(ベルリン中央駅は、壁が崩壊した年には存在しなかった)
25年前のきょうベルリンの壁は崩壊した。1989年11月9日のことだ。四半世紀前ということになる。
25年前のこの日は、仕事で徹夜続きで職場にほとんど泊まり込み状態だったので、テレビなんか見ているヒマもなかった。だから、ベルリンの壁崩壊のニュース映像はリアルタイムでは見ていない。
ベルリンの壁が崩壊していたことは、あとから知った。25年前にはインターネットは普及しておらず(・・というかその存在も知らなかった)、ましてや携帯が普及していないどころか、スマホなど存在しなかったので、ニュース情報はテレビを見るのがいちばん早かった時代だ。まさに隔世の感だなあ。
1989年は平成元年であった。昭和64年が1週間つづいたので、昭和時代が終わり平成時代が始まった年でもある。日本においても天皇の代替わりという「変化の年」だった。明治憲法で「一世一元の制」が定められて以降、近代天皇制のもとでは時代区分は天皇陛下の在世と同期することになっている。
さすがにベルリンの壁崩壊の年の年末は余裕ができていたので、自宅のテレビでルーマニア動乱のニュースをフォローすることができた。体制が崩壊するというのはじつにあっけないという感想をもった。
天安門事件から始まった1989年の動乱は、ベルリンの壁崩壊で頂点に達し、そしてルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領の処刑で幕を閉じたわけだ。短いようで、ものすごく内容豊富な一年だったような記憶がある。
(壁崩壊から15年後のベルリン中心部ウンターデンリンデン 筆者撮影)
月日が立つのは早い。25年前なんて、もはや遠い星で起こった遠い昔の話のようだが、意外なことに、きのうのことより鮮明に覚えていたりするから不思議だ。
冒頭に掲載した写真はベルリン中央駅(Berlin Hbf)。いまから10年くらい前にに撮影したもの。ベルリン中央駅ができる前は、しばらく西ベルリン側にあったベルリン動物園駅(ベルリン・ツォー: Berlin Zoologischergarten)が実質的に中央駅だった。壁が崩壊したことによって、ホンモノの中央駅が新装復活したわけだ。
ベルリン中央駅は、一国の首都の中央駅であるが、ヨーロッパにはよくある終着駅(「テルミナ)タイプではない。日本の東京駅のような東西南北への発着点的な存在ではなく、東西交通の通過点に過ぎない。
今年2014年は、第一次世界大戦が1914年に勃発してから100年。さらにいえばナポレオン戦争後の欧州の秩序を回復した1814年のウィーン会議から200年。ベルリンの壁崩壊は、第一次大戦を起点にすると75年目の出来事だったことになる。つまり3四半世紀(=3/4世紀)後だったことになる。
百年という「世紀」(=センチュリー)単位で物事を捉える視点も必要だな、と思う次第だ。
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