普段あまりリアル書店にはいかないのだが、丸善ジュンク堂の店頭で見かけて、パラパラとページをめくってみて即座に購入を決めたのがこの本。 タイトルは、『プラナカン-東南アジアを動かす謎の民-』(太田泰彦、日本経済新聞出版社、2018)。ことし6月の新刊書だ。
「プラナカン」(peranakan)とは、マレー語で「現地生まれの人」という意味。といっても、現地人のマレー人のことではなく、16世紀以来、次から次へとやってきた支配者ポルトガル、オランダ、そして英国と現地人とのあいだでミドルマンとして商売を回してきた、17世紀の明末清初時代以降に中国大陸から渡ってきた華人の末裔のことだ。とくに英国支配下で富を築き上げた人たちである。
マレーシアやシンガポールに「ニョニャ料理」という、スパシーだが甘酸っぱいエスニック料理があるが、その「ニョニャ」(nyonya)とはプラナカンの女性のことだ。料理は母から娘へと伝わるものだからそう呼ばれる。男性のことは「ババ」(baba)という。
(マレーシアの海峡都市マラッカのニョニャ料理店前にて筆者)
高い美意識によって形成された、独特の色彩感覚で知られるプラナカンの文化は、東洋と西洋が混じり合う東南アジア(当時の英領マラヤ)でこそ花開いたものだといえるだろう。ニョニャ料理と同様、ハイブリッド文化なのである。
じつはシンガポール建国の父で、長年にわたって指導者としてシンガポールをサバイバルさせてきたリー・クアンユーも、本書によればプラナカンだったのだという。この事実は初めて知った。
リー・クアンユーは、一般には客家(ハッカ)系として知られているが、正確にいうと「客家系のプラナカン」ということになる。 だが、リー・クアンユーは、1965年に独立したシンガポールの国民統合を図るため、そのことは終生にわたって秘してきたのだという。華人系がマジョリティーだとはいえ、多民族国家であり、しかも貧しい華人たちを敵に回さないための政治的決断であった。
そんなシンガポールだが、リー・クアンユーの長男で現首相のリー・シェンロンは、シンガポールの文化政策としてプラナカンであることをカミングアウトしたのだという。2008年のことだ。ビジネスオンリーではシンガポールが生き残れないと痛感している首相は、地場の文化発展のために、土着の文化に目を向けさせるのが狙いなのだ、著者は説明する。
(シンガポールの加東にあるプラナカン料理店 筆者撮影)
シンガポールに駐在した日経記者である著者は、プラナカンの実態を知るために、シンガポール、マレーシアのマラッカ、ペナン、そしてタイのプーケット、バンコク、インドネシアのボゴールと取材を続ける。プラナカンは、東南アジアからオーストラリアにかけて広く分布しており、ネットワークでつながっている「見えざる存在」なのである。
(タイ・プラナカン・アソシエーション プーケットにて筆者撮影)
わたくしも個人的には、シンガポール、マレーシアのマラッカ、ペナン、そしてタイのプーケット、バンコク、インドネシアのボゴールはすべて歩いているが、ボゴールのプラナカンについては知らなかったので、たいへん興味深かった。これらの都市の旧市街は、いわゆるコロニアルスタイルだが、むしろプラナカン建築といったほうがいいのだろう。
プラナカンについては、すでににシンガポール在住の女性著者たちによる『マレー半島 美しきプラナカンの世界』(イワサキ チエ、丹保美紀、産業編集センター、2007)というビジュアル本があって、そちらのほうがプラナカン文化の紹介本としてはすぐれていると思うのだが、『プラナカン-東南アジアを動かす謎の民-』は、東南アジア全域を視野に納めている点と、2008年以降の状況を知ることができて興味深いものがあった。
現在の東南アジアはASEAN諸国でもあり、中小規模の「国民国家」の集合体であるが、こういった多種多様な民族と宗教と文化で織りなされる東南アジアには、プラナカンという知られざる人たちが基層部分に存在することに目を向けることが重要だ。
東南アジアに関心のある人は、ぜひ読むべきとおすすめしたい。
著者プロフィール
太田泰彦(おおた・やすひこ)
日本経済新聞論説委員兼編集委員。1961年生まれ。北海道大学理学部卒業(物理化学専攻)、1985年に入社。米マサチューセッツ工科大学(MIT)留学後、ワシントン、フランクフルトに駐在。2004年より編集委員兼論説委員。一面コラム「春秋」の執筆を10年間担当した。2015年に東京からシンガポールに取材拠点を移し、地政学、通商、外交、イノベーション、国際金融などをテーマにアジア全域で取材。2017年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
目 次
プロローグ 謎に包まれた民
第1章 リー・クアンユーの秘密
第2章 色彩とスパイス
第3章 日本が破壊したもの・支えたもの
第4章 通商貴族の地政学
第5章 明日を継ぐ者
エピローグ 消えていく時がきた
あとがき
主な参考文献
<関連サイト>
プラナカン・ミュージアム(Pernakan Museum 英語)
・・2008年にシンガポールに開設されたミュージアム
ババ・ニョニャ(プラナカン)民族料理図鑑
(2018年8月19日 項目新設)
PS タイ・プラナカン・アソシエーションの写真を一枚追加した。プーケットにて筆者が撮影したものである。(2018年9月9日 記す)
PS2 シンガポールの加東(カトン)地区にあるプラナカン料理店の看板の写真を追加。筆者撮影。この色彩感覚がまさにプラナカンなのだ。(2018年10月7日 記す)
<ブログ内関連記事>
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・・ほとんど英語を母語として使用してきたリー・クアンユー氏は典型的なアングロチャイニーズである
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(2018年7月28日 情報追加)
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