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2014年5月28日水曜日

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド


『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000)は現代オランダ文学である。第二次大戦中のオランダ領東インド(=現在のインドネシア)に生まれ、その地で少年時代を過ごした著者の体験をベースにしたものだ。

2000年が日蘭交流400周年であったためだろう、オランダ関係の本が多数出版されているが、この本もその一冊である。じつはその当時購入したまま積ん読状態だったのだが、14年目(!)にして初めて読んでみた。そして小説であることに気がついた。

同時期に購入して、すでに読んでいた『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)と同様の、社会問題を扱った評論かノンフィクションだと思い込んでいたので、すこし意外な感じがしたのである。

オランダの文学作品など日本語ではめったに読めるものではない。おなじく第二次大戦中のユダヤ人迫害を扱った世界的ベストセラー『アンネの日記』くらいしか思い浮かばないのは、そもそもわたしがあまり小説を読まない人間だということもあろうが、かならずしもそうとは言えないと思う。

現代オランダ人の著者といえば、日本文化の研究者でもあるイアン・ブルマ(Ian Buruma)の本くらいしか読んだ記憶はない。しかも英語である。オランダ語では読者人口が小さすぎる(・・調べると、世界全体で2,300万人程度らしい)からだろう。

「2000年が日蘭交流400周年」であったと書いたが、また大多数の日本人の認識においては、オランダといえば出島や長崎、蘭学といったポジティブな話に終始しているのだろう。江戸時代からいきなり現代に飛んで、風車やチューリップといったイメージ。

だが、日本とオランダは第二次大戦で戦った、しかもアジアで(!)ということが、日本人の知識にすらなっていないのは困ったことだ。日本は大東亜戦争の4年間、インドンシアを占領して軍政を敷いていたわけだが、その当時はオランダの植民地であったのである。日本の歴史教育は現代史を軽視しているので、こういう致命的な知識の欠落が生じてしまうのである。

『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』は、外交官だった著者がリタイア後に書いた「帰国文学」である。「帰国文学」というジャンルがオランダにあるらしいが、植民地への「ノスタルジーを語ったものが大半であるようだ。日本でいえば満洲ものなどの「引揚者文学」がそれに該当するのだろうか。

(カバー裏 現地ジャワ人の乳母と著者 モノクロ着色写真)

主人公は、政界からの引退を余儀なくされたオランダの国会議員に設定されている。オランダ領東インドに生まれ育った彼は、少年時代には占領軍である日本軍の民間人抑留所に収容され、日本の敗戦後は両親とともにオランダ本国に「引き揚げ」た。以後、少年時代の記憶は心の中に封印し、東インドには一度も戻ることはなかった・・・

以下は、出版社による要約をそのまま引用させていただこう。文学趣味のあまりないわたしが下手に要約するよりもはるかに秀逸であるから。

党の長老にして首相のご意見番でもあるレーヘンスベルフは、同僚の突然の裏切りで議員辞職に追い込まれ、仕方なく回顧録でも書こうかと思う。そこへインドネシアへの経済使節団に加わる話が舞い込んできた。現地に着くと、記憶の底に押し込めたはずの光景が次々に蘇ってくる。彼のことを知っているかのごとくガイドする運転手(実は小学校の友人)、能天気な妻、残されていた母の手紙…。すべてに苛立ちながら、彼は少年の頃に収容されたバンドンの日本軍抑留所に引き寄せられていく。日本軍抑留所ですごした少年時代の体験を文学作品に昇華させた秀逸な作品。

生き馬の目を抜く政治の世界もさることながら、ビジネスマンのわたしには経済ミッションに参加するという設定が面白い。主人公のモノローグという内面のつぶやきを多用した文体は、現代に生きるオランダ人の心性(メンタリティ)に触れることができて興味深い。先進国という点で、現代オランダ人が現代日本人とさして変わりないこともわかる。

「植民地支配者と被支配者の間にいまだに微妙に残る心理的な葛藤を、バンドンの日本軍抑留所ですごした少年時代の体験と交差させながら描いた」(内容紹介から)作品だが、この小説は1993年の出版で、オランダ語の原題は、Bandoeng-Bandung というらしい。

(原著オランダ語版カバー)

バンドンとは、インドネシア独立後に第三世界の旗手となったスカルノ大統領が「バンドン会議」を開催した、あのバンドンである。

Bandoeng-Bandung というのは前者の Bandoeng がオランダ領東インド時代のつづりで、後者の Bandung は現代インドネシアのつづりである。前者で「過去」を、後者で「現代」を表現しているだけでなく、植民地と被植民地の関係、植民地支配者と被支配者の関係もまた表現しようとしているのだろう。ノスタルジーと苦い悔恨のないまぜになった、微妙な感覚である。

植民地時代のバタヴィアがジャカルタに、ボイテンゾルク(=無憂)がボゴールにと、植民地時代の記憶を断ち切るかのようの地名の変更を行った独立後のインドネシアだが、つづりはかわってもバンドンは発音は同じままバンドンで変化はない。そんなこともアタマのなかにいれておきながら読んでみるといい。

現代オランダ、現代インドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インドと、時空と虚実がさまざまに交錯しながら、封印していた過去がよみがえり、苦い味を感じる人生。

英国人やフランス人は東南アジアを舞台にした植民地ノスタルジーものが多く日本にも紹介されているし、映画作品も多く公開されているが、オランダのものはきわめて少ない。

大人向けの文学作品として読むもよし、オランダ人にとってのインドネシアの意味を垣間見ることで、オランダ人のメンタリティーを知ることのできる作品でもある。






著者プロフィール

F・スプリンガー(F. Springer)
本名カーレル・ヤン・スフネイデル(Carel Jan Schneider)。1932年、旧オランダ領東インド(現インドネシア)のバタヴィア(現ジャカルタ)生まれ。父親はプロテスタント系高校のドイツ語教師(のちにアムステルダム大学のドイツ語教授)。マランとバンドンで幼年時代をすごし、10歳のとき日本軍民間人抑留所に、14歳でオランダ本国に引き揚げ、ライデン大学法学部を卒業。1961年、行政官としてニューギニアに駐在(当時まだオランダ領)。1964年から1989年まで、外交官としてニューヨーク、バンコク、ブリュッセルなど各国に勤務。駐東ドイツ大使を最後に退官。外交官時代から作家活動をはじめ、『ブーゲンヴィル』『さよならニューヨーク』など駐在地を舞台にした小説を執筆。1981年刊行の『ブーゲンヴィル』でボルテウェイク文学大賞を受賞、一躍脚光を浴びる。1995年、全作品でコンスタンテイン・ハイヘンス文学大賞を受賞。(カバー記載の情報から)。

訳者プロフィール

近藤紀子(こんどう・のりこ)
翻訳家。1941年、山梨県生まれ。1963年、東京外国語大学インドネシア語科卒業。六四年オランダ政府給費生としてライデン大学に留学。オランダ近代文学を専攻する。以来ライデン市に在住、紀子ドゥ・フローメン(De Vroomen)の名前で日本文学の紹介につとめる。翻訳書に大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『芽むしり仔撃ち』『万延元年のフットボール』、大岡信『遊星の寝返りの下で』、安部公房『短編集』、オランダ語から日本語への訳書として『西欧の植民地喪失と日本』(草思社刊)、著書として『連句・夏の日』『大江源三郎・文学の世界』などがある。(カバー記載の情報から)。


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(2012年7月3日発売の拙著です)








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