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2009年8月29日土曜日

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・ 



メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・

 編集者という、著作家にとっての伴走者が、本来まとっている黒衣を脱いで著作成立の舞台裏を明かしてくれた四部作の最後が完結した。

 著者は、岩波書店の元社長であるが、経営者としての立場よりも、編集者の立場としての回想録である。

 四部作は、全体の回想を皮切りに、文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄と、新しい時代の「岩波文化人」を形成した、知の変革者三人との出会いと伴走の記録である。

 本書は、その中でも特に私が心待ちにしていたものであった。

 いわゆる「岩波文化人」とは、岩波書店の創業者である岩波茂雄が、戦前の旧制高校の人脈をフルに活用して形成した、哲学・思想を中心とした文化人の山脈のことである。「●●講座」という形の出版物によって権威としての知を確立し、長く君臨してきた。

 1963年に岩波書店に入社した著者は、硬直したアカデミズムの象徴ともいうべき「岩波文化」的なものを否定することを、編集者としての自らの使命とした人である。

 その活動のなかで、山口昌男、中村雄二郎、河合隼雄といった、新時代の知的旗手ともなるべき人たちと協力し、優れた書物を世に送り出してきた、いわば変革の仕掛け人である。ここに名前を出した人たちは、結果として「新・岩波文化人」といってもいい存在となったことはいうまでもない。

 強烈な個性の持ち主であった創業者の死後、守成の状態にあった出版社において、著者である大塚氏は過去の遺産としての伝統を否定し、伝統を再創造するという行為をつうじて、経済学者シュンペーターのいう"創造的破壊"を成し遂げたことになる。

 『河合隼雄 心理療法家の誕生』は、まさにメイキングものといってよい内容である。

 伝記的内容については、著者自身が聞き手となってとりまとめた回想録『未来への記憶 上下』(岩波新書、2001)と、河合隼雄が自らを語った『深層意識への道』(岩波書店、2004)をベースにしている。これらの本をすでに読んだ人にとっては、すでに知っている話が何度もでてくるので物足りないかもしれない。しかし、編集者としての著者がさまざま形で自伝的内容を補っており、異なる視点から河合隼雄の人生の軌跡を読むことが可能になる。

 丹波篠山(ささやま)に生まれた一人の日本人が、電気、数学を学んで高校の数学教師となり、研究テーマとしてロールシャッハテストに打ち込んだ結果アメリカに留学、そこでユング派の心理学と出会い、さらにはスイスのユング研究所で3年間格闘、日本に戻ってからは箱庭療法はじめ、臨床家として心理療法の普及に精力的に従事しつつ、数々の著作でもって、日本人とは何かということを考えるためのヒントを与え続けてくれた、何かに導かれるようにして"アレンジされた"河合隼雄という人生

 "臨床の知"、"実践的知"、表現方法にはいろいろあるだろうが、新たな知のスタイルとして河合隼雄が実践してきた人生の軌跡は、ビジネスマンの私も大きな影響を受けてきた。

 人生というものは、実に不可思議なものだ。著者とともに河合隼雄の人生を振り返ることで、あらためて大きな感慨を覚えている。

 たまにはゆっくり本を読むのもいいものだ。


   






bk1書評「メイキング・オブ・河合隼雄、そして・・・」 投稿掲載(2009年8月25日)

*再録にあたって、一部字句の修正と書名の誤りを訂正した。






<書評への付記>

 文化人類学者の山口昌男、哲学者の中村雄二郎、心理療法家の河合隼雄、これらの人たちが中心となった、『叢書 文化の現在』(岩波書店)は、図書館で借りて大学時代から読んできた。

 背後にあってプロデューサー的役割を演じてきたのが大塚信一氏であったことは、数年前まで知らなかった。優秀な編集者の存在なくして、このような事業は成立しえないことを、もっと認識しなければならなかったのである。われながら、まったくもってうかつなことだ。


「新・岩波文化人」の特性

 いずれも、ストレートに脇目もふらずにアカデミックな道に進んで、象牙の塔で純粋培養されてきた人たちではない

 山口昌男(1931-)は東大文学部国史学科を卒業して、私立高校の日本史の教師から出発した人。日本史の授業では黒板いっぱいに得意のマンガを描いて、生徒を引きつけていたという。

 中村雄二郎(1925-)は、東大文学部卒業後、文化放送(TBSラジオ)で番組製作のプロデューサーをしていた人。激務で過労のため失明寸前までいったらしい。

 河合隼雄(1928-2007)は、京大理学部数学科を卒業して、私立高校の数学教師から出発した人。熱血教師だったらしい。

 実社会経験が、隠し味というわけではないが、その学問にはプラクティカルな匂いがあり、著述もあくまでも軽やかなスタイルが身上。重々しく権威的なものとは、まさに対極に位置したといえる。

 いずれも西洋社会とは正面から対峙しているが、単なる輸入学問を越えて、日本人が日本人という主体的な立場から構築した学問は、旧来の講壇アカデミズムとは一線を画し、その後の学問のあり方の流れを作り出したことは大きな功績である。

 実際、もはや単なる翻訳紹介が学問とはいえないことはこの国では自明のはずなのだが、学者の実績には、外国書の日本語訳がカウントされても、自著が外国語に翻訳されても業績にはカウントされないらしい。旧態依然の文部科学省の動脈硬化的対応である。嘆かわしや。

 サル学や日本的経営のように、日本に研究フィールドがある分野では、世界的な研究分野に成長している。観察の場が手近なところにあるというのは圧倒的に有利である。

 ちなみにサル学は河合隼雄の兄である河合雅雄が開拓者の一人。アフリカのゴリラの生態研究で著名である。犬山のモンキーセンター所長など歴任した、日本のサル学を世界的レベルに引き上げた功労者である。


岩波書店で行われた「天皇制」をめぐる山口昌男と網野善彦の活字化されるこののなかった対話

 文化人類学者の山口昌男と日本中世史の網野善彦の「天皇制」をめぐる有料のライブ対論を大学時代に聞きに行ったことがある。東京神田神保町の岩波書店の2階か3階だったと思うが、立ち見が出るほど満員だった。

 西洋中世史のゼミナールに属しながらも、自分自身を西洋人にはまったくアイデンティファイできない私は、どちらかというと文化人類学的な思考方法には大きく惹かれていたし、1980年代初頭にいわゆるニューアカ(・・ニューアカデミズムの略称)とよばれた浅田彰や中沢新一の出現を準備したともいえる山口昌男の『知の遠近法』(岩波書店、1979)は、大学一年のときからベッドの枕もとのミニ書棚において、寝る前にしょっちゅう読んでいたものである。

 同書には山口昌男がフランスの雑誌「エスプリ」にフランス語で発表した天皇制にかんする論文の、著者自身による日本語訳が収録されている。基本的に文化としての天皇制を論じている。山口昌男も網野善彦も二人とも東大文学部国史学科卒という点は共通していた。"国史"という位置づけは、部外者から見ると限りなく閉鎖的な印象を受けるが、二人ともその枠は完全にはみ出ていた。 

 同時期に網野善彦もフル稼働の状況で、次々と斬新な仮説を提示しては、日本中世史を塗り替える仕事を推進していた。

 網野善彦はなんといっても死ぬまで筋金入りの共産主義者で天皇制反対論者、のちに秋篠宮が網野氏の作品を愛読していると知って、非常に困惑したらしいというエピソードがある。晩年になってからはビジネスマンの読者が増えたことを網野氏はどう考えていたのだろうか? アニメーターの宮崎駿が大きな影響を受けて『もののけ姫』を製作したことはご存じの通り。宮崎駿はもともと共産党シンパである。

 こんな二人の対談なので、期待されないはずがなかったのである。ところが、内容については詳しくは覚えていない。というのは、対談内容は「日本図書新聞」に掲載されるとその場で発表があったからだ。しかし、結局活字になることはなかった。だが理由はそれだけではなかったようだ。

 対談のあった翌週のゼミで、阿部謹也先生からは「君もいたんですね」と声をかけられた。目ざとくも見つけられていたのであった。右翼の妨害を考えるとあの対談は実行すること自体が大変だったのだ、というのが網野善彦とも親しかった阿部先生の話であった。1980年代半ばのことである。

 当時はまだまだ「ウヨク」が乱暴な存在だったのだ。平成になってから、日本国憲法を遵守するという天皇陛下のお言葉で「ウヨク」は一気にトーンダウン、ソ連の崩壊後「サヨク」がチカラを失ってからは張り合いをなくし、存在意義そのものがなくなっていったように思う。

 現在では考えられないほど、「天皇制」というテーマには、まだまだ濃厚な政治性がまとわりついていたのである。


哲学者・中村雄二郎の「臨床の知」

 中村雄二郎は、『臨床の知とは何か』(岩波新書、1992)を熟読し大きな影響を受けた。自分がビジネスマンとして日々取り組んでいることを、理論的に裏付けてくれる思いがしていたものである。

 中村雄二郎はライブは見てない。TV番組では見た記憶はあるが。


河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレ
 
 河合隼雄の話は一度だけライブで聞いたことがある。京都の国際会館で開催された「文化の多様性」で、当時文化庁長官を務めていた頃で、晩年といっってもいい時期である。

 2004年(平成16年)平成16年11月7日(日曜日)、フランスの思想家ジャック・アタリ(元フランソワ・ミッテラン大統領顧問、元欧州復興銀行総裁)の講演のあと、韓国のイ・オリョン(『縮みの思考』著者)との日本語による対談をライブで、しかも最前列のかぶりつきで(!)楽しませていただいた。この時は来賓として秋篠宮殿下夫妻がこられていたが、ご夫妻からは虚礼を廃する要請があり、着席のままお迎えしたのは記憶に残っている。

 対談の途中で、河合隼雄は小用に立ったのだがが、「年寄りの特権(?)」とかいって笑いをとっていたが、聴衆に不快感を味あわせないという、ちょっとした心遣いは見事であった。

 河合隼雄のやわらかい関西弁の語り口とダジャレは、場をなごませる雰囲気を作り出していた。とくに難しい話をするとき、厳しい話をするとき、関西弁はクッションとして働いてくれるものである。関東人はそれをさして、ヘラヘラして真面目さに欠けるなどと頭ごなしに非難することがあるが、あんたら全然わかってへんのや。

 逆にいうと、関東人は、あたりの柔らかい関西弁にダマされとんのとちゃうか?

 関西人は、実際はものすごくストレートな表現が多いのに、関東ではそれに気づいていない人が多いようにも思える。

 関西人が海外で活躍しているのは当然やな。ズバズバとダイレクトに、ストレートな表現そのままで、海外とわたりあっていけるからなー。英語で話している限り、英語に関西弁はでてこないけど、発想は英語にシンクロしとるなー。

 ちなみに、タイのバンコクでも非公式な統計だが、某大阪人いわく、バンコク在住の日本人の7割は関西人なり(!?)と。ほんまかいな? 情報ソースは何やねん? と丹波篠山、もとい丹後舞鶴生まれの私は突っ込んだが、感覚的には私も同意見。

 しかし私なんかは、ストレート・トークを関東で、しかも東京弁でやってしまうことが多いのが問題なんやろな、と反省にもつかぬ反省。

 反省ならサルでもできるわい、と突っ込みの声・・・空耳か?



PS 読みやすくするために改行を増やし、重要事項は太字ゴチックで強調、リンク先を再確認した。誤字脱字以外には本文に手入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>を追加した。 (2014年2月21日 記す)。
               





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(2014年2月21日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)







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