の好みそうな画題と画風である。

横山大観と比較するのは酷な話かもしれないが、「日本画」と「洋画」のジャンルとは関係のない話である。


*****

藝大前から上野公園をとおって不忍池の弁天様をお詣りしてから池之端の「横山大観記念館」に向かったわけだが、弁天様に祀られているのが宇賀神(うがじん)であることを知った。

とぐろを巻いた蛇体に老人の顔がのっかっているという、奇妙な形態をした神さまが賽銭箱のまえに鎮座している。 


(不忍池の弁天様に祀られた宇賀神)



■「森鴎外記念館」に遭遇したのは今回の最大の収穫

話は前後するのだが、今回の最大の収穫は「森鴎外記念館」をはじめて訪問できたことだ。 

「井上円了記念博物館」から「黒田清輝記念館」を結ぶルートは、本駒込から千駄木、谷中を抜けるルートにあるのだが、千駄木に近い団子坂に「森鴎外記念館」があった。 




いまから16年間の2010年まで文京区の千石に住んでいたので、白山から団子坂を下って千駄木にかけてはよく歩いていたのだが、まさか「森鴎外記念館」があったとは! 

以前はもっと別の場所にあったはずなのだが・・思いながらも、想定外の「点」との遭遇を喜び、さっそく入場する。入場料600円。 

記念館の建築は、外観だけでなくコンクリート打ちっ放しの館内も、なかなかイケてる。日本芸術院賞受賞だという。記念館ができたのは2012年に開館したということを知って、どうりでいまのいままで知らなかったのだと納得。 

ちょうど「特別展 近代文学で読む文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」が開催中で、まさに団子坂にあった森鴎外の旧居である「観潮楼」の跡地に建設された、森鴎外記念館にふさわしい企画である。 




来場者の大半は、「特別展」ということもあろうが、文学好きであろう女性がほとんどだった。もちろん自分も「特別展」の展示は大いに堪能。特別展の図録も購入。これは文学散歩のよきガイドになるので、新書サイズのものも出したらよいのではないか? 

あわせて森鴎外関連の「常設展」もじっくりと見ることができたのは、鴎外ファンとして大いに有意義であった。

というのも、夏目漱石の「漱石山脈」につならる文学者たちよりも、森鴎外とその影響圏のほうが自分としては好みなので。鴎外に連なる人びととは、与謝野鉄幹・晶子夫妻や永井荷風、木下杢太郎などがその代表である。 


(団子坂を下って上野に向かう)


*****

というわけで初夏の一日、近代日本の明治時代の人物を「点」と「点」を結んだ線上を歩いていて、あらたに「点」が浮上するという得難い体験をもった一日であった。 




まだまだ訪れたことのないスポット(点)が多いので、そのときに興味や気分に応じて、これからもいろいろ歩いてみたいと思っている次第。 (終わり) 


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2026年5月27日水曜日

「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」(サントリー美術館)に行ってきた(2026年5月27日)― 日本よりも海外で高く評価され愛好されてきた天才画家の最大コレクション

 

「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」(サントリー美術館)に行ってきた(2026年5月27日)。河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)は、幕末から明治時代にかけて活躍した天才画家である。

ありとあらゆる画題を縦横無尽に描きまくった曉斎、その全貌を現時点では世界最大のコレクションから精選して出品されている。

曉斎については知っていても、一部しか見たことのないわたしにとって、今回の企画展は大いに期待していたものであり、その期待はまったく裏切られることはなかった

ほぼ同時期に見た日本の明治時代後期の洋画家の作品があまりにも陳腐で、まったく取るに足らぬほど印象の薄いものと感じたのもむべなるかな。天才と秀才の違いである。


(パンフレットの裏)


河鍋暁斎といえばカエルである。カエルの学校、カエルの行列、カエルどうしの戦争などなどの戯画や諷刺画。 3歳のときに最初に描いた絵がカエルだったというエピソードがある曉斎ならではである。

『河鍋暁斎戯画集』(山口静一/及川茂編、岩波文庫、1988)のカバーには、人力車を引くカエルと、人力車でふんぞり返っているカエルが描かれている。戯画であり、明治時時代初期の風俗を諷刺したものであるが、なんと生き生きとしたカエルであることか!





■日本よりも外国のファンの多い暁斎

今回の企画展は、「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」というタイトルにあるとおり、ゴールドマン氏のコレクションの日本公開である。

イスラエル・ゴールドマン氏は英国人の美術商で、日本版画を中心にディールしているそうだ。暁斎に惚れ込んで、現時点では世界最大のコレクターとなっている。

どうも河鍋暁斎は日本では正統の美術史から除外されてきたようだが、生前から外国人のファンが多いようだ。

「奇想の系譜」で有名な美術史家・辻惟雄氏が単独執筆した『日本美術史』の英語版の表紙カバーには、なんと北斎ではなく暁斎のカエルの戯画が使用されている。日本語のオリジナル版にも収録されている大英博物館蔵の作品である。

それほど、河鍋暁斎は外国受けする日本人画家なのであろう。




『日本の開国  ―  エミール・ギメ あるフランス人の見た明治日本(知の再発見双書54)』(創元社、1996)によれば、日本の宗教事情の調査のために来日した実業家のギメと同行した画家のフェリックス・レガメは、二人で暁斎を訪問している。

北斎没後では最高の日本人画家として暁斎を評価しており、河鍋暁斎とレガメの日仏両国の画家は、お互いの似顔絵を描いてエールの交換までしているのだ。スケッチをするレガメの姿は暁斎が描いたものであり、上掲書に掲載されている。


(曉斎が描いたレガメ wikipedia英語版より)


外国人の曉斎ファンといえば、なんといっても特筆すべきは、「日本の西洋建築の父」あるいは「日本近代建築の父」と称されるジョサイア・コンドルであろう。好きが高じてなんと暁斎に弟子入りまでしているのだ。

このことは、一昨年のことだが、はじめて駒込の「古河庭園」を訪問した際にはじめて知った。

三菱財閥の別邸である古河庭園の庭園内のレンガ造りの洋館はコンドルの設計で、館内には暁斎とコンドルとの師弟関係を示した展示品があった。暁英(きょうえい)と名乗ることを許されたコンドルの日本画は、玄人はだしであることに驚かされた。

その後、品切れになっていた 『河鍋暁斎』(ジョサイア・コンドル、山口静一訳、岩波文庫、2006)に重版がかかったのでさっそく入手し、その全貌について知ることができたという次第。コンドルにかんしては、建築家としてだけでなく、河鍋暁斎のコレクターで、しかも日本画家でもあったことも知っておきたい。




おそらくユダヤ系であろうゴールドマン氏も、ジョサイア・コンドルとおなじく英国人である。河鍋暁斎好きは意外なことに英国人好みなのだろうか? 

ゴールドマン氏のコレクションには、「旧ジョサイア・コンドル所蔵」のものだけでなく、「福富太郎所蔵」のものも含まれている。浮世絵コレクターとしても著名だった「キャバレー王」福富太郎である。ゴールドマン氏は、会場で上映されていた動画の挨拶で福富太郎のことを熱く語っていた。曉斎愛は国境を越える。

今回展示されている屏風絵仕立ての「百鬼夜行図」は、旧福富太郎コレクションである。こういう愉快な絵を見ていると、2020年代の日本人のほうが、暁斎をよく理解できるのかもしれないと思う。マンガやアニメにどっぷり浸かって育った現代日本人には、まったく違和感など感じさせないのである。

ゴールドマン氏は、コレクションを大英博物館に寄託しているとのこと。自宅で密かに楽しむのなんてケチくさいことはしないというのが素晴らしい。



北斎が自称「画狂人」なら、暁斎は自称「画鬼」(ガキ)

行きの電車のなかで村松梢風の『本朝画人傳 巻四』(中公文庫)所収の「河鍋暁斎」を読んでおいたが、これは正解だった。

まずは奇想の浮世絵師・歌川国芳に弟子入りし、そのつぎに正統派である狩野派で基礎をきっちり学び、その後は独自にさまざまな流派の画法を研究して自分のものとしたことを知った。

河鍋暁斎が少年時代の狩野派で学んでいたころ、川に流れてきた生首を写生したエピソードなど、なるほど「画鬼」(がき)と自称した曉斎ならではである。北斎が自称「画狂人」であるなら、暁斎は自称「画鬼」(ガキ)であったわけだ。

ちなみに「画鬼」(demon of painting)をタイトルにした企画展が開催されていたようだ。
Demon of Painting: Art of Kawanabe Kyosai,  Timothy Clark, 1993 という図録が出版されている。



英語版の wikipedia の河鍋 暁斎の項にはこうある。


Kawanabe Kyōsai (河鍋 暁斎; May 18, 1831 – April 26, 1889) was a Japanese painter and caricaturist. In the words of art historian Timothy Clark, "an individualist and an independent, perhaps the last virtuoso in traditional Japanese painting".


「伝統的な日本絵画の最後のヴィルトゥオーゾ」という評価である。ヴィルトゥオーゾとはイタリア語で巨匠のことだ。

そんな曉斎は、旺盛な好奇心の持ち主であり、ありとあらゆるものを観察して写生し、そのイメージをアタマの引き出しに蓄えていたからこそ、どんな画題であろうと即座に描き下ろすことが可能だったのだ。

構想を練ってから取り組んだ大作だけでなく、いわゆる鑑画会で即興で描き下ろした作品にもすばらしいものがあるのはそのためだ。



■狩野派最後の天才画家であった狩野芳崖


帰りの電車内でおなじく『本朝画人傳 巻四』(中公文庫)所収の「狩野芳崖」を読んだ。

狩野芳崖は、狩野派最後の天才画家とよばれていて、フェノロサと岡倉天心による「日本画」構想の重要な担い手と期待された人物である。

『本朝画人傳』の中公文庫版は、没年でそろえて再編集されているので、1889年に58歳で亡くなった河鍋暁斎のすぐ前に、1888年(明治20年)59歳で亡くなった狩野芳崖が収録されている。

じつは、河鍋暁斎(1831~1889)と狩野芳崖(1828~1888)は、ほぼ同時代生きた画家なのである。

しかも、この二人の天才画家には、意外なことに共通点も少なくない。二人とも狩野派の出身であることだけでなく、奇人変人の類いの芳崖ほどではないが、曉斎も能の愛好家あったことなどがそうだ。

さらにいえば、曉斎も芳崖も、二人とも外国人によって高く評価されたことは特筆すべきだろう。前者は英国人のコンドル、後者は米国人のフェノロサである。

とはいえ、あらゆる流派の画法を身につけた河鍋暁斎が明治時代に入ってからも大いに受けまくっていたのに対して、徳川幕府の崩壊とともに大名というパトロンを失った狩野派の狩野芳崖は、貧乏のどん底で苦しんでいた。

そんな芳崖の「仁王捉鬼図」が、『本朝画人傳 巻四』のカバーに採用されている。


(狩野芳崖の「仁王捉鬼図」)


芳崖といえば、完成間際で亡くなったことで遺作となった「悲母観音」(ひもかんのん)が有名だが、「仁王捉鬼図」における仁王がその首をつかんでいる鬼の苦悶の表情は、ほとんどマンガである(笑)

河鍋暁斎と狩野芳崖が、いっしょに論じらることなどほとんどないようだが、意外に似たようなテイストも示しているのが面白い。2020年の現時点で見ると、作品を作品として虚心坦懐に見ることができるようになるのかもしれない。

岡倉天心という権威づけもあって、オーソドックスな「日本美術史」に位置づけられいる芳崖と違って、正当に評価されてこなかった曉斎だが、そういった権威づけとは関係なく、作品本位で評価することがいかに大事なことか。この点は、とかくブランド(=名前)で判断しがちな日本人は、大いに反省すべきであろう。

日本サイドが海外に売り出したい画家、日本サイドの意向にかかわりなく海外勢のお気に入りの画家。この両者には大きな違いがある。現代では村上隆など、その代表的存在であろう。

美術品は、その作者の死後ほんとうの評価が定まる。生前に評価されても死後忘れ去られてしまう流行画家。死後だいぶたってから再評価される画家。死後のことなど誰にもわからないが、アーチストにとってはひたすら自分の思うままに作品をつくることのみ。






今回はミュージアムショップでマグネットを3ケ購入。今回はめずらしくマグネット愛好家のわたしの趣味にあった作品がマグネット化されていたのはうれしいことであった


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PS 美術コレクターとしての福富太郎

曉斎のコレクターでもあった福富太郎についてもっと知りたいと思って資料を探していたら、『 芸術新潮 2021年5月号』で「キャバレー王は戦後最高のコレクター 「福富太郎」伝説」が特集されていることを知り、さっそく入手して読んでみた。


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福富太郎氏は、すでに2018年に亡くなっている。その生前に暁斎のコレクションを一括してイスラエル・ゴールドマン氏に譲渡したようだ。

美術コレクターとしての福富太郎については、もっと知られていい。

(2026年6月7日 記す)




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■日本人よりも外国人が高く評価してきた日本人画家

・・明治時代の日本美術発見者であるフェノロサとビゲローによる収集品は、その大半がボストン美術館に収蔵されている

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007) 
・・テーマ性で収集したジョブズやドラッカーとは異なり、埋もれていた一人の絵師の作品に惚れ込んだアメリカ人コレクターによるコレクション


■日本美術のコレクターたち

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館)に行ってきた(2015年5月28日)-水墨画を中心としたコレクションにドラッカーの知的創造の源泉を読む 
・・青年期まで過ごしたウィーンやフランクフルトなどで接していた、第一次世界大戦と同時代の「ドイツ表現主義」が実現できず終わったことを、すでに江戸時代の日本人が禅画で実現していたとドラッカーは言う。「写実」ではなく「写意」として

・・「新版画」の橋口五葉や川瀬巴水



■その他の日本美術






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2026年5月20日水曜日

「2026年千葉開府900年」!? ― 2026年になってからすでに半年近くたっているのに、まったく知らなかったとは!(2026年5月20日)



昨日のことだが、ひさびさにJR千葉駅で下車して駅の外にでたら、いきなり「2026年千葉開府900年」という看板が目に飛び込んできた。 

「千葉開府900年」!? ということは、ことし2026年からさかのぼること900年前の1126年に千葉が開かれたということ? 

調べてみたら「公式サイト」まであるではないか!  

2026年になってからすでに半年近くたっているのに、まったく知らなかったとは! 

「千葉開府900年」なんてフレーズは、目にしたことも耳にしたことも、マジでただの一度もなかったのだ。 

市川や船橋(それに習志野や八千代)などの住民は「千葉都民」と言われることも少なくないのだが、実際に目は西側にある東京にしか向いてないのである。 だからなんだろう。

とくに用事がなければ「千葉県の県都である千葉市」にいくことなど、まずないと言い切っていい。幕張も行政的には千葉市ではあるが、「千葉」に行くという意識はない。 

現住所の千葉県船橋市の住民になってからすでに16年近くたつし、それ以前の八千代市時代もも含めたら千葉県民としての自分史は30年を下らないはずだ。 

それでも、「千葉開府900年」など「オレには関係ねえ」(笑)という感想しかない。 

「千葉城」のある千葉市をのぞいて、その他の千葉県民にとっては、あまり縁のないことなのかもしれないのかもね。 



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