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2010年7月13日火曜日

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (3) 断食体験初日-いよいよ断食修行に入る





 さて、いよいよ参籠堂の入堂、断食修行の始まりである。
                
 ほんとうは断食参籠修行に入ったらすぐに掃除をすることになっているらしい。    
 この日は朝から大雨が降ったので掃除をしたら泥だらけになってかえって汚くなってしまうだろうということで、参籠堂入堂後の掃除は明日に延期されることになった。そういうことになっていたとは来てからはじめて知ることだ。
 いわれるがままに、あれよあれよと、ことは進んで行く。


湯飲み茶碗で水を飲むのも修行

 意外と空腹感は感じない
 すでに二日間、減量して胃を収縮しておいたからだろう。これは、『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)に学んだ知恵である。断食修行に入る二日間ですでに1kg以上痩せていた。



 薬罐に水を入れて部屋に戻る。
 湯飲み茶碗で水を飲むのは、なんだかヘンな感じである。水はいつもペットボトルで飲む習慣がついているからだろうか。そう、「成田山」という文字が書かれた湯飲み茶碗で水を飲むことが修行なのである。
 最初は水をうまいと感じなかったが、早朝に家を出てから水を飲んでなかったので、とにかくのどが渇いていた。入堂したのは午前10時前である。
 何度も飲んでいるうちに、だんだん水をうまいと感じ始める。水以外飲めないし、食べられないからだ。



 飲んだ回数を「正の字」で「水分摂取確認表」に記入していく。一日20杯、約2リットル飲むことが義務づけられている。翌朝5時の集合時間にはこの「水分摂取確認表」を持参し、世話係にチェックしてもらい確認の判を押してもらうことになっている。



男子参籠堂と同宿者

 参籠堂は男子と女子とに分かれており、それぞれ別の建物である。



 私が寝泊まりしていた男子参籠堂は、二階建ての建物で、一階がが男子断食道場、二階が成田山修法師(先達)の修行道場となっている。
 ちなみに修法師(先達)とは、加持祈祷(かじきとう)を行う山伏姿の行者(ぎょうじゃ)で、荒行を行い修行する僧侶のことである。成田山新勝寺はもともと出羽の湯殿山権現と密接な関係をもっており、密教と修験道がきわめて密接な関係にあることを示している。
 二階の修行道場は、たまたま翌日のご縁中に掃除のため入ることができた。立派なお不動様が鎮座した部屋であった。

 男子断食道場は、8畳敷きの和室が3部屋、ふすまを取り払ってぶち抜きの大部屋として使われている。和風旅館の大部屋というか、合宿先のような印象だ。
 1部屋に布団を敷いて二人入れるように設定されているので、3部屋で合計8人、これが同時に滞在可能な最大収容人員である。

 今回の同宿者は一人だけ。中年のおじさん。なんと船橋からの参加で、断食は七日間だという。この日で三日目。しかも二回目とのこと。あとから聞いたら調理人とのことだった。断食修行するスシ職人。
 同宿者は結局のところ、最後までこの還暦過ぎたおじさん一人だった。
 「いやあ、よかった。ここで一人でいるのはつらいんですよねえ。とくに夜は誰もいないから寂しくて。ちょうど三日目なんで気持ちを維持するのが大変だったんで助かりましたよ」とおじさんは言っていた。
 私の三泊四日の滞在期間は、このスシ職人とぴったり重なっていたので、まったくの一人きりで修行することはなかったが、たしかに一人だけでは完全に自己との戦いとなるので、よりいっそうの精神力が必要とされるだろう。


「西(にし)式健康法」を知る

 このおじさんから、この本は断食の参考になりますよといって、男子参籠堂にあった『西式健康法入門』(西会本部、平河出版社、1993)という本を渡された。断食参籠修行した人が部屋に置いていった本のようだ。
 ちなみに参籠堂には書架が一つあって、仏教書を中心にいろいろ本が置いてある。
 自分も5冊ほど本は持参してきたのだが、まず「西式健康法」という本を読んでみることとした。

 「西式健康法」とは一言でいってしまえば、「朝食はやめなさい!」というメッセージに尽きる。昭和のはじめに初版がでた本で、一日二食は医学的にまったく問題ないことを論証している。
 断食中の私にとっては朝食抜きは当たり前なのだが(笑)、もともと朝起きるのが遅いので朝食抜きの生活を送っていた私なのだが、数年前のバンコク滞在中から朝食食べるようになったのが問題だったのだな、と実感した。
 今後は、朝食は摂らずに、午前中は胃腸を休ませるべきだと痛感した。
 ちなみに、「西式健康法通信」というサイトがあるので参考のため紹介しておこう。http://www.nishikai.net/japan/


腹は減らないが、とにかくカラダがだるい

 本を読んでいたらくたびれてきた。目が疲れるのではなく、カラダがえらくだるいのだ。飯食ってないから、エネルギーが湧いてこないのだなあ。そのまま布団に横になったら2時間近く眠ってしまった。

 さらにイスの生活に慣れた私には、文机を前にして畳のうえで座って本を読んだり、ものを書くのもくたびれる原因の一つだ。胡座は短時間はいいがくたびれやすいし、正座も長時間はくたびれる。布団を敷きっぱなしの万年床に寝っ転がって本を読んでいると、本をもつ手が重くなる・・・
 つまりは慣れない生活なのである。ああ、まったくの現代日本人である私。子供の時からイスの生活だった私は、合気道をやっていたとはいえ、実は畳の部屋は苦手なのだ。

 いまイスに座ってパソコンに向かって書いているが、これは断食中にとったメモと再生した記憶に基づいている。断食中はカラダがだるくて、メモをとるのも億劫であった。みみず文字のメモは判読も容易ではない。

 12時にはお寺の鐘が鳴るのが聞こえてくる。なんせ境内のなかにいるのだ。境内から外に出てはいけないのだ。

 13時半からしばらく散歩にでることにした。部屋のなかでゴロゴロしていても退屈である。境内のなかを歩き回ってみる。


「成田 祇園会」期間中の断食参籠修行であった

 今年の7月7日から11日まで成田山新勝寺では「成田祇園会」が開催されていた。私の断食参籠修行はちょうどすっぽり成田祇園会の期間と重なっていた。
 「成田祇園会」はもちろん京都の祇園会(ぎおんえ)にならったものだろう。300年以上の歴史があるということらしい。祇園会は本格的には金曜日から始まるので、まだこの日は境内は静かなままだった。

 山車(だし)の繰り出す祭礼はさておき、成田山新勝寺にとっては宗教的な意味がある。
 祇園会の期間中のみ、なんと奥の院の扉が開かれ、ご本尊の大日如来(だいにちにょらい)を拝むことができるのだ。



 祇園会はもともと湯殿権現社の祭礼だったらしいが、神仏分離令以後は大日如来の祭礼となっているとのことだ。
 大日如来とは、曼荼羅の中心に位置する、宇宙最高の仏のことである。大本堂の裏でも祀られている。
 


 また「天国の宝剣頂戴」(あまくにのほうけんちょうだい)という加持祈祷が光明堂で行われる。これは真言宗の僧侶が不動明王の真言を唱えながら、天国の宝剣(あまくにのほうけん)という不動明王の剣をかたどった六角棒(?)で肩から腰までさすりながら加持祈祷を行っていただくものだ。

 いずれも、たまたまこの時期に成田山新勝寺に滞在していたから経験できたが、まことにもって有り難い。とかく単調になりがちな断食参籠修行に変化を与えてくれた祇園会は、素晴らしい経験になった。
 その意味では、この時期に断食修行で成田山新勝寺に滞在していたことはラッキーであったようだ。参加するまでそんなことはいっさい知らなかったからだ。


護摩(ごま)に参加してみた 護摩は五感すべてで体感する儀式

 午後3時の護摩(ごま)に参加してみた。

 護摩とは密教の儀式で、成田山新勝寺においては、不動明王(不動尊、お不動さん)に祈願する儀式である。
 ちなみに成田山新勝寺は空海につらなる、真言宗智山(ちさん)派の仏教寺院であり、全国に末寺をもつ大本山でもある。



 紫に緑、そして黄色という、色とりどりの袈裟をつけた僧侶が参加する護摩。
 ああ、真言宗は違うなあ。総本山の高野山には三回もいっているのだが(・・そのうち一回は宿坊に宿泊)、こんなカラフルな勤行は見たことがなかった。

 声明は、仏教音楽のアカペラである。楽器の伴奏のない重奏。文字通りの a capella だ。大本堂はあえて英語にすれば Buddhist chapel である。
 朗々と響き合う混声合唱は、ヨーロッパ中世のポリフォニックな聖歌に匹敵する。
 これに腹の底をゆさぶる和太鼓の大音声。何も食べていない断食中の私には文字通り、腹を直撃するズシリとした感覚だ。
 参籠堂の書架にあった本には、はじめてカトリックの宣教師が日本に布教にきたとき、真言宗の護摩をみて、これは悪魔のミサだと非難したと書いてあった。なるほどとうなづける。儀式性と形式性は、カトリックのミサにも共通するものがあるからだ。

 不動明王の真言をとなえる。真言とはマントラ(呪文)のこと、サンスクリット(梵語)の音をそのまま移したもので、これを何遍も唱えて不動明王に直接働きかけるのである。

のーまく さんまんだー
ばーざらだん せんだー
まーかろ しゃーだー
そわたや うんたらたー
まんかん


 緑の袈裟をつけた僧侶が不動明王に向けての挨拶文を読み上げたのち、大僧正が護摩を開始する。

 護摩木に火をつけ、立ち上がる炎は、不動明王への供物を天上に届けるため、そして炎のチカラによってすべてを浄化するため。ごま油だろうか、護摩を焚く炎に大僧正は何度も油をかけては炎を大きくするのだが、油の燃える匂いも漂ってくる。
 眼で見て、耳で聴き、腹で受け止め、鼻で匂いを感じる、正座している足が痛くなってくるのでカラダで感じる、つまり五感のすべてをフルに開いてカラダ全体で受け止めるのが護摩なのであると実感した。
 滞在中は毎朝、5時半からの朝護摩に参加することが求められていたので、翌朝の朝護摩で正座してときに、この日の午後よりもいっそう強く護摩を体感することになる。

 文字ではとても表現しきれない五感すべてで感じ取る体験、これが朝5時から午後3時までに平日は1日5回、土日祝日は1日8回も行われる。

 滞在中に朝護摩は合計3回、午後3時の護摩は2回体験したので、合計5回護摩を体験することになった。ここに記したのは、その5回の体験をつうじて感得したもののエッセンスである。


参籠堂で寝てばかりいた私

 参籠堂に戻ったらまた寝てしまった。まるでネコのようなもんだな。一説によれば、日本語のネコの語源は寝る子(ねるこ)だという。ネルコがなまってネコになった、と。ネコもほとんど一日中寝てるからなあ。

 18時にお寺の鐘。18時以降は参籠堂の外には出れない。

 和風旅館に宿泊しているような感じだが、「夕食の時間ですよ~」という呼びかけはない。ここは断食参籠堂である。
 まったく空腹は感じない。すでに胃が収縮しているためか、水で満腹感を得るからか。
 しかし、腹は減らないがチカラがでてこない。これにはほとほと参った。



 書架にあった『総覧 不動明王』(佐和隆研=監修、成田山新勝寺・種智院大学密教学会=編集、成田山新勝寺、1984)という箱入りの豪華グラフィック美装本を見る。この本に書かれた不動明王の歴史が興味深い。とくに、インド・チベットの不動明王の記述が面白く思えた。
 こういう大型のハードカバーは、机のうえに開いて見ることができるからラクなのだ。手で押さえなくても、見開きのページを目で追うことができる。

 不動明王(不動尊)は、サンスクリットでアチャラ(acala)という。cala とは動くもの、a- は否定の接頭語であるので、a-cala は動かないもの、すなわち不動(尊)となるわけだ。日本語の語感だと、チャラチャラしてないのが不動尊といったら、不敬な発言になるだろうかしらん。

 パソコンも携帯も持ち込み禁止の「情報遮断」1日目。あるのは本とノート(帳面)と筆記具のみ。考えてみれば、パソコン以前はこれが当たり前だったのだが、昭和も遠くなりにけり、かな。

 万歩計を見ると、この日は結局、1万202歩も歩いていた。
 水しか飲んでいないのに、ずいぶんカロリーを消費したことになるわけだ。こんなに歩いても、あと二日もあるのに大丈夫なのだろうか・・・

 午後10時が消灯である。自動的に消灯になるわけでなく、自分で消灯して床につく。敷きっぱなしの万年床だ。
 昼に何度も寝ているのだが、1時間ほどうだうだしているうちに寝入ってしまったようだ。


(4)に続く。


<関連サイト>

真言宗智山派 護摩修行(YouTube動画)
・・成田山新勝寺のものではないが、同じく真言宗智山派の護摩修行。不動明王の真言が唱えられる。五感で感得するものをい体感していただきたい。(2010年7月31日)