「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル ファシズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ファシズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年6月27日金曜日

ムッソリーニ時代のイタリアを旅した日本人による100年前の記録『イタリア古寺巡礼』(和辻哲郎、岩波文庫、1991)をはじめて読んでみた

  

イタリア旅行にいくなら、直行便があるので直接ローマに入ってしまえばいい。イタリアは、首都ローマを中心に交通体系が設計されているので、理にかなっている。 

イタリア一国だけを回る熱心なイタリア好きなら、それはベストな選択だといえる。ビジネス目的なら、いきなりミラノに入ってしまうということもあろう。

だが、陸路で国境を超えることがそれほど困難ではないので、隣国からイタリアに入るのも悪くない。 

ただし、EU圏内であっても日本人は非EU市民(Non-EU Citizen)なので、シェンゲン条約は適用されないことは念頭に置いておかなくてはならない。

自分の場合は、2回ともオーストリアのウィーンを起点にしていたが、約100年前にイタリアを回った若き哲学者は、フランス南部の地中海沿岸からイタリアに入って、アルプスからスイスに抜けている。 

その若き哲学者とは、和辻哲郎のことだ。倫理学を中心とした業績は多岐にわたるが、一般によく知られているのは『古寺巡礼』と『風土』という著書だろう。わたしは、この2冊は大学時代に読んでいる。 

そんな和辻哲郎には、『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫、1991)という著作もある。当時38歳だった和辻が、1927年(昭和2年)の年末から約3ヶ月かけてイタリアを北から回った旅の記録である。その記録を再編集して1950年に出版している。

ドイツ留学中であった和辻の旅のルートは、フランスのニースを地中海沿いに鉄道で移動、まずジェノヴァからイタリアに入って、ローマに南下している。 

ローマからさらに南下してナポリ、アマルフィ、それからシチリアへ。わたしとは違って、シチリアは時計回りで周遊し、パレルモから汽船でローマに戻り、北上してアッシジ、フィレンツェ、ピサと回り、ボローニャからラヴェンナ、パドヴァ、そしてヴェネツィアへ。 

ところが、ヴェネツィアでは高熱がでて、十分に観光できなかったようだ。ラヴェンナで蚊に刺されてマラリアに感染したらしい。100年前はイタリアでもマラリアは当たり前の感染症だったのだ。 

旅のルートは、ざっと以上のようなものだが、さすがに鉄道網が整備されていた時代なので、スピードの違いを別にしたら現在と大きく変わるものではない。旅行代理店は、いまは亡き英国のトマス・クックを利用している。 

変化したといえば、当時はまだ旅行者もそれほど多くなく、オーバーツーリズムによる観光公害などとは無縁であったことだろう。 和辻はじっくり時間をかけて、美術品や建築物を鑑賞しており、その審美眼はなかなかのものがある。 

もちろん、オリジナルの『古寺巡礼』と同様、信仰抜きの美術という観点から見ているのは共通している。あくまでも哲学者としての視点なのである。 

この本には、モノクロだが多数の写真が挿入されているが、和辻自身も実物と写真の違いが大きいことを語っている。 


■当時のイタリア社会の観察が興味深い

興味深いのは、和辻がイタリアを訪れた1927年は、ムッソリーニが政権をとってから5年目であったことだ。つまりファシズム体制下のイタリアである。 

本書の1928年1月9日づけの記述に、アフガニスタン国王(当時)のローマ公式訪問の際、歓迎の行進で自動車に乗って通り過ぎたムッソリーニを見たとある。 

1928年3月18日づけの記述には、フィレンツェのヴェッキオ宮殿の前で、ファシスト少年隊と青年隊が黒シャツ姿で行進するのを見物したとある。 


イタリア人は祭り好きのせいでこういうことをやるのでもあろうが、しかしそれにしてもファシズムがこんなに繁盛していようとは、全く案外であった。(・・・中略・・・) 
見ていて一番かわいらしかったのは少年隊である。白い上衣の女の先生が引率していて、幼稚園くらいの小さい子どもたちが、いかにも楽しそうに、ファッーーショ、ファッーーショという号令に合わせて歩調を取っていた。教育が基本だというところへ、ムッソリーニは目をつけているらしい。


「ファッーーショ、ファッーーショという号令」という表現が面白い。日本語の「ワッショイ、ワッショイ」みたいな響きがあるが、もともと「ファッショ」というのはイタリア語で「束ねる」という意味だから、「みんな一緒に」というニュアンスで捉えたらいいのだろう。

1922年の「ローマ進軍」で政権を奪取して以来、ムッソリーニが独裁者として約20年以上にわたってイタリア政治を動かしていたのである。この時期にイタリアに渡航した旅行者による観察の記録が興味深い。 

和辻哲郎のこの本は、美術史家の高階秀爾氏による文庫本解説の文章によれば、イタリア美術鑑賞のガイドとして読まれてきたらしい。

とはいえ、美術以外の観察もなかなかのものがある。 自分が旅をするのはもちろんだが、他者による旅の記録を読んで追体験するのも面白い。 


 (画像をクリック!


<ブログ内関連記事>




(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2017年7月27日木曜日

書評『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)― 左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜



タイトルの「全体主義と闘った男」というフレーズには、しびれるものがある。

「右にも左にも怯まなかった日本人がいた!」というコピーが強烈に響く。

これが一般に「右」とみなされている産経新聞に連載され、しかも産経新聞出版から出版された単行本の帯に記されているのだからなおさらだ。

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

いや、そもそも河合栄治郎とは何者か?

河合栄治郎といわれて、すぐピンとくる人は、いまでは少ないだろう。いや、20年前でも30年まであっても、すでにそうなっていたのではないだろうか。

その意味では、2010年代後半のいま、あらためて「戦闘的自由主義者」とされる河合栄治郎という日本人について知ることの意味はある。いや、「右にも左にも怯まなかった日本人」がいたということは、いまのような時代にこそ振り返るべき人物であるというべきではないか。

以下、書評の対象とした本書、『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)に即して、河合栄治郎の生涯と人となりについて押さえておこう。

河合栄治郎は、思想家である。骨太の思想家である。だが、書斎に安住する思想家ではない。まずなによりも「実行家」であり、志敗れて大学教授に転じてからも、時代と正面から向き合って信念を貫き通した人だ。

まずは「左の全体主義」である「共産主義」と闘い、共産主義が壊滅後に軍部が台頭してくると、返す刀で「右の全体主義」である「ファシズム」と闘った

著書が発禁処分となり、帝大も休職処分とされたなか、時の権力と正々堂々と法廷闘争を行ったのである。だが、力尽き、そして敗れ去った。戦時中の昭和19年(1944年)に53歳の若さで病死している。壮健を誇る人物であっただけに、燃え尽きたといっていいのかもしれない。

河合栄治郎は、人生のキャリアの最初の時期から、いま目の前にある社会問題の解決のために人生を賭した人だ。一高時代には、校長であった新渡戸稲造の影響を受けている。

農商務省(=現在の経産省)に入省したのは、『女工哀史』に描かれたような労働者の劣悪な状態に心を痛め、「労働問題」解決のために日本初となる「工業法」制定をみずからのミッションと定めていたからだ。「工業法」制定に向けて、獅子奮迅の力で奔走したが、「官僚国家主義」に敗れ去る。法案は骨抜きにされてしまったのだ。

志敗れて官僚退官後は、在野ジャーナリストを経て東京帝大教授になるが、そこでも信念をまげることなく知行合一を貫き通したことは、すでに述べたとおりだ。

「学問に国境なし、学者に祖国あり」が河合栄治郎のモットーであったという。フランスの細菌学者ルイ・パストゥールのことばだ。一般には、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」として知られている。愛国者ではあるが、偏狭な精神の持ち主ではない

河合栄治郎は、著者の表現ではないが、「プリンシプルの人」であったというべきであろう。プリンシプルとは原理原則という意味。日本語でいえば、一本筋の通った背骨のある人といったらいいだろうか。

河合栄治郎は、親英米のアングロサクソン派であった。なによりも英国型の自由主義の信奉者であり、社会思想家のトマス・ヒル・グリーンの思想に限りなくシンパシーを感じていたという。『自由論』の思想家J.S.ミルの系譜を引く人だ。その文脈で「自由」ということばの意味を考えるべきだ。

官僚の世界でも軍人の世界でもドイツ派が幅をきかせていた時代背景を考えれば、「自由主義思想のよりどころがどこにあったかがよくわかる。

著者が、本書執筆の前に取り上げた、吉田茂の参謀であった辰巳栄一陸軍中将もまた親英派であった。おなじく吉田茂の右腕であった白洲次郎もまた親英派だ。「プリンシプルというのは、白洲次郎の口癖であった。

河合栄治郎は、実行家であるが、おなじく実行家であった上記の二人とは肌合いが異なる印象を受ける。軍人やビジネスマンとの違いといいっていいのだろうか。

同じ合理主義とはいっても、軍人的な合理主義と現実主義、ビジネスマン的な合理主義と現実主義とは違う何かをもっていたためであろう。理想主義者であり、また情の人であったのだろう。ミッションとパッションと言い換えてもいい。

東京の商家の生まれだが、反骨精神に充ち満ちた河合栄治郎から武士的な印象さえ受けるのは、明治の男であったからだけではないだろう。戦前の一高・帝大というエリートコースをたどった人に特有のノーブレス・オブリージュ感覚かもしれない。

なによりも惜しまれるのは、河合栄治郎が戦争が終結する前に斃れたことだ。もし戦後まで生きながらえることができたなら、どう時代に対峙していったのだろかと考えてみたくなる。

だが、死してなお、その精神は生き続けている、というべきであろう。


■戦後日本への河合栄治郎の「遺産」

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

この問いに答えてくれるのは、「終章 戦闘的自由主義者の水脈」と題された一章を読む必要がある。まずは、「目次」の小項目を列挙しておこう。河合栄治郎亡き後の出来事の数々であり、その系譜に連なる人たちが、どう時代に対峙してきたかの軌跡である。

自由の殉教者を惜しむ
「革新幻想」に挑む自由主義
米占領下に「新憲法」批判
進歩的文化人の批判勢力として
祖国愛を語った瞬間
「秩序よりも正義」というレトリック
「中立幻想」に踊っていた
"丸山教信者" のたそがれ
空想的平和論の破綻
英雄的な思想家の素顔
独立自尊の道義国家をめざす

この「目次」だけではピンとこないかもしれないので、出版社による書籍の内容紹介を一部抜粋しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

戦後の河合人脈は政財学界に根を張り、論壇を牛耳る進歩的文化人と対峙しました。
門下生の第一世代は、経済評論家の土屋清、社会思想家の関嘉彦、政治学者の猪木正道らで、 第二世代には、碧海純一(東京大学教授)、岡野加穂留(明治大学教授)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、 伊原吉之助(帝塚山大学教授)ら、京都大学では高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎ら各氏が、この人脈に連なります。
米国に守られながら反米を叫ぶという "進歩的大衆人" の精神の歪みは、日本を漂流させてしまう--。 日本の背骨を支える揺るぎない思想とは何なのか。歴史の転換点で、圧倒的な敵に挑んだ思想家、 河合栄治郎の闘いを通して、日本のありようを考える。
この思想家を知らずして、日本の将来を語るなかれ。 産経新聞長期連載「独立不羈 河合栄治郎とその後の時代」に加筆、再構成し単行本化。

さらに付け加えれば、著者あとがきにはこうある。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

同じ社思研(=社会思想研究会)の先輩である当時の産経新聞社長、住田良能氏から、「次は何をやるんだ」と問われた。密かに決めていたテーマを説明したところ、「それよりも」と提案を受けたのが、自由主義の思想家、河合栄治郎の生涯を描くことであった。 (・・中略・・) 故人になられた住田氏の幾枝夫人から、「本棚にこんなものがあって」と、彼が収集していた資料をいただいた。生前の住田氏がこれほどまでに河合に関心を持ち続け、資料を収集していたとは思わなかった。あらためて故人に感謝の気持ちを表すとともに、本書を住田氏墓前に捧げたい。

2013年に亡くなった産経新聞社の当時の社長は、河合栄治郎の系譜に連なる社会思想研究会の会員であったという事実。なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?に対する答えのひとつは、ここに見ることができるだろう。

また、産経新聞じたいの評価も変わってくるのではないだろうか。もともと「産経」(サンケイ)とは「産業経済」の略であり、財界の肝いりで産業経済てこ入れされた新聞社であることを確認する必要があろう。1958年に社長となった水野成夫氏は、共産党からの転向者である。



■戦後になってからも河合栄治郎の著作は文庫本でも入手可能だった

個人的な話をすれば、じつは、河合栄治郎の名前は高校時代から知っていた。当時購入した『マルキシズムとは何か』(現代教養文庫、1960)の著者として。


(いまはなき現代教養文庫 マイ・コレクションより)


高校時代は1970年代の最後で、1979年のアフガン侵攻前のソ連は、冷戦時代において盤石の存在だと思われていた。「反共」(=反共産主義)の家に育っていたこともあり、共産主義についてはつねに意識せざるを得なかったということもある。だからこそ、共産主義とはなにかについてきちんと理解したいと思っていたために、この本を購入したのだろう。定価160円と書いてあるから、当時の高校生のお小遣いでも十分に買えたというわけだ。

この本は全部読んだわけではないが、なぜ日本であれだけ共産主義が浸透したのか考えるために、じつに貴重な見解が述べられていることに感心した記憶がある。

河合栄治郎は、その理由を以下のように説明している。わたしなりに要約しておこう。

マルクス主義は経済だけでなく歴史哲学まで含めた首尾一貫した「体系」であり、このような壮大なスケールをもつ「体系」に匹敵できるものは、マルクス主義以前には日本にはなかった。だからこそ、日本の青年たちは、すっかり虜(とりこ)になってしまったのであろう、と。

この指摘はじつに鋭いと感じている。ほぼすべてが説明されていると感じたのであった。

なお、この本は、昭和6年(1931年)になされた講演の速記録をもとに編集されたと「解説」にある。まさに左右両翼の「全体主義」が激化するなか、全体主義との戦いのまっただ中でなされた講演なのであった。

残念ながら「現代教養文庫」はいまはもう存在しない。かつては文庫の棚をそれなりに占めていた存在で、数多くの良書を提供していたのだがまことにもって残念だ。出版元の「社会思想社」が2002年に倒産してしまったためだ。

その「社会思想社」とは、河合栄治郎ゆかりの人びとがつくった「社会思想研究会」の出版部門であったことを、「あとがき」ではじめて知った。なるほど、そういうことだったのか。だから、河合栄治郎の著作が現代教養文庫に多数収録されていたのか、と。

現在は、インタープレイブックスから、「現代教養文庫ライブラリ」という形で、電子書籍化されているタイトルもある。


画像をクリック!


目 次

序章 進歩的大衆人が日本を漂流させる
第1章 理想主義と反骨精神
第2章 孤軍奮闘の農商務省時代
第3章 帝大経済学部の「白熱教室」
第4章 二年八カ月の欧州留学
第5章 「左の全体主義」との対決
第6章 ファシズムに命がけの応戦
第7章 正面から放った軍部批判の矢
第8章 名著『学生に与う』誕生
第9章 戦後を見通した「有罪願望」
終章 戦闘的自由主義者の水脈
あとがき
河合栄治郎略年譜
参考文献
 
著者プロフィール
湯浅博(ゆあさ・ひろし)
産経新聞特別記者・論説委員。1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒、プリンストン大学公共政策大学院 Mid-career program 修了。産経新聞入社後に政治部、経済部を経てワシントン特派員、外信部次長、ワシントン支局長、シンガポール支局長を歴任。2002年7月から現職。国家基本問題研究所企画委員。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■(付録) 「言論の自由」を守れ!― 右であれ左であれ「全体主義」には反対だ

先日のことだが、6月に行われるわが母校の学園祭で、某ベストセラー作家の講演会が中止に追い込まれたというニュースがある。講演会開催に反対する署名運動が学内で行われ、その圧力で中止に追い込まれたのが真相らしい。

憲法で「言論の自由」が保障されているこの国で、発言の機会まで奪ってしまうという愚挙である。まさに目に見えない圧力という暴力の行使にほかならに。

「ヘイトスピーチ」だという一言で片付け、ラベリングして済ませている単細胞思考、思考停止状態。あるいは言い方を変えれば、過剰なまでの「言葉狩り」であり、歴史上の事象にあてはめれば魔女狩りや異端諮問に類似している。

その言論が間違っていると思うのなら、正々堂々と言論でもって反論すればよいではないか! 講演者の見解が間違っているのなら、その見解を正すような形、たとえば座談会やディベートなどで講演会を演出すればよいではないか! その上で、判断は聴衆自身にまかすべきである。

学園祭ではあるとはいえ、講演会を期待していたのは学生だけでなく、一般市民もそうであったはずだ。ベストセラー作家だけに、大学周辺の書店でも販売されており、読者も少なからずいるだろう。

講演会中止は、そういった人びとの期待ちを踏みにじった行為である。あまりにも学生や一般市民を馬鹿にしているとしかいいようがない。大学人が知的選良だという思い込みは無意識であるにせよ傲慢であるが、外部からみれば滑稽でしかない。

わたし自身は、そのベストセラー作家の作品は一冊も読んでいないので作品の良否についてはコメントのしようはない。ただ、そのネトウヨ的暴言にはウンザリしていることは否定しない。とはいえ、それとこれとは別の話だ。

このような「言論抑圧」がわが母校で行われたことは、卒業生としては、まことに残念としかいいようがない。「思考停止状態」に陥っている大学と、「劣化する大学人」の末期的症状をそこに見るのは、本書の読者であれば賛同いただけることだろう。

このようなことを書くのは理由がある。

一橋大学の前期課程の学生寮である一橋寮には「紫紺の闇」という「寮歌」が伝承されてきた。そしてその最後のフレーズには、「自由は死もて守るべし」とある。

一橋大学の前身は東京商科大学であるが、ファシズムによる弾圧のひどかった戦時中に、予科の学生によって作詞作曲された寮歌にこそ、「自由主義」の神髄があると、寮生であったわたしはつよく感じてきた。じっさい、一橋寮は自治の精神によって運営されており、自由と責任はクルマの両輪であることを、目に見える形で実践していた。

ビジネスに自由な活動とそれを支える自由な思考は不可欠である。商科大学ならではの自由主義がそこにある。この自由主義の立場に立つからこそ、最近の母校での「残念な出来事」には、まことにもって嘆かわしいと言わざるを得ないのだ。

東京商大(=商大)の前身は東京高等商業学校(=高商)は帝大経済学部に飲み込まれそうになった歴史がある。学生の徹底抗戦で回避できたが、自由と自治を守るという精神は、いまでも息づいているはずだと感じたいのだが・・・。

河合栄治郎のように雄々しく闘った人だけでなく、違う形で全体主義に抵抗した人たちもいたのだということは、ここに記しておきたい。


<関連サイト>

KODAIRA祭 百田尚樹氏講演中止 (一橋新聞、2017年6月5日)

ルポ : 百田尚樹講演会中止騒動の真相 …「言論の自由」をめぐる論争から私たちは何を学ぶか
(清義明 · 2017年6月11日)
・・「一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で予定されていた百田尚樹氏の講演会が中止になった騒動が議論を呼んでいる。」

【百田尚樹氏講演会中止問題】  「講演会中止」の波紋広がる 反対の“圧力”で学生動揺も 門田隆将氏「言論の自由や大学の自治が失われた」(産経新聞、2017年6月5日)

作家・百田尚樹氏が会見(全文1)ヘイトスピーチや差別扇動、一度もしてない | THE PAGE(ザ・ページ)
・・作家の百田尚樹氏が7月4日東京の外国特派員協会で記者会見。「私は、これは非常に恐ろしい問題だと思います。つまり民間の団体が一般学生を監視し、そして彼らが定義するところの差別というふうに見なし、そしてそれを通報する。これはスターリン時代の秘密警察にも似ています。あるいは民間ということで言えば中国の紅衛兵にも似てるかもしれません。」(発言から)

【正論】百田尚樹さん講演を阻んだ大学人は何も考えていない 文系教授は「考えない足」(筑波大学大学院教授・古田博司、産経新聞、2017年7月26日)

一橋大学社会学部(絶望日本、2015年1月7日)
・・個人ブログの投稿記事。投稿者は1990年頃の卒業生のようだ。1985年卒業のわたしのときもひどかったが、そのときよりもさらに社会学部の「左傾化」がひどくなっている様子がうかがわれる。おそらくソ連崩壊前後だったから、よけいそうだったのかもしれないが・・・。バカを「再生産」する仕組みが構築されていたのか? こんな悪性腫瘍のような学部なら不要であると、卒業生として言わざるを得ない。「山岸(俊男・・社会心理学者)も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。」とブログ記事にはある。なるほど、そうなるべくして、「百田事件」は発生したというべきだろう。

一橋大学社会学部(2)(絶望日本、2015年1月19日)
・・「私が一橋大学社会学部に対して最も腹立たしく感じるのは、先に書いたような「左翼の巣窟」とでも呼びたくなるような実態が学外に知られないように極力隠蔽しているとしか思われない点だ。」 激しく同意! この場をつかって、この情報を拡散することにしたい。

一橋大大学院に進学 シールズ奥田愛基は「政治学を猛勉強中」 (週刊文春 2017年5月4・11日号)
・・こんなこと、きょうのきょうまで知らなかった(=2017年8月18日)。政治学といえば社会学部だろう。社会学部の大学院はゲタをはせて入学させたのではないか? 世も末だね。一橋大学社会学部創業であることが恥ずかしい。



米国を沸騰させる英国から来た右翼の新貴公子 ロリコン常習者擁護、同性愛、そしてトランプ信奉、イアノポウロスの言い分 (高濱 賛、JBPress、2017年8月2日)
・・米国のカリフォルニア大学バークレー校でも「百田事件」が起こっていた。バークレーが誇る「言論の自由」が泣くというもんだ

(2017年8月2日・19日・23日 情報追加)



◆なお、百田尚樹氏の著作については、小説好きではないわたしはまだ一冊も読んでいないのだが、その件について言及しているブログ記事が2本あるので紹介しておく。

ミツバチについて考えるのは面白い!-玉川大学農学部のミツバチ科学研究センターの取り組み
・・「『風のなかのマリア』というスズメバチを主人公にした作家の百田尚樹氏は、スズメバチの生態をくわしく知るために玉川大学の小野正人教授になんども取材したのだそうだ。その二人の対談記事が面白い。」

「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
・・「『海賊とよばれた男』を読むのもいいかもしれませんね。いままで出光佐三のことを知らなかった人には驚きのエピソードの連続でしょう。」



<ブログ内関連記事>

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・著者の前著

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・白洲次郎は親英派だが親米派ではなかった。占領軍である米軍の高級将校に「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた爽快なエピソードがある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・「堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめた」

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・河合栄治郎の系譜に連なる第二世代のひとり

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本はサラリーマンの世界ですら、「社会主義幻想」「革新幻想」が充満した時代であった。大学はなおさらのこと。それは、ソ連が崩壊するまで続いていた

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「わたしは、君の言うことに反対だが、君がそう主張する権利は死んでも守る」という、しびれるようなセリフを吐いたのがヴォルテールだ

映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)-失敗に終わったヒトラー暗殺を単独で計画し実行した実在のドイツ人青年を描いたヒューマンドラマ

(2017年7月30日・31日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2014年4月23日水曜日

(書評再録) 『ムッソリーニ- ― イタリア人の物語』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)― いまだに「見えていないイタリア」がある!



ムッソリーニを独裁政治家としての後半生よりも、ファシスト党が政権を取るにいたるまでに重点をおいて描いた戦後日本ではほぼ始めてのムッソリーニ伝。(日本語による執筆)

思想家として、雄弁家として、政治家としてのムッソリーニ像はきわめて新鮮である。ファシズモにある種の「エラン・ヴィタール」(ベルグソンのいわゆる「跳躍する生」)を感じてきたイタリア人によるこのムッソリーニ伝は、統一国家となって以後の近代イタリア史についての、知られざる側面も伝えてくれる。

現在のイタリアで、いまだムッソリーニ人気が衰えない理由もわかるような気がする。

戦後の日本では、ネオリアリスモのイタリア映画を通じて、どちらかというと左翼的な、労働運動的なイタリア像がまずあり、これがバブル期にはイタ飯ブームによる「生活を楽しむ」イタリア人のイメージに変わっていったのだが、本書はわれわれには見えていないイタリアがあることを示してくれる点において貴重である。

われわれ自身、日本が実に多様な要素によって成り立っていることを知っていながら、他国については一面的にしか見ていない事実がある。

複眼的思考が要求される。


(初出情報 2001年3月28日 bk1に投稿掲載 原文のまま)


目 次

序章 ムッソリーニというイタリア人
第1章 鍛冶屋の息子
第2章 放浪と反抗の時代
第3章 ローマへの道
第4章 全体国家の形成
第5章 女性遍歴
第6章 試練としての戦争
第7章 幻の共和国
終章 ムッソリーニの神話 ムッソリーニ関連年譜
参考文献
後記
人名索引

著者プロフィール

ロマノ・ヴルピッタ(Romano Vulpitta)
1939年、ローマに生まれる。1961年(昭和36年)ローマ大学法学部卒。東京大学に留学後、1964年イタリア外務省入省。駐韓イタリア大使館二等書記官、駐日イタリア大使館二等書記官、後に一等書記官を務める。1972~1975年、ナポリ東洋大学院原題日本文学の担当教授。1975年、欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。京都産業大学経営学部教授(ヨーロッパ企業論、日欧比較文化論)を31年間つとめ2009年退官、現在は名誉教授。著書に『不敗の条件-保田與重郎と世界の思潮-』。(奥付の著者紹介文とネット上の情報から筆者編集)。





PS 2017年8月7日に「ちくま学芸文庫」より文庫化で復刊!

『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』のタイトルのまま「ちくま学芸文庫」より2017年8月7日に文庫化されました。たいへんうれしいことであります。ぜひ文庫版でお読みいただきたいと思います。(2017年8月11日 記す)


 (画像をクリック!



<書評への付記> (2014年4月23日)

2001年に執筆した書評を「再録」したが、あらたに関連事項を書き加えておきたい。


ムッソリーニに関する本は日本語でも何点か出版されているので読んでいるが、『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』は独自の立ち位置から執筆されている。

まずは、イタリア人が日本語で書きおろしたという点。そして、愛憎を越えてイタリア人の関心の的でありつづけたムッソリーニを描いている点。

ムッソリーニは、「統一国家イタリア」の栄光と挫折を一身に背負った人物であった。明治維新が1868年、ドイツ統一が1872年、イタリア統一(リソルジメント)は日本とドイツに先駆けて1860年に達成している。ほぼ同一時期に国家統一を成し遂げ、近代国家として歩み始めたのである。

ファシズムとは、もともとのイタリア語のファッショからきたコトバである。古代ローマにさかのぼることができる。ファッショとは藁束のこと。藁を束ねるという意味を比喩的につかって、バラバラになりがちな国民を束ねるという意味に転用したのがファシズム(・・イタリア語ではファシズモ)である。

イタリアのファシズムとドイツのナチズムは別物である。そもそもこの陽気なムッソリーニと陰気なヒトラーは最初は折り合いが悪くお互い嫌いあっていたのだが、手を結ばざるを得なくなったのである。イタリアが戦争に敗れたのち、ナチスドイツがイタリアを占領したことで、ユダヤ人迫害という悲劇が起こった。

『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』のような良書が文庫化されることもなく埋もれてしまっているのは、じつに惜しいことだ。

ムッソリーニの孫娘がイタリアの国会議員に当選したときに世界的なニュースになったことを思い出すが、イタリアにも右派が存在することはアタマのなかに入れておきたい。現在の右派はムッソリーニのファシズモというよりも、いわゆる「新右翼」と呼ばれる排外主義的な性格をもったものであるが。

著者にはもう「一冊、『不敗の条件-保田與重郎と世界の思潮-』(中公叢書、1995)という本があって、こちらも日本語で執筆されている。わたしは日本人であるが、この本によって、はじめて日本浪漫派の保田與重郎について知った『ムッソリーニ』に先だって書かれた本書は、ぜひ一緒に読むべき本である。

『不敗の条件』は、イタリアのファシズム思想を踏まえたうえでの、精神の同質性を保田與重郎に見出した著書による共感に満ち溢れた本。

ヴルピッタ氏の日本語による言論活動によって、日本人が知らない日本日本人が知らないイタリアについて紹介していただいた。ここにあらためて感謝したい。

目 次

緒言 みやこの身余堂と大和の桜井-保田與重郎の二つの文化
第1章 保田與重郎との出会い-文化と世代の溝を超えて
第2章 古典の読解に於ける東と西-保田與重郎とエズラ・パウンドの場合
第3章 歴史の超克に於ける東と西-保田與重郎とミルチャ・エリアーデの場合
第4章 保田與重郎の「日本」-日本イデオロギーはありうるか
第5章 敗北と不敗-文人としての保田與重郎
結語 義仲寺のこと-保田與重郎の将来
後記
参考・引用文献一覧
関連年表



<関連サイト>

保田與重郎文庫(新学社)
・・ヴルピッタ氏も編集に関与した文庫版選集

続・言いたい放だい 2008年10月18日放送 (YouTube)
・・前衛芸術家でパフォーマンス・アーチストの秋山祐徳太子が小説家の田中小実昌から教わったという「イタリア・ファシスト党歌」を披露している。三島由紀夫も「ヒトラーよりもムッソリーニのほうが好き」だというエピソードが披露され、ムッソーリニ談義が西部邁(にしべすすむ)と文芸評論家の富岡幸一郎とのあいだで繰り広げられている(4分40秒以後)
⇒ 「西部邁(にしべすすむ)ゼミナール」と秋山祐徳太子 も参照

イタリア ファシスト党歌 ジョヴィネッツァ (Giovinezza)
・・「青春」(Giovinezaa)というほがらかで明るい曲



<補論> ムッソリーニより人気のあったダヌンツィオ

最終的にムッソリーニが「ローマ進軍」によって国民の喝采を受け、総統(ドゥーチェ)としてイタリアを率いることになったが、当時ムッソリーニより人気のあったのが耽美派の詩人ダヌンツィオ(1863~1938)である。

詩人であり小説家であり劇作家でもあった。かつては日本でもそうとう読まれたらしいが、いまでは日本では知る人も少ないだろう。

ほとんど忘れられているが、『罪なき者』という小説はヴィスコンティ監督の『イノセント』という映画の原作なので、間接的にダヌンツィオに接することはできる。

ダヌンツィオは文学者であったが愛国者であり、第一次世界大戦には志願して従軍、戦闘機パイロットとしてみずから操縦桿を握り、飛行中の事故で右目を失っている。まさに行動派文学者の名誉の負傷である。

大戦終了後は、みずから司令官となって私設武装集団を率いて「未回収のイタリア」であったフィウーメ占領を行い、お騒がせ者として世界的に有名になっている。

『ダヌンツィオの楽園-戦場を夢見た詩人-』(田之倉稔、白水社、2003)という本が、『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)出版後にでていた。これも現在は長期品切れのようだが、ソ連崩壊後の2000年代前半は、さまざまな面で歴史見直しが行われたのだろうか。

機会があれば、ぜひ一読することをすすめたい。




ダヌンツィオといえば三島由紀夫であろう。三島由紀夫がダヌンツィオをなぞった(?)ように、行動する文学者として最期をまっとうしたのはけっして偶然ではない。

じっさい、三島由紀夫がダヌンツィオ好きだったことも覚えておくといいだろう。ムッソリーニも好きだったらしい。陰気なヒトラーではなく、陽気な知識人ムッソリーニを好んでいたこともまた。

三島由紀夫がダヌンツィオ好きだった点については、作家・筒井康隆の『ダンヌンツィオに夢中』(中央公論社、1989)が面白い。文庫版が1996年に出版されているが、こちらも長期品切れ状態のようで残念だが、三島由紀夫論としてもダヌンツィオ論としても一読をすすめたい一冊である。(ただし、この本はダヌンツィオ論だけではない評論集)。




「ダンヌンツィオに夢中」で検索したら、「生誕150周年記念展「ダンヌンツィオに夢中だった頃」という企画展が京大総合博物館で開催されていたことを知った。開催期間は、2014年01月22日~2014年3月9日とある。

つい最近のことではないか! 残念!! ぜひ東京でも開催してくれるとありがたいのだが・・・





<参考>

『現代イタリアの極右勢力-第二次世界大戦後のイタリアにおける急進右翼-』(フランコ・フェラレージ、高橋進訳、大阪経済法科大学出版部、2003)という研究書も日本語に翻訳されている。極左テロだけでなく極右テロも頻発していることは、NHKの特集番組でヴェネツィアの事例が取り上げられていたのを見た記憶があるのだが、番組名を思い出せないのが残念だ。



<ブログ内関連記事>


「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
・・ヴルピッタ氏は発起人の一人として名を連ねている


日本で活躍したイタリア人

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
・・金融ビジネスマンとして長く日本にかかわったイタリア人ヴィットリオ・ヴォルピ氏の著書2冊の紹介

イタリア関連

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・アッシジのフランチェスコという存在は現在のイタリアでもひじょうに大きい

賢者が語るのを聴け!-歴史小説家・塩野七生の『マキアヴェッリ語録』より
・・イタリアで作家活動をつづけている塩野七生のイタリアもの

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
・・マリア・モンテッソーリは医学博士で幼児教育の専門家として世界的に著名

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・ファシズム下のイタリアにおいてはユダヤ人迫害はなかったが、ムッソリーニ失脚後、ドイツ軍に占領されたイタリアではユダヤ人が絶滅収容所に送り込まれることになる。作家プリーモ・レーヴィは数少ない生き残り。レーヴィ自身は反ファシストのレジスタンス運動にかかわって逮捕され、そこでユダヤ人とわかったため、その他のイタリア人とは運命を異にすることになる

ドニゼッティのオペラ 『ロベルト・デヴェリュー』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた

20年ぶりのオペラ『アイーダ』

三宅一生に特注したスティーブ・ジョブズのタートルネックはイタリアでは 「甘い生活」(dolce vita)?!
・・首都ローマを舞台にした戦後イタリアを代表するフェリーニ監督の映画


須賀敦子については、拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)のなかではすこし触れているが、まだこのブログに記事を書かないまま現在に至っている。カトリック左派という立ち位置が、かならずしもイタリアでも多数派ではないことは日本人読者は知っておくべきだと思う。



戦前のファシズムと戦後社会

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・リアルタイムでファシズムを観察していたドラッカーは、イタリアのファシズムとドイツのナチズムが別物であることを的確に見抜いていた

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「第4章 ムッソリーニ、ヒトラーへの傾斜-バチカン市国成立と第二次世界大戦」を参照。ムッソリーニと結んだラテラノ条約(1929年)によってバチカン市国が独立した主権国家として確立

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)
・・ムッソリーニやダヌンチオが好きだった三島由紀夫

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・ファシズムに徹しきれなかった点は、日本はイタリアでもドイツでもなかった

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く 
・・「ユース・バルジ」という「人口爆発」による若年層男子の行き場の無さがファシズムにつながったと説く著者の見解は、なによりも「青春」を礼賛したムッソリーニを考えると納得がいく

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・「イタリアで1978年におきた、極左暴力集団「赤い旅団」によるモロ首相誘拐監禁殺害事件は、イタリア現代史では「鉛の時代」とよばれた時期にあたるものだが、2003年には、マルコ・ベロッキオ監督による『夜よ、こんにちは』(Buongiorno notte)が製作されている。日本では2006年に公開された」

(2014年6月17日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2014年3月8日土曜日

書評『未完のファシズム ―「持たざる国」日本の運命』(片山杜秀、新潮選書、2012)― 陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは



これは面白い! これほど面白い本はひさびさに読んだ、という気にさせてくれる本だ。この『未完のファシズム ー「持たざる国」日本の運命』という本は。

最初から最後まで一気に読みたくなるほど巧みなストーリー構成、意表を突く視点に話題の数々。しかし、読みながらなんともいえない暗澹(あんたん)とした気持ちにもさせられる、そんな本である。

「未完のファシズム」なんていうと、日本ファシズムは未完成のまま現在に至っている、といったニュアンスなのかという印象を抱かないでもない。だが、著者が意味するところはそこにはない。日本では有史以来、国民が一丸となって事に臨んだことなどない、という歴史的事実を冷静に示した表現なのである。ファシズムとは、もともとイタリア語で束(たば)を意味するコトバからきている。

「軍国主義の時代」や「ファシズムの時代」とされてきた「戦争期日本」には、じつはファシズムは成立していなかった(!)のである。「ファシズム」というには、それはあまりにも「未完成」なものであった。明治憲法下の日本には、ファシズムを成立させる条件がなかったのだ。

明治憲法下においては、「独裁者」とされた東條英機首相(陸軍大将)ですら、戦争指導の実効性をあげるためには首相以外の複数の大臣を兼務するしか策がなかったのであり、「独裁者」というには程遠いのがその実態であった。同時代のヒトラーやムッソリーニ、あるいはスターリンといった「独裁者」たちとはまったく異なるのである。

「未完のファシズム」とはそういう意味でもある。


陸軍軍人たちの「思想」

本書は、陸軍軍人という軍事官僚たちの「思想」を読み説いた本である。

軍事機密にかかわる軍人の思想は、なかなかまとまった形で文字として記されることはない。軍人は軍事官僚であるから、文官と同様、基本的にそのマインドセットは前例主義である。

なかには「世界最終戦論」という形でみずからの特異な思想を語った石原莞爾のような軍人もいるが、あくまでも例外的存在だ。

本書には、小畑敏四郎中将と中柴末純少将(なかしば・すえずみ)という陸軍軍人の思想を大きく取り上げられている。

小畑敏四郎という名前は、東條英機首相退陣後に表舞台にでてくるので目にすることがあっても、中柴末純という軍人とその思想については、本書を読むまでまったく知らなかった。

中柴末純という軍人思想家の軍歴と、その思想が導かれた道筋をたどり、その思想がもたらした結果を知ると、ほんとうに驚かざるをえないのである。

軍人とくに将校クラス以上は、技術エリートとして本来は科学精神にもとづいて合理的思考を行う存在である。中柴末純もまた数学的思考をベースにした工兵出身の将校であり、日露戦争にも出征している。

そんな合理主義の塊のような軍人が、なぜ極度の精神主義を振り回し自滅の道に突き進む先導役となったのか? この問いと、それに対する解答が本書を貫くテーマである。


日本の陸軍軍人たちが第一次世界大戦から受けた衝撃

ことし2014年は、第一次世界大戦が勃発してからちょうど100年。日本でもさまざまな形で取り上げられることになるだろう。

だが、一般の日本人の認識においては、あくまでも「第二次」世界大戦の前哨戦としての「第一次」世界大戦というイメージが変わることはないのではないだろうか。

日本からみたら、遠い欧州が主戦場となった「第一次世界大戦」は、一部の軍人が戦死した以外は、国民が巻き込まれて犠牲になることながったため、どうしても印象が希薄となりがちなのである。それだけでなく、すべて「先の大戦」を基準にものを考えてしまいがちである。「先の大戦」は、戦死者310万人(うち民間人90万人!)という、日本と日本人にとっては、あまりにも悲惨で壊滅的な戦いであったからだ。

日露戦争(1904~1905)の勝利におごった日本は、第一次世界大戦(1914~1918)を体験しなかったために教訓を得ることなく第二次世界大戦に突入し、その結果、見るも無残に惨敗した。日本国民は大東亜戦争を熱狂的に歓迎したつけを払うことになったのである。

国力のすべてをかけて日露戦争を戦った日本は、戦争目的を限定していたため、かろうじて講和条約にもちこみ、からくも敗戦を免れたというのが真相である。合理的思考を旨とする軍人なら、この事実は当然のことながら理解していたのである。

ここまでは『坂の上の雲』などの「国民文学」をつじて司馬遼太郎が流布させた「常識」でありけっして間違っているわけではない。だが、ここから先は、司馬遼太郎は「明治の先人たちに比べて昭和の軍人は・・・」といった嘆き節になってしまう。

著者はこの見解に異議を唱えている。それが本書全体に流れる主旋律である。

じつは軍人たちは、第一次世界大戦にきわめて大きな衝撃を受けていたのである! この点を全面的に取り上げたことが本書の最大の成果だろう。日本人の認識を一変させる可能性もあるからだ。

「世界大戦」が「総力戦」であり、そのたった10年前(!)の日露戦争がその「総力戦」のはじまりであったことは、同時代人の世界中の軍人にとっては常識であった。もちろん、日本の軍人も例外ではなかった。いやむしろ、当事者として日露戦争を体験していた日本の軍人にとっては、20世紀の戦争が一国の科学力と生産力を総動員した「総力戦」となることは十二分に理解できることだったのである。だからこそ陸軍は、第一次世界大戦を徹底的に研究し、膨大な研究成果を蓄積したのである。

当時ドイツ領であった青島(チンタオ)攻略作戦は、日本陸軍がかかわった数少ない実戦の一つあるが、勝敗を決したのは日露戦争のときのような肉弾戦ではない。大砲の火力によってドイツ軍を圧倒したのであるという著者の指摘もじつに新鮮である。つまり、日本陸軍は日露戦争の経験から大いに学び、軍事面においては「近代戦」を徹底させたのである。

だが、火力に依存した戦争を長期にわたって継続する能力が不可能なことが、財政という国力からみて明らかなことは、合理的思考を旨とする軍人には十分に理解できたのであった。

悲しいかな、それが「持たざる国」の限界であった。「持たざる国」として、国際社会において「持てる国」と対峙しなくてはならない新興国・日本。

この意味を肌身をつうじて理解していた日露戦争後の日本軍人にとって、4年間という長期にわた継続した「総力戦」、言いかえれば国力のすべてを動員した「消耗戦」であった第一次世界大戦の衝撃がいかに大きなものであったか、イマジネーションを働かせれば現在の日本人にも理解できないことではない。


「持たざる国」日本という認識ゆえに・・

では「持たざる国」日本は、いかなる道を歩むべきであったのか? 道は二つあった。

一つ目の道は、財政負担の観点から国民を疲弊させず、あくまでも身の丈にあった範囲で勝てる見込みのある戦いしかしないという保守的な現状維持志向陸軍内部では「皇道派」と呼ばれていた軍人たちの思考である。直接の関係はないが、経済ジャーナリスト石橋湛山が主張した「小国主義」にも通じるものがある。

もう一つの道は、「持てる国」に対抗するために、自らが「持てる国」を目指し、そのためは無理にでも背伸びして国力を増強させる未来志向陸軍内部では「統制派」と呼ばれていた軍人たちの思考である。「大国主義」である。特異な宗教的ビジョンを発想の根底においていた思想派軍人・石原莞爾は、軍事大国建設のための経済基盤を満洲に求めて満洲事変の主導者となる。

いずれも合理的な選択である。ちなみにここに引き合いにだした石橋湛山も石原莞爾も、ともに日蓮信仰の持ち主であったが、その方向性は真逆であった。

ワシントン条約における海軍軍縮に憤慨したことに端的にあらわれていたように、国民の多くは日本が「小国」であることを受け入れようとしなかった閉塞感のつよまる社会では「内にこもる選択」よりも「外に打って出る選択」が好まれるということだろう。

関東軍による満洲事変とその後の満洲国建設が国民に支持された理由も、閉塞感の打破が期待されたからだろう。過去にこだわるよりも、未来に賭ける志向。戦前においては右派こそ「革新」の担い手であった。

失敗に終わったクーデターであった二・二六事件の結果、陸軍内部では現状維持派の「皇道派」がパージされ、拡大路線の「統制派」が陸軍中枢を握ることになった。その結果、なし崩し的に戦争へとなだれこんでいくことになる。

大東亜戦争に踏み切ったのは「ABCD包囲網」によって追い詰められたという側面もあるが、拡大路線に必要な資源とエネルギーを求めて南進したことが英米を中心に警戒を招いたことは否定できない。みずから播いたタネであったのだ。

「持たざる国」日本の軍人は、当然のことながら日米の国力と軍事力の大きな格差を数字で認識していた。だが、戦争に踏み切った以上、「持たざる国」日本には「有形」の資産は人間しかいない。この有形の資産をフル稼働させるために「無形」の精神力が強調されることになる。合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかった理由はここにあったのだ。

「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という『戦陣訓』は、「撃ちてし止まん」という敢闘精神は死に物狂いの万歳突撃を生み出し、そしてついには合理的な観点からはまったく意味のない総攻撃による全滅を、「玉砕」というレトリカルな美辞麗句で飾って称賛するまでにいたる。

一度はじまった戦争は自動機械のように自ら止めることがでず、一般市民を大量に巻き込んで犠牲にすることで、「総力戦」としての戦争は壊滅的打撃を受けた結果ようやく終わることになる。

この代償がいかに巨大なものであったかは、あえて語るまでもないことだ。


「逆説(アイロニー)の日本近現代史」

本書は、むしろ「逆説(アイロニー)の日本近現代史」とでもしたほうがよかったかもしれない。

合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかったという逆説。合理信仰が非合理主義を生み出したのはフランス革命であったが、「反対物の一致」というフレーズも想起する。

「持たざる国」日本は、あまりにもムリにムリを重ね、破綻すべくして破綻したのである。目標を設定して成長していくこと自体に問題はない。だが、身の丈を無視してたあまりにも無茶な拡大は、大きな禍根をもたらす危険も抱えている。

この教訓を日本人は個人としても、また国民全体としても共有しなくてはならないのだが・・・・

ぜひ読むことを薦めたい。読めば必ずや認識が変わることは間違いない力作である。


画像をクリック!


目 次

はじめに
第1章 日本人にとって第一次世界大戦とは何だったのか
第2章 物量戦としての青島戦役-日本陸軍の1914年体験
第3章 参謀本部の冷静な『観察』
第4章 タンネンベルク信仰の誕生
第5章 「持たざる国」の身の丈に合った戦争-小畑敏四郎の殲滅戦思想
第6章 「持たざる国」を「持てる国」にする計画-石原莞爾の世界最終戦論
第7章 未完のファシズム-明治憲法に阻まれる総力戦体制
第8章 「持たざる国」が「持てる国」に勝つ方法-中柴末純の日本的総力戦思想
第9章 月経・創意・原爆-「持たざる国」の最期
主要参考文献
あとがき

著者プロフィール

片山杜秀(かたやま・もりひで)
1963年生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学部准教授。著書に『音盤考現学』、『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞を受賞)、『近代日本の右翼思想』などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報追加)。



<関連記事>


(項目新設 2023年1月19日)



<ブログ内関連記事>

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える


じつは「集団主義」とはほど遠い日本人

日体大の『集団行動』は、「自律型個人」と「自律型組織」のインタラクティブな関係を教えてくれる好例

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い

* ラグビーのスローガン "One for All"(一人はすべてのために) がよく引用されるが、日本人の大半はこのフレーズにつづくものを失念している。それは "All for One"(すべては一人のために) というものだ。"One for All, All for One" と相まってはじめて「個人主義」と「集団主義」が両立することを知らねばならない。これがアングロサクソン発想であり、個人主義の国ほどいざという非常事態に底力を発揮する秘密がここにある。だから、個人主義の確立していない日本人は、いざというときにまとまらないのである。小異を捨てて大同につくというフレーズがたんなるレトリックに終わってしまうのであえる。


戦争を選んだ日本人

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
・・石原莞爾と大川周明

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える


美辞麗句に騙されないために

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・軍人(=官僚)社会における「標語」(=スローガン)もまた目くらましだ。第一次大戦で敗戦後のドイツ参謀本部のトップをつとめ、ヴェルサイユ条約で弱体化させられたドイツ国防軍の再建を果たした知将ゼークト将軍(1866-1936)の著書、『一軍人の思想』(篠田英雄訳、岩波新書、1940)」

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・「玉砕」という美辞麗句

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について
・・BSEというコトバは、「科学的表現」を装った「目くらまし」である

「TPP」 という 「めくらましコトバ」 にご用心!
・・「略語」という目くらまし

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)
・・「歴史用語」という決まり文句を使うことは、その時点で思考停止状態をもたらすだけだ。多くの歴史家がそのワナにかかっている。著者は「言葉は虚偽の衣装を身に纏う曲者(くせもの)である」という考えのもと、「尊皇攘夷」、「佐幕」、「王政復古」、「明治維新」といった歴史用語をいっさい使用せずに記述を進める

書評 『醜い日本の私』(中島義道、新潮文庫、2009)-哲学者による「反・日本文化論」とは、「世間論」のことなのだ
自分が見たくないものを見ないことにしてしまうという日本人の精神衛生上の知恵がマイナスに働くのが非常時・・


世界の「小国主義」

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために


未来を切り開くために近現代史を総括する

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか? ・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い
・・「エピローグ 「持たざる国」の選択」として原子力を選択した日本

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・陸軍軍人の経済オンチが招いた大東亜戦争の破局

(2014年7月22日、8月7日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end