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2014年7月10日木曜日

書評『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)ー ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ


『未来の国ブラジル』の原題は、Brasilien: Ein Land der Zukunft(ブラジル:未来の国)である。 1941年の出版。いまからすでに73年前に出版されたものだ。

日本語訳がでたのは1993年。原著出版から52年後のことである。いまからすでに21年前になる。わたしはこの本を出版直後に購入している。なぜなら、著者のツヴァイクのものだったからだ。

ツヴァイクといっても、あまりピンとこないかもしれないが、『マリー・アントワネット』の著者だといえばわかるかもしれない。『マリー・アントワネット』は、ロングセラーとして読み継がれてきた伝記作品だ。日本では複数の出版社から文庫版として現在も版を重ねている。

おなじくフランス革命関連であれば、フランス革命の動乱期を最初から最後まで巧みに生き抜いた政治的人間の傑作評伝 『ジョゼフ・フーシェ』などもある。こちらもぜひ読むことを勧めたい。ものすごく面白い作品だ。

このほか『昨日の世界』というタイトルの、第一次世界大戦によって崩壊したことによって完成した「ハプスブルク神話」という、「失われた世界」を描いた自叙伝的な作品もある。この作品についてはまたあとで触れることにする。

かつては『ツヴァイク全集』がみすず書房から小型サイズのハードカバーとして出版されていたのだが、作家として顧みられることは現在の日本ではほとんどないようだ。そもそもドイツ文学じたい、一部の熱心な愛好者を除けば、一般にはあまり読まれなくなっている。

ヒューマニズムや寛容の精神を説いた作品は、戦後日本のある時期まではさておき、いまの時代にはあまりそぐわないということもあるだろう。ツヴァイクの盟友であったロマン・ロランがいまではあまり読まれないのは、戦後日本を代表する西欧リベラル派的知識人であった加藤周一が、一部の熱心な人たちを除いては顧みられないのと同じことだろう。リベラル神話は過去のものとなって久しい。

もちろん、この『未来の国ブラジル』も、そういったツヴァイクの姿勢を反映したものである。失われたハプスブルク帝国神話を「未来の国ブラジル」に投影したものだという評言もある。だが、そういった評言は別にしても、ブラジルという主人公を描いた伝記作品として読むとじつに面白い。

1941年に時点で「未来の国」に込められた思いを知るには、ツヴァイクの生涯を追ってみる必要があるだろう。

(ドイツ語版はさまざまなエディションで入手可能)


「未来の国ブラジル」というフレーズにこめられた意味

1881年生まれのツヴァイクは、第一次世界大戦が勃発した1914年には33歳、第二次世界大戦が勃発した1939年には58歳であった。作家として脂ののっていた壮年期に二つの世界大戦を経験せざるをえなかった世代の人である。

そしてこの二つの世界大戦によって、「古き良き世界」であったハプスブルク帝国が崩壊するのを目の当たりにした世代の人である。その当時は「ヨーロッパ=世界」であった。無意識のレベルでヨーロッパ中心主義者であることが当たり前であった世代の人である。

ツヴァイク(Zweik)というのはドイツ語で「小枝」という意味だ。ユダヤ人のファミリーネームにはこういったものが多い。そう、ツヴァイクはハプスブルク帝国の首都ウィーンに生まれたユダヤ人なのであった。裕福な実業家の家庭に生まれ育った中流階級の「同化ユダヤ人」である。

ユダヤ系のツヴァイクは、ナチスの迫害を逃れてブラジルに移住することになるが、まさにリオのカーニバルを前にして、みずから命を絶った。1941年12月の日本の対英米宣戦布告にショックを受け、さらに翌年2月の日本軍による大英帝国の植民地シンガポール陥落の報道に絶望したためだという。

この事実は、日本人にとってはなんともいえない後味の悪い話である。なぜブラジルで、しかもよりによって日本の「戦勝」の報道で自殺しなければならないのか、と。もはやこれ以上の逃亡は不可能とあきらめた、ドイツ系ユダヤ人の評論家ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)がピレネー山中で自殺したのとはなんだか違う印象を受ける。

作家ツヴァイクの絶望がいかに深いものであったかは、想像の範囲を超えているとしかいいようがない。終の棲家(ついのすみか)として選んだ「未来の国ブラジル」においてすら、作家は絶望から逃れることができなかったということだろう。たとえ安全が確保された状況にあったとしても。

おそらく日本そのものが自死の原因ではないようだが、ツヴァイクはあくまでもヨーロッパ人という自意識の持ち主だったのだろう。いまは昔の、ヨーロッパが世界の中心であった時代の

『未来の国ブラジル』は、ブラジルで自死を選んだ作家にとって、生前に出版された最後の作品である。


『未来の国ブラジル』(1941年)は外国人によるブラジル賛歌

『未来の国ブラジル』は二部構成になっている。

前半は、ブラジルの歴史、産業と経済、ブラジル文化概観と一般向け解説書のような構成だ。もちろん熟練の作家の手になるものであり、つまらない解説書とは違ってじつに面白い。まさにプロの作家の手になる読み物である。

後半は、リオ・デ・ジャネイロを中心に、サンパウロとバイア、レシフェといった都市を取り上げ、このほか、没落した黄金の町やアマゾンへの飛行について記した紀行文となっている。文学趣味の持ち主には、この後半のほうが面白く感じられることだろう。

『未来の国ブラジル』はタイトルどおり、著者の思いがそのままストレートに反映したポジティブなトーンに終始した作品である。外国人の視点からみた「ブラジル賛歌」といっていいだろう。ブラジルに寄せる熱い思いが文章のすみずみから伝わってくる。

帯のウラに再録されたツヴァイクの文章を呼んでみるといいだろう。


「人種、階級、肌の色、宗教、主義主張の違いにもかかわらず、人々が平和に共存できるか?」--どの時代にも存在し、単純極まりないが避けることのできないこの質問に、我々はどう答えるのか。リオに上陸した時、生涯を通じて最も大きな衝撃を受けた。私は、ブラジルに魅せられると同時に感激した。なぜなら、ここでは海と山、都会と自然の素晴らしい組み合わせという、地球上で最高の風景美に出会ったのみならず、文明の全く新しい様式をみ出したからだ。 シュテファン・ツヴァイク


ブラジルが現実にはさまざまな問題を抱えた存在であるにもかかわらず、「可能性」というキーワードで描いた作品だ。

21世紀に入ってからは「新興国」として扱われ、頭文字をあわせた BRICs(ブリックス)の筆頭にブラジルが置かれているように大きな注目を集めてきた。ブラジルのほか、ロシア、インド、中国(チャイナ)が並列されている。

ブラジル経済の先行きの見通しは、いまふたたび悪化し、BRICs(ブリックス)という表現も耳にすることは少なくなった。鉱業や農業といった一次産品に大きく依存した経済構造は経済変動に影響を受けやすい。この体質は、けっしていま始まったものではない。この点についてもツヴァイクは物語風に語っている。

そのけっして長くない歴史のなかで、ブラジルはなんども同じような危機を体験し、そしてまた次の波がきては持ち直すということを繰り返している。希望と絶望、そしてまた希望と絶望を繰り返してきた大国である。しかしいずれもラッキーなことに不死鳥のごとく切り抜けてきた。ブラジルとは、じつに不思議な存在なのである。

『未来世紀ブラジル』というタイトルの1985年に製作された映画を想起するが、「未来」と「ブラジル」は結びつきやすいのだろうか。その意味でも、ブラジル人がいうように「永遠に未来の国」なのであろうか。

(1912年当時のツヴァイク wikipedia より)


「失われた世界」としてのハプスブルク帝国=ヨーロッパ

著者の思いがつよく感じられるのは、ブラジルを切り開いた人びとを描いた前半であろう。やはり伝記作家としての力量が大いに反映しているというべきだ。自身もドイツ系ユダヤ人であったツヴァイクが、なぜブラジルを「終の棲家」としようとしていたかが、問わず語りに伝わってくる。

まずは「新キリスト教徒」。つまり、ユダヤ教からの改宗者たちのことだ。マラーノと呼ばれた人たちである。旧世界から脱出し、新世界に人生を賭けた商人としてブラジル史の最初に登場する。ノマドとしてのユダヤ人。著者もまたその生涯に移動を繰り返したノマド的な人であった。

そして、ブラジルの建設にもっとも重要な貢献をしたのがイエズス会士たち。対抗宗教改革のなか誕生したイエズス会は、まさに新大陸を使命実現のための新天地としてブラジルの基礎をつくったのである。ツヴァイク自身は言及していないが、新大陸に渡ったイエズス会士たちのなかには「新キリスト教徒」が少なくなかったことも記憶にいれておきたい。

もっとも重要なのは、みずからの金銭欲という欲望を満たすために奥地へ、奥地へと入っていった無名人たちの存在。かれらが「意図せざる結果」としてブラジル内部の開発を促し、国土拡大をもたらしたのであった。ユダヤ系フランス人の文化人類学者レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の描写もそうだが、廃墟となった内陸都市を描いた文章は味わい深い。レヴィ=ストロースはツヴァイクよりも少し前にブラジルに滞在していた。

(ツヴァイクにとっての「昨日」と「未来」)

ツヴァイク生前最後の著作が1941年に出版された『未来の国ブラジル』(Ein Land der Zukunft)であり、ヨーロッパの「旧世界」を描いた半自叙伝の『昨日の世界』(Die Welt von Gestern)は著者の死後1944年に出版されている。この二作の執筆は同時期に重なっている。

「未来」(Zukunft)と「昨日」(Gestern)は対(つい)となるコトバである。すでに崩壊し、さらに徹底的に破壊されようとしているヨーロッパが「昨日」であれば、建設途上にある熱帯の国ブラジルは「未来」の国である。「過去」に生きる人は、「未来」に「過去」を投影しているのである。

レヴィ=ストロースの弟子で『悲しき熱帯』の日本語訳者である文化人類学者の川田順造氏は、はじめてのブラジル滞在について、「二ヶ月足らずだったが、この国を旅してみて、情緒不安定と、感情の両極性の露出にいたるところで出会い、私自身も情緒不安定に陥った」、と書いている。

ツヴァイクも『未来の国ブラジル』のなかで、カーニヴァル期間中の熱狂と祭りの後の穏やかな静けさの躁鬱的ともいえる対比について書いているが、ブラジルという熱帯の国に亡命してから躁鬱病がひどくなったのであろう。『未来の国ブラジル』は躁状態の熱気が伝わってくるが、大英帝国の植民地シンガポール陥落のニュースを聞いたときは鬱状態であったと推測される。

ことし2014年は、ヨーロッパの旧世界の崩壊のきっかけとなった第一次大戦が勃発してから100年になる。百年後の世界は、すでにヨーロッパが世界の中心でなくなってから久しい。ツヴァイクという作家は、幻想としての「ハプスブルク神話」に殉じたといえるのかもしれない。おなじくウィーンに生まれ育ったドラッカーの世代とはまったく異なるのである。

ブラジルが抱える現実的な問題には目をふさいでいるツヴァイクは、ブラジルに多民族共存と融合という「見果てぬ夢」を見ていたのかもしれない。実際のハプスブルク帝国は、多民族国家であったが民族融合の夢は破れ、民族自決によって成立したオーストリアにおいては、とくにユダヤ人にとっては理想郷ではなくなっていたハプスブルク帝国時代のウィーンで悲惨な青春時代を送ったのが後の独裁者ヒトラーである。

なぜかこの本にはサッカーの「サ」の字も出てこない。戦前の1941年時点ではいまだサッカーが熱狂的な話題ではなかったのか、それとも著者であるツヴァイクの世界には入ってこない存在だったのか? 

とはいえ、ツヴァイクという作家に関心はなくても、この『未来の国ブラジル』は面白い。今回のワールドカップでは実現しなかったが、ブラジルでオリンピックが開催される2016年には、ぜひ復刊、あるいは文庫化してほしいものだ。




PS 南米大陸では初の開催となる「リオ・オロンピック大会」が現地時間の2016年8月5日に始まったが、今回もまた「復刊」なり「文庫化」はなかったようなのが残念。「電子書籍化」すらない。出版社に見る目がないのだろうか。それとも版権の関係か? (2016年8月6日 記す)


目 次

はじめに
ブラジルの歴史
産業と経済
ブラジル文化概観
リオ・デ・ジャネイロ
 入港
 古いリオ
 リオの小路
 対照の妙技
 消え去るのは惜しい風物
 庭園と山と島
 リオの夏
サンパウロ寸描
コーヒーを訪ねて
没落した黄金の町を訪ねて
ブラジル北部への旅
 バイア-伝統への忠誠
 バイア-教会と祭礼
 砂糖、タバコ、カカオを訪ねて
 レシフェ
 アマゾンへの飛行
ブラジル史主要年表
シュテファン・ツヴァイク年譜
参考文献
解説
訳者あとがき



著者プロフィール

シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)
1881年~1942年。ハプスブルク帝国の首都ウィーンに裕福なユダヤ人実業家に家に生まれる。ウィーン大学卒業。在学中から文学活動をはじめ、詩・小説・伝記・戯曲・評論・翻訳と文学の全ジャンルに業績をあらわす。ナチスの手を逃れ亡命、フランス・アメリカ等を転々。ブラジルで自ら命を断つ。


訳者プロフィール

宮岡成次(みやおか・せいじ)
1936年、東京に生まれる。東京大学法学部卒業。三井金属鉱業に入社後、三井アルミニウム、日本アマゾンアルミニウムを経て、1982年、日伯合弁企業アルブラスに出向、リオデジャネイロ、ベレンに在勤。現在、三井金属の子会社ユーロセル社社長、フランス在住。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<参考文献>

『シュテファン・ツヴァイク-ヨーロッパ統一幻想を生きた伝記作家-』(河原忠彦、中公新書、1998)。この本を読むと、なぜいまでは読まれなくなった作家なのかがよくわかる。著者の意図はそこにはないのだが、すでにある時代は終わっているのだということを強く感じさせられるのだ。いわゆる「戦後民主主義」といわれる時代である。


PS  この投稿でブログ記事1,400本目となった。あと100本で1,500本となる。今年中の達成は可能であろう。なお、姉妹編ブログの投稿は345本となっている。あわせると本日現在1,735本となる。(2014年7月10日 記す)。


PS2 いまだ「未来の国」であるブラジル

草原にまばらにのみ低木の茂る植生の大地セラードにおける農業開発は、いまだに無限に近い開発余地があるという。ブラジルは21世紀の現在でもいまだに「未来の国」なのである。以下、wikipediaの「カンポ・セラード」の項目から引用しておこう。

ブラジル中部のセラード地域においては、1979年から日本とブラジルの間でセラード農業開発協力事業(PRODECER、プへロデセール)という共同の農業開発プロジェクトが実施された。その背景には第一次石油ショックや米国による大豆の禁輸などをきっかけに資源の安定確保が日本の重大な外交課題となっていたことがあり、訪伯した田中角栄首相のエルネスト・ガイゼルブラジル大統領への提案が事業推進のはじまりとなった。
2001年の終了まで3期21年間にわたり、約600億円の資金(日本のODAは279億円を活用)が投じられた。対象地域は7州の34万ヘクタールにおよび、酸性土壌の中和による改良、灌漑の整備、国際協力事業団(現JICA)を通じて115人の農業専門家の派遣が実施された。
当該地域での大豆生産量は1975年に43万トンであったものが、1999年には1666万トンへと急増。さらに2012年/2013年シーズンの生産予測値は7800万トン・世界生産量の28%となり、輸出量は米国の38%に匹敵する36%となる見込み[5]。今ではブラジルはトウモロコシやコーヒー豆と並んで大豆の一大生産・輸出大国となっているが、2012年のブラジル産大豆の6割がセラードで生産されたもの[2]であるなど、農業開発の成果が大きい。なお、開発初年から35年間で耕作地域は1200万ヘクタールに達したが、耕作可能地は全体で1.27億ヘクタールにおよぶことから、未だ「無限に近い」開発余地があるという。

(2014年7月12日 記す)


PS3 FIFAワールドカップ2014ブラジル大会でブラジル代表が惨敗

準決勝でドイツに7-1で惨敗、しかも3位決定戦ではオランダに3-0で完敗。サッカー王国ブラジルは開催国であるのにかかわらず4位で終わってしまった。サッカーにおいても再び「未来の国」、未来に向けて奮闘すべき国になってしまったのか? 次回以降のワールドカップでの奮起を期待したい。 (2014年7月13日 記す)


<ブログ内関連記事>


ブラジルと南米関連



・・パラグアイに焦点を置きながら隣国ブラジルをみる視点

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!
・・ブラジルと日本の縁は深い。ツヴァイクの『未来の国ブラジル』にも日本人移民の話がでてくる

書評 『サッカー狂の社会学-ブラジルの社会とスポーツ-』(ジャネット・リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、世界思想社、1996)-サッカーという世界スポーツがブラジル社会においてもつ意味とは?
・・ツヴァイクの『未来の国ブラジル』にはまったく触れられていないのがサッカー



旧大陸から新大陸へ脱出したユダヤ人

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・ドラッカー(1909~2005)は、ツヴァイクと同様、ハプスブルク帝国の首都ウィーンに生まれ育ったが、少年時代に第一次大戦を体験した1881年生まれのツヴァイクとは28歳違う「一世代若い世代」である。全体主義との闘いを鮮明に打ち出したのがドラッカーの思想的原点

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)-ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」
・・ドラッカーは、ヨーロッパの旧世界は積極に捨て去り、新多陸のアメリカに新天地を見いだす。このことからもツヴァイクの「ハプスブルク神話」が過去に生きる旧世代のものであることは歴然だ

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・アーレント(1906~1975)は、ドイツのハノーファー出身のユダヤ系哲学者。ニューヨークに亡命して政治哲学者として大きな業績を残した


移住と移民

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!

(2014年7月25日 情報追加)


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