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2014年3月2日日曜日

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える



じつに「読ませる本」である。ストーリー展開がじつに巧みである。

2011年の「3-11」後に雑誌連載されたものだが、歴史研究をアクチュアルな状況を考えるために活用する仕方が見事である。いや、見事であるというよりも、著者自身の危機意識の高さがじかに伝わってくる。

じつはこの本を読むことにしたのは、ビジネスパーソン向けの「日経ビジネスオンライン」の記事にで著者のインタビュー記事を読んで、おおきく納得したからだ。「持たざる国」の教訓を学ばない日本-ネトウヨなど都知事選で明らかになった民主主義国家破綻の兆し」(2014年2月21日)。

戦前日本の右翼思想の研究者でもある著者のインタビュー記事は、何度も繰り返し読みたくなるほど納得感が高い。著書も読んでみたいと思ったのはそのためだ。


権力集中を巧みに回避するべく設計された明治憲法

「明治国家」の設計ミスという論点
は、問題提起としてもきわめて重要だ。さすがに法学部出身の近代日本思想史研究者ならではのものがある。

著者は大正時代の進化論を思想的バックグラウンドにもっていた動物学者・丘浅次郎の「権力は低きに流れる」という説を紹介しながら、組織の権力が時間の経過とともに上から下へ、中心から周辺へと拡散し、権力中心が空洞化していくことを示している。鎌倉幕府も室町幕府も、そして江戸幕府もみなそうであった、と。

なぜなら、日本では権力が特定のリーダーに集中することを極度にいやがり、なんとかしてそれを回避しようとするからだ。もちろん、これは日本だけではないのだが、日本に即してみれば、明治維新政府も同様に、権力が集中しないように巧みに設計したのである。

組織論的にいえば、「自律分散型組織」は自立して自律できる個人の存在が前提になるが、それだけでは十分ではない。組織全体の方向性をあやまらないようマネジメントできるトップの存在が不可欠だ。そういうトップが不在では、組織に遠心力が働いてバラバラになってしまう危険をつねにはらんでいる。

日本では官僚組織が縦割りで省庁単位で縄張り意識がきわめてつよいのは、そもそもの「明治国家」の設計にあるのだ。著者はそれを「権力者の生まれえない構造-明治憲法という自爆装置」(第3章)と表現している。

そうでなくても遠心力の働きがちな官僚組織をまとめていたのが、明治憲法においては超法規的な存在としての元老(げんろう)であった。明治憲法がタテマエとしての「顕教」(けんきょう)であるなら、元老という超法規的な存在はホンネを支える「密教」(みっきょう)であった。

維新の功労者であた元老たちは、しかしながら生身の人間であり一人また一人と消えていく。明治憲法の欠点が露呈し始めたのは日露戦争後のことであった。

雲を目標にしながら「坂の上」を登りきったあと、ふと足元を見たらそこは断崖であったのだ。日露戦争後に日本人が劣化したというのが司馬遼太郎説であるが、明治憲法に設計ミスがあったとする著者の主張には説得力がある。


「非常事態に弱い国」日本

明治憲法の問題点が大きく裏目にでたのが1923年の関東大震災。「震災で、近代国家は一時的に死んだ-関東大震災と朝鮮人虐殺」(第4章)とあるように、帝都東京が壊滅的打撃を受けたことにより事実上の無政府状態が発生したのである。

そんな状態のなかで朝鮮人虐殺が発生したのである。アナーキスト大杉栄の一家が憲兵によって虐殺されたのである。機能不全状態の東京において、想像を絶する恐怖心が、民衆にも官憲にも存在したのである。火災保険の震災免責条項の存在が、持ち家を焼かれた一般民衆の怒りの矛先が向けられたのである。すでに第一次世界大戦末期の1917年には、ロシア革命によって労農政府が成立していた。

「非常事態に弱い国」日本が露呈したのが、関東大震災であったのだ。

日露戦争後の日本は、国民全体をまとめる大きな物語を喪失し、まさに内憂外患のなか最終的な破局である大東亜戦争へと、坂を転げ落ちるように突き進んでいくことになる。閉塞感の打破としての戦争勃発に熱狂した日本国民であったが、熱しやすく冷めやすい国民性は、何度も何度も繰り返される。

見たくないものは見ないことにしてしまう、聞きたくないことは聞かなかったことにしてしまいたいという、「見ざる言わざる聞かざる」の日本人をめぐる物語。この物語は、登場人物と舞台設定を変えたうえで再び上演されるのか?

1986年に発生したチェルノブイリ原発事故から5年で崩壊したソ連。2011年3月11日からすでに3年、あと2年でこの国も死んでいくのであろうか? もちろん国は死んでも日本人は生きていかなくてはならないのではあるが・・・

最終章の「第14章 そんなに国を死なせたいのか-半身不随の「国体」」にはおおいに考えさせられるものがある。「ポツダム宣言」受諾の条件であった「国体護持」はなされたのか否か。「国のかたち」としての天皇制はからくも存続したが、それはひじょうに重要なものを欠いた「国体」ではないのか、というのが著者が読者に提示している疑問だ。

その点にかんしては、本書が出版された以後のことになるが、国民の命を守るために力の限り陣頭指揮をとった、福島第一原発の所長であった吉田昌郎氏が事実上の「殉職」となったことは、日本国民にとっては、ある意味では数少ない「救い」であるのかもしれない。

この場を借りて、あらためて吉田昌郎氏のご冥福を祈るとともに、その「犠牲」(サクリファイス)の意味を深く考えたいと思う。日本国民は、故吉田昌郎氏のことを絶対に忘れてはいけない。





目 次

序章 民族のトラウマ
第1章 権力は低きに流れる-猿の群れからファシズムまで
第2章 国家をわざと麻痺させる-ヒトラーの命がけの遊び
第3章 権力者の生まれえない構造-明治憲法という自爆装置
第4章 護憲思想栄えて国滅ぶ-勝手にがんばろう!日本
第5章 上意下達の徹底と崩壊-ロシア革命からソ連崩壊まで
第6章 「負け組」が怒り出す前に-国防のための保険数学
第7章 震災で、近代国家は一時的に死んだ-関東大震災と朝鮮人虐殺
第8章 いかなる非常時にも「社会公衆の安固」を-戦時特殊損害保険
第9章 舌先三寸と気分の衆愚選挙-普通選挙で国滅ぶ
第10章 衣食足りずして礼節を知らず-「土の怨念」が生んだテロ
第11章 東北が叩きのめされた-国内外で捻れる産業政策
第12章 政党が国民の信任を失う-世界大恐慌と農業恐慌
第13章 死に体政治に未曾有の国難が迫る-ゴジラが象徴した厄災
第14章 そんなに国を死なせたいのか-半身不随の「国体」
あとがき
参考文献

著者プロフィール

片山杜秀(かたやま・もりひで)
1963年生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学部准教授。著書に『音盤考現学』、『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞を受賞)、『近代日本の右翼思想』などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報追加)。


<ブログ内関連記事> 

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは


関東大震災(1923年)以後の日本近現代史

書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないようよう

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる


突発的に襲ってくる危機としての原発事故、自然災害

書評 『官邸から見た原発事故の真実-これから始まる真の危機-』(田坂広志、光文社新書、2012)-「危機管理」(クライシス・マネジメント)の教科書・事例編

書評 『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎、岩波新書、2000)-「市民科学者」の最後のメッセージ。悪夢が現実となったいま本書を読む意味は大きい
・・原子力産業草創期にエンジニアとしてかかわった著者の軌跡

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

『チェルノブイリ極秘-隠された事故報告-』(アラ・ヤロシンスカヤ、和田あき子訳、平凡社、1994)の原著が出版されたのは1992年-ソ連が崩壊したからこそ真相が明らかになった!

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる
・・「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」(寺田寅彦)

鎮魂・吉田昌郎所長-『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)で「現場」での闘いを共にする


かならず到来が予想されるため「想定内」としなくてはならない「危機」

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?


日本人に絶対不可欠なマインドセット(心構え)

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)
・・「もし~どうなる?」という発想法。日常動作レベルまでにしてしまわないと・・・





(2012年7月3日発売の拙著です)





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