タイの観光地パッタヤーで開催された、「ミス・インターナショナル・クイーン2009」大会で、日本人のニューハーフ・タレント、はるな愛が優勝したというニュースが先日報道されていた。
私はこのニュースを知るまで、Miss International Queen というニューハーフの美を競うイベントの存在そのものすら知らなかったが、何はともあれ、日本人が優勝したというのは目出度いことだ。
この話で重要なのは、タイで開催されている、ということである。
いわゆるニューハーフ・ショーは、パッタヤーだけでなく、バンコクでも観光客に大人気で、マンボ(Manbo)やカリプゾ(Calypso)といった常設劇場は、日本人観光客だけでなく、とくに近年は中国人団体観光客がバスを連ねて連日のように来場している。
私は、巨大エビの看板が目印の娯楽施設にあった、いまはなきラチャダ・キャバレー(Ratchada Cabaret)に友人たちと連れだって見に行ったことがあるが、タイのニューハーフ・ショーは一言でいってすごい!
ものすごい美貌でスタイル抜群のニューハーフがこれでもか、これでもかと登場し、ブサ系のニューハーフの演目もあいだにはさんで、大いに笑わせ、楽しませてくれるのだ。演目は観客の属性に合わせて、最近は中国ものが多いようで、劇場内の説明も漢字が多い。
芝居がはねると劇場の前にでて撮影会がある。本来ならここに写真を掲載したいところだが、個人撮影はカネをとるとかいうので断念した。いまから思うと、けちらずに撮影しておけばよかったのだが。
性転換手術をしている超美貌のダンサーは、ほんとうにため息のでるほどの美しさで、圧倒されてしまう。
■夜のエンターテインメントは日本モデルを踏襲
こうしたニューハーフ・ショーも、実は日本モデルらしい。夜の歓楽街のシステムなど、バンコクの娯楽産業は圧倒的に日本モデルの影響下にある。
有名なタニヤ(Thaniya)という歓楽街は、日本の地方都市の一昔前の雰囲気を濃厚に醸し出しており、私より上の世代の人たちには妙に懐かしいものを感じさせるらしい。隣接するパッポン(Pat Phong)は欧米風であり、エリアで顧客層の棲み分けが完全にされている。パッポンにはいわゆるボーイズクラブなるものがあるが、私はいったことはない。
また、タイのローカル・チャンネルの芸能バラエティ番組も、日本の影響なのかどうかわからないが関西風のドツキ漫才が多く、そういう番組には必ず下品で超ブッサイクなニューハーフがでてくる。私の日本人の友人など、子供がマネして困ると嘆くほどである。
美輪明宏という先駆者的ロールモデルをもつ日本人からしてみれば、タイのTVでの露出やショーも含めた広い意味での芸能界のニューハーフにはそれほど驚きを感じないが、バンコクでの日常生活という側面でのニューハーフは、実体以上にプレゼンスが大きいという印象をうけるのは私だけではないようだ。
■タイ社会における「ニューハーフ」の存在感
実際、百貨店一階の化粧品売り場の美容部員の多くはニューハーフだし、レストランのウェイトレス、ホテルのフロント、サービスカウンターなど、サービス系の職場には当たり前のように存在する。
これは、オフィスでも例外ではない。あるビルのフードコートで昼食をとっていたときのことだ。ヒラヒラのついたちょっと流行遅れのブラウスなんか着て、女の子のあいだで違和感なくおしゃべりに耽っている若者がいたのだが、なんか妙だなと思っていたらニューハーフなのであった。そんな話は別に珍しくもないのだ。
英国人研究者によるニューハーフへの参与観察型の聞きとり調査をもとにした The Third Sex: katoey-Thailand's Ladyboys(Richard Totman, Silkworm Books, 2003)(タイトルを日本語に訳せば『第三の性:カトゥーイ-タイのレディボーイたち』。残念ながら日本語訳はない)によれば、カトゥーイはタイの全人口の約 0.3%と推計されている。
数字だけみれば限りなくマイノリティなのだが、日本より社会進出が進んでいるので多く存在するような印象を受けるのだろう。タイ人のほうが日本人よりさらに体毛が薄いから、余計にニューハーフ候補が多いのかもしれない、などと思ってもみる。
そもそも、蚊の泣くような、消え入るような小声でしゃべるホテルのボーイとか珍しくないし、いわゆる"男らしい"男が見あたらないのもタイの特徴ではある。そのくせ男は浮気者で仕事に不熱心、遊ぶことしか考えてないのに対して、女は強く、しかも仕事もきちんとこなすのがタイの現実だ。
サヌック(sanuk)という快楽原則が行動原理になっているタイ人らしいといえば、それまでなのだが。
■「第三の性」である「カトゥーイ」は「トランスジェンダー」
ここまでニューハーフという和製英語をつかってきたが、彼らのことは、タイでは「カトゥーイ」(katoey)とよんでいる。タイでは、英語で ladyboy という表現も使われるが、正確には「トランスジェンダー」(transgender)のことである。
トランスジェンダーとは、男でも女を超えた「第三の性」。性別という枠を越境した存在なのである。男と女の中間的存在といえようか。男であって女性的なのがカトゥーイ、女であって男性的なのをトムボーイという。英語の tomboy から来ているが意味は変容している。
トランスジェンダーは病気ではない。最近日本でも話題になる性的同一障害(sexually identity disorder)と似ているが、異なる概念である。また、ホモセクシュアルを意味するゲイとも根本的に異なる。生物学的な意味での性、すなわちセックスとしては男に生まれながらも、意識の面では社会的な性であるジェンダーとしての女に憧れるという存在。
性転換手術を受ける者もいるが、必ずしもすべてのカトゥーイがそれを望んでいるわけではないようだ。もちろん希望者は多く、以前に The Nation という英字紙で、「年少年は早まって手術を受けないように(!)」という警告をタイの専門医がしていたのを読んだことがある。タイは男性のアレを切ったり、つないだりする外科手術にかんしては、世界トップレベルの技術をもっているといわれている。
近年はタイ社会の欧米化にともなって、タイ人のゲイもでてきているらしいが、主流はカトゥーイのようだ。
カトゥーイは必ずしもタイ社会では好まれている存在とはいえないが、まあそういうものだ、という感じでそのまま受け入れられているように見える。
■「カトゥーイ」を主人公にしたタイ映画とタイ北部
ニューウェイブのタイ映画の世界的ヒット作に、2003年製作の『ビューティフル・ボーイ』(英語版タイトルは Beautiful Boxer)や2000年製作の『アタック・ナンバーハーフ』(英語タイトルは Iron Lady だが、日本語版タイトルは実に秀逸だ!)といった、実話をもとにした映画がある。世界的にヒットしたことで、タイ社会でもカトゥーイの認知にかんしては変化がでてきているらしい。
『ビューティフル・ボーイ』は、カトゥーイのムエタイ選手(!)の半生を描いた感動的な作品、『アタック・ナンバーハーフ』は一人を除いて全員がカトゥーイというバレーボールチームの奮闘を描いたコメディである。ともに日本でも公開されておりDVD化されているので、興味があればレンタル・ビデオ店で借りて視聴してみたらいいだろう。
面白いことに、この映画は二つともタイ北部出身者の実話で、前者はチェンマイ周辺の農村出身の少年が主人公、後者はチェンマイから近いランパーンが舞台になっている。
タイをフィールドワークしてきた文化人類学者の綾部恒雄は、「タイ国では男女の分業があまり明確に見られ」ず、「男女差の少なさは、中部タイよりも北部タイにおいてより顕著であり」と、『タイ族-その社会と文化-』(綾部恒雄、弘文堂、1971)で指摘しており、この指摘からはカトゥーイを生みだし受け入れる土壌が、とくに北部タイにはあるらしいことが推測される。
■トランスジェンダーをめぐる日本とタイの共通点
タイの上座仏教では、人間の現世の存在はすべて「前世のカルマ(業:ごう)」のなせるわざであるとされ、多くのタイ人はそれを当たり前として受け取っている。こうした文脈のなかでは、カトゥーイに生まれたのも輪廻転生のヒトコマと受け取るのは、けっして不自然なことではないようだ。
話は変わるが、最近の日本の流行語に「草食男子」というものがある。「日経ビジネスオンライン」で、コラムニストで編集者の深澤真紀氏が命名した、新世代の男子の分類だが、男女の性差があいまいになってきていることを、論じている。その理由として儒教の影響が薄れてきた、といっているが、その指摘は正しくない。
中国語ではカトゥーイのことを、なんと"人妖"と表現するが、これは陰陽原理という二項対立的な世界観をに基づき、それによっては説明できないカトゥーイを怪物視したものの見方にほかならない。あいまいな中間領域をいっさい認めない、ある意味ではきわめて抑圧的な姿勢である。
日本はもともと支配者のロジックであっった儒教の影響は表層的なものにとどまり、知識人を除けばまったく内面化しておらず、日本人は儒教国とはとてもいえないのである。儒教の影響力が低下したのではなく、日本は本来の姿に戻ってきているというべきだと私は考えている。
また、本人もトランスジェンダーである三橋順子氏の『女装と日本人』(講談社現代新書、2008)という画期的な内容の日本文化史によれば、男でも女でもあるというダブル・ジェンダーは、日本では女装して南九州のクマソタケル兄弟を討ちとったヤマトタケルに現れているように、神話時代から一貫して存在しているのである。女装の男、男装の女によって演じられた日本の芸能は、けっして歌舞伎にはじまるものでなく、そもそもが有史以来今日まで一貫して続くものである。
抑圧的な儒教の影響も思ったほど大きくなく、男性原理に基づく抑圧的なキリスト教の影響も小さい日本社会は、トランスジェンダーに対する態度においてタイに近いようだ。
西洋近代化の道を選択したものの、ともに西洋の植民地とはならず、知識階層は別にして、一般民衆の意識は最近まで前近代(=プレモダン)のまま大きな変化もなく今日まで至ったことは共通している。
したがって、「とりわけタイと日本では、トランスジェンダー文化が色濃く残っているのは、けっして偶然のことではない」(三橋 P.328)という指摘は、まことにもって正しいのである。
「草食男子」の一歩先にあるのは、タイのカトゥーイに限りなく近い存在だろう。一方の極には男があり、反対側の極には女があり、その中間領域にはグラデーションを描くように多様な形態が存在する。
男女間の差異があいまいになってきたのは、最近の現象というよりも、いい意味か悪い意味かは別にして日本人にとっては先祖返り現象なのではないだろうか。
私がこういう感想を持つのも、けっして突拍子もない発想ではなさそうだ。
ただし、トランスジェンダーへの態度にかんしては、タイ社会のほうが現在の日本社会よりも寛容度が高いように思われる。ある一定以上の年齢の日本人男性は、明治維新以降に強化された、儒教のもつ悪しき影響から脱しきれておらず、まだまだ自らの内なる"本来の日本"というものを直視できていないのではないか、とも思われる。この点は日本人女性のほうがはるかに柔軟である。
もちろんタイ人が日本人とは違って「個人主義者」(・・ただし欧米流の個人主義ともまた違う)であり、上座仏教の世界観の反映でもある「自力救済型」社会に生きているので、自分の利害関係から離れた事柄にかんしては無関心な傾向がある、ということも背景にあるようだが。あくまでもカトゥーイはカトゥーイ、自分は自分だ、と。
タイと日本では共通性も多いが、安易な比較は禁物だ。お互い似ているが、似て非なる存在でもある。
PS よみやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。誤字脱字を修正したほか、本文の一部に加筆を行った。 (2014年1月31日 記す)
『ビューティフル・ボーイ』(Beautiful Boxer)のトレーラー(予告編 英語版)
『アタック・ナンバーハーフ』(Iron Lady)のトレーラー(予告編 英語版)
マンボー・キャバレーショー(Mambo Cabaret Show) (日本語)
カリプソ・キャバレーショー(Calypso Cabaret Show) (英語)
Genderless fashion in Japan(wikipedia 英語版)
・・いわゆるファッションのサブカルチャーにおける「ジェンダーレス男子」について。現時点では英語情報のみ(2022年6月16日現在)
(2022年6月16日 情報追加)
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・・アジアでは華人やコリアンは自分の家族と宗族以外は無関心。そもそもファミリーネームの存在しなかった東南アジアでは自分と家族しか関心はない
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(2014年1月31日 情報追加)
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