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2016年11月26日土曜日

キューバの「カストロ議長」死去(2016年11月25日)-「反米主義」のカリスマであったフィデル・カストロ

(「キューバ革命」におけるチェ・ゲバラ28歳(左)とカストロ33歳(右) wikipediaより)

キューバの「カストロ議長」が亡くなった。2016年11月25日のことだ。享年90歳。

ここで「カストロ議長」と書いた。ほんとうは「元議長」と書くべきなのだが、どうしても「カストロ議長」といいたい。現在は実弟のラウル氏が議長を務めているが、「カストロ議長」といえばフィデル・カストロ(1926~2016)のイメージがあまりにも強い

ついにというか、まだ健在だったのかというい感想を抱きつつ約四半世紀。冷戦崩壊によってソ連という後ろ盾を失いながらも、たくみに操縦しながらキューバをサバイバルさせてきたのは、ひとえにカリスマといってもよい「カストロ議長」の存在そのものがなせるわざであったといってよいだろう。

超大国アメリカの裏庭にありながら、向こうを張ってきた小さな島国の小国キューバ。1959年、フィデル・カストロはチェ・ゲバラとともに「キューバ革命」を成功させたことは、20世紀の事件として特筆に値するものと言えよう。なぜなら、北米が南米を経済的に支配する体制のなかで、「反米主義」の旗印の下に中南米が存在感を示すことができたのはキューバという存在があったからだ。

もちろん、「キューバ革命」によって難民となって米国に脱出したキューバ人は数十万人単位にのぼっている。とくに地理的に近い対岸のフロリダ州にはそういった亡命キューバ人コミュニティが存在し、半世紀の後の現在ではキューバ系移民は経済的にも政治的にもアメリカ国内で存在感を示すようになっている。歌手のグロリア・エステファンもまた亡命キューバ人の家に生まれた人である。

そういった亡命キューバ人からみれば、カストロ議長は不倶戴天の敵であろうが、カリブ海から遠い日本列島の住民にとっては、アルゼンチン出身の盟友チェ・ゲバラとともに革命を戦い抜いたヒーローとしての印象が強いのは当然といえば当然といえよう。キューバ革命を最終目的としないゲバラとは、結局たもとをわかつことになったのであるが。

日本はアメリカの同盟国であるから、冷戦期においてはキューバとは反対側の陣営にいた。ソ連圏のキューバは、ある意味ではソ連の別働隊として米ソ代理戦争の一翼を担ったことも歴史の汚点として記憶されるべきことだ。

ケネディ大統領時代の「人類危機の13日間」といわれた「キューバ・ミサイル危機」が平和裏に回避されたのちも、キューバはソ連の忠実な同盟国として、東ドイツとともに大きな意味合いを持ち続けたのであった。

とはいえ、ソ連は崩壊し「島国キューバ」は、劇的に転換する。反共の牙城であったバチカンと和解し、昨年2015年には宿敵のアメリカと国交回復する至った。この変わり身の早さは島国ならではのものである。

和解が成立する前から、「野球王国のキューバ」からはアメリカの大リーグにも、日本のプロ野球にも選手を供給、スポーツをつうじてキューバは親しみのある存在になっていた。若き日のカストロ議長自身がバッターボックスに立っている写真は有名である。

もちろんサルサなど音楽もそのなかに含めていいだろう。医療費が無料で、国家が医師を無料で教育していることも、大きく評価されてきた(・・ちなみに、ドラマ「ドクターX」の主人公・大門美知子はキューバの医科大学に学んだという設定になっている)。

「反米主義」のカリスマであったカストロ議長。毀誉褒貶あいなかばする存在であるが、20世紀を代表する人物の一人だったことは間違いない。まさに巨星落つ、というべきなのである。

さて、国民の支えとなっていたカリスマ喪失後のキューバはどうサバイバルしていくのか。キューバの良い点がそのまま残ることを祈りたいが、はたしてそれは可能かどうか・・・。

ご冥福を祈ります。合掌。


PS 個人崇拝を拒否したフィデル・カストロ

カストロ前議長の銅像建立禁止 遺言尊重、ラウル氏表明(朝日新聞、2016年12月4日)によれば、フィデル・カストロ氏の遺体は保存されずに埋葬され、銅像も建たない、という。なぜなら個人崇拝をさせないためだ。これは故人の遺言に基づくものだという。

社会主義国では、「革命」のリーダーで建国の父は、巨大な霊廟に遺体として保存され安置されるのが一般的である。レーニンしかり、毛沢東しかり、ホー・チミンしかり。キューバでも、カストロとともに戦ったチェ・ゲバラは讃えられているが、カストロはそれは望まないのだ、という。

そんなところに、フィデル・カストロという人の個性と人柄を感じるのである。

(2016年12月4日 記す)






<関連サイト>

米国に抗い続けた革命家の「イチ」(Facta、2017年1月号)

(2016年12月30日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「島国」の人間は「大陸」が嫌いだ!-「島国根性」には正負の両面があり、英国に学ぶべきものは多々ある

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)-すでに「歴史」となった「熱い時代」を機密解除された公文書などでたどる
・・「展示の中心となるのは「人類危機の13日間」となったキューバ危機である。革命キューバの後見人であったソ連との核戦争の危機がかろうじて回避されたのが、1962年10月14日から28日までの行き詰まるような13日間であった。ケビン・コスナー主演で『13デイズ』として映画化されている。」

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・冷戦時代、バチカンは、無神論で唯物論の立場に立つソ連を不倶戴天の敵と見なし、反カトリック的傾向の強い米国とあえて協力関係を結んでいた。




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2016年11月24日木曜日

「54年ぶりの11月の初雪」(2016年11月24日)-54年前は1962年(昭和37年)

(東京湾岸の千葉県船橋市にて筆者撮影)
   
本日(2016年11月24日)に初雪だ。東京都心だけでなく、東京都心への通勤圏である東京湾岸の船橋でも初雪だ。

すでに数日前から雪が予測されており、前日には雪の情報でもちきりであったが、じっさいに雪が降るのをこの目でみるまでは安心(?)できないものだ。天気予報では真夜中から降るとはいっていたが、早朝5時に起床した時点ではまだ降っていなかった。

降り出したのは、明け方になって気温が下がってからだった。11月に初雪とは!

「54年ぶり」という表現に反応してしまうのは、東京で前回の「11月の初雪」のあった1962年は、わたしが生まれた年でもあるからだ。今年2016年で、わたしは54歳になるということだ(・・誕生日は来月12月の6日なので、現時点では53歳)。

しかも、積雪となると、明治8年(1875年)に観測が始まって以来らしい。ということは、141年ぶりということではなく、もしかするとまったくの初めてのことになるのかもしれない。すくなくとも現在に至るまで観測データがないからだ。

以上、雪じたいは東京であっても、南関東全体であっても初雪であることには変わりない。

「54年ぶりの11月の初雪」、「観測史上はじめての11月の積雪」。54年前と同様、ことしの冬は寒いのかもしれない。とすると、地球温暖化で冬が寒くなくなったという言説には疑問を感じなくはない。
  
はたして真相はどうなのだろうか? これは、じっさいに12月、1月と体験してみるまではわからないことだ。


(追記)

翌日(2016年11月25日)の昼の情報番組「ひるおび!」(TBS)では、さっそくこの「54年ぶりの11月の初雪」について取り上げていた。

54年前は、先にも書いたとおり1962年(昭和37年)。わたしの生まれ年だが、この年に生まれた人だけでなく、当時の首相(=池田勇人)や当時の世相、流行歌などを知ると、じっさいはものごころついていなかったので直接は体験しているわけではないものの、なんだか懐かしい思いをした。

(TBSの「ひるおび!」で使用されていたパネル)

そして「初雪」以外にも意外な共通点があることも知った。初雪のあとは豪雪だったのだという。そういえば、子どもの頃に東京に移住してきたのだが、子どもの頃は東京でも大雪が降ったという記憶がある。

そして1962年(昭和37年)は「東京オリンピック」開催の2年前。ことし2016年(平成28年)は「東京オリンピック」」の4年前。これもなにかの符合かもしれない。


<ブログ内関連記事>

10月も終わりに近づいているのに朝顔が咲いている-秋なんだか夏なんだか・・・(2016年10月26日)

4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)

78年前の本日、東京は雪だった。そしてその雪はよごれていた-「二・二六事件」から78年(2014年2月26日)

「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること

子どもの歌 「こんめえ馬」は「戦後民主主義」が生んだきわめて良質な遺産
・・「1962年 岩波新書「日本の子どもの歌」にて代表作となる「こんめえ馬」(作詩:柳沢竜郎)を発表」

(2016年12月1日 情報追加)




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2016年11月9日水曜日

米国大統領選でドナルド・トランプ氏が劇的な逆転勝利(2016年11月9日)-米国はきょうこの日、ついに「ルビコン」を渡った

(NHKの報道番組より 勝利宣言するトランプ氏)

「ありえないこと」が起こる時代だ。いや、「ありえないこと」が何度もつづけて起こる一年だというべきだろうか。

英国が国民投票で、ありえないはずのEU離脱を選択したのはことし2016年の6月24日のことだった。そして、米国で、ありえないはずのトランプ大統領が誕生することになったのは、本日(2016年11月9日)のことだ。接戦の末の、まさかの逆転勝利であった。

全米の選挙人の獲得数は、ヒラリー・クリントン氏が218であるのに対し、ドナルド・トランプ氏は276と、過半数を超えての勝利である。米国の選挙制度では、国民投票と州ごとの選挙人獲得という二段構えなっているので、単純に総得票数だけで勝敗が決まるわけではない。州ごとに割り当てられた選挙人で勝敗が決まるのだが、州単位での勝利によってその州の選挙人が「総取り」できるという制度になっているのだ。だが、基本的に国民投票だといって差し支えない。

ことし2016年の2月、ある出版社の編集者との雑談で、大統領候補に名乗り出たドナルド・トランプのことが話題になったことがあった。編集者は「専門家はありえないと言っている」と語ったのに対し、私は「専門家は想定外の事象にかんしては、おうおうにして間違えるものだ。可能性がゼロとはいえない。なぜなら、浮き沈みは激しいがトランプ氏の知名度はすくなくとも米国では抜群だからだ」と答えたのであった。

そう答えたわたしでさえ、最終的にトランプ氏は勝てないだろうと踏んでいた最後の最後でアメリカの有権者は、さすがに良識的でバランスのとれた判断を下すだろうと推察していたからだ。

だが、アメリカの有権者は、トランプ氏を選んだこれは「民意」である。たとえポピュリズム(=大衆迎合政治)と誹謗されようが、それが「民意」であることに違いはない。それほどポリティカル・コレクトネスや、ヒラリー・クリントン氏が体現していた、平気でウソをつくワシントンの政治エリートやエスタブリッシュメントに、多くの有権者はウンザリしていたのだろう。

現時点では、投票行動そのものの詳細はわからないが、民主党のオバマ政権の8年にアメリカの有権者が NO をつきつけたことは間違いない。共和党と民主党という二大政党以外の「第3党」に投票した有権者も少なくなかったようだ。アメリカの有権者は、国際関係よりも国内問題としてトランプ氏を選択したのであろうが、それにしても日本国民としては複雑な気持ちをもつのも不思議ではない。

今回の米国大統領選のトランプ氏の「ありえない」劇的な逆転勝利、アメリカの有権者の過半数以上はトランプ氏に「賽を投げ」、トランプ氏とともに「ルビコンを渡って」しまったのだ。

 「賽(さい)は投げられた」というのは、古代の共和制ローマの軍人政治家カエサルの名言である。 「ルビコンを渡った」というフレーズも、同じくカエサルのものだ。意を決して、あらたなステージに踏み込んだときの決意を語ったものだ。

本日この日をもって、アメリカも世界も「ポイント・オブ・ノーリターン」を超えてしまったのだ。はたして、今後アメリカはどうなるのか、世界情勢はどうなるのか、いやアメリカの影響をもろにかぶる日本はどうなるのか・・・・?

 「ありえない」とはいえ、起きてしまったことは起きてしまったのだ。事実は事実であり、選挙結果がひっくり返ることこそ「ありえない」以上、選挙結果に過度の落胆や過剰な期待も抱かず、「事実」を「事実」として受け取ることが必要だ。

16年前に共和党のジョージ・ブッシュ氏が、最有力候補の民主党のアル・ゴア氏に競り勝った際のように、選挙不正が介在する余地のないほどの勝利である。トランプ氏が勝利宣言をする前に、ヒラリー・クリントン氏から敗北を認める電話が入ったことを披露していた。

「事実」を冷静に受け止めること、これがまず第一にしなくてはならない課題ではないか? 正直いって「まさか」の結果であったことは否定しないが、確率的にはゼロではなかったのであるから。

衰えつつあるとはいえ、いまだ超大国のアメリカである。その影響範囲は想像以上に広く大きい。もちろん、同盟関係にある日本は言うまでもない。ダイレクトに影響を被ることになる。しかしながら、日本国民にはアメリカ大統領選の投票権はない。だから、コントロール不能要因で撹乱されることになるのが、日本国民に不安感を引き起こすのだ。

とはいえ、2017年1月の就任までまだ2ヶ月の猶予時間があるし、就任してから3か月は一般にハネムーン期間であり、さすがにめちゃくちゃなことはしないだろうという期待もないわけではない。

過去の大統領も、例えばビル・クリントン大統領も就任後はリベラル色の強すぎる政策を打ち出して物議を醸したが、大統領職に慣れる従って「学習」していった。トランプ氏も、もともとアタマのいい人間であるから、「学習」能力も十分にある。最初は、ある種の試行錯誤は避けられないだろうが、ある程度まで進めば常識的な線に落ち着いてゆく可能性もなきにしもあらず。

もちろん、トランプ氏に投票した有権者は、そう簡単にワシントンの色に染まってもらいたくはないだろう。でなければ、オバマ大統領とは違う意味の「チェンジ」を求めてトランプ氏に投票した意味がない。トランプ氏が公約を実行するか「監視」が行われることになる。政治は妥協であるから、すべての公約が実行されることはない。しかも、自分の関心のない事項にかんしては、丸投げしてしまうのではないか?

いずれにせよ、アメリカ国民によって「賽は投げられた」のである。アメリカは「ルビコンを渡った」のである。「ポイント・オブ・ノーリターン」を超えたのである。2016年に明確になったあらたな潮流は、今回の大統領選の結果で確かな流れとして確認されることとなった。それはアメリカだけでなく、英国も含めた世界的な潮流である。潮目が変わったのである。

日本国民であるわれわれも、この「事実」を出発点に、「現実的」に行動をしていくことが求められるのである。

まずは落ち着いて、冷静に分析することから始めなくてはならない。トランプ氏は、日本でもすでに有名人なのであるから、次期大統領の虚像と実像を見極めることが課題となろう。わたしも含めて、ほとんどの人はトランプ氏の実像については知らないのである。イメージだけで議論をすることは、もうやめにするべきだ。







<関連サイト>

米大統領選 トランプ氏が勝利 「驚くべき番狂わせ」 (NHK, 2016年11月9日 17時34分)

なぜ「女性蔑視発言」をしてもトランプは支持されるのか (横江公美、プレジデント ウーマン、2016年5月号)

金、酒、女……ビジネスマン・トランプの素顔 (投資銀行家 山口正洋、プレジデント、)
・・トランプ氏はまったく飲まない。三度目の結婚であり二回の離婚経験があるが不倫の形跡はない。緻密なビジネスマン。

「トランプ氏はスシを食べず酒も飲まない」次期大統領の素顔知るヒロ・ニシダ氏の証言 (日経ビジネスオンライン、2016年11月16日)
「・・トランプ氏は、なにしろ仕事好きで、努力家で、すごく真面目で、いつも没頭していました。とにかく、マーケティング能力が非常に高い。どうやって、周囲の人とコミュニケーションを深め、引きつけるか。その能力にたけていると思います。ビジネスの交渉を通して感じたことは、トランプ氏は、過去のしきたりなど一切気にしないということです。アンフェアなことには、はっきりとノーと言う。逆に言えば、フェアで、お互いにウィン-ウィンの関係を築けるのなら、ドラスティックな変化を厭わない。」

貴族だったトランプがアジテーターに転向した理由 (町山智浩、ウェッジ、2016年11月10日)

今さらだけど、なぜトランプが勝利したか、しっかり検証していく(冷泉彰彦、Mag2News、2016年11月11日)。

Exit America’s Old Elite Insiders will be swept away unless they submit or change their games. (BloombergBusinessWeek, November 10, 2016)
・・Not since Andrew Jackson in 1828 has there been a president-elect who harnessed the public’s anger toward the Establishment the way Donald Trump has.(=エリートに対する大衆の怒りを結集したドナルド・トランプ大統領当選者は、1828年のアンドリュー・ジャクソン以来いない)。いわゆる「ジャクソニアン・デモクラシー」を振り返る必要があろう

日本人が知らない「トランプ支持者」の正体 米国人が「実業家大統領」に希望を託した理由 (脇坂 あゆみ :翻訳家、東洋経済オンライン、2016年11月11日)
・・「トランプがこだわるのは性別や人種、宗教ではなく、個人の能力と勝負への執念であり、『アプレンティス』ではむしろ性別、学歴といった一般常識にもあえて切り込み、最高の人材を発掘するという設定だった。」 起業家のピーター・ティールがトランプに巨額献金した理由もそこになるのか?

トランプが成し遂げた米国版ブレグジット 国民心理も選挙の展開も瓜二つ、相違点は波紋の大きさ (Financial Times、2016年11月15日)
・・意外なことに(?)英米は歩調を合わせて、あらたな潮流の先頭に立つことになった

「トランプ氏は真実を語っていた」 フランスの人類学者の分析とは(ハフィントンポスト、2016年11月17日)
・・「歴史家として見るなら、起きたのは当然のことです。ここ15年間、米国人の生活水準が下がり、白人の45歳から54歳の層の死亡率が上がりました。で、白人は有権者の4分の3です。 自由貿易と移民が、世界中の働き手を競争に放り込み、不平等と停滞をもたらした、と人々は理解し、その二つを問題にする候補を選んだ。有権者は理にかなったふるまいをしたのです。 奇妙なのはみんなが驚いていること。本当の疑問は「上流階級やメディア、大学人には、なぜ現実が見えていなかったのか」です。(エマニュエル・トッド)

「トランプ王国」を行く(朝日新聞)
・・ニューヨーク駐在記者による全米取材記録

A Message from President-Elect Donald J. Trump (YouTube、2016年11月21日)
・・大統領就任後の「100日プラン」についてトランプ次期大統領本人がベデオメッセージで表明。70歳だが新時代のツールをよく追加こなしている

(2016年11月11日・15日・17日・28日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

不動産王ドナルド・トランプがついに共和党の大統領候補に指名(2016年7月21日)-75分間の「指名受諾演説」をリアルタイムで視聴して思ったこと

veni vidi vici -ユーリウス・カエサル(Julius Caesar)

起業家が政治家になる、ということ

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書


1989年のベルリンの壁崩壊も11月9日

ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか?(2009年11月9日)


マインドセットのあり方

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由
・・「希望的観測」(wishful thinking)とは、「そうあってほしい」とか「そうだったらいいな」という「希望」に基づいて判断を行うこと。ヒラリー・クリントン勝利の観測が強かったのは「願望」の投影。まさに「希望的観測」の最たるものであったことを戒めとしなくてはならない

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・「「是々非々というのは正しい大人の態度ではない。選挙であれば政策単位で投票するのではなく、一人の候補者に投票するのだから「是々非々」なんてありえないのだ」、と主張する人もいる。「一人の候補者に投票する」というのはただしい。だが、「政策単位で投票」行動を考えるべきである。属人的な意思決定ではなく、あくまでも「期待される成果」を選択基準とするべきではないか?」


■アメリカの政治と社会

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・米国の政治思想地図が参考になる

書評 『反知性主義-アメリカが生んだ「熱病」の正体-』(森本あんり、新潮選書、2015)-アメリカを健全たらしめている精神の根幹に「反知性主義」がある
・・米国の「反知性主義」は「知性」そのものへのアンチではなく、「知性」が「権力」と結びつくことへの異議申し立てであることに注意!

米国は「熱気」の支配する国か?-「熱気」にかんして一読者の質問をきっかえに考えてみる
・・「オバマケア」をめぐる論争について2009年に考えたこと

映画 『アメリカン・スナイパー』(アメリカ、2014年)を見てきた-「遠い国」で行われた「つい最近の過去」の戦争にアメリカの「いま」を見る

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!・・「アンクル・サム伝説が生まれたのは、1812年の米英戦争(・・第二独立戦争ともいう)がキッカケ」

映画 『正義のゆくえ-I.C.E.特別捜査官-』(アメリカ、2009年)を見てきた
・・不法移民関連の内容

書評 『沈まぬアメリカ-拡散するソフト・パワーとその真価-』(渡辺靖、新潮社、2015)-アメリカの「ソフトパワー」は世界に拡散して浸透、そしてアメリカに逆流する
・・トランプの主張は、アメリカ全体を「ゲーテッド・シティ」に変えるという発想か?


日米関係

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた
・・レーガン大統領時代の日米関係

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる

(2016年11月19日・23日 情報追加)




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2016年11月5日土曜日

最後の水戸藩主・徳川昭武の屋敷であった戸定邸(とじょうてい)をはじめて訪問(2016年11月4日)-「維新の負け組」は後世に向けて文化遺産を残す

(戸定邸内部にて 徳川慶喜(トクガワ・ケイキ)から昭武への電信 筆者撮影)

最後の水戸藩主・徳川昭武の屋敷であった戸定邸(とじょうてい)をはじめて訪問してきた(2016年11月4日)。戸定邸は、千葉県松戸市にある。松戸は、江戸から水戸への街道筋にあり、しかも江戸川の舟運もある交通の要所であった。

いまからちょうど2年前のことになるが、千葉大学園芸学部を訪れた際、キャンパス内にある西欧式庭園を見学しながらも、敷地のすぐ近隣にある戸定邸については、その重要な意味を知らないために訪問しないで通り過ぎてしまった。
  
それからしばらくして、戸定邸のことが気にかかっていたので調べてみると、それは最後の水戸藩主・徳川昭武の屋敷であったことを知り、たいへん残念なことをしてしてしまったと思いながら現在に至っていたのだ。

というのも、徳川昭武は最期の将軍・徳川慶喜の実弟であるだけでなく、幕末に慶喜の名代(みょうだい)としてパリ万国博覧会が開催されていた当時のフランスを訪問し、そのままフランス留学を続けていた人であったが、その昭武に会計担当として随行したのが、のちの「日本資本主義の父」となった渋沢栄一であることを鹿島茂氏の著書を通じて知ったからだ。

その意味では、徳川昭武もまた渋沢栄一周辺の人物の一人であったのだ。じつに迂闊なことであった。


だから、その事実を知ったとき「しまった!」と思ったが後の祭り、松戸を訪問する機会がなかなかなかったので、現在まで至ってしまったというわけなのだ。


■純和風の「戸定邸」と洋風の庭園という組み合わせの妙

さて、戸定邸は今回はじめて訪問したわけだが、訪問してみてじつにすばらしいところだとわかった。現在は千葉県松戸市が管理しているが、もともとは個人の邸宅である。

だが、ナポレオン三世の第二帝政時代という、フランスの絶頂期をパリで過ごしたフランス帰りにしては、あらたに建築した屋敷を洋館ではなく純和風住宅にしたということが興味深い。中庭は純和風である。

(戸定邸の中庭 筆者撮影)

だが、江戸川と富士山を望む庭園には芝生が敷き詰められており、和風建築でありながら洋風庭園という趣向が、変わっているといえば変わっているといえようか。異質の組み合わせだが、コントラストというよりも、不思議に違和感がない。しっくり溶け合っている。

(富士山を望む、芝生が敷き詰められた洋風庭園 筆者撮影)

ちょうどいまの季節は菊の花の盛り、丹精込めて栽培されている鉢植えの白菊がじつに美しい。これらが芝生に映えて、和風と洋風の折衷美ともいうべき風情を醸し出している。

(丹精込めて育てられた鉢植えの白菊の花 筆者撮影)

最期の将軍・徳川慶喜は将軍職を退いたのち30歳で隠居、弟の昭武も29歳で隠居している。いずれも、じつに長い、長い「晩年」を過ごした人たちだが、その長い「晩年」を意味あるものとして生きたということは、高齢化時代の日本人にとっても示唆するものが多々あるのではないかと思うのである。

(屋敷内部から庭園を見る 筆者撮影)

もちろん、最終的には生前に名誉回復し侯爵となった徳川慶喜も、その弟の昭武もその次男・武定が子爵となっており、一般庶民とはほど遠い存在ではあることは考慮に入れなくてはならないだろう。


「維新の負け組」となった慶喜と昭武だが・・・

併設の戸定歴史館では、ちょうど「企画展 公爵・徳川慶喜家」が開催されていたが、大英帝国がバックについた薩長に対して、フランスがバックについた徳川幕府であったが、岩倉具視らによる「王政復古クーデター」の結果、「大政奉還」を行い、戊辰戦争では敗れ去って「負け組」となってしまったのは、まことにもって残念なことであったとしかいいようがない。

(戸定歴史館にて「企画展 公爵・徳川慶喜家」)

明治維新は1868年であったが、そのわずか2年後の1870年に始まった「普仏戦争」の結果、フランスはビスマルク率いる新興のプロイセン王国に敗れ去って、1871年に第二帝政は終わることとなる。

パリにおいてプロイセン王国を中心としたドイツ帝国の誕生が宣言され、「ドイツ統一」が実現した。その後にパリが陥落、ナポレオン三世はプロイセンの捕虜なって退位した。じつに変転きわまりない。めまぐるしい推移である。ナポレオン三世もまた「負け組」として、その後のわずか一年という短い「晩年」を亡命先の英国で過ごすことになる。

そう考えると、「勝ち組」の薩長が率いる明治維新後の日本が、「勝ち組」の英国とドイツをモデルに近代国家への道を邁進したことは、ある意味では当然のことであったかもしれない。

しかし、その英国とドイツも、「英独建艦競争」を経て1914年に勃発した第一次世界大戦において激突、その結果は共倒れとなり、新興の米国と革命によって誕生したソ連が表舞台に躍り出ることになる。

「盛者必衰」と「禍福はあざなえる縄のごとし」というフレーズが日本語にはあるが、「勝ち組」もまた永久に「勝ち組」にあらず、である。ソ連はすでに崩壊し、米国もまた衰退過程のなかにある。そして中国共産党もまた・・・?

「負け組」もまた、永久に「負け組」なのではない「負け組」は政治経済の第一線から退くことによって文化面での担い手となることもある。その意味では、徳川昭武もまた後世に「戸定邸」という文化遺産を残してくれたことになる。

だからこそ、「負け組」とされた側にもまた、目を向けるべきなのである。人間世界に勝ち負けは必定であるが、その両者を公平にみなければ、真に歴史を理解したことにはならないからだ。






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(2012年7月3日発売の拙著です)







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