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2011年2月15日火曜日

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語




イスラーム文明の黄金期を「ロスト・ヒストリー」として詳細に紹介した、「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語

 本書は、「イスラー文明の黄金期」を正当に評価すべく、米国人作家によって英語圏の一般読者向けに書かれた、400ページを越える大著である。

 米国の職業外交官として約10年間のキャリアをもつ著者は、その後長年にわたって異文化理解とリーダー養成を目的とした平和財団を創設し主催してきた。だが、本書のテーマであるイスラームの専門研究者ではない。

 著者が意図しているのは、ハンチントンに代表される「文明の衝突」論とは一線を画す議論を、史実に即して一般読者向けに展開することにある。

 現代社会を主導してきた文明が、ここ数世紀にわたって西洋文明であった以上、イスラーム文明の黄金期の知的遺産が、西欧文明に吸収されたものも、そうでなかったものも含めて、「失われた歴史」になっているのは、ある意味では仕方がないことだろう。

 しかし、いまやそのことに気がつかねばならない、というのが著者の問題意識であり、本書に一貫している主張である。あたかも古代ギリシア・ローマの時代から一貫して西洋文明が東洋文明に対して優越的であったかのような錯覚を抱かせてきた西洋近代、しかしそれは事実に反するのである。

 著者のコトバを借りれば、「発明、大きな諸思想、寛容、多文化共存」といったすぐれた特性をもっていたのが、広い意味の「黄金期のイスラーム文明」であった。

 著者が人物を中心に詳細に描き込んでいる叙述を読むと、近代西欧における科学的発明の多くが、実は先行するイスラーム文明の成果の継承や発展に過ぎないことが理解される。あるいは、20世紀も後半にいたって、はじめてその先駆的な意味がわかってきたような事例も多々あることを知ることになる。

 黄金期のイスラーム文明は、先行する古代ギリシア、ローマ、ビザンツ(=東ローマ帝国)、ペルシアの知的遺産の集大成である。アラビア語への翻訳をつうじて集積された膨大な知は、イスラームの文脈のなかで、数学、天文学、医学、その他諸科学の高度な発達となって大きく花が開いた。たとえば、『ルバイヤート』の詩人として知られるオマル・ハイヤームの、数学者・天文学者としての卓越した業績について本書で知ることができる。


 中世後期以降の西欧文明は、これらイスラーム文明が達成した知的遺産を、アラビア語からラテン語に翻訳することから出発したことを強調しておくべきだろう。中世後期においては、イスラーム文明と西欧文明のレベルはきわめて落差の大きなものであったのだ。

 しかしこの「失われた歴史」は、米国の一般読者だけでなく、日本でもまだまだ一般常識になってはいないようだ。アルコールやアルジェブラ(代数学)といった英単語がアラビア語起源であることが、雑学として知られている程度であろうか。ちなみに、コンピュータの処理手順を意味するアルゴリズムは、9世紀の科学者アル・フワーリズミーのラテン語読みがなまったものである。

 明治以降、現在に至るまで西欧文明の圧倒的影響下にある日本はもちろん、キリスト教文明が強固な米国では、9-11テロのこともあり、米国では偏見に充ち満ちた見解が、逆に燃えさかっている状況だ。つい先日も米国では、『聖典クルアーン』(コーラン)を燃やすと公言して物議をかもしたキリスト教牧師がいたことがニュースになっている。

 著者は、本書の出版が「潜在的な地雷原に足を踏み入れることになった」と述懐している。米国の状況を考えると、ムスリム(=イスラーム教徒)ではない米国人の著者の、勇気と良心を賞賛すべきであろう。

 ではなぜ、この黄金期のイスラームの「高度文明」が没落したのか? なぜ高度な知的遺産がすべて後世に継承されないまま「失われた歴史」になってしまったのか? この本を読んでいてつねにつきまとう疑問である。しかし、著者はこの問いには直接答えることはしていない。読者によっては大きな不満と残るであろうが、西洋中心史観の陥穽に落ちることを避けたかったためだろうと推察している。

 臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。

 この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。その後の歴史的展開から遡って過去の歴史に審判を下すのではなく、科学が、思想が、芸術が生成する現場で、「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。
 
 ただし、引用された諸学者たちの発言の典拠が示されていないので、検証しようがないのも玉にキズだ。また、これらの引用文が、日本語訳ではなぜか例外なく擬古文で訳されているのは、正直いって煩わしい。

 とはいえ、本書の守備範囲は、狭い意味のアラビア世界には限定されない、広大なイスラーム世界全域をカバーしたものだ。イベリア半島も、トルコも、ペルシアも、中央アジアも、インドもすべて、イスラーム文明の及んだ範囲として捉えており、その文明圏全体において、イスラーム文明が達成していた知的遺産を「ロスト・ヒストリー」として語っているのだ。これが本書の大きな特色である。

 基本的な史実は押さえているが、この本の内容はどちらかというと、日本語でいう「歴史物語」に近いというべきであろう。

 その意味では、大冊だが読む価値のある内容の本であるといえよう。



<初出情報>

■bk1書評「イスラーム文明の黄金期を「ロスト・ヒストリー」として詳細に紹介した、「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「イスラーム文明の黄金期を「ロスト・ヒストリー」として詳細に紹介した、「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語」投稿掲載(2010年10月5日)


*初出時は長いので圧縮したが、ブログではオリジナルに戻すこととした。





原書タイトル

Michael H. Morgan , Lost History: The Enduring Legacy of
Muslim Scientists, Thinkers, and Artists, National Geographic, 2007



目 次

序文
序論
第1章 ローマの子どもたち
第2章 天才の失われた諸都市
第3章 神は数字に宿る
第4章 星の構図
第5章 発明家たちと科学者たち
第6章 癒すものと病院
第7章 ヴィジョン、声、城砦
第8章 啓蒙的指導性
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
年表
用語解説
文献
索引


著者プロフィール

マイケル・ハミルトン・モーガン(Michael Hamilton Morgan)

アメリカの小説家、ノンフィクション作家、外交政策を専門とするジャーナリスト。元国務省の外交官で、その後新平和財団を創設、主催している。若いひとびとに異文化理解の重要性を伝え、そのリーダーシップを養成するのが目的である。また1990年から2000年まで国際ペガサス文学賞を主導し、助言者となっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

翻訳者プロフィール

北沢方邦(きたざわ・まさくに)

構造人類学、科学認識論、音楽社会学専攻。桐朋学園大学教授、信州大学教授、神戸芸術工科大学・同大学院教授を経て、信州大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

原著 Lost Historyの公式サイト(英語)

著者インタビュー(英語)



<書評への付記>

西洋近代勃興以前、イスラーム文明と西欧世界の文明レベルの落差は計り知れないものであった

 ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌに『ヨーロッパ世界の誕生』(創文社、増田四郎=監訳、中村 宏/, 佐々木克巳訳、1960)という名著がある。日本語訳では「マホメットとシャルルマーニュ」が副題になっているが、原書では副題のほうが正式なタイトルであることが示しているように、ヨーロッパ世界はイスラーム世界のインパクトによって、はじめて一体として認識されるようになったのである。欧州でも、一般人はさておき、少なくとも知識人は「常識」この認識をもっている。

 一般の常識には反することかもしれないが、「十字軍」戦争を仕掛けた側の西欧に対して、仕掛けられたイスラームの側のほうが、はるかに高度な文明を有していたのである!

 十字軍に従事した戦士たちは、国王たちも含めてそのほとんどが文盲であった(!)のに対し、イスラーム世界では本書に詳しく描かれたような豪華絢爛たる学問の花が開いていたのである。西欧世界での例外は、カトリックの高位聖職者たちとユダヤ人くらいだったのである。

 この「野蛮な西欧人たち」が聖地奪還のかけ声のもとに行った、目を覆うような虐殺の数々から目をそらすべきではない。無知で野蛮な虐殺者たちとは、西欧人たちのことだったのだ。

 このようななかで自らエジプトまで赴いて、スルタンとの対話を行い、寛容の精神を説いて実践したアッシジのフランチェスコは、きわめて例外的な西欧人といってよい。

 文明レベルからみたら、圧倒的な落差があったということだ。これは、西欧中世史の常識である。近代以降の西洋文明の圧倒的影響下にある多くの日本人は気がついていないが、これは知識の致命的な欠落と言わねばならないだろう。

 たとえば、『中世思想原典集成』(上智大学中世思想研究所、平凡社)全20巻の一冊が「イスラーム哲学」にあてられていることの意味を考えてみよう。

 イスラーム世界が、古代ギリシアの学術的著作をことごとくアラビア語に翻訳していたため、ルネサンス以前においては、アリストテレスもプラトンもアラビア語からラテン語への翻訳をつうじて初めて、西欧世界には伝えられていたのであった。アヴィセンナやアヴェロエスというラテン名で知られた大学者たちは、それぞれイブン・スィーナー、イブン・ルシュッドがオリジナルな名前である。
 ギリシア語の原典に直接アクセスできるようになったのがルネサンスだったのである。

 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世が、東西文明の交差点で、イスラーム文明の華ひらいていたシチリアで生涯の大半を送ったのは当然といえば当然である。当時のシチリアは、ヨーロッパ大陸よりもはるかに文明度が高い北アフリカのほうが、距離的にも、心理的にも近かったということだ。神聖ローマ帝国皇帝であったにかからわらず。

 この事実は、西洋中世史や科学史を少しでもかじったことのある読者には常識であろう。日本語ではすでに先駆的業績として、科学史の伊東俊太郎博士による『近代科学の源流』(中公文庫、2007、単行本初版 1978)という一般向けの名著があることを紹介しておこう。「ラテン世界からアラビア世界に亘り四世紀~十四世紀の忘れられた千年の中世科学の空隙を解明」した名著である。当然のことながら、ラテン語原点やアラビア語原典からの研究である。

 現在使用されている学術用語の多くが、アラビア語起源であることは、雑学としても比較的よく知られていることであろう。先にも名前を出した伊東俊太郎博士による『十二世紀ルネサンス』(岩波書店、1993)が実にいい本だったのだが、現在は品切れで入手不能である。

 また、われわれは幸いなことに、井筒俊彦の著作を日本語で読むことができる。イスラーム哲学がギリシア思想を十分に吸収したうえで成り立っていることを、その著作群で解説している。

 このように、イスラームの高度文明が西洋文明に与えた多大な影響については、西洋中世史、中世思想史、また科学史などをかじったことのある人にとっては周知の事実であろう。イスラーム世界の存在を抜きにしては、西洋世界が成り立たなかったことは事実なのだが、一般常識としてはなかなか認められていない。

 まさに「失われた歴史」であるといっても言い過ぎではない。だが、それは完全に失われたのではなく、西欧文明のなかに換骨奪胎された「隠された文明」といったほうが正確なのではないだろうか。

 イスラーム文明という「人類の知的遺産」なぜストレートに伝わらなかったのか、逆にこれを知りたくなる。おそらく、アラビア語からラテン語に翻訳されるにあたっての取捨選択、誤訳があったことは当然のことながら考えられる。西欧文明に取り込まれたものは、本書に詳述されているように、ごく一部に過ぎない。

 これに対する一つの解答としては、バーナード・ルイスの『イスラム世界はなぜ没落したのか?』を挙げておこう。・・・日本語版の翻訳者はネオコンの原典と決めつけているが、あまり偏見をもたずにこの本を読んでみるのもいい。


翻訳について

 私が編集者だったら、日本語訳は「ロスト・ヒストリー」と固有名詞的にしただろう。そのほうが、「ロスト・シンボル」みたいで販促の観点からいえば良かったのではないかと思うのだが。

 引用文が、日本語訳ではなぜか例外なく擬古文で訳されているのは、正直いって煩わしい。これはまっくもて無意味である。ナンセンスである。読者を遠ざけ役割しか果たしていない。

 ウイルスと表記すべきところを、ヴィールスと訳している箇所があった。こういう訳語をみると、翻訳者も編集者も言語感覚に問題のある人たちだなあと思わざるを得ない。現在ではウイルスと表記するのが常識である。こういう箇所は編集者の手で強制的に直すべきだろう。まあ、ビールスよりかはマシだが。ちなみに、あえて書くのであれば、ヴァイラスというのが英語 virus の音に近い。

 Amazon に投稿されたレビューによれば、この翻訳書はアラビア語の音を正確に移していないようでもある。英語表記から音を起こしているためのようだ。『イスラム辞典』を発行している平凡社にあるまじきことではないか、と。こちらはより致命的な問題だろう。翻訳者選択のミスと言うべきである。監訳者を立てるべきではなかったか?


本日は・・

 なお、本日(2011年2月15日)は、預言者生誕祭(マウリド・アン=ナビー)である。ヒジュラ暦(イスラーム暦)による預言者ムハンマド(モハメット)の誕生日、ラビー・アル=アウワル月(第3月)12日に行われる。実際に目撃したことはない。



<ブログ内関連記事>

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても。






(2012年7月3日発売の拙著です)







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