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2014年7月10日木曜日

書評『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)ー ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ



『未来の国ブラジル』の原題は、Brasilien: Ein Land der Zukunft(ブラジル:未来の国)である。 1941年の出版。いまからすでに73年前に出版されたものだ。

日本語訳がでたのは1993年。原著出版から52年後のことである。いまからすでに21年前になる。わたしはこの本を出版直後に購入している。なぜなら、著者のツヴァイクのものだったからだ。

ツヴァイクといっても、あまりピンとこないかもしれないが、『マリー・アントワネット』の著者だといえばわかるかもしれない。『マリー・アントワネット』は、ロングセラーとして読み継がれてきた伝記作品だ。日本では複数の出版社から文庫版として現在も版を重ねている。

おなじくフランス革命関連であれば、フランス革命の動乱期を最初から最後まで巧みに生き抜いた政治的人間の傑作評伝 『ジョゼフ・フーシェ』などもある。こちらもぜひ読むことを勧めたい。ものすごく面白い作品だ。

このほか『昨日の世界』というタイトルの、第一次世界大戦によって崩壊したことによって完成した「ハプスブルク神話」という、「失われた世界」を描いた自叙伝的な作品もある。この作品についてはまたあとで触れることにする。

かつては『ツヴァイク全集』がみすず書房から小型サイズのハードカバーとして出版されていたのだが、作家として顧みられることは現在の日本ではほとんどないようだ。そもそもドイツ文学じたい、一部の熱心な愛好者を除けば、一般にはあまり読まれなくなっている。

ヒューマニズムや寛容の精神を説いた作品は、戦後日本のある時期まではさておき、いまの時代にはあまりそぐわないということもあるだろう。ツヴァイクの盟友であったロマン・ロランがいまではあまり読まれないのは、戦後日本を代表する西欧リベラル派的知識人であった加藤周一が、一部の熱心な人たちを除いては顧みられないのと同じことだろう。リベラル神話は過去のものとなって久しい。

もちろん、この『未来の国ブラジル』も、そういったツヴァイクの姿勢を反映したものである。失われたハプスブルク帝国神話を「未来の国ブラジル」に投影したものだという評言もある。だが、そういった評言は別にしても、ブラジルという主人公を描いた伝記作品として読むとじつに面白い。

1941年に時点で「未来の国」に込められた思いを知るには、ツヴァイクの生涯を追ってみる必要があるだろう。

(ドイツ語版はさまざまなエディションで入手可能)


「未来の国ブラジル」というフレーズにこめられた意味

1881年生まれのツヴァイクは、第一次世界大戦が勃発した1914年には33歳、第二次世界大戦が勃発した1939年には58歳であった。作家として脂ののっていた壮年期に二つの世界大戦を経験せざるをえなかった世代の人である。

そしてこの二つの世界大戦によって、「古き良き世界」であったハプスブルク帝国が崩壊するのを目の当たりにした世代の人である。その当時は「ヨーロッパ=世界」であった。無意識のレベルでヨーロッパ中心主義者であることが当たり前であった世代の人である。

ツヴァイク(Zweik)というのはドイツ語で「小枝」という意味だ。ユダヤ人のファミリーネームにはこういったものが多い。そう、ツヴァイクはハプスブルク帝国の首都ウィーンに生まれたユダヤ人なのであった。裕福な実業家の家庭に生まれ育った中流階級の「同化ユダヤ人」である。

ユダヤ系のツヴァイクは、ナチスの迫害を逃れてブラジルに移住することになるが、まさにリオのカーニバルを前にして、みずから命を絶った。1941年12月の日本の対英米宣戦布告にショックを受け、さらに翌年2月の日本軍による大英帝国の植民地シンガポール陥落の報道に絶望したためだという。

この事実は、日本人にとってはなんともいえない後味の悪い話である。なぜブラジルで、しかもよりによって日本の「戦勝」の報道で自殺しなければならないのか、と。もはやこれ以上の逃亡は不可能とあきらめた、ドイツ系ユダヤ人の評論家ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)がピレネー山中で自殺したのとはなんだか違う印象を受ける。

作家ツヴァイクの絶望がいかに深いものであったかは、想像の範囲を超えているとしかいいようがない。終の棲家(ついのすみか)として選んだ「未来の国ブラジル」においてすら、作家は絶望から逃れることができなかったということだろう。たとえ安全が確保された状況にあったとしても。

おそらく日本そのものが自死の原因ではないようだが、ツヴァイクはあくまでもヨーロッパ人という自意識の持ち主だったのだろう。いまは昔の、ヨーロッパが世界の中心であった時代の

『未来の国ブラジル』は、ブラジルで自死を選んだ作家にとって、生前に出版された最後の作品である。


『未来の国ブラジル』(1941年)は外国人によるブラジル賛歌

『未来の国ブラジル』は二部構成になっている。

前半は、ブラジルの歴史、産業と経済、ブラジル文化概観と一般向け解説書のような構成だ。もちろん熟練の作家の手になるものであり、つまらない解説書とは違ってじつに面白い。まさにプロの作家の手になる読み物である。

後半は、リオ・デ・ジャネイロを中心に、サンパウロとバイア、レシフェといった都市を取り上げ、このほか、没落した黄金の町やアマゾンへの飛行について記した紀行文となっている。文学趣味の持ち主には、この後半のほうが面白く感じられることだろう。

『未来の国ブラジル』はタイトルどおり、著者の思いがそのままストレートに反映したポジティブなトーンに終始した作品である。外国人の視点からみた「ブラジル賛歌」といっていいだろう。ブラジルに寄せる熱い思いが文章のすみずみから伝わってくる。

帯のウラに再録されたツヴァイクの文章を呼んでみるといいだろう。


「人種、階級、肌の色、宗教、主義主張の違いにもかかわらず、人々が平和に共存できるか?」--どの時代にも存在し、単純極まりないが避けることのできないこの質問に、我々はどう答えるのか。リオに上陸した時、生涯を通じて最も大きな衝撃を受けた。私は、ブラジルに魅せられると同時に感激した。なぜなら、ここでは海と山、都会と自然の素晴らしい組み合わせという、地球上で最高の風景美に出会ったのみならず、文明の全く新しい様式をみ出したからだ。 シュテファン・ツヴァイク


ブラジルが現実にはさまざまな問題を抱えた存在であるにもかかわらず、「可能性」というキーワードで描いた作品だ。

21世紀に入ってからは「新興国」として扱われ、頭文字をあわせた BRICs(ブリックス)の筆頭にブラジルが置かれているように大きな注目を集めてきた。ブラジルのほか、ロシア、インド、中国(チャイナ)が並列されている。

ブラジル経済の先行きの見通しは、いまふたたび悪化し、BRICs(ブリックス)という表現も耳にすることは少なくなった。鉱業や農業といった一次産品に大きく依存した経済構造は経済変動に影響を受けやすい。この体質は、けっしていま始まったものではない。この点についてもツヴァイクは物語風に語っている。

そのけっして長くない歴史のなかで、ブラジルはなんども同じような危機を体験し、そしてまた次の波がきては持ち直すということを繰り返している。希望と絶望、そしてまた希望と絶望を繰り返してきた大国である。しかしいずれもラッキーなことに不死鳥のごとく切り抜けてきた。ブラジルとは、じつに不思議な存在なのである。

『未来世紀ブラジル』というタイトルの1985年に製作された映画を想起するが、「未来」と「ブラジル」は結びつきやすいのだろうか。その意味でも、ブラジル人がいうように「永遠に未来の国」なのであろうか。

(1912年当時のツヴァイク wikipedia より)


「失われた世界」としてのハプスブルク帝国=ヨーロッパ

著者の思いがつよく感じられるのは、ブラジルを切り開いた人びとを描いた前半であろう。やはり伝記作家としての力量が大いに反映しているというべきだ。自身もドイツ系ユダヤ人であったツヴァイクが、なぜブラジルを「終の棲家」としようとしていたかが、問わず語りに伝わってくる。

まずは「新キリスト教徒」。つまり、ユダヤ教からの改宗者たちのことだ。マラーノと呼ばれた人たちである。旧世界から脱出し、新世界に人生を賭けた商人としてブラジル史の最初に登場する。ノマドとしてのユダヤ人。著者もまたその生涯に移動を繰り返したノマド的な人であった。

そして、ブラジルの建設にもっとも重要な貢献をしたのがイエズス会士たち。対抗宗教改革のなか誕生したイエズス会は、まさに新大陸を使命実現のための新天地としてブラジルの基礎をつくったのである。ツヴァイク自身は言及していないが、新大陸に渡ったイエズス会士たちのなかには「新キリスト教徒」が少なくなかったことも記憶にいれておきたい。

もっとも重要なのは、みずからの金銭欲という欲望を満たすために奥地へ、奥地へと入っていった無名人たちの存在。かれらが「意図せざる結果」としてブラジル内部の開発を促し、国土拡大をもたらしたのであった。ユダヤ系フランス人の文化人類学者レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の描写もそうだが、廃墟となった内陸都市を描いた文章は味わい深い。レヴィ=ストロースはツヴァイクよりも少し前にブラジルに滞在していた。

(ツヴァイクにとっての「昨日」と「未来」)

ツヴァイク生前最後の著作が1941年に出版された『未来の国ブラジル』(Ein Land der Zukunft)であり、ヨーロッパの「旧世界」を描いた半自叙伝の『昨日の世界』(Die Welt von Gestern)は著者の死後1944年に出版されている。この二作の執筆は同時期に重なっている。

「未来」(Zukunft)と「昨日」(Gestern)は対(つい)となるコトバである。すでに崩壊し、さらに徹底的に破壊されようとしているヨーロッパが「昨日」であれば、建設途上にある熱帯の国ブラジルは「未来」の国である。「過去」に生きる人は、「未来」に「過去」を投影しているのである。

レヴィ=ストロースの弟子で『悲しき熱帯』の日本語訳者である文化人類学者の川田順造氏は、はじめてのブラジル滞在について、「二ヶ月足らずだったが、この国を旅してみて、情緒不安定と、感情の両極性の露出にいたるところで出会い、私自身も情緒不安定に陥った」、と書いている。

ツヴァイクも『未来の国ブラジル』のなかで、カーニヴァル期間中の熱狂と祭りの後の穏やかな静けさの躁鬱的ともいえる対比について書いているが、ブラジルという熱帯の国に亡命してから躁鬱病がひどくなったのであろう。『未来の国ブラジル』は躁状態の熱気が伝わってくるが、大英帝国の植民地シンガポール陥落のニュースを聞いたときは鬱状態であったと推測される。

ことし2014年は、ヨーロッパの旧世界の崩壊のきっかけとなった第一次大戦が勃発してから100年になる。百年後の世界は、すでにヨーロッパが世界の中心でなくなってから久しい。ツヴァイクという作家は、幻想としての「ハプスブルク神話」に殉じたといえるのかもしれない。おなじくウィーンに生まれ育ったドラッカーの世代とはまったく異なるのである。

ブラジルが抱える現実的な問題には目をふさいでいるツヴァイクは、ブラジルに多民族共存と融合という「見果てぬ夢」を見ていたのかもしれない。実際のハプスブルク帝国は、多民族国家であったが民族融合の夢は破れ、民族自決によって成立したオーストリアにおいては、とくにユダヤ人にとっては理想郷ではなくなっていたハプスブルク帝国時代のウィーンで悲惨な青春時代を送ったのが後の独裁者ヒトラーである。

なぜかこの本にはサッカーの「サ」の字も出てこない。戦前の1941年時点ではいまだサッカーが熱狂的な話題ではなかったのか、それとも著者であるツヴァイクの世界には入ってこない存在だったのか? 

とはいえ、ツヴァイクという作家に関心はなくても、この『未来の国ブラジル』は面白い。今回のワールドカップでは実現しなかったが、ブラジルでオリンピックが開催される2016年には、ぜひ復刊、あるいは文庫化してほしいものだ。


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PS 南米大陸では初の開催となる「リオ・オロンピック大会」が現地時間の2016年8月5日に始まったが、今回もまた「復刊」なり「文庫化」はなかったようなのが残念。「電子書籍化」すらない。出版社に見る目がないのだろうか。それとも版権の関係か? (2016年8月6日 記す)


目 次

はじめに
ブラジルの歴史
産業と経済
ブラジル文化概観
リオ・デ・ジャネイロ
 入港
 古いリオ
 リオの小路
 対照の妙技
 消え去るのは惜しい風物
 庭園と山と島
 リオの夏
サンパウロ寸描
コーヒーを訪ねて
没落した黄金の町を訪ねて
ブラジル北部への旅
 バイア-伝統への忠誠
 バイア-教会と祭礼
 砂糖、タバコ、カカオを訪ねて
 レシフェ
 アマゾンへの飛行
ブラジル史主要年表
シュテファン・ツヴァイク年譜
参考文献
解説
訳者あとがき



著者プロフィール

シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)
1881年~1942年。ハプスブルク帝国の首都ウィーンに裕福なユダヤ人実業家に家に生まれる。ウィーン大学卒業。在学中から文学活動をはじめ、詩・小説・伝記・戯曲・評論・翻訳と文学の全ジャンルに業績をあらわす。ナチスの手を逃れ亡命、フランス・アメリカ等を転々。ブラジルで自ら命を断つ。


訳者プロフィール

宮岡成次(みやおか・せいじ)
1936年、東京に生まれる。東京大学法学部卒業。三井金属鉱業に入社後、三井アルミニウム、日本アマゾンアルミニウムを経て、1982年、日伯合弁企業アルブラスに出向、リオデジャネイロ、ベレンに在勤。現在、三井金属の子会社ユーロセル社社長、フランス在住。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<参考文献>

『シュテファン・ツヴァイク-ヨーロッパ統一幻想を生きた伝記作家-』(河原忠彦、中公新書、1998)。この本を読むと、なぜいまでは読まれなくなった作家なのかがよくわかる。著者の意図はそこにはないのだが、すでにある時代は終わっているのだということを強く感じさせられるのだ。いわゆる「戦後民主主義」といわれる時代である。


PS  この投稿でブログ記事1,400本目となった。あと100本で1,500本となる。今年中の達成は可能であろう。なお、姉妹編ブログの投稿は345本となっている。あわせると本日現在1,735本となる。(2014年7月10日 記す)。


PS2 いまだ「未来の国」であるブラジル

草原にまばらにのみ低木の茂る植生の大地セラードにおける農業開発は、いまだに無限に近い開発余地があるという。ブラジルは21世紀の現在でもいまだに「未来の国」なのである。以下、wikipediaの「カンポ・セラード」の項目から引用しておこう。

ブラジル中部のセラード地域においては、1979年から日本とブラジルの間でセラード農業開発協力事業(PRODECER、プへロデセール)という共同の農業開発プロジェクトが実施された。その背景には第一次石油ショックや米国による大豆の禁輸などをきっかけに資源の安定確保が日本の重大な外交課題となっていたことがあり、訪伯した田中角栄首相のエルネスト・ガイゼルブラジル大統領への提案が事業推進のはじまりとなった。
2001年の終了まで3期21年間にわたり、約600億円の資金(日本のODAは279億円を活用)が投じられた。対象地域は7州の34万ヘクタールにおよび、酸性土壌の中和による改良、灌漑の整備、国際協力事業団(現JICA)を通じて115人の農業専門家の派遣が実施された。
当該地域での大豆生産量は1975年に43万トンであったものが、1999年には1666万トンへと急増。さらに2012年/2013年シーズンの生産予測値は7800万トン・世界生産量の28%となり、輸出量は米国の38%に匹敵する36%となる見込み[5]。今ではブラジルはトウモロコシやコーヒー豆と並んで大豆の一大生産・輸出大国となっているが、2012年のブラジル産大豆の6割がセラードで生産されたもの[2]であるなど、農業開発の成果が大きい。なお、開発初年から35年間で耕作地域は1200万ヘクタールに達したが、耕作可能地は全体で1.27億ヘクタールにおよぶことから、未だ「無限に近い」開発余地があるという。

(2014年7月12日 記す)


PS3 FIFAワールドカップ2014ブラジル大会でブラジル代表が惨敗

準決勝でドイツに7-1で惨敗、しかも3位決定戦ではオランダに3-0で完敗。サッカー王国ブラジルは開催国であるのにかかわらず4位で終わってしまった。サッカーにおいても再び「未来の国」、未来に向けて奮闘すべき国になってしまったのか? 次回以降のワールドカップでの奮起を期待したい。 (2014年7月13日 記す)


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ブラジルと南米関連



・・パラグアイに焦点を置きながら隣国ブラジルをみる視点

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!
・・ブラジルと日本の縁は深い。ツヴァイクの『未来の国ブラジル』にも日本人移民の話がでてくる

書評 『サッカー狂の社会学-ブラジルの社会とスポーツ-』(ジャネット・リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、世界思想社、1996)-サッカーという世界スポーツがブラジル社会においてもつ意味とは?
・・ツヴァイクの『未来の国ブラジル』にはまったく触れられていないのがサッカー



旧大陸から新大陸へ脱出したユダヤ人

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・ドラッカー(1909~2005)は、ツヴァイクと同様、ハプスブルク帝国の首都ウィーンに生まれ育ったが、少年時代に第一次大戦を体験した1881年生まれのツヴァイクとは28歳違う「一世代若い世代」である。全体主義との闘いを鮮明に打ち出したのがドラッカーの思想的原点

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)-ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」
・・ドラッカーは、ヨーロッパの旧世界は積極に捨て去り、新多陸のアメリカに新天地を見いだす。このことからもツヴァイクの「ハプスブルク神話」が過去に生きる旧世代のものであることは歴然だ

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・アーレント(1906~1975)は、ドイツのハノーファー出身のユダヤ系哲学者。ニューヨークに亡命して政治哲学者として大きな業績を残した


移住と移民

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!

(2014年7月25日 情報追加)


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end

2014年6月30日月曜日

書評『「悲しき熱帯」の記憶 ー レヴィ-ストロースから50年』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)ー『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点


レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から50年後の1984年、その舞台となったたブラジルを訪れた愛弟子の日本人文化人類学者によるエッセイである。

レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったのは2009年、その翌年に文庫化されたわけだが、その際のタイトルはは『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』となっている。1996年に出版された単行本初版では、『ブラジルの記憶-「悲しき熱帯」は今-』(NTT出版)となっていた。単行本がでたのは旅が行われた1984年から12年後、文庫版はその14年後となる。

レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』の旅が行われた1934年から、ことしはすでに80年ということになる。『悲しき熱帯』の執筆が開始されたのは1954年だから、60年前になる。いずれにせよ、もうずいぶん昔の話なのである。

じつはわらたしは1996年の単行本を購入して一部だけ読んでそのままにしていた。肝心要の『悲しき熱帯』は購入しながらもいまだ読んでいなかったからだ。今回ようやく『悲しき熱帯』を読み終え、そのうえでさっそく川田氏の本書を読んでみた。



『悲しき熱帯』に登場する先住民のインディオのなかでもっとも印象的なのがナンビクラワ族である。訳者の川田氏もまた、1984年にナンビクラワ族のもとを訪れている。

「未開民族」は、言うまでもないがすでに50年前そのものではない。とはいえ、インディ保護政策に転じたブラジル政府の保護のもと、物質生活のなかに入っていながらも、従来の生活習慣を無意識のうちに保っていたというのは興味深い。もっとも、「文明社会」への「同化」のための過渡期(=モラトリアム)であったようだが・・・。

文庫版でも単行本初版でもカバーに使用されているナンビクラワ族の女性の写真が圧倒的だ。縄文土器のような大地に根ざした大地母神像のような圧倒的な存在。この写真が撮影されたのは1984年である。

南米大陸は、わたしにとっては、いまに至るまでテッラ・インコグニタ(=未知なる大陸)だ。そのなかでもブラジルはとりわけ「常識」を試される土地のようだ。

二ヶ月足らずだったが、この国を旅してみて、情緒不安定と、感情の両極性の露出にいたるところで出会い、私自身も情緒不安定に陥った。殺戮と贖罪、家父長制と母性憧憬(マザーコンプレックス)、雄性誇示と去勢願望・・・。個人をではなく、社会や歴史を理解するのに、ブラジルほど精神分析の用語を思い出させる国もめったにあるものではないのではないだろうか。(Ⅰ 反世界としてのブラジル)

こんな文章を読んだら、いつかはブラジルに行ってみたくなるではないか!

1996年に単行本を購入して一部だけ読んだ際につよく印象に残っていたのが、リオデジャネイロにおける「人類教」にまつわるエピソードであった。18年ぶりに読み返してもその印象に変化はない。

「人類教」(Église positiviste: 実証主義者教会)とはフランス社会学の始祖ともいうべきオーギュスト・コント(1798~1857)が晩年に唱えた宗教である。

フランスではまったく定着しなかったが、なぜか当時フランスに留学した青年将校たちを大いに感化し、かれらをつうじて「人類教」(Religião da Humanidade ポルトガル語。英語だと Religion of Humanity)としてブラジルに伝えられた。

共和国となったブラジルの国旗が「人類教」の理念のもとに作成されたことを知れば、誰だって驚くに違いない(下図)。緑の背景に黄色の菱形、そのなかに星がちりばめられた地球。帯に書かれている ORDEM E PROGRESSO(秩序と進歩)というポルトガル語のスローガンはコントの著書から取ったものだという。

(リオの人類教教会に残るブラジル国旗の原図 単行本 P.55より)

現在では、ほそぼそと生き残っているにすぎない「人類教」だが、大学では社会学部にいたわたしには感慨深いものがある。経験的事実に基づいた理論構築を目指した「実証主義」(positivism)の提唱者であるコントともあろう人が、なぜ「人類教」などという宗教の開祖になったのか(?)という思いがあったからだ。まるでフランス革命時の「理性崇拝」のようなイメージをもったものだ。

フランスにとって植民地ではなかったブラジルは、ポルトガルにとっての支配/被支配関係ではなく、また英国やオランダのような経済関係でもなく、「人類教」とブラジル国旗のエピソードに端的にあらわれているように、知的交流という側面でのつながりが強かったらしい。

レヴィ=ストロースもまた、ブラジルの新興ブルジョワ層が建学して、フランス流のアカデミズムを祖導入したサンパウロ大学に招聘されたことがキッカケでブラジルに渡ることを決心したらしい。それが1934年のことだ。20世紀最大の歴史学者となったフェルナン・ブローデルもまた、同時期にサンパウロ大学で教鞭をとっている。

ブラジルとフランスといえば、いまの日本なら日産を再建したカルロス・ゴーンという答えが返ってくるだろう。ゴーン氏はレバノン系ブラジル人だが、フランスの超エリート校のグランゼコールの一つエコール・ポリテクニークを卒業している。ゴーン氏の存在そのものにも、フランスと移民社会ブラジルの関係がみてとれるかもしれない。

本書は個のほか、大航海時代のポルトガルを軸にした西アフリカと日本の対比(・・キリスト教(=カトリック)、奴隷貿易、小王国)、奴隷貿易を軸にした「近代」のコースの分岐(・・大規模土地所有者として労働集約型産業から脱却できなかったポルトガルが奴隷制を長く維持したのに対し、産業革命によって工業化し次世代産業への移行に成功した英国はいちはやく奴隷制廃止に踏み切った)など、示唆に富む考察も少なくない。

ブラジルで奴隷制が廃止されたのはなんと1888年(明治21年)、奴隷制廃止後は日本人を含めた移民が大量に流入することになる。

「ポルトガル=西アフリカ=日本=ブラジル=フランスを多面鏡のように立てて照合させながら相互連関的視野で問題を検討すること」(著者)の一つの試みとして、知的好奇心を大いに喚起される好エッセイである。

『悲しき熱帯』を読んでいてもいなくても、ブラジルという存在を多角的に重層的に知ることのできるので、読む価値のある本といえるだろう。人類学者の視点である。




目 次 
Ⅰ 反世界としてのブラジル
Ⅱ 灰まみれのモラトリアム・ピーターパンたち
Ⅲ なぜ熱帯は今も悲しいのか
Ⅳ 「紐文学」と口誦の伝統
Ⅴ 私にとってのブラジル-十二年ののちに(“南蛮時代”の意味
あとがき
参考文献

著者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。


「人類教」の開祖で社会学者のオーギュスト・コントについては ⇒




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視点のもちかた

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ
・・川田順造氏は「三角測量」という表現をつかって日本=フランス=アフリカのフィールドワークを行ってきたと語っている。基本的には同じことをさしている


ブラジル関連

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「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
・・「未来」の国であるブラジルとは違う、「過去」に生きる本国のポルトガル

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)


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2014年6月29日日曜日

レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)ー 原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた



フランスを代表する人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)が、みずからが行った1930年代のブラジル調査旅行を、約20年のちの1954年から翌年にかけて一気呵成に執筆し、出版したものだ。いまからすでに60年前に出版された記録文学である。

「フランスを代表する人類学者」と書いたが、現代の西欧を代表する知識人であるといったほうがより正確だろう。レヴィ=ストロースが100歳(!)で逝ったのはいまから5年前のことだ。日本でも現代思想を代表する一人として圧倒的な影響を与えてきた存在である。「構造主義」という四文字熟語によって。

1934年に受け取った一本の電話から始まった民族学者クロード・レヴィ=ストロースのブラジル調査旅行。20年の時を経て一冊の本として執筆が始まったのが1954年、愛弟子の日本人人類学者・川田順造氏が12年間を費やして日本語訳を刊行したのが1977年、わたしがこの本を単行本で購入したのが1983年。

それは大学時代のことだ。「ニューアカデミズム」ブームで「構造主義」が流行っていた(?)1980年代前半のことである。なぜか読むことなく33年の歳月が流れ、書棚のなかでほこりをかぶりつづけ、シミを発生させてきた・・・。


(1977年版の単行本の帯)


もうこの機会を逃したら読む機会はないかもしれないという思いから読み出したのが、2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会の開催直前。2016年にオリンピックがブラジルで開催されるとはいえ、2年先だって先のことはわからないからだ。

とにかく、なぜか時間を要求する本のようだ。読み始めたら意外に読み進めてしまう内容の本なのだが・・・。

訳者の川田氏が書いているように、『悲しき熱帯』は「芳醇な馥郁たる香りのする、しかし時に苦渋にも満ちた「大人の読み物」、なのである。33年前、20歳にもならない若造が読んだとて、いったいどこまで理解できただろうかと思う。時間と空間が重層的に交差する世界。ある程度の人生経験を積んでいれば、意外なことにおのずから素直に納得のいく考察の数々。

年を取ることはけっして悪いことではない。若者が背伸びして読んだところで理解には限界がある本なのだ。

この本は、ときおり哲学的な考察や学問的な話もでてくるが、基本的には回想録であり、紀行文学として読んでも、いっこうにかまわないと思う。わたしもすべてが理解できたわけではないと正直に書いておく。翻訳もののにつきまとう晦渋さもあるためだが。


(写真集『ブラジルへの郷愁(サウダージ)』英語版の表紙)


本書には、「二項対立」(バイナリー)な存在として、歴史学と民族学、時間と空間、未開と文明、西洋と東洋、記憶と想起などがテーマとして浮かび上がってくる。未開社会もまた人間社会という点において文明社会と変わりがないことが示される。ある種の文化相対主義というべきであろう。

読んでいてひじょうにうれしく思ったのは、知的自伝を語りながら、レヴィストロースの少年時代からの、地質学と考古学への深い関心が歴史学的思考の基礎にあることを知ったことだ。この歴史学認識は、わたしも共有しているものであり、地層に歴史を読む込む発想をもっていたことにあらためて驚きと感嘆を感じるのである。

時間と空間にかんする認識こそが、歴史学と民族学(=文化人類学)の融合を実り豊かなものとする。直接レヴィ=ストロースとは関係ないが、わたしも大学時代目指していた歴史人類学は、その一つの融合の試みである。

いっけんブラジルのアマゾンのジャングルとは関係ない考察もまた、60年前のものとは思えないアクチュアルな意味をもっている。末尾に近い章で展開される議論が、とりわけ東洋世界の住人である日本人にとっては意味をもつ。

中洋のイスラーム世界をはさんで存在する西洋のキリスト教世界と東洋の仏教世界。現在のパキスタンの地で実現した古代ギリシアと仏教の出会いが、その後の歴史に持ち得たかもしれない可能性について夢想してみること。この考察は西欧知識人からするものだが、おなじく東洋世界の日本人にとっても意味なきものではない。


(『悲しき熱帯』のフィールドワーク中の若き日のレヴィ=ストロース ひげ面!)



西欧文明のまっただなかで知的訓練を受けた一人のユダヤ系のフランス知識人が、西欧による植民地支配と植民地主義が終わろうとしていたまさにその時期、西欧文明への深刻な反省を抱えながら、失われる寸前の「未開社会」をフィールドワークしながら認識を深めていくある種の知的自伝でもある。強靱で骨太の知性をそこに感じるのはそのためだ。

ただし、ブラジルはフランスの植民地ではなかった。周知のとおりポルトガルの植民地であったが、独立後のブラジル共和国の理念はフランス由来のものである。フランスとブラジルの関係は、もっぱら知的交流が主であったことはアタマに入れておく必要があろう。

すでに構造主義も、人類学も、かつてそれらがもっていたような輝きも消え、いまでは「既成の知」の一つとしてアカデミズムの世界のなかに確固たる位置を占めるに至っているが、「構造主義の原典」などという堅苦しい観点からではなく、虚心坦懐に読んでみたらいいのではないか。「教典」ではないのだから。

過度に持ち上げる必要もないし、けなす必要もない。すぐれた文学作品だからこそ長い生命力をもつのであろう。



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目 次

上巻
22年ののちに-レヴィストロースにきく-(川田順造)
悲しき熱帯
 日本の読者へのメッセージ
第1部 旅の終り
 1. 出発
 2. 船で
 3. アンティール諸島
 4. 力の探求
第2部 旅の断章
 5. 過去への一瞥
 6. どのようにして人は民族学者になるか
 7. 日没
第3部 新世界
 8. 無風帯
 9. グヮナバラ
 10. 南回帰線を越えて
 11. サン・パウロ
第4部 土地と人間
 12. 都市と田舎
 13. 開拓地帯
 14. 空飛ぶ絨毯
 15. 群衆
 16. 市場
第5部 カデュヴェオ族
 17. パラナ
 18. パンタナル
 19. ナリーケ
 20. 原住民社会とその様式
訳注
口絵 カデュヴェオ族

下巻
第6部 ボロロ族
 21. 金とダイヤモンド
 22. 善い野蛮人
 23. 生者と死者
第7部 ナンビクワラ族
 24. 失われた世界
 25. 荒野(セルタウン)で
 26. 電信線に沿って
 27. 家族生活
 28. 文字の教訓
 29. 男、女、首長
第8部 トゥピ=カワイブ族
 30. カヌーで
 31. ロビンソン
 32. 森で
 33. 蟋蟀(こおろぎ)のいる村
 34. ジャピンの笑劇
 35. アマゾニア
 36. セリンガの林
第9部 回帰
 37. 神にされたアウグストゥス
 38. 一杯のラム
 39. タクシーラ
  40. チャウンを訪ねて
訳注
参考文献一覧
訳者あとがき
口絵 ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族
地図



著者プロフィール

クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
1908年~2009年。ベルギーのブリュッセル生まれ。フランスの文化人類学者。パリ大学法学部卒業後、リセ(高等中学校)教員を経てブラジル、アメリカで民族学を研究、1949年帰国し、パリの人類博物館、高等研究院、コレージュ・ド・フランスなどで教育と研究に従事。社会人類学研究所を創設。画期的労作『親族の基本構造』などで文化の厳密な構造分析方法たる構造主義の旗手となる(別の書籍から転記)。 

訳者プロフィール

川田順造(かわだ・じゅんぞう)
1934年(昭和9年)東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(文化人類学分科卒)、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。パリ第5大学民族学博士。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を経て、現在広島市立大学国際学部教授。著書に『無文字社会の歴史』『口頭伝承論』『声』『ブラジルの記憶』他がある。


<ブログ内関連記事>

書評 『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)-『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る


人類学的認識

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・梅棹忠夫が提唱した「中洋」という概念をレヴィ=ストロースは使用していないが、『悲しき熱帯』の末尾の章を読むと近い認識をもっていたことがわかる

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・山口昌男が目指した「歴史人類学」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著
・・訳者の人類学者・川田順造氏は、思想史家の良知力氏、歴史学者の阿部謹也氏と二宮宏之氏と『社会史研究』を立ち上げた同志であった


地質学・考古学と歴史

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある ・・褶曲して上下が反転していても基本は変わらない

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・イエズス会士で古生物学者であったフランスの思想家


欧州のユダヤ系知識人にとっての「未開と文明」

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・アビ・ヴァールブルクはドイツのユダヤ系美術史学者。


西洋の植民地支配と南米、移民

映画  『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・ルソーと並ぶ18世紀のフランス啓蒙思想家ヴォルテール

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
・・1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来。ともにその役割を担ったのは「大航海時代」のポルトガル人であった

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
・・「未来」の国であるブラジルとは違う、「過去」に生きる本国のポルトガル

(2014年8月12日 情報追加)


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2014年6月15日日曜日

かつてコートジボワールが 「象牙海岸」 とよばれていたことを知ってますか? ― 2014年FIFAワールドカップ一次リーグでの日本の対戦相手



「初戦での日本の対戦相手はコートジボワールです!」

ここ数日、TVをつければどのチャンネルもそう絶叫している。しかも初戦がいかに大事かということが何度も強調されている。一次リーグの初戦で勝てれば、決勝トーナメントに進出できる確率は82%以上なのだそうだ。

日本代表には、ぜひ初戦を勝利で飾ってほしい。

残念なのは、コートジボワールがかつて日本では「象牙海岸」と呼ばれていたことに誰も言及しないことだ。

写真は、わたしが高校時代につかっていた地図帳から。昭和53年(1978年)発行の二宮書店の『現代地図帳(改訂版)』である。

中学時代か高校時代か忘れたが、「象牙海岸」というのは不思議な国名だと思った記憶がある。アフリカなのに、なぜ漢字なのか???

これは英語で Ivory Coast なのだということがわかって疑問は氷解した。文字通り「象牙(アイボリー)海岸(コースト)」である。

大学時代にフランス語を勉強して、さらによく理解できるようになった。コートジボワールはフランスの植民地だったから、現在でも公用語はフランス語だ。

コートジボワールはフランス語で Côte d'Ivoireコート・ディヴォワールがより原音に近い。象牙(Ivoire:イヴォワール)の(de)海岸(Côte:コート)である。母音だから de の e は省略される。ビーチリゾートのコート・ダジュール(Côte d'Azure:青の海岸)も同じ用法だ。

なぜ「象牙海岸」と呼ばなくなったかといえば、同国からの要請があったのだという。wikipediaには以下の記述がある。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

同国が独立する以前からこの地域の海岸名として日本語では「象牙海岸(ぞうげかいがん)」、中国語では「象牙海岸 (Xiàngyá Hăi'àn)」、英語では「Ivory Coast(アイヴォリーコースト)」、ドイツ語では「Elfenbeinküste」、スペイン語では「Costa de Marfi」、イタリア語では「Costa d'Avorio」のように各国語に訳されていた。同国建国後もこれら各国語訳を同国の国名として各国は用いていたが、同国建国後もこれら各国語訳を同国の国名として各国は用いていたが、同国政府が翻訳国名ではなくフランス語国名の使用を他国に要請しているため(参考:エクソニム)、日本でも外務省と日本郵便は「象牙海岸(共和国)」としていた国名を用いないようになり、中国でも「科特迪瓦 (Kētè Díwă) 」を使用するようになってきている


当時の地図帳には、アフリカ西海岸は、胡椒海岸、穀物海岸、象牙海岸、黄金海岸と並んでいる。現地住民のことはいっさいお構いなしに、西欧の植民者のご都合によって命名されたネーミングである。

それぞれ、シエラレオネ(英国の植民地だった)、リベリア(米国の解放奴隷がつくった国)、コートジボアール(フランスの植民地だった)、ガーナ(英国の植民地だった)となる。




ちなみに、シエラレオネはスペイン語で「ライオン山脈」となる。「シエラ」がつく地名はアメリカ西海岸にも多いが、それはもともとスペイン人が入植したからだ。シエラ(sierra)とは、さらにいえばギザギザの歯をもったノコギリのことである。

リベリア(Liberia)は英語ではライベリアと発音するが、西隣のシエラレオネとともに近年激しい内戦で疲弊したことは日本でも知られていることだろう。

1950年代から1960年代にかけて、つぎからつぎへと植民地からの独立がつづき、「アジアアフリカの時代」と呼ばれていたことも(と、学校で習った)、すっかり忘れ去られているようだ。

「アジアの時代」が先行したものの、ここにきていまようやく「アフリカの時代」が来つつあるといっていいのかもしれない。

とはいえ、勝負は勝負。日本代表には「ここで負けれたら後はない」という思いで戦い抜いてほしいと思う。






PS  第一次リーグにおけるコートジボワール戦は、2-1 で日本は敗れた。まことにもって残念である(2014年6月15日 記事執筆後に記す)



PS アフリカ西海岸とブラジルは大西洋を挟んで対岸にある


ブラジルは日本からみれば地球の裏側にあるが、アフリカ西海岸とブラジルは大西洋を挟んで対岸にある。この関係は日本でフツーに使用している地図からはわからないが、なぜ南米がヨーロッパの植民地になったか考えるうえで、大西洋を中心にした地図は重要である。

じつは、アフリカ西海岸とブラジルはもともとつながっていたのだ。だから、地質学的には同じ性質をもっている。最近はガーナ沖の「コートジボアール海盆」からは石油が産出するのである!

2014年FIFAワールドカップは、その意味では面白い大会であるのだ。

(2014年7月3日 加筆)



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書評 『OUT OF AFRICA アフリカの奇跡-世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語-』(佐藤芳之、朝日新聞出版社、2012)-規格「外」の日本人が淡々とつづるオリジナルなスゴイ物語
・・「日本の外に出たいという押さえがたい気持ちに促されアフリカに渡って50年。ケニアを拠点にケニア・ナッツ・カンパニーを設立し、マカダミアナッツの世界5大カンパニーの一つに育て上げた日本人経営者」

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す-「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面
・・内戦で疲弊したシエラレオネとリベリア、そしてその主役はAK47

書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)

書評 『中古家電からニッポンが見える Vietnam…China…Afganistan…Nigeria…Bolivia…』(小林 茂、亜紀書房、2010)

おもしろ本の紹介 『アフリカにょろり旅』(青山 潤、講談社文庫、2009)

ゾマホンさん(="2代目そのまんま東")の語るアフリカの本当の姿 (情報)

書評 『人種とスポーツ-黒人は本当に「速く」「強い」のか-』(川島浩平、中公新書、2012)-近代スポーツが誕生以来たどってきた歴史的・文化的なコンテクストを知ることの重要性

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い
・・人生の大半を植民地アフリカで法務官として過ごしたフランス人判事

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

日本時間2014年6月13日(金)に FIFAワールドカップ・ブラジル大会関連が開会!-ブラジルは日本からみれば地球の裏側だ


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