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2017年7月27日木曜日

書評『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)― 左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜



タイトルの「全体主義と闘った男」というフレーズには、しびれるものがある。

「右にも左にも怯まなかった日本人がいた!」というコピーが強烈に響く。

これが一般に「右」とみなされている産経新聞に連載され、しかも産経新聞出版から出版された単行本の帯に記されているのだからなおさらだ。

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

いや、そもそも河合栄治郎とは何者か?

河合栄治郎といわれて、すぐピンとくる人は、いまでは少ないだろう。いや、20年前でも30年まであっても、すでにそうなっていたのではないだろうか。

その意味では、2010年代後半のいま、あらためて「戦闘的自由主義者」とされる河合栄治郎という日本人について知ることの意味はある。いや、「右にも左にも怯まなかった日本人」がいたということは、いまのような時代にこそ振り返るべき人物であるというべきではないか。

以下、書評の対象とした本書、『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)に即して、河合栄治郎の生涯と人となりについて押さえておこう。

河合栄治郎は、思想家である。骨太の思想家である。だが、書斎に安住する思想家ではない。まずなによりも「実行家」であり、志敗れて大学教授に転じてからも、時代と正面から向き合って信念を貫き通した人だ。

まずは「左の全体主義」である「共産主義」と闘い、共産主義が壊滅後に軍部が台頭してくると、返す刀で「右の全体主義」である「ファシズム」と闘った

著書が発禁処分となり、帝大も休職処分とされたなか、時の権力と正々堂々と法廷闘争を行ったのである。だが、力尽き、そして敗れ去った。戦時中の昭和19年(1944年)に53歳の若さで病死している。壮健を誇る人物であっただけに、燃え尽きたといっていいのかもしれない。

河合栄治郎は、人生のキャリアの最初の時期から、いま目の前にある社会問題の解決のために人生を賭した人だ。一高時代には、校長であった新渡戸稲造の影響を受けている。

農商務省(=現在の経産省)に入省したのは、『女工哀史』に描かれたような労働者の劣悪な状態に心を痛め、「労働問題」解決のために日本初となる「工業法」制定をみずからのミッションと定めていたからだ。「工業法」制定に向けて、獅子奮迅の力で奔走したが、「官僚国家主義」に敗れ去る。法案は骨抜きにされてしまったのだ。

志敗れて官僚退官後は、在野ジャーナリストを経て東京帝大教授になるが、そこでも信念をまげることなく知行合一を貫き通したことは、すでに述べたとおりだ。

「学問に国境なし、学者に祖国あり」が河合栄治郎のモットーであったという。フランスの細菌学者ルイ・パストゥールのことばだ。一般には、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」として知られている。愛国者ではあるが、偏狭な精神の持ち主ではない

河合栄治郎は、著者の表現ではないが、「プリンシプルの人」であったというべきであろう。プリンシプルとは原理原則という意味。日本語でいえば、一本筋の通った背骨のある人といったらいいだろうか。

河合栄治郎は、親英米のアングロサクソン派であった。なによりも英国型の自由主義の信奉者であり、社会思想家のトマス・ヒル・グリーンの思想に限りなくシンパシーを感じていたという。『自由論』の思想家J.S.ミルの系譜を引く人だ。その文脈で「自由」ということばの意味を考えるべきだ。

官僚の世界でも軍人の世界でもドイツ派が幅をきかせていた時代背景を考えれば、「自由主義思想のよりどころがどこにあったかがよくわかる。

著者が、本書執筆の前に取り上げた、吉田茂の参謀であった辰巳栄一陸軍中将もまた親英派であった。おなじく吉田茂の右腕であった白洲次郎もまた親英派だ。「プリンシプルというのは、白洲次郎の口癖であった。

河合栄治郎は、実行家であるが、おなじく実行家であった上記の二人とは肌合いが異なる印象を受ける。軍人やビジネスマンとの違いといいっていいのだろうか。

同じ合理主義とはいっても、軍人的な合理主義と現実主義、ビジネスマン的な合理主義と現実主義とは違う何かをもっていたためであろう。理想主義者であり、また情の人であったのだろう。ミッションとパッションと言い換えてもいい。

東京の商家の生まれだが、反骨精神に充ち満ちた河合栄治郎から武士的な印象さえ受けるのは、明治の男であったからだけではないだろう。戦前の一高・帝大というエリートコースをたどった人に特有のノーブレス・オブリージュ感覚かもしれない。

なによりも惜しまれるのは、河合栄治郎が戦争が終結する前に斃れたことだ。もし戦後まで生きながらえることができたなら、どう時代に対峙していったのだろかと考えてみたくなる。

だが、死してなお、その精神は生き続けている、というべきであろう。


■戦後日本への河合栄治郎の「遺産」

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

この問いに答えてくれるのは、「終章 戦闘的自由主義者の水脈」と題された一章を読む必要がある。まずは、「目次」の小項目を列挙しておこう。河合栄治郎亡き後の出来事の数々であり、その系譜に連なる人たちが、どう時代に対峙してきたかの軌跡である。

自由の殉教者を惜しむ
「革新幻想」に挑む自由主義
米占領下に「新憲法」批判
進歩的文化人の批判勢力として
祖国愛を語った瞬間
「秩序よりも正義」というレトリック
「中立幻想」に踊っていた
"丸山教信者" のたそがれ
空想的平和論の破綻
英雄的な思想家の素顔
独立自尊の道義国家をめざす

この「目次」だけではピンとこないかもしれないので、出版社による書籍の内容紹介を一部抜粋しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

戦後の河合人脈は政財学界に根を張り、論壇を牛耳る進歩的文化人と対峙しました。
門下生の第一世代は、経済評論家の土屋清、社会思想家の関嘉彦、政治学者の猪木正道らで、 第二世代には、碧海純一(東京大学教授)、岡野加穂留(明治大学教授)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、 伊原吉之助(帝塚山大学教授)ら、京都大学では高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎ら各氏が、この人脈に連なります。
米国に守られながら反米を叫ぶという "進歩的大衆人" の精神の歪みは、日本を漂流させてしまう--。 日本の背骨を支える揺るぎない思想とは何なのか。歴史の転換点で、圧倒的な敵に挑んだ思想家、 河合栄治郎の闘いを通して、日本のありようを考える。
この思想家を知らずして、日本の将来を語るなかれ。 産経新聞長期連載「独立不羈 河合栄治郎とその後の時代」に加筆、再構成し単行本化。

さらに付け加えれば、著者あとがきにはこうある。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

同じ社思研(=社会思想研究会)の先輩である当時の産経新聞社長、住田良能氏から、「次は何をやるんだ」と問われた。密かに決めていたテーマを説明したところ、「それよりも」と提案を受けたのが、自由主義の思想家、河合栄治郎の生涯を描くことであった。 (・・中略・・) 故人になられた住田氏の幾枝夫人から、「本棚にこんなものがあって」と、彼が収集していた資料をいただいた。生前の住田氏がこれほどまでに河合に関心を持ち続け、資料を収集していたとは思わなかった。あらためて故人に感謝の気持ちを表すとともに、本書を住田氏墓前に捧げたい。

2013年に亡くなった産経新聞社の当時の社長は、河合栄治郎の系譜に連なる社会思想研究会の会員であったという事実。なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?に対する答えのひとつは、ここに見ることができるだろう。

また、産経新聞じたいの評価も変わってくるのではないだろうか。もともと「産経」(サンケイ)とは「産業経済」の略であり、財界の肝いりで産業経済てこ入れされた新聞社であることを確認する必要があろう。1958年に社長となった水野成夫氏は、共産党からの転向者である。



■戦後になってからも河合栄治郎の著作は文庫本でも入手可能だった

個人的な話をすれば、じつは、河合栄治郎の名前は高校時代から知っていた。当時購入した『マルキシズムとは何か』(現代教養文庫、1960)の著者として。


(いまはなき現代教養文庫 マイ・コレクションより)


高校時代は1970年代の最後で、1979年のアフガン侵攻前のソ連は、冷戦時代において盤石の存在だと思われていた。「反共」(=反共産主義)の家に育っていたこともあり、共産主義についてはつねに意識せざるを得なかったということもある。だからこそ、共産主義とはなにかについてきちんと理解したいと思っていたために、この本を購入したのだろう。定価160円と書いてあるから、当時の高校生のお小遣いでも十分に買えたというわけだ。

この本は全部読んだわけではないが、なぜ日本であれだけ共産主義が浸透したのか考えるために、じつに貴重な見解が述べられていることに感心した記憶がある。

河合栄治郎は、その理由を以下のように説明している。わたしなりに要約しておこう。

マルクス主義は経済だけでなく歴史哲学まで含めた首尾一貫した「体系」であり、このような壮大なスケールをもつ「体系」に匹敵できるものは、マルクス主義以前には日本にはなかった。だからこそ、日本の青年たちは、すっかり虜(とりこ)になってしまったのであろう、と。

この指摘はじつに鋭いと感じている。ほぼすべてが説明されていると感じたのであった。

なお、この本は、昭和6年(1931年)になされた講演の速記録をもとに編集されたと「解説」にある。まさに左右両翼の「全体主義」が激化するなか、全体主義との戦いのまっただ中でなされた講演なのであった。

残念ながら「現代教養文庫」はいまはもう存在しない。かつては文庫の棚をそれなりに占めていた存在で、数多くの良書を提供していたのだがまことにもって残念だ。出版元の「社会思想社」が2002年に倒産してしまったためだ。

その「社会思想社」とは、河合栄治郎ゆかりの人びとがつくった「社会思想研究会」の出版部門であったことを、「あとがき」ではじめて知った。なるほど、そういうことだったのか。だから、河合栄治郎の著作が現代教養文庫に多数収録されていたのか、と。

現在は、インタープレイブックスから、「現代教養文庫ライブラリ」という形で、電子書籍化されているタイトルもある。


画像をクリック!


目 次

序章 進歩的大衆人が日本を漂流させる
第1章 理想主義と反骨精神
第2章 孤軍奮闘の農商務省時代
第3章 帝大経済学部の「白熱教室」
第4章 二年八カ月の欧州留学
第5章 「左の全体主義」との対決
第6章 ファシズムに命がけの応戦
第7章 正面から放った軍部批判の矢
第8章 名著『学生に与う』誕生
第9章 戦後を見通した「有罪願望」
終章 戦闘的自由主義者の水脈
あとがき
河合栄治郎略年譜
参考文献
 
著者プロフィール
湯浅博(ゆあさ・ひろし)
産経新聞特別記者・論説委員。1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒、プリンストン大学公共政策大学院 Mid-career program 修了。産経新聞入社後に政治部、経済部を経てワシントン特派員、外信部次長、ワシントン支局長、シンガポール支局長を歴任。2002年7月から現職。国家基本問題研究所企画委員。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■(付録) 「言論の自由」を守れ!― 右であれ左であれ「全体主義」には反対だ

先日のことだが、6月に行われるわが母校の学園祭で、某ベストセラー作家の講演会が中止に追い込まれたというニュースがある。講演会開催に反対する署名運動が学内で行われ、その圧力で中止に追い込まれたのが真相らしい。

憲法で「言論の自由」が保障されているこの国で、発言の機会まで奪ってしまうという愚挙である。まさに目に見えない圧力という暴力の行使にほかならに。

「ヘイトスピーチ」だという一言で片付け、ラベリングして済ませている単細胞思考、思考停止状態。あるいは言い方を変えれば、過剰なまでの「言葉狩り」であり、歴史上の事象にあてはめれば魔女狩りや異端諮問に類似している。

その言論が間違っていると思うのなら、正々堂々と言論でもって反論すればよいではないか! 講演者の見解が間違っているのなら、その見解を正すような形、たとえば座談会やディベートなどで講演会を演出すればよいではないか! その上で、判断は聴衆自身にまかすべきである。

学園祭ではあるとはいえ、講演会を期待していたのは学生だけでなく、一般市民もそうであったはずだ。ベストセラー作家だけに、大学周辺の書店でも販売されており、読者も少なからずいるだろう。

講演会中止は、そういった人びとの期待ちを踏みにじった行為である。あまりにも学生や一般市民を馬鹿にしているとしかいいようがない。大学人が知的選良だという思い込みは無意識であるにせよ傲慢であるが、外部からみれば滑稽でしかない。

わたし自身は、そのベストセラー作家の作品は一冊も読んでいないので作品の良否についてはコメントのしようはない。ただ、そのネトウヨ的暴言にはウンザリしていることは否定しない。とはいえ、それとこれとは別の話だ。

このような「言論抑圧」がわが母校で行われたことは、卒業生としては、まことに残念としかいいようがない。「思考停止状態」に陥っている大学と、「劣化する大学人」の末期的症状をそこに見るのは、本書の読者であれば賛同いただけることだろう。

このようなことを書くのは理由がある。

一橋大学の前期課程の学生寮である一橋寮には「紫紺の闇」という「寮歌」が伝承されてきた。そしてその最後のフレーズには、「自由は死もて守るべし」とある。

一橋大学の前身は東京商科大学であるが、ファシズムによる弾圧のひどかった戦時中に、予科の学生によって作詞作曲された寮歌にこそ、「自由主義」の神髄があると、寮生であったわたしはつよく感じてきた。じっさい、一橋寮は自治の精神によって運営されており、自由と責任はクルマの両輪であることを、目に見える形で実践していた。

ビジネスに自由な活動とそれを支える自由な思考は不可欠である。商科大学ならではの自由主義がそこにある。この自由主義の立場に立つからこそ、最近の母校での「残念な出来事」には、まことにもって嘆かわしいと言わざるを得ないのだ。

東京商大(=商大)の前身は東京高等商業学校(=高商)は帝大経済学部に飲み込まれそうになった歴史がある。学生の徹底抗戦で回避できたが、自由と自治を守るという精神は、いまでも息づいているはずだと感じたいのだが・・・。

河合栄治郎のように雄々しく闘った人だけでなく、違う形で全体主義に抵抗した人たちもいたのだということは、ここに記しておきたい。


<関連サイト>

KODAIRA祭 百田尚樹氏講演中止 (一橋新聞、2017年6月5日)

ルポ : 百田尚樹講演会中止騒動の真相 …「言論の自由」をめぐる論争から私たちは何を学ぶか
(清義明 · 2017年6月11日)
・・「一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で予定されていた百田尚樹氏の講演会が中止になった騒動が議論を呼んでいる。」

【百田尚樹氏講演会中止問題】  「講演会中止」の波紋広がる 反対の“圧力”で学生動揺も 門田隆将氏「言論の自由や大学の自治が失われた」(産経新聞、2017年6月5日)

作家・百田尚樹氏が会見(全文1)ヘイトスピーチや差別扇動、一度もしてない | THE PAGE(ザ・ページ)
・・作家の百田尚樹氏が7月4日東京の外国特派員協会で記者会見。「私は、これは非常に恐ろしい問題だと思います。つまり民間の団体が一般学生を監視し、そして彼らが定義するところの差別というふうに見なし、そしてそれを通報する。これはスターリン時代の秘密警察にも似ています。あるいは民間ということで言えば中国の紅衛兵にも似てるかもしれません。」(発言から)

【正論】百田尚樹さん講演を阻んだ大学人は何も考えていない 文系教授は「考えない足」(筑波大学大学院教授・古田博司、産経新聞、2017年7月26日)

一橋大学社会学部(絶望日本、2015年1月7日)
・・個人ブログの投稿記事。投稿者は1990年頃の卒業生のようだ。1985年卒業のわたしのときもひどかったが、そのときよりもさらに社会学部の「左傾化」がひどくなっている様子がうかがわれる。おそらくソ連崩壊前後だったから、よけいそうだったのかもしれないが・・・。バカを「再生産」する仕組みが構築されていたのか? こんな悪性腫瘍のような学部なら不要であると、卒業生として言わざるを得ない。「山岸(俊男・・社会心理学者)も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。」とブログ記事にはある。なるほど、そうなるべくして、「百田事件」は発生したというべきだろう。

一橋大学社会学部(2)(絶望日本、2015年1月19日)
・・「私が一橋大学社会学部に対して最も腹立たしく感じるのは、先に書いたような「左翼の巣窟」とでも呼びたくなるような実態が学外に知られないように極力隠蔽しているとしか思われない点だ。」 激しく同意! この場をつかって、この情報を拡散することにしたい。

一橋大大学院に進学 シールズ奥田愛基は「政治学を猛勉強中」 (週刊文春 2017年5月4・11日号)
・・こんなこと、きょうのきょうまで知らなかった(=2017年8月18日)。政治学といえば社会学部だろう。社会学部の大学院はゲタをはせて入学させたのではないか? 世も末だね。一橋大学社会学部創業であることが恥ずかしい。



米国を沸騰させる英国から来た右翼の新貴公子 ロリコン常習者擁護、同性愛、そしてトランプ信奉、イアノポウロスの言い分 (高濱 賛、JBPress、2017年8月2日)
・・米国のカリフォルニア大学バークレー校でも「百田事件」が起こっていた。バークレーが誇る「言論の自由」が泣くというもんだ

(2017年8月2日・19日・23日 情報追加)



◆なお、百田尚樹氏の著作については、小説好きではないわたしはまだ一冊も読んでいないのだが、その件について言及しているブログ記事が2本あるので紹介しておく。

ミツバチについて考えるのは面白い!-玉川大学農学部のミツバチ科学研究センターの取り組み
・・「『風のなかのマリア』というスズメバチを主人公にした作家の百田尚樹氏は、スズメバチの生態をくわしく知るために玉川大学の小野正人教授になんども取材したのだそうだ。その二人の対談記事が面白い。」

「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
・・「『海賊とよばれた男』を読むのもいいかもしれませんね。いままで出光佐三のことを知らなかった人には驚きのエピソードの連続でしょう。」



<ブログ内関連記事>

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・著者の前著

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・白洲次郎は親英派だが親米派ではなかった。占領軍である米軍の高級将校に「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた爽快なエピソードがある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・「堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめた」

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・河合栄治郎の系譜に連なる第二世代のひとり

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本はサラリーマンの世界ですら、「社会主義幻想」「革新幻想」が充満した時代であった。大学はなおさらのこと。それは、ソ連が崩壊するまで続いていた

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「わたしは、君の言うことに反対だが、君がそう主張する権利は死んでも守る」という、しびれるようなセリフを吐いたのがヴォルテールだ

映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)-失敗に終わったヒトラー暗殺を単独で計画し実行した実在のドイツ人青年を描いたヒューマンドラマ

(2017年7月30日・31日 情報追加)


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end

2013年4月22日月曜日

書評『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ルールメーキング論入門』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)ー ルールは「つくる側」に回るべし!



「なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」という問いは、多くの日本人が日頃感じていることだろう。幕末の「開国」以来、「欧米列強」(・・アナクロだがイメージ喚起力のつよい表現だ)に苦杯をなめさせられ続けた歴史がトラウマに近いものにまでなっている。

本書『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ルールメーキング論入門』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)の主張は、ルールは守るのは当然だが、ルールはつくる側にまわってこそ大きな利益を得ることができる、ということだ。これはスポーツだけではなくビジネスでも同じことだ。

日本人の美学を認めつつも、国際世界で勝つためにはルールは守るだけでなく、つくることによって競争環境を自社に有利に仕向けることを考慮に入れるべきことを説いている。

増補新版の「あとがき」で著者も触れているが、初版出版後の読者の反応でいちばん多かったのは、ルールとプリンシプルの違いを説明した個所であったそうだ(第1章)。わたしもこの個所がいちばん面白く感じた。

図式的にいえば、ルールは外的で他律的、プリンシプルは内的で自律的、となる(P.34)。わたし的にいえば、プリンシプルが個人の内面を律する原理原則であるとすれば、ルールはしょせん決め事に過ぎないということになる。決め事であれば、環境が変われば、それに応じて決め事も変えていかなかればならないのは当然だ。

それにしても日本には、時代遅れの規定や法律がそのまま放置されていることがあまりにも多すぎるのではないだろうか。

その理由は、著者も触れているが、法律やルールは自分たちがつくるものではなく、お上(かみ)から与えられたものを順守することだという日本人のマインドセットにある。企業社会ではコンプライアンスに法令遵守という訳語が与えられたために窮屈な空気が醸成されており、とくに大企業のビジネスパーソンは窒息状態にある。それもまた、日本人のこのマインドセットに起因するのであろう。

社会科学者の小室直樹がむかしから事あるごとに主張していたが、日本国憲法を「不磨の大典」(ふまのたいてん)のごとく、一字一句も変更をゆるさずに抱え込むなどは愚の骨頂。憲法もまたルールとしての法律であって、モーゼの十戒のような律法ではない(・・日本語では、「法律」と「律法」はまったく意味が異なる。英語では Law で同じだが)。

ビジネスの世界では「仕組み」をつくった者がいちばんうまい汁を吸う、というのは「常識」である。宝くじなども、買う立場の人間よりも売る立場で「仕切る」側にいる胴元がいちばん儲かるというのも「常識」である。

これを戦略的に行っているのがEU(欧州共同体)だ。

環境規制やISOなど厳しい規制をもうけることでビジネスをつくりだす欧州の知恵に学ぶべきだという著者の主張にも同感だ。むやみやたらに競争して疲弊することは避け、高く厳しいハードルを設けることによって「真の競争」を促すのが規制ビジネスのキモだ。その規制の胴元が欧州共同体である。

低成長時代の日本が、長らく低成長を続けている欧州の知恵に学ぶべきものは多い。今後は日本が主導してさまざまなルールを率先してつくっていくべきだろう。

副題にあるように、本書はルールメーキング論「入門」である。マインドセットについて語られるが、ルールメーキングの方法論までには言及がないので、物足りなさを感じる人も多いだろう。

まずは日本人のマインドセットを武装解除することが著者のミッションであるようだ。そのためのテキストとしては、増補改訂版が出版される意味はある。


 (画像をクリック!


目 次

はじめに 日本人はルールを守りすぎて、損をしていないだろうか?
第1章 なぜ私たちはルール変更を「ずるい」と思うのか?
第2章 実際に「ずるい」を味わってみる
第3章 ルールを変えれば本当に勝てるのか?
第4章 ルールがあってこそ成長する
第5章 ルール作りのプリンシプル
あとがきにかえて

著者プロフィール

青木高夫(あおき・たかお)
本田技研工業(株)勤務。HONDAでは、渉外業務において税制・通商など国内外の自動車産業に関わるルール作りに参画。海外営業時代は、豪州・英国に駐在し大洋州・中近東・北中欧での販社開発・企業合併を多国籍部門のマネジメントを通じて行う。この間、海外でのレース活動にも関与した。専修大学(大学院)にて、そうした経験を基礎として主に産業政策論を講じている。また、業務や講義に関連する欧米のビジネス書を発掘・翻訳。1956年、東京都出身(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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聖徳太子の「十七条憲法」-憲法記念日に日本最古の憲法についてふれてみよう!

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?


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2011年4月21日木曜日

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」― 白洲次郎の「プリンシプル」について



白洲次郎(1902年~1985年)の人気は依然として高どまりしている。下降する兆しも見えない。これはここ数年の現象だ。

 もともとは、白洲正子(1910年~1998年)の人気から始まったものだ。

 日本美の世界を精力的に紹介し続けた白洲正子。凛とした姿と言動には、とくに女性を中心にしたファンが多い。

 1990年代に入って再燃した白洲正子ブーム、わたしも何冊か白洲正子の書いたものを読んでいて俄然気になってきたのは、配偶者であった白洲次郎とは何者か(?)という、強い好奇心にもとづいた疑問であった。

 『白洲正子自伝』では「一目惚れして結婚した相手」だとあるが、何をしていた人かについては断片的な記述しかないので、正直なところよくわからないままだった。白洲正子の本で、白洲次郎がクチにしていた country gentleman(カントリー・ジェントルマン) や grumble(ブツブツいう) というイギリス英語とその意味を知ったことぐらいか。

 これは私だけの疑問ではなかったようだ。多くの人たちが白洲次郎という「謎の男」に関心をもつようになったことから、白洲次郎の再発見になっていったのだろう。



「風の男 白洲次郎」


 そんななかで出たのが 『風の男 白洲次郎』(青柳恵介、新潮社、1997)。この本を読んで、白洲正子よりもはるかに面白い日本人がいたのだということをはじめて知って、驚きに満ちた喜びを感じたものだ。現在は文庫化されて新潮文庫から版を重ねている。
 
 白洲次郎については、だんだんと全貌が明らかになり、その後ついには白洲正子人気を上回るほどの存在となったことは、あえて書くまでもないだろう。

 なんといっても、占領下の日本で政治家・吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた男である。

 日本国憲法の草案作成にかかわった男である。

 米軍の高官に向かって「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた男である。 夫婦のあいだの会話を英語でやっていた男である。白洲正子は米国仕込み、白洲次郎は英国仕込み。

 ケンブリッジ大学で西洋中世史を専攻し、のちに実業界で活躍することになりながら、トロツキイも熟読していた男である。

 この戦争に勝ち目はないとして、さっさと引退して東京郊外に土地を購入し、「武相荘」(=無愛想)なる和風の屋敷をつくって引きこもり、農作業に専念した男である。

 イネの品種「農林●●号」の発明者のことを誉めて、何かをインベント(invent:発明)することがえらいのだと断言していた男である。

 「葬式無用 戒名無用」と遺言を遺して、風のように去っていった男である。

 書いていればキリがない。あまりにもカッコ良すぎるのだ。長身で脚が長い、日本人離れしたその容姿と言動の数々。

 しかし、ほとんんど公的な発言を残さないまま、それこそ「風の男」として、さまざまな機密は墓のなかに持っていってしまった。



「プリンシプル」のある日本人・白洲次郎


 『プリンシプルのない日本-プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。-』(白洲 次郎、ワイアンドエフ、2001) は、そんな白洲次郎が自ら執筆した数少ない文章を編集して、一冊にまとめたものだ。ほぼ唯一の自著だといってよい。現在は新潮文庫に収められている。

 プリンシプル(principle)とは何か?

 思いつくままに、該当すると思われる日本語をあげていってみよう。

 原理原則、しっかりと伸びた背骨、バックボーン、ブレない軸、ゆるぎない座標軸、一本通ったスジ(筋)、コア・バリュー(価値観)。いいかえればインテグリティのことでもある。

 インテグリティ(integrity)とは日本語に訳しにくいが、一般に訳されている「誠実」という意味よりも、発言にブレのない、首尾一貫した姿勢をさしていると理解したい。つまり、白洲次郎の生き様そのものだ。

 先にあげた『プリンシプルのない日本』には収録されなかった文章や対談が、その後多数再発見されて収録されたのが、『総特集 白洲次郎-日本で一番カッコイイ男 (KAWADE夢ムック)』(河出書房新社、2002)である。白洲次郎が書いた文章、対談や鼎談などしゃべった内容は、この二冊でほぼカバーされている。

 基本的に評論家ではなく、実業の世界に長くいた人だから、コトバよりも実践という姿勢が強かったのは当然だろう。

 だが、白洲次郎が残したコトバの断片は、あまりにも鮮やかで、魅力的だ。行動をともなっていたコトバだから、評論家の空疎な響きのコトバとはまったく違うのだ。

 反原発論者の広瀬隆は、東北電力会長としての白洲次郎は原発導入にかかわった人物だとして、『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社、2009)で非難糾弾(?)しているが、この件については、わたしにはよくわからない。

 日本国憲法草案の作成に大きく関与し、その後は通産省(通商産業省、現在の経済産業省)にも大きくかかわっていた白洲次郎である、エネルギー政策にも当然関与しているはずだろう。その結果の東北電力会長就任だろう。

 実業家としての白洲次郎については、東北電力会長時代、みずからジープ(?)を運転して、いきなりダム建設現場を訪れたりすることを好んでやっていたというエピソードがいい。当時を知る人が、分け隔てなく接する人だったと回想しているのを読むと、かくあるべしという気持ちになるのは私だけではないだろう。

 敗戦後の日本で、国の行く末に深く関与した経験をもつひとであったから、全体を見据える「上から目線」の持ち主であったのは当然だ。だがその一方で、「下から目線」の意味も熟知し実践もできる人であった。

 私はそのように理解している。そこにまた魅力を感じるのでもある。



リスペクトすべき日本人。日本人は日本人として生きればよい

 白洲次郎は、私が尊敬する日本人の一人である。

 もし 10代の頃にその存在を知っていたなら、間違いなくその生き様をロールモデルとして、真似て真似尽くしたはずだ。

 だが、30歳台も半ばをい過ぎてからその存在を知ったのにかかわらずリスペクトしているのは、外見はせておき、気質的には近いからだろう。

 国際人とかそういった存在というよりも、まず人間であり、そして日本人であったという人間存在のありかたが実にいい。

 職業は何かと問われて、「人間だ」と答えた岡本太郎にも通じるものがある。

 あるいは、明治時代の岡倉天心などの国際人にもつうじるものといってもいい。国際人は、真に愛国者でもある。その一つの典型が、白洲次郎である。

 だが、白洲次郎のような生き方を貫けば、孤独とは縁が深くなる。これは岡倉天心も、永井荷風も、岡本太郎も同じだったことだろう。日本的な世間というものから距離を置いた生き方だからだ。脇目をふらず、我が道を行く生き方。

 「とかくメダカは群れたがる」という辛辣な表現をした作家がいる。当時のいわゆる「文壇」をさして言ったものだが、いわゆる「文士」に代表される文筆を業とする知識階層の日本人も、一皮むけば日本人以外の何者でもないことを、見事なまでに表現しきったものだ。

 その意味では、西洋の個人主義にどっぷりと浸かった体験をもつ白洲次郎はまさにその対極の存在であったといえよう。

 何からかの特定の「場」に属していなければ「安心」できないのが大半の日本人だが、「安心」と「信頼」が根本的に異なるものであるということに気がつかねばならない。

 そして「安心」がすぐに「慢心」に変わりやすいのも、わたしも含めて、日本人の悪しき特性である。根本にあるのは「甘え」であろう。独立自尊の精神とは対極にある「甘え」。

 実業の世界にいたが、白洲次郎は財界とは距離を置いていた。どこか特定の「場」に帰属していないと安心できないというような精神の持ち主ではなかったようだ。「群れたがるメダカ」ではなかったということだ。

 それは、自らのなかに確固とした「プリンシプル」があったからに他ならない。

 しかし思うにつけ、政治の世界はいうに及ばず、ビジネスの世界においても「プリンシプル」(原理原則)どころか、「ディシプリン」(規律)も持ち合わせない人たちが多すぎる。

 「経済二流、政治漂流」の日本が続く限り、白洲次郎の価値は衰えることはないだろう。

 しかし、いまは大東亜戦争の敗戦以来の「国難」のさなかにある。いまこそ、白洲次郎のような「プリンシプル」あるリーダーが求められているのではないか。

 いまは、日本が大転換する絶好のチャンスである。ピンチはチャンスである。

 だが、待望するだけでは未来は切り開けない。若い世代から「白洲次郎」たちが多く出てくることを切に願う。


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<ブログ内関連記事>

「武相荘」(ぶあいそう)にはじめていってきた(2014年9月6日)-東京にいまでも残る茅葺き屋根の古民家
・・白洲次郎の「終の棲家」(ついのすみか)


欧米社会におけるルールとプリンシプルの違い

書評 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか-ルールメーキング論入門-』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)-ルールは「つくる側」に回るべし!
・・「ルールは外的で他律的、プリンシプルは内的で自律的、となる(P.34)。わたし的にいえば、プリンシプルが個人の内面を律する原理原則であるとすれば、ルールはしょせん決め事に過ぎない」


英国と英国仕込みの白洲次郎

書評 『ジェームズ・ボンド 仕事の流儀』(田窪寿保、講談社+α新書、2011)-英国流の "渋い" 中年ビジネスマンを目指してみる

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?


白洲次郎についての言及があるもの

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・辰巳栄一もまた吉田茂の右腕だった

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・週刊プレイボーイの伝説の編集長による人物評伝

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)
・・スイスの銀行である UBS(当時は SBC)傘下に入っていたSBC ウォーバーグ(Warburg)にからめて、ウォーバーグの顧問を務めていた白洲次郎について触れている。実業家としての白洲次郎というのは、そもそもビジネスについては外に漏れる性格の話ではないので、よくわからないことも多い

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)
・・「特定の「場」に帰属しない関係、すなわち複数の「場」に横断的にかかわる存在も、日本では必然的に「孤独」を友とえざるをえない。たとえば、白洲次郎などの突出した、非日本的日本人がそれにあてはまるだろう。日本の大学を卒業せず、日本の会社には経営者としてしか働いたことはなく、財界とも政治家とも距離を置いていた人生だ。フツーの日本人にとっては、どこかの「場」に帰属していないことは、社会的に存在しないも同然とみなされるのである。この「孤独」に耐えられる者は少数派である」。


白洲次郎と同じ精神の持ち主たちのこと

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・米国のボストンに長く滞在していた岡倉天心もまた「プリンシプルの人」であった

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・若き日にフランスに長期留学して西欧に触れた岡本太郎もまた「プリンシプルの人」であった

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
・・アメリカとフランスで西欧に触れた個人主義者の永井荷風もまた「プリンシプルの人」であった

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・留学経験がなく、かならずしも西欧的個人主義者ではなかった折口信夫もまた「世間の外」に居続けた個人主義者であった

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?)
・・「世間」を対象化した歴史学者・阿部謹也による「世間論」、「空気」の存在を
対象化した山本七平は、ともにキリスト教に深く関わった人たちであった

(2014年7月23日、8月11日、9月11日 情報追加)
(2015年12月30日 情報追加)


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