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2025年3月6日木曜日

政策研究大学院大学で開催されたインドネシアの元大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ博士の「特別講義」に参加してきた(2025年3月6日)

 

 本日(2025年3月6日)、インドネシアの元大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ博士(Dr. Susilo Bambang Yudhoyono)による「特別講義」(Special Lecture)に参加してきた。

主催と会場は、六本木にある政策研究大学院大学。訪問するのは10年ぶりくらいか? 特別講義のみならず議事進行もすべて英語のみ。




わたし自身は、インドネシアには2回行っているものの、仕事としてメインでかかわってきたわけではない。だが、ASEANの盟主で地域大国であるインドネシアは、人口規模が2億人を突破し、近未来の経済大国になることが予測されていることから、関心を持ち続けてきた。

インドネシアには、スハルト政権時代から、その崩壊を経て現在に至るまで、リアルタイムで関心を持ち続けてきた。 インドネシアのスラウェシ産の「トラジャ・コーヒー」を愛飲している。

1949年生まれのスシロ・バンバン・ユドヨノ博士は、退役陸軍大将の政治家で農業経済学で博士号をもつ実践的知性の持ち主米国でM.B.A. も取得している。大統領就任後の来日の際に、たしか2011年で日経主催だったと思うが、講演会をききにいっている。 

独立以来、中立を保ってきたインドネシアは、米中のはざまという地政学的状況下でどう生き抜いていくか、そしてまた日本との関係をどう発展させていくか、こういった大きなテーマについてナマの話を聞くことができた。
 
大統領職から離れてすでに10年以上たっているが、さすがアクチュアルな問題にかんしても一家言をもっている「知の人」である。レクチャーは「トランプ2.0」時代のウクライナの話から始まり、国際政治におけるインドネシアの立ち位置の確認がなされる。

インドネシアが 中ロを中心とする BRICS に加盟している10カ国の1つであることは、うかつなことにユドヨノ氏の発言を聞くまで知らなかった。どうやら、インドネシアは最新加盟国として 2025年1月6日 に加盟したようだ。ちなみに、アフリカのエチオピアは第9番目の参加国である。



インドネシアは独立の前後から日本との関係が密接であるが、スカルノ時代には非同盟諸国のリーダーとしてニュートラルな立場を維持してきた。

ASEANの盟主であり、OECDにも加盟しているインドネシアは、西側とみなされがちだが、インドとともに、いわゆる「グローバルサウス」の雄であることを再確認させられたわけである。独立後のインドもまた、非同盟諸国のリーダーであった歴史をもつ。

質疑応答にかんしても、インドネシアの留学生の農業政策にかんする質問や、日本人からの津波対策などの質問が有益であった。 島国で火山国、つまり地震国でもあるインドネシアと日本は共通の課題を抱えているのである。

 ふだんはこの手の講演会は YouTube 動画の視聴で済ませているが、たまにはその場で肉声を聴く機会をもつのもいいと思った次第。


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2022年6月29日水曜日

「トラジャコーヒー」がうまい! ― インドネシアのスラウェシ産のコーヒーをドリップバックで楽しむ



東南アジアでコーヒーといえば、知る人ぞ知るベトナムコーヒーが有名だ。

フランスパンもそうだが、植民地時代のフランスの影響もあるのだろう。ベトナム北部のハノイでは、オープンテラスのカフェでコーヒーが飲まれている。ベトナムのコーヒーも、コーヒー豆の種類でいろいろあるが、日本では業務用のコーヒーとして使用されることが多いようだ。

意外と知られていないが、タイでもラオスでもコーヒーは栽培されている。基本的に亜熱帯の気候帯だが、高地にいけば気温の寒暖差もありコーヒー栽培に適しているからだ。タイでは、ロイヤルプロジェクトとして、麻薬の代替作物としてコーヒー栽培が奨励された。

だが、なんといっても、歴史があるのはインドネシアのトラジャ(Toraja)だろう。

インドネシア中部のスラウェシ島で栽培されるコーヒーだ。スラウェシ島のトラジャ地方だけで栽培されていることが由来とのこと。スラウェシはセレベスともいう。

味はコクがあって、しかも苦みと酸味がうまいバランスで、じつに美味い。

朝は濃い目のコーヒーが目覚ましのためにいいが、夕食後はトラジャコーヒーがいい。最近は、すっかりドリップ方式のトラジャにはまっている。

メーカーによる説明文を引用しておこう。

18世紀、「セレベス(スラウェシ)の名品」と謳われた幻のコーヒーがあった。 インドネシア・スラウェシ島にのみ産するトラジャコーヒー。 大戦の混乱の中、市場から姿を消した そのコーヒーを復活させたのは多くの日本人の情熱だった。 産地に至る道を造り、荒れ果てた農園を再生。 キーコーヒーは約40年にわたりその品質を極め、 厳しいコーヒー好きにも愛されてきた。 トアルコ トラジャ。 それは日本と日本人がインドネシアとともにつくりあげた、 世界に誇れる一杯。


(スラウェシ島 Wikipediaより)


おお、そんな歴史があったのか! 

オランダの植民地時代に開発されたコーヒー農園。復活させたのは日本人。歴史を踏まえると、さらに味わいが濃くなる気もしてくる。

「猫じゃ、猫じゃ」というフレーズが漱石の『吾輩は猫である』にでてきたと記憶しているが、ドリップ式でコーヒーを淹れる際には「虎じゃ、虎じゃ」とつぶやいてみたりもする(笑)

どうしても、日本語人的には「トラジャ」の「トラ」は動物の「虎」であって、インドネシアなら「トラ」といえば「スマトラ」という連想が生まれがちである。スマトラ島には「スマトラトラ」という虎がいるので、ややこしい。

繰り返すが、ただしくは「スラウェシ」だが、スラウェシ島の形は尻尾を立てた虎のようでもある(上記の地図)。

ややこしいのは仕方ないが、スマトラとスラウェシはぜんぜん違うので、アタマに刻みつけておかないとね。


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オランダ領東インドと日本

・・インドネシアの話が満載


・・日本占領時代のジャワ捕虜収容所が舞台

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず


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2021年4月6日火曜日

書評『イスラーム宗教警察』(高尾賢一郎、亜紀書房、2018) ー サウジアラビアを中心に知られざる「イスラーム宗教警察」の実態に迫る



「イスラーム」と「宗教警察」といういかめしい漢字熟語の組み合わせ黒ずくめの衣装に身を包んで目を閉じた女性たちのカバー写真

こんなものを見ると、「イスラムは怖い」というイメージが一人歩きしそうだ。 

正直いって敬遠したくなるが、だからこそかえって好奇心がかき立てられることもある。私もその1人であり、まずは読んでみることにした。

「百聞は一見にしかず」というわけにもいかないので、文字情報でアプローチするわけだ。 


■サウジアラビアの状況を中心に

「イスラーム宗教警察」については、建国当初から制度化されてきたサウジアラビアが事例研究の中心となっている。 

イスラム研究者である著者が、2011年から3年間にわたって在サウジアラビア日本大使館で専門調査員として勤務していたためである(・・ちなみにイスラム法学者の中田考氏もおなじ経験の持ち主)。

「宗教警察」の任務は、イスラム法の行動規範を遵守させるため「勧善懲悪」を行うことになる。勧善懲悪というと水戸黄門のようなイメージだが、英語で表現すれば、"the promotion of virtue" and "the prevention of vices" となる。読んで字の如く、「美徳」を推進し「悪徳」を防ぐという意味だ。 

なんだか、学校の「風紀委員」のようなイメージだな。躾(しつけ)がなってない、聞き分けのない子どもに対して、目に見える形で指導するのが任務のようだな。

だが、そんな指導を大人に対して実行するのが宗教警察の役割なのだ。 イスラム教にもとづく社会規範のお目付役というところだろうか。どんな社会もそうだが、すべての人が品行方正というわけではない。

著者も指摘しているように、「宗教警察」を考えるにあたっては、サウジアラビアの特殊性について考慮に入れる必要があるだろう。

イスラム教の純化を唱えるワッハーブ派とサウジ家との盟約によって誕生した部族国家サウジアラビアは、「近代国家」とは言い難いものがある。エジプトのように西欧列強による植民地化を体験することなく、いきなり近代世界に出現したような存在だ。だから「宗教警察」という制度が生まれたのも不自然な話ではないわけだ。 

とはいえ、そんなサウジアラビアも若年層が急増しており、近年はムハンマド皇太子の強力な指導のもと、女性の社会進出も制度的に緩和されつつある。

サウジアラビア社会が激変のなか、一般人の「宗教警察」に対する受け止め方や、その位置づけにも変化が起きているようだ。サウジアラビアの一般人からしても、行きすぎと見なされる行為もあるようだ。どうやら煙たがれる存在となっているようだ。

本書は、その意味では「宗教警察」を軸にしたサウジアラビアの社会学的分析として読むこともできる内容になっている。 詳しくは直接読んでみてほしい。


■インドネシアのアチェの事例が興味深い

このほか「自称イスラム国」とインドネシアのアチェの事例が取り上げられているが、アチェの事例もまた興味深い。

スマトラ島西端のアチェは、インドネシアのなかでは地理的にもっとも中東に近く、とりわけイスラム色の強い地域である。独立心も旺盛で、オランダ統治時代から叛乱が絶えない地域でもあった。スマトラ島沖地震(2004年)で大規模被害を受けてからは、インドネシア政府との和解が進展し、落ち着いた状況となっている。

そんなアチェだが、なんといっても東南アジアである。アフガニスタンのタリバンや、自称イスラム国のようなものとはほど遠い。よくいえば比較的に寛容、ある意味ではいい加減なところもある。鞭打ち刑もあるが、形式的に叩く程度のものであるようだ。 

「宗教警察」については、学問研究の対象としては研究蓄積が薄いだけに、まだまだわからないことが多いようだ。その意味では、本書は先駆的な内容のものである。

ぜひ多数派のスンナ派世界のものだけでなく、シーア派のイスラム国家であるイランについても、比較研究がなされることを期待している。 





目 次 
はじめに 
序章 イスラーム社会と風紀 
第1章 イスラームにおける勧善懲悪 
第2章 サウジアラビアの勧善懲悪委員会 
第3章 サウジアラビア社会が迎える変化 
第4章 「イスラーム国」のヒスバ庁 
第5章 インドネシア・アチェ州のヒスバ警察 
終章 勧善懲悪について振り返る 
あとがき 
主要参考文献

著者プロフィール
高尾賢一郎(たかお・けんいちろう)
同志社大学大学院神学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(神学)。日本学術振興会特別研究員PD(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)。専門は宗教学ならびに現代イスラーム思想・社会史。訳書にサーミー・ムバイヤド『イスラーム国の黒旗のもとに――新たなるジハード主義の展開と深層』(共訳、青土社)がある。


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2016年8月13日土曜日

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(国立歴史民俗博物館)に行ってきた(2016年8月12日)-江戸時代後期(=19世紀前半)の日本をモノをつうじて捉える

(国立歴史民俗博物館にて)


「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(国立歴史民俗博物館・千葉県佐倉市)に行ってきた(2016年8月12日)。

「ミュンヘン五大陸博物館」(旧ミュンヘン国立民族学博物館)所蔵のシーボルト収集の日本関連グッズが150年ぶりに里帰りしたのである。明治になってから大量に海外に流出した浮世絵などの日本絵画の「里帰り展」は多いが、日常生活で使用する工芸品や、美術品としてはそれほどのカチが高いわけでもない品々が展示されるのは、考えてみたら珍しいことかもしれない。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)は、オランダ東インド会社所属の医師として19世紀前半の江戸時代後期に来日した。来日したのは1823年、27歳の若さ(!)であった。長崎を拠点に高野長英など医学上の日本人弟子たちを養成、かれらをつうじて、じつに幅広く日本関連グッズを収集し、1828年の帰国に際してヨーロッパに持ち帰っている。

シーボルトは、その当時の日本人の生活関連や工芸品、植物や地図からなにからなにまで収集して日本学研究を行った植物学者であり博物学者でもある。日本人ならシーボルトの名を知らない人は、まずいないのではないだろうか。

(ドイツの切手に採用されたシーボルトの肖像画 wikipediaより)


■シーボルトの来日の背景と当時の欧州情勢

オランダは、1602年に設立された世界最古の株式会社「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。

17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、西欧諸国のなかで日本貿易を独占していたオランダの黄金期は意外と短かった。急速に勃興してきた英国に覇権を奪われたからだ。

フランス革命の混乱のなか、1799年には東インド会社は解散、しかもフランス革命後のナポレオン戦争時代には、混乱に乗じてオランダはフランスに占領され、海外植民地のオランダ領東インドは英国に占領されている。

(国立歴史民俗博物館の展示より「江戸時代の対外関係」地図)

ナポレオン戦争後に回復した国際秩序のウィーン体制(1814年)のもと、英国とオランダの関係は回復し、オランダは共和制から王政に転換する。戦後混乱のなか財政危機に陥ったオランダ本国は、植民地であった東インドの過酷な収奪によって財政再建を図る

1823年にシーボルトが日本に派遣されたのは、まさにこの時期のことであった。オランダ本国政府は財政再建の一環として、オランダ領東インド政庁を介した対日貿易の再建を考えており、シーボルトは日本市場の市場調査がミッションとして与えられていたのである。だからこそ、カネに糸目をつけずに日本の物産を購入することが可能で、地図などの軍事情報の収集も精力的に行ったのであった。

伊能忠敬作成の日本全図をひそかに国外持ち出しを図ったことが露見し、国外追放になった。いわゆる「シーボルト事件」である。1828年のことだ。国外追放処分となったシーボルトは、さらなる日本への渡航を希望していたが入国禁止となっており、「開国」後の日蘭通商条約締結後の1858年まで再来日はできなかった。

「シーボルト事件」にかんしては、『文政十一年のスパイ合戦-検証・謎のシーボルト事件』(秦新二、文春文庫、1996)に詳しく書かれている。同書によれば、幕府自身も地図の一件は知りながらシーボルトを泳がせていたようだ。日本国内の政争も背景にあり、なかなか複雑な構図があったようだ。

ともあれ、シーボルトは地図そのものは持ち出せなかったものの(・・ただし密かに写しを作成し持ち帰っている)、それ以外の日本関連グッズは収集品として大量に持ち帰ることができたのであり、その収集品をもとに「日本博物館」」として展覧を実現したのである。

(国立歴史民俗博物館にて)

医師・博物学者として優秀であったからこそオランダ政府から絶大な信頼を受けていたシーボルトであったが、シーボルトが、オランダ人ではなくドイツ人であったことは意外と知られていないかもしれない。シーボルトの収集品がドイツのミュンヘンで保存されているのはそのためだ。

ドイツ南部のミュンヘンは、当時のバイエルン王国の首都。シーボルトが生まれたのはヴュルツブルクだが、1814年にはバイエルン王国領となっている。そういうわけで、シーボルトはバイエルン王とは関係もあり、展示品のなかには、かの有名なルートヴィヒ2世あての書簡もある。


■江戸時代後期(=19世紀前半)の日本をモノをつうじて捉える

まあ、そういったシーボルトのバックグラウンドはさておき、19世紀前半の日本を、そっくりそのままモノをつうじて知ることができる興味深い企画展になっている。

展示品のなかには、カツオの形をした木製の刺身皿もあり(・・下図参照 『目録』より)、魚の腹の部分がフタになっており、開け閉めできるのが面白い。これなど復刻したら現在でも商品になるのではないかな。とにかく日本人は、小さなモノにかんしてはバツグンの能力を発揮していることが、あらためて確認できる。

(上は弁当箱、下はフタを閉めた状態の刺身皿 『目録』より)

常設展示の江戸時代の展示室とあわせて見学すると、江戸時代の日本がいかにすぐれていたかが実感されることになるはずだ。今回の企画展は、その意味でもおおいに意義のあるものだといえよう。


PS なお、今回の企画展の目録は、『よみがえれ! シーボルトの日本博物館』として青幻社から市販もされている。会場だけでなく、amazonなどのネット書店での購入も可能。





<関連サイト>

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」 特別サイト


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国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

すでに5月にアジサイの花-梅雨の時期も近い
・・「シーボルトとお滝さんのエピソードが知られているように、アジサイのラテン語の学名にはオタクサが含まれることになった。」

書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)-本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」
・・「当時のオランダは、世界最古の株式会社といわれる「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、最盛期は意外と短く、覇権は英国に奪われる。」 

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

9月になると紫色の実をつけるムラサキシキブの学名(Callicarpa japonica)はツンベルクの命名
・・「スウェーデン人のツンベルク(Carl Peter Thunberg 1743~1828)は、「分類学の父」であるカール・フォン・リンネ(1707~1778)の弟子。18世紀後半にオランダ東インド会社の商館に医師として来日することに成功し、日本滞在はわずか一年間であったが、精力的に日本の植物を調査した。日本では19世紀になってから来日したドイツ人のシーボルトの方が有名だが、学問世界、とくに分類学への貢献という点ではツンベルクはきわめて大きな存在である。」

(2017年10月14日 情報追加)


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2014年6月1日日曜日

書評『オランダ ― 寛容の国の改革と模索』(太田和敬・見原礼子、寺子屋新書、2006)― 「オランダモデル」の光と影



欧州の「小国」オランダ。オランダもまたスイスと並んで学ぶべき「モデル」として、日本では賞賛される傾向がある。なんといっても、日本人の認識においては「先進国」としてのオランダは、オランダの観光政策の影響もあってポジティブなイメージに充ち満ちている。

だが、ビジネス界が注目した「オランダモデル」は、けっして手放しで礼賛するようなものではないのではなかろうか。すくなくともオランダ社会について正確な理解をもっていないと抽象的な「モデル」としての理解で終わってしまう物事はオモテとウラの両面、光と影の両面をみないとほんとうのことはわからないはずだ。

その意味で本書『オランダ-寛容の国の改革と模索-』(太田和敬・見原礼子、寺子屋新書、2006)は、きわめてコンパクトな」新書本という形で、オランダ社会の光と影について、理路整然と過不足なく整理してくれており、ひじょうに読みやすい本である。これ一冊読めばオランダ社会を理解できるのは、共著者がともにオランダで暮らした経験を踏まえたうえで知的に整理してくれるからでもある。

本書の帯の紹介文にも書かれているとおり、日本人からみたオランダ社会は、「安楽死・麻薬・売春」の合法化を実行している、合理主義に貫かれた社会というイメージも強い。もちろんアタマでは理解できても受け入れがたいという人も少なくないだろうが。

「合理主義」を支える「自由」と「寛容」の精神、これはオランダの国土の特性と、独立戦争によって建国したという歴史(・・先進国ではスイスとアメリカとオランダのみ)に起因するものだ。戦乱に明け暮れたいた17世紀の欧州で、宗教戦争から距離を置いて、商業中心の市民社会をいち早く築いたのもオランダである。英国にさきがけて近代市民社会を成立させたのである。

国土の4割は干拓によって作り出したオランダは、技術と工学精神で制約条件を克服してきた。これが合理精神の根底にある。著者がいうように、国土そのものが人間が作ったものであり、現在でも水利技術が根幹にある。

1960年代に天然ガスが発見され、1970年代の石油危機の時代にガスの輸出で儲けた結果、通貨高を招いてそれが賃金上昇につながり、高福祉政策ゆえに経済が停滞するという「オランダ病」に悩むことになるが、現在では「オランダ病」を克服している。

このように棚ぼた式の経済ではなく、合理精神を発揮して問題解決を行ってきたのがオランダだ。ワークシェアリングもまた、あらたな発明であり、その意味においても、「人工」がオランダのキーワードなのである。おなじ合理精神といっても、自然をすでにそこにあるものとして受け入れてきた日本人の感覚とは大いに異なるものがある。

「自由」と「寛容」の精神をささえてきたのが、オランダ社会を特徴づけてきた「柱状社会」(verzuiling)というキーワードである。本書の記述によれば、「柱状社会とは、基本的に宗派的に社会が組織され、極端にいえば生まれてから死ぬまで関係する人間組織がすべて宗派的ななかで可能になっている状態」(P.81)である。異なる柱が何本か立っており、互いに干渉を行わない共生や共存という形態である。

20世紀初頭にできあがったこの社会システムは、戦後の1960年代以降には大きく変化しているが、それでもオランダ社会を根底で規定するものだという。つまり、オランダを「棲み分け社会」「文化多元主義(あるいは多文化主義)社会」としてきたものである。

「文化多元主義社会」という点においてオランダは英国と共通するのであり、中央集権国家のフランスや連邦制の地方分権型国家ドイツとは大きく異なる点なのである。一口に欧州といっても社会の構成原理は大きく異なるのである。

「棲み分け社会」や「文化多元主義社会」とは、基本的に外に干渉しあわないので、ときとして「無関心」になりがちな点も問題点としてあるようだ。だが、基本的にキリスト教が中心にあって、キリスト教が衰退した現在でも無意識レベルでは根底に存在するからこそ可能だった。つまりオランダ人としての価値観を共有していたということだ。

ところが、戦後の復興期を経て高度成長時代には、人口増大による国内人口で労働力をまかない得た日本とは異なり、オランダはトルコやモロッコ出身のムスリムを労働力として受け入れる。かれあらが時を経て、「移民」として定住するようになると、「自由」と「寛容」の精神を国是とする文化多元主義社会オランダは、「柱状社会」のあらたな「柱」として、共生・共存の道が模索されることになる。

だが、ムスリム移民に芽生えてきたイスラーム意識の覚醒や、2001年の「9-11」のテロ事件の影響は、オランダ社会の「自由」と「寛容」を揺るがす事態を招いていることは、日本でも報道をつうじて知ることができる社会変化だ。価値観を共有しないと思われる社会集団への排他的な意識である。

本書には言及がないが、東インド(=インドネシア)という「植民地喪失」にまつわる、オランダ人の根強い「反日」意識を考慮にいれると、オランダ人が排他的な意識をムスリムに対して示す傾向が強まっていることは不思議ではないような気もする。

オランダのプロリーグでプレイする日本人サッカー選手も体験している差別もまた、再生産される「反日意識」の反映かもしれない。と考えると、ムスリムに対する排他意識も再生産されていく可能性もある。

けっして好ましいものだとは言えないが、悲しいかな差別感情は人間の本性に基づくものである。

どんな社会でも「モデル」としてポジティブな側面だけ抽出しても、その「モデル」が成立してきたコンテクスト(=文脈)の抜きには、モデルを正確に理解したとはいえないのである。オランダ社会もまた光と影の両面をもっている。

その意味でも、オランダ社会を正確に記述しようとした本書は、書店の店頭ではあまり見ることはないかもしれないが、すぐれた内容の良書である。ぜひ一読を薦めたい。


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『オランダ-寛容の国の改革と模索-』(太田和敬・見原礼子、寺子屋新書、2006)

目 次 

はじめに
第1章 究極の合理主義者のとらわれない改革
 1. 世界ではじめて安楽死を合法化
 2. 麻薬と売春-合法化の理由
第2章 国土の建設-自由と独立を求めて
 1. 国家の成立とオランダの思想と技術
 2. 多様な価値観を認める社会へ
 3. 戦後のオランダ社会
第3章 生活しやすくつくられた社会構造
 1. 生活しやすい国
 2. 協調性とコミュニケーション
第4章 棲み分け社会オランダ
 1. 変わりつつあるオランダ
 2. 団体ごとの番組制作による国営放送
 3. 世界でもっとも自由な教育
第5章 オランダ的「寛容性」の課題
 1. 統合政策の行きづまり
 2. 混乱とその諸要因
 3. 新たな「寛容性」の構築
主要参考文献
あとがき


著者プロフィール
太田和敬(おおた・かずゆき)1948年生まれ。東京大学大学院教育学研究科満期退学・教育学博士。教育行政学・教育制度論専攻。文教大学人間科学部教授。教育制度が社会の統合や分化にどのような役割をはたすのか、個人の選択を保障する制度はいかなるものかを主要テーマとしている。本書の第1章~第4章を執筆。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに増補)。
   
見原礼子(みはら・れいこ)1978年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程在籍。日本学術振興会特別研究員。専門はヨーロッパの多文化社会における比較教育論・比較社会論。本書の第5章を執筆。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに増補)。



<参考>

第5章で取り上げられたオランダ社会とムスリムの関係については、『ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-』(内藤正典、岩波新書、2004)、『アッラーのヨーロッパ-移民とイスラム復興-(中東イスラム世界⑧)』(内藤正典、東京大学出版会、1996)を参照すると、より理解が深まるだろう。オランダ関連の目次を掲載しておこう。


『ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-』(内藤正典、岩波新書、2004)

 第Ⅱ章 多文化主義の光と影-オランダ
  1. 世界都市に生きるムスリム
  2. 寛容とはなにか
  3. ムスリムはヨーロッパに何を見たか

『アッラーのヨーロッパ-移民とイスラム復興-(中東イスラム世界⑧)』(内藤正典、東京大学出版会、1996)

 第5章 多文化共生とみえざる差別・オランダ
   1. 文化の列柱
   2. 外国人労働者からエスニック・マイノリティへ
   3. エスニック・マイノリティから移民へ
   4. オランダは移民のユートピアか
   5. 病理への批判してのイスラム復興

書評『イスラームからヨーロッパをみる ー 社会の深層で何が起きているのか』(内藤正典、岩波新書、2020)ー イスラームとの「共生」が破綻した西欧社会の現実を見よ
・・「多文化主義」には光と影があるが、その影の部分がイスラーム移民へのネガティブな視線である



<関連サイト>

饗宴外交の舞台裏(197) オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」-恩讐を越える道 (西川恵、フォサイト、2014年11月17日)

(2014年11月21日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
・・オランダもまた多文化主義の近代国家。ただし英国は旧植民地で構成される英連邦という大英帝国ネットワークがからんでくる

映画 『戦場でワルツを』(2008年、イスラエル)をみた
・・イスラエル出身で、オランダでイスラエル料理(・・アラブ料理でもある)のファラフェル販売で一財産つくった事業家が登場する。アンネ・フランクを持ち出すまでもなく、もともとオランダは16世紀以来、ユダヤ人には寛容な土地柄である

書評『イスラームからヨーロッパをみる ー 社会の深層で何が起きているのか』(内藤正典、岩波新書、2020)ー イスラームとの「共生」が破綻した西欧社会の現実を見よ
・・「多文化主義」には光と影があるが、その影の部分がイスラーム移民へのネガティブな視線である

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか
・・小国オランダにとって「虎の子」であった東インド植民地の喪失というトラウマについての冷静な解剖所見

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・ノスタルジーと悔恨の記録

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・「植物工場先進国のオランダの事例は興味深い。「施設栽培が最も進んだオランダでは、養液栽培による施設園芸こそが、環境負荷が最も少なく、持続的で、無農薬栽培に最も近いといわれている。なぜならここでは除草剤や土壌殺菌剤が不要で、天敵昆虫も利用でき、湿度調整をすると病害の発生すらもほとんど問題にならないようにできる」(P.16)」

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③
・・オランダを「寛容の国」とした先駆者の一人が初期近代のエラスムス

(2015年6月26日、2023年12月7日 情報追加)


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