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2017年7月27日木曜日

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜


タイトルの「全体主義と闘った男」というフレーズには、しびれるものがある。

「右にも左にも怯まなかった日本人がいた!」というコピーが強烈に響く。

これが一般に「右」とみなされている産経新聞に連載され、しかも産経新聞出版から出版された単行本の帯に記されているのだからなおさらだ。

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

いや、そもそも河合栄治郎とは何者か?

河合栄治郎といわれて、すぐピンとくる人は、いまでは少ないだろう。いや、20年前でも30年まであっても、すでにそうなっていたのではないだろうか。

その意味では、2010年代後半のいま、あらためて「戦闘的自由主義者」とされる河合栄治郎という日本人について知ることの意味はある。いや、「右にも左にも怯まなかった日本人」がいたということは、いまのような時代にこそ振り返るべき人物であるというべきではないか。

以下、書評の対象とした本書、『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)に即して、河合栄治郎の生涯と人となりについて押さえておこう。

河合栄治郎は、思想家である。骨太の思想家である。だが、書斎に安住する思想家ではない。まずなによりも「実行家」であり、志敗れて大学教授に転じてからも、時代と正面から向き合って信念を貫き通した人だ。

まずは「左の全体主義」である「共産主義」と闘い、共産主義が壊滅後に軍部が台頭してくると、返す刀で「右の全体主義」である「ファシズム」と闘った

著書が発禁処分となり、帝大も休職処分とされたなか、時の権力と正々堂々と法廷闘争を行ったのである。だが、力尽き、そして敗れ去った。戦時中の昭和19年(1944年)に53歳の若さで病死している。壮健を誇る人物であっただけに、燃え尽きたといっていいのかもしれない。

河合栄治郎は、人生のキャリアの最初の時期から、いま目の前にある社会問題の解決のために人生を賭した人だ。

農商務省(=現在の経産省)に入省したのは、『女工哀史』に描かれたような労働者の劣悪な状態に心を痛め、「労働問題」解決のために日本初となる「工業法」制定をみずからのミッションと定めていたからだ。「工業法」制定に向けて、獅子奮迅の力で奔走したが、「官僚国家主義」に敗れ去る。法案は骨抜きにされてしまったのだ。

志敗れて官僚退官後は、在野ジャーナリストを経て東京帝大教授になるが、そこでも信念をまげることなく知行合一を貫き通したことは、すでに述べたとおりだ。

「学問に国境なし、学者に祖国あり」が河合栄治郎のモットーであったという。フランスの細菌学者ルイ・パストゥールのことばだ。一般には、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」として知られている。愛国者ではあるが、偏狭な精神の持ち主ではない

河合栄治郎は、著者の表現ではないが、「プリンシプルの人」であったというべきであろう。プリンシプルとは原理原則という意味。日本語でいえば、一本筋の通った背骨のある人といったらいいだろうか。

河合栄治郎は、親英米のアングロサクソン派であった。なによりも英国型の自由主義の信奉者であり、社会思想家のトマス・ヒル・グリーンの思想に限りなくシンパシーを感じていたという。『自由論』の思想家J.S.ミルの系譜を引く人だ。その文脈で「自由」ということばの意味を考えるべきだ。

官僚の世界でも軍人の世界でもドイツ派が幅をきかせていた時代背景を考えれば、「自由主義思想のよりどころがどこにあったかがよくわかる。

著者が、本書執筆の前に取り上げた、吉田茂の参謀であった辰巳栄一陸軍中将もまた親英派であった。おなじく吉田茂の右腕であった白洲次郎もまた親英派だ。「プリンシプルというのは、白洲次郎の口癖であった。

河合栄治郎は、実行家であるが、おなじく実行家であった上記の二人とは肌合いが異なる印象を受ける。軍人やビジネスマンとの違いといいっていいのだろうか。

同じ合理主義とはいっても、軍人的な合理主義と現実主義、ビジネスマン的な合理主義と現実主義とは違う何かをもっていたためであろう。理想主義者であり、また情の人であったのだろう。ミッションとパッションと言い換えてもいい。

東京の商家の生まれだが、反骨精神に充ち満ちた河合栄治郎から武士的な印象さえ受けるのは、明治の男であったからだけではないだろう。戦前の一高・帝大というエリートコースをたどった人に特有のノーブレス・オブリージ感覚かもしれない。

なによりも惜しまれるのは、河合栄治郎が戦争が終結する前に斃れたことだ。もし戦後まで生きながらえることができたなら、どう時代に対峙していったのだろかと考えてみたくなる。

だが、死してなお、その精神は生き続けている、というべきであろう。






■戦後日本への河合栄治郎の「遺産」

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

この問いに答えてくれるのは、「終章 戦闘的自由主義者の水脈」と題された一章を読む必要がある。まずは、「目次」の小項目を列挙しておこう。河合栄治郎亡き後の出来事の数々であり、その系譜に連なる人たちが、どう時代に対峙してきたかの軌跡である。

自由の殉教者を惜しむ
「革新幻想」に挑む自由主義
米占領下に「新憲法」批判
進歩的文化人の批判勢力として
祖国愛を語った瞬間
「秩序よりも正義」というレトリック
「中立幻想」に踊っていた
"丸山教信者" のたそがれ
空想的平和論の破綻
英雄的な思想家の素顔
独立自尊の道義国家をめざす

この「目次」だけではピンとこないかもしれないので、出版社による書籍の内容紹介を一部抜粋しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

戦後の河合人脈は政財学界に根を張り、論壇を牛耳る進歩的文化人と対峙しました。
門下生の第一世代は、経済評論家の土屋清、社会思想家の関嘉彦、政治学者の猪木正道らで、 第二世代には、碧海純一(東京大学教授)、岡野加穂留(明治大学教授)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、 伊原吉之助(帝塚山大学教授)ら、京都大学では高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎ら各氏が、この人脈に連なります。
米国に守られながら反米を叫ぶという "進歩的大衆人" の精神の歪みは、日本を漂流させてしまう--。 日本の背骨を支える揺るぎない思想とは何なのか。歴史の転換点で、圧倒的な敵に挑んだ思想家、 河合栄治郎の闘いを通して、日本のありようを考える。
この思想家を知らずして、日本の将来を語るなかれ。 産経新聞長期連載「独立不羈 河合栄治郎とその後の時代」に加筆、再構成し単行本化。

さらに付け加えれば、著者あとがきにはこうある。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

同じ社思研(=社会思想研究会)の先輩である当時の産経新聞社長、住田良能氏から、「次は何をやるんだ」と問われた。密かに決めていたテーマを説明したところ、「それよりも」と提案を受けたのが、自由主義の思想家、河合栄治郎の生涯を描くことであった。 (・・中略・・) 故人になられた住田氏の幾枝夫人から、「本棚にこんなものがあって」と、彼が収集していた資料をいただいた。生前の住田氏がこれほどまでに河合に関心を持ち続け、資料を収集していたとは思わなかった。あらためて故人に感謝の気持ちを表すとともに、本書を住田氏墓前に捧げたい。

2013年に亡くなった産経新聞社の当時の社長は、河合栄治郎の系譜に連なる社会思想研究会の会員であったという事実。なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?に対する答えのひとつは、ここに見ることができるだろう。

また、産経新聞じたいの評価も変わってくるのではないだろうか。もともと「産経」(サンケイ)とは「産業経済」の略であり、財界の肝いりで産業経済てこ入れされた新聞社であることを確認する必要があろう。1958年に社長となった水野成夫氏は、共産党からの転向者である。



■戦後になったえからも河合栄治郎の著作は文庫本でも入手可能だった

個人的な話をすれば、じつは、河合栄治郎の名前は高校時代から知っていた。当時購入した『マルキシズムとは何か』(現代教養文庫、1960)の著者として。


(いまはなき現代教養文庫 マイ・コレクションより)

高校時代は1970年代の最後で、1979年のアフガン侵攻前のソ連は、冷戦時代において盤石の存在だと思われていた。反共の家に育っていたこともあり、共産主義についてはつねに意識せざるを得なかったということもある。だからこそ、共産主義とはなにかについてきちんと理解したいと思っていたために、この本を購入したのだろう。定価160円と書いてあるから、当時の高校生のお小遣いでも十分に買えたというわけだ。

この本は全部読んだわけではないが、なぜ日本であれだけ共産主義が浸透したのか考えるために、じつに貴重な見解が述べられていることに感心した記憶がある。

河合栄治郎は、その理由を以下のように説明している。わたしなりに要約しておこう。

マルクス主義は経済だけでなく歴史哲学まで含めた首尾一貫した「体系」であり、このような壮大なスケールをもつ「体系」に匹敵できるものは、マルクス主義以前には日本にはなかった。だからこそ、日本の青年たちは、すっかり虜(とりこ)になってしまったのであろう、と。

この指摘はじつに鋭いと感じている。ほぼすべてが説明されていると感じたのであった。

なお、この本は、昭和6年(1931年)になされた講演の速記録をもとに編集されたと「解説」にある。まさに左右両翼の「全体主義」が激化するなか、全体主義との戦いのまっただ中でなされた講演なのであった。

残念ながら「現代教養文庫」はいまはもう存在しない。かつては文庫の棚をそれなりに占めていた存在で、数多くの良書を提供していたのだがまことにもって残念だ。出版元の「社会思想社」が2002年に倒産してしまったためだ。

その「社会思想社」とは、河合栄治郎ゆかりの人びとがつくった「社会思想研究会」の出版部門であったことを、「あとがき」ではじめて知った。なるほど、そういうことだったのか。だから、河合栄治郎の著作が現代教養文庫に多数収録されていたのか、と。

現在は、インタープレイブックスから、「現代教養文庫ライブラリ」という形で、電子書籍化されているタイトルもある。






■(付録) 「言論の自由」を守れ!-右であれ左であれ「全体主義」には反対だ

先日のことだが、6月に行われるわが母校の学園祭で、某ベストセラー作家の講演会が中止に追い込まれたというニュースがある。講演会開催に反対する署名運動が学内で行われ、その圧力で中止に追い込まれたのが真相らしい。

憲法で「言論の自由」が保障されているこの国で、発言の機会まで奪ってしまうという愚挙である。まさに目に見えない圧力という暴力の行使にほかならに。

「ヘイトスピーチ」だという一言で片付け、ラベリングして済ませている単細胞思考、思考停止状態。あるいは言い方を変えれば、過剰なまでの「言葉狩り」であり、歴史上の事象にあてはめれば魔女狩りや異端諮問に類似している。

その言論が間違っていると思うのなら、正々堂々と言論でもって反論すればよいではないか! 講演者の見解が間違っているのなら、その見解を正すような形、たとえば座談会やディベートなどで講演会を演出すればよいではないか! その上で、判断は聴衆自身にまかすべきである。

学園祭ではあるとはいえ、講演会を期待していたのは学生だけでなく、一般市民もそうであったはずだ。ベストセラー作家だけに、大学周辺の書店でも販売されており、読者も少なからずいるだろう。

講演会中止は、そういった人びとの期待ちを踏みにじった行為である。あまりにも学生や一般市民を馬鹿にしているとしかいいようがない。大学人が知的選良だという思い込みは無意識であるにせよ傲慢であるが、外部からみれば滑稽でしかない。

わたし自身は、そのベストセラー作家の作品は一冊も読んでいないので作品の良否についてはコメントのしようはない。ただ、そのネトウヨ的暴言にはウンザリしていることは否定しない。とはいえ、それとこれとは別の話だ。

このような「言論抑圧」がわが母校で行われたことは、卒業生としては、まことに残念としかいいようがない。「思考停止状態」に陥っている大学と、「劣化する大学人」の末期的症状をそこに見るのは、本書の読者であれば賛同いただけることだろう。

このようなことを書くのは理由がある。

一橋大学の前期課程の学生寮である一橋寮には「紫紺の闇」という「寮歌」が伝承されてきた。そしてその最後のフレーズには、「自由は死もて守るべし」とある。

一橋大学の前身は東京商科大学であるが、ファシズムによる弾圧のひどかった戦時中に、予科の学生によって作詞作曲された寮歌にこそ、「自由主義」の神髄があると、寮生であったわたしはつよく感じてきた。じっさい、一橋寮は自治の精神によって運営されており、自由と責任はクルマの両輪であることを、目に見える形で実践していた。

ビジネスに自由な活動とそれを支える自由な思考は不可欠である。商科大学ならではの自由主義がそこにある。この自由主義の立場に立つからこそ、最近の母校での「残念な出来事」には、まことにもって嘆かわしいと言わざるを得ないのだ。

東京商大(=商大)の前身は東京高等商業学校(=高商)は帝大経済学部に飲み込まれそうになった歴史がある。学生の徹底抗戦で回避できたが、自由と自治を守るという精神は、いまでも息づいているはずだと感じたいのだが・・・。

河合栄治郎のように雄々しく闘った人だけでなく、違う形で全体主義に抵抗した人たちもいたのだということは、ここに記しておきたい。





目 次

序章 進歩的大衆人が日本を漂流させる
第1章 理想主義と反骨精神
第2章 孤軍奮闘の農商務省時代
第3章 帝大経済学部の「白熱教室」
第4章 二年八カ月の欧州留学
第5章 「左の全体主義」との対決
第6章 ファシズムに命がけの応戦
第7章 正面から放った軍部批判の矢
第8章 名著『学生に与う』誕生
第9章 戦後を見通した「有罪願望」
終章 戦闘的自由主義者の水脈
あとがき
河合栄治郎略年譜
参考文献






<関連サイト>

KODAIRA祭 百田尚樹氏講演中止 (一橋新聞、2017年6月5日)

ルポ : 百田尚樹講演会中止騒動の真相 …「言論の自由」をめぐる論争から私たちは何を学ぶか
(清義明 · 2017年6月11日)
・・「一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で予定されていた百田尚樹氏の講演会が中止になった騒動が議論を呼んでいる。」

【百田尚樹氏講演会中止問題】  「講演会中止」の波紋広がる 反対の“圧力”で学生動揺も 門田隆将氏「言論の自由や大学の自治が失われた」(産経新聞、2017年6月5日)

作家・百田尚樹氏が会見(全文1)ヘイトスピーチや差別扇動、一度もしてない | THE PAGE(ザ・ページ)
・・作家の百田尚樹氏が7月4日東京の外国特派員協会で記者会見。「私は、これは非常に恐ろしい問題だと思います。つまり民間の団体が一般学生を監視し、そして彼らが定義するところの差別というふうに見なし、そしてそれを通報する。これはスターリン時代の秘密警察にも似ています。あるいは民間ということで言えば中国の紅衛兵にも似てるかもしれません。」(発言から)

【正論】百田尚樹さん講演を阻んだ大学人は何も考えていない 文系教授は「考えない足」(筑波大学大学院教授・古田博司、産経新聞、2017年7月26日)

一橋大学社会学部(絶望日本、2015年1月7日)
・・個人ブログの投稿記事。投稿者は1990年頃の卒業生のようだ。1985年卒業のわたしのときもひどかったが、そのときよりもさらに社会学部の「左傾化」がひどくなっている様子がうかがわれる。おそらくソ連崩壊前後だったから、よけいそうだったのかもしれないが・・・。バカを「再生産」する仕組みが構築されていたのか? こんな悪性腫瘍のような学部なら不要であると、卒業生として言わざるを得ない。「山岸(俊男・・社会心理学者)も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。」とブログ記事にはある。なるほど、そうなるべくして、「百田事件」は発生したというべきだろう。

一橋大学社会学部(2)(絶望日本、2015年1月19日)
・・「私が一橋大学社会学部に対して最も腹立たしく感じるのは、先に書いたような「左翼の巣窟」とでも呼びたくなるような実態が学外に知られないように極力隠蔽しているとしか思われない点だ。」 激しく同意! この場をつかって、この情報を拡散することにしたい。

一橋大大学院に進学 シールズ奥田愛基は「政治学を猛勉強中」 (週刊文春 2017年5月4・11日号)
・・こんなこと、きょうのきょうまで知らなかった(=2017年8月18日)。政治学といえば社会学部だろう。社会学部の大学院はゲタをはせて入学させたのではないか? 世も末だね。一橋大学社会学部創業であることが恥ずかしい。



米国を沸騰させる英国から来た右翼の新貴公子 ロリコン常習者擁護、同性愛、そしてトランプ信奉、イアノポウロスの言い分 (高濱 賛、JBPress、2017年8月2日)
・・米国のカリフォルニア大学バークレー校でも「百田事件」が起こっていた。バークレーが誇る「言論の自由」が泣くというもんだ

(2017年8月2日・19日・23日 情報追加)



◆なお、百田尚樹氏の著作については、小説好きではないわたしはまだ一冊も読んでいないのだが、その件について言及しているブログ記事が2本あるので紹介しておく。

ミツバチについて考えるのは面白い!-玉川大学農学部のミツバチ科学研究センターの取り組み
・・「『風のなかのマリア』というスズメバチを主人公にした作家の百田尚樹氏は、スズメバチの生態をくわしく知るために玉川大学の小野正人教授になんども取材したのだそうだ。その二人の対談記事が面白い。」

「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
・・「『海賊とよばれた男』を読むのもいいかもしれませんね。いままで出光佐三のことを知らなかった人には驚きのエピソードの連続でしょう。」



<ブログ内関連記事>

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・著者の前著

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・白洲次郎は親英派だが親米派ではなかった。占領軍である米軍の高級将校に「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた爽快なエピソードがある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・「堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめた」

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・河合栄治郎の系譜に連なる第二世代のひとり

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本はサラリーマンの世界ですら、「社会主義幻想」「革新幻想」が充満した時代であった。大学はなおさらのこと。それは、ソ連が崩壊するまで続いていた

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「わたしは、君の言うことに反対だが、君がそう主張する権利は死んでも守る」という、しびれるようなセリフを吐いたのがヴォルテールだ

映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)-失敗に終わったヒトラー暗殺を単独で計画し実行した実在のドイツ人青年を描いたヒューマンドラマ

(2017年7月30日・31日 情報追加)




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(2012年7月3日発売の拙著です)







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