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2014年11月8日土曜日

書評 『日中戦争はドイツが仕組んだ-上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ-』(阿羅健一、小学館、2008)-再び繰り返される「中独合作」の原型は第一次世界大戦後にあった


中国最大の経済都市シャンハイ(=上海)を訪れると、だれもが上海のタクシーがほぼすべてドイツの国民車フォルクスワーゲン(VW)製であることに気がつくはずだ。

しかも、上海国際空港から市内を結ぶリニアは、ドイツを代表する世界的重電メーカーのシーメンス製だ。世界ではじめて実際に導入されたのは、ドイツの都市ではなく上海である。

教科書的な知識でいえば、第二次大戦前の上海は東洋最大の都市であり、中国南部の沿岸地帯はアングロサクソンの経済圏であった。その後、中国共産党による中国統一によって、上海の資本家たちは香港に脱出したとされている。

だがそれだけでは、なぜ現在の上海でドイツの存在感がかくも大きなものなのかわからない。納得のいく説明がなされることもほとんどない。

そんなことを考えていたときに出版されたのが本書である。2008年に出版された本書のタイトルは『日中戦争はドイツが仕組んだ』。副題は、『上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ-』。

そうか、ドイツは戦前から中国、とくに上海に食い込んでいたのか、と。日中戦争の激化と共産党成立という断絶があったとしても、戦前のドイツの「記憶」が上海には残っているはずだな、と。


日本とドイツは似て非なる存在

最近ではもはや話題にもならないが、かつて昭和時代においては、日本とドイツは相性がいいという「常識」が語られていた。

第二次世界大戦で敗戦国となった枢軸国すなわち日独伊三国同盟の名残か、あるいは戦前の旧制高校のエリートや陸軍将校たちが、ドイツ的教養なるものに染め上げられていたためだろうか。

わたしは以前から、日本人とドイツ人ほど似て非なる存在はないと思っていたので、この「常識」にはつよい違和感を感じていた。日本とドイツの「蜜月」(?)は、日独伊三国同盟の短い期間であり、日独関係の歴史のなかでも例外的な期間であったことは、歴史を振り返れば明かなことであるはずだ。

日清戦争後の三国干渉による遼東半島放棄とその後の日本国民の「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がまき散らした人種差別の言説であった「黄禍論」(こうかろん)、山東半島のドイツ領チンタオ(青島)などなど。第一次世界大戦中の日本軍によるチンタオ占領には、日本国民が喝采を送ったという。日本ではドイツは嫌われていたのだ。

このように、日本とドイツが密接な関係であったことを示す歴史的事象はあまりない。官僚エリートをのぞいた日本人の大半はドイツ嫌いだったのではないか?

文官と技官という官僚養成を目的とする帝国大学の予備校的存在であった旧制高校は敗戦後に廃止、軍事官僚を養成してきた陸軍士官学校も廃止され、日本におけるドイツ語とドイツ文化の影響力は大幅に減退することになる。だが、一般社会への影響が完全に払拭されるまでには時間がかかったと考えるべきだろう。

現在は、エリートですら英語中心である。ドイツ語は日本の高等教育においては、もはや昔日の面影すらない。さすがに敗戦から70年もたてば、意識も完全に変化するということか。そもそも、ドイツ語の響きをオシャレだと感じる人は、たとえ舶来好きの日本人であっても皆無に近いだろうが。

そもそも大陸国家のドイツと海洋国家の日本は、置かれている地政学的条件だけでなく、地理的自然環境からくる気質や国民性にも大きな違いがあると考えるのは当然のことだ。

ヘーゲルの『歴史哲学講義』は、長谷川宏氏の新訳があまりにも読みやすいので、2008年に海外出張した際、往復の飛行機のなかで岩波文庫の上下巻を読み終えてしまったのだが、中国文明から始まりゲルマン文明に終わる講義には、日本はまったく登場しない。英国との交易で栄えた北方の都市ケーニスベルクに生きた哲学者カントとの違いである。

なるほどヘーゲルの認識においては、中国はドイツのつぎに位置づけられているわけか、と。かなりエスノセントリックで、ジコチューな認識だ(笑) この認識がどこまでドイツ人全体で共有されているのか知らないが、ドイツ人からみた中国イメージの一つの例証にはなるだろう。


第一次大戦の敗戦国ドイツはソ連だけでなく中国にも接近した

ドイツと中国が相性がいい理由には、ほかにもさまざまなものがあるだろうが、第一次世界大戦の敗戦国ドイツが中国に急接近したのは、1919年のヴェルサイユ条約で軍備を大幅に制限されたドイツ国防軍の再建と、機械輸出による外貨獲得がおもな目的であった。

この動きをリードしたのがドイツ参謀本部きっての知将ゼークト将軍である。すでにソ連とのあいだで秘密協定を結んでいたが、それにくわえて蒋介石率いる中国国民党とは、軍事顧問契約と武器輸出にかんする深い関係を構築したのであった。

ゼークト将軍のあとを継いだのは、ドイツ帰国後にはヒトラー暗殺計画にもかかわるファルケンハウゼン将軍であった(・・カバーの左の人物)

ドイツ軍事顧問団が中国国民党に対して行った「貢献」は、本書に詳述されている。それは軍事面での戦略や戦術指導だけでなく、軍事顧問団が勝ち得た強固な信頼と人的関係が生み出した最新鋭の武器の導入である。

本書で詳しく取り上げられている「第二次上海事変」(1937年)は、盧溝橋事件によって始まった日中戦争における最大の激戦であった。日本側の戦死傷者は、三ヶ月でなんと4万1千人(!)を越えている。日露戦争の旅順攻略戦にも匹敵する損害であった。

本書のカバー写真に使用されている石像群は、第二次上海事変の戦死者を悼んでつくられたものだという。本書は、石像として祀られた若き戦死者たちと中国側の戦死者たちへの鎮魂でもある。

(知多半島の中之院に移転保管されている「軍人群像」 カバー写真より)


日本陸軍はなぜ軍事顧問団の役割を過小評価したのか

第二次上海事変のキーワードは、トーチカとクリークトーチカは、ロシア語で鉄筋コンクリート製の防御陣地のこと。クリーク(creek)は英語で水路を意味している。日本でも佐賀市のクリークは有名である。

縦横にクリーク(=水路)網がひろがる上海は、そもそも攻めにくい土地である。中国国民党軍はさらに防御を強固なものとするために、ドイツ軍事顧問団の指導でトーチカによる陣地を防衛ラインとして構築した。トーチカには当時は最高水準のチェコ製の銃器を備え、日本軍の侵攻には十分な備えを行っていた。

本書の記述の半分は、上海の日本人居留民の保護にあたっていた海軍特別陸戦隊と、増派されて上海に上陸して戦った日本陸軍の歩兵の目線からみた第二次上海事変の記述である。連隊長が多数戦死し、その他の将兵の多くも戦死し負傷した第二次上海事変。この戦いがいかに攻める側にとっても過酷なものであったかが手に取るように理解できる記述は読む価値がある。

本書を読んでいると、なぜドイツは日独伊三国同盟を締結しながらも、中国への軍事顧問団派遣と武器輸出をやめなかったのかという疑問を抱くことになる。いわゆる二股の関係は、最終的にヒトラーの命令によって解消されるまで、1938年まで継続された。

どうやら国防軍と外務官僚、それに産業界というドイツのメインストリームの中独関係重視と、ヒトラーとナチス党という新興勢力の日本重視とは水と油の関係であったようだ。中国からの引き揚げを余儀なくされた軍事顧問のファルケンハウゼン将軍が、その命令を下したヒトラーの暗殺計画にかかわることになったのも、不思議ではない。

だが、本書を最後まで読んでいくと、また別の感想も抱くことになるだろう。

なぜ、日本の「支那通」とよばれていた陸軍将校たちは、ドイツ軍事顧問団の存在についての情報を知っていながら、その意味について過小評価していたのか、と。第二次上海事変も、当初は楽勝だと予想していたらしい。まさか、大量の犠牲者がでるとはまったくの想定外だったのだ。

満洲や北支での過去の成功体験にとらわれ、上海における環境変化について考えるイマジネーション力不足。過酷な第一次世界大戦を当事者として体験していたドイツ陸軍と、遠く離れた極東にあって、あくまでも情報収集と研究という知識レベルでしか把握していなかった日本陸軍の違い。軍人でありながら現実認識が曇っていた「希望的観測」という弱点。

経験なき知識の問題点、弱点をあますことなく示した事例であるといえるかもしれない。人間の思考もまた、過去の成功体験によって形成される「慣性の法則」(イナーシア)にひきづられやすいのである。


日本人はもっと「中独関係」について知るべきだ

中国とドイツと相性がいいのはなぜか? 『なぜ、中国人とドイツ人は馬が合うのか? (WAC BUNKO)』(宮崎正弘・川口マーン惠美、扶桑社新書、2014)という、軽い読み物も出版されているが、あくまでも居酒屋トークのような雑談なので、納得のいく説明がなされているわけではない。

だが、ドイツ軍事顧問団とその人的関係がつくりだした強固な関係が中国国民党時代に形成されていたという事実は、しっかりとアタマのなかにいれておくべきだろう。


(「中独合作」のイメージ この当時はナチスドイツと中華民国 wikipediaより)


いわゆる「中独合作」(1911~1941)の一環である。中独関係については、まだまだ歴史的に明らかにされてないことが多いようだが、すくなくとも wikipedia の記述には眼を通してくといいだろう。「国共合作」については比較的知られているが、「中独合作」については、まだまだ日本人の「常識」にはなっていない。

すでに日本とドイツを一緒くたにした言説への違和感をもつ日本人は少なくないと思うが、「中独合作」にかんする知識は、日本人の「常識」をさらに大きく崩してくれるはずだ。また日中関係を、日本と中国という二国間関係だけでみる危険に気がつかせてもくれるだろう。

必要なのは、あくまでも「事実」にもとづいた冷静な情勢判断である。そのために歴史研究は欠かせない。その一つのキッカケとして、民間研究者による『日中戦争はドイツが仕組んだ-上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ-』は第一歩となるだろう。

今後のさらなる事実解明が、専門の歴史学者によってなされることを期待したい。






目 次 

まえがき-日本兵士の石像群
第1章 中国に軍事顧問団を派遣したドイツ
 第一次大戦後のドイツ軍の事情
 外国顧問団を受け入れてきた中国
 中国にやってきたドイツ顧問団
 共産党を大長征に追いやる
 日本を引き込み、長期戦に持ち込む
 独中貿易が飛躍的に進展
 急速に進んだ中国の対日戦備
第2章 日中戦争始まる
 盧溝橋事件勃発
 不拡大か一撃か
 待ち受けていた中国軍
第3章 上海の死闘
 上海戦勃発
 邦人を守りきった大健闘(海軍陸戦隊)
 第三師団のウースン鉄道桟橋上陸
 苦戦、連隊長戦死(名古屋歩兵第六連隊)
 ウースン鎮上陸と宝山城の攻略(岐阜歩兵第六十八連隊)
 第十一師団の川沙口上陸
 トーチカとコレラとの戦い(丸亀歩兵第十二連隊)
 支隊長、幹部戦死でも衰えなかった士気(飯田支隊)
 戦力半減、一日百メートルの前進(名古屋歩兵第六連隊)
 揚行鎮の戦い(静岡歩兵第三十四連隊)
 豪雨の中の陣地構築(片山支隊)
 ●家宅攻略
 羅店鎮南方の戦い(第十一師団)
 上海増派と石原部長の辞任
第4章 日独防共協定と日本の抗議
 「これは日独戦争だ」
 ドイツの二股外交
 ドイツと日本それぞれの感情
 ヒトラーの日本への挨拶
 ナチスからの働きかけ
 日独防共協定の締結
 日本の反応
第5章 中国軍潰走とドイツ顧問団のその後
 切腹も覚悟した松井司令官
 上海戦は旅順攻略に匹敵する
 三か月かかった上海戦
 意表をついた第十軍の杭州湾上陸
 止まることのないドイツの中国支援
 日本軍はどこまで把握していたか
 ヒトラーの方針転換
 ヒトラー暗殺に関わるファルケンハウゼン
あとがき-顧問団なかりせば
資料


著者プロフィール

阿羅健一(あら・けんいち)
近現代史研究家。昭和19年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部卒業。現代アジア史を中心に研究を続ける。南京事件の専門家。雑誌「正論」「諸君!」などへの寄稿多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<関連サイト>

中独合作 (wikipedia項目)
・・「中独合作(ちゅうどくがっさく、中: 中德合作、(「徳」はドイツのこと)独: Chinesisch-Deutsche Kooperation、英: Sino-German cooperation)とは、1910年代から1940年代にかけての中華民国とドイツの一連の軍事的・経済的協力関係を指す。独中合作とも。日中戦争直前の中華民国で、産業と軍隊の近代化に役立った」

欧州に「尖閣諸島とサラエボ」比較論 ドイツに広まる「日本は過去と真剣に向き合わない国」のイメージ (熊谷 徹、日経ビジネスオンライン 2014年1月27日)
・・ドイツにとって、中国はアジアで最大、全世界で第3位の貿易相手国。私は過去24年の間に、この国の経済界で中国の重要性が急激に拡大し、日本経済の比重が縮小するのを目撃してきた。」

「独中同盟」は西側のリスク要因と化す (佐藤伸行、Foresighht、2014年7月15日)
・・欧州最強の経済国ドイツを取り込もうとする中国。中国市場に食い込むドイツ経済界。21世紀版の「中独合作」は、「蜜月の中毒」というべき二カ国である

メルケルが“大親友”中国を見切りか!? ~急変する独メディア報道から両国関係を読み解く (川口マーン惠美、現代ビジネス、2015年10月9日)

(2015年10月16日 情報追)





<ブログ内関連記事>

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・ドイツ参謀本部を代表するこの将軍は、戦時下の日本でも岩波書店から翻訳書が出版されている。だが、ゼークト将軍がいかなる人物であったか、その本質的姿勢についての十分な理解が日本側にはなかったようだ

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった
・・第二次上海事変のあと発生したのが南京事件

盧溝橋事件(1937年7月7日)から77年-北京の盧溝橋が別名マルコポーロ橋ということを知るとものの見方が変わってくるはずだ

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・第一次世界大戦について徹底研究を行った日本陸軍は、合理主義的思考であるがゆえに、「先進国」となった当時においても、日本の工業水準では物量が決定的に不足していることを知る。あったのは精神力のみである、と

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「大英帝国に替わって世界の覇権を握ったのは米国であるが、現在この米国の覇権に挑戦するかのように視られているのが中国であることはいうまでもない。 しかし、本書を読んで思うのは、英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ」

書評 『なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力40年戦争の真実-』(熊谷 徹、日経BP社、2012)-なぜドイツは「挙国一致」で「脱原発」になだれ込んだのか?
・・福島第一原発の事故の際、ドイツ人が示した態度につよい違和感を感じたのは、わたしだけではあるまい。ドイツ人の意識あるいは無意識の根底には、ぬぐいがたいアジア人への蔑視があるのではないか?

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容

書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る

書評 『ドイツリスク-「夢見る政治」が引き起こす混乱-』(三好範英、光文社新書、2015)-ドイツの国民性であるロマン派的傾向がもたらす問題を日本人の視点で深堀りする
・・ドイツ人が抱くスラブ幻想と、さらにその先の東方にある中国に対するロマン主義的幻想について指摘されている

(2015年7月7日、2016年7月21日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









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