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2009年5月24日日曜日

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009




ブッダン・サラナン・ガッチャーミ 
ダンマン・サラナン・ガッチャーミ 
サンガン・サラナン・ガッチャーミ 

 (日本語訳)
  私はブッダに帰依いたします
  私は法(ダンマ:真理)に帰依いたします
  私はサンガ(僧の集団)に帰依します

 三宝(=仏法僧)に帰依いたします、これをパーリ語で独特の節回しで三回朗誦する。

 これで仏教徒として最低限の必要条件を満たすこととなる。出家者ではないので、難しいことはまったく必要ない。私のように仏教徒といってもあまり熱心ではない人でも、さすがにこれぐらいはパーリ語で暗唱できる。

 さて、小雨降る中、「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009」にでかけてきた。代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールにて開催、日本テーラヴァーダ仏教協会主催、スリランカ大使館などが共催のイベントである。私にとっては、今回が初めての参加である。

 テーラヴァーダ(Theravada)は大乗仏教(Mahayana)との違いを明確にするための表現で、通常は上座仏教という。スリランカおよび東南アジア各国(ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア)ではこの上座仏教が中心である。ブッダそのもののを重視する立場で、日本やチベットのように祖師信仰という要素はない。
 仏歴2553年(タイだと2552年)、本当は陰暦満月の日なので今年は5月19日が仏誕節(ヴィサカブチャー:釈尊誕生日)だが、上座仏教の国ではない日本では都合のよい日曜日にしたのだろう。
 大ホールの定員780人のかなりが埋まっていたので、よくこれだけ人が集まるものだなあ、と感心した。釈尊誕生日は、上座仏教ではもっとも重要な行事である、とのことだ。

 会場でもらった予定表をもとに本日のプログラムを紹介しておく:

12:45 スライドショー「釈尊の一生とインド仏蹟を訪ねて」
13:00 仏陀おねり&仏讃法要:パーリ文の三帰五戒、パーリ語経典の読経、日本人大乗仏教僧侶(真言宗、臨済宗、・・・)五戒受戒、舎利礼文
13:40 慈悲の瞑想 (パーリ語経典の朗誦、日本語の慈悲の瞑想)
13:50 スリランカ全権大使による挨拶
14:10~15:20 記念講演:パーリ学仏教文化学会会長・文化功労者 前田惠學博士『仏教の開祖 釈尊』
15:40~17:30 記念法話:アルボムッレ・スマナサーラ長老「最優の成功に至る道」および質疑応答
17:40~18:10 比丘サンガによる祝福の読経
18:10  聖糸・聖水の授与

 以下コメントを書いておく。

 スライドショー「釈尊の一生とインド仏蹟を訪ねて」は、Google Earth を使って上空から撮影した画像でたどるブッダロード。私自身の1995年の仏蹟巡礼の旅を思い出して懐かしかった。ブッダガヤでは私も菩提樹の下で瞑想してみたのだが、これについてはまた語ることもあるかも。

 スリランカ駐日全権大使による英語の挨拶は、大使自身が「仏教徒として挨拶する」といわれたが、大使のファーストネームはなんと Manjusri(マンジュシュリ)、すなわち文殊(菩薩)!というのはすごい。三人集まれば文殊の知恵、賢くなってほしいとつけられた命名か? スリランカ人の名前はあまり注意してみたことはなかったが、さすが仏教国である。
 スリランカはやっと内戦が終結したが、本当に平和が到来したといえるのだろうか? 私は内戦のはざまに1999年訪問しているが、もし平和になれば素晴らしい国である。

 前田惠學(えがく)博士は、インド哲学の前田専學(せんがく)博士の兄で、よく間違われるとのこと。私も勘違いしていた。仏教用語について、初期仏教ではなく、原始仏教というべきことと、上座部仏教ではなく上座仏教というべきこと、などを強調されていた。たいへん重要な指摘である。

 アルボムッレ・スマナサーラ長老はスリランカ上座仏教界の長老で、日本には留学時代含めすでに30年滞在、バカの壁の養老猛司との対談でも有名だ。日本語での法話は私は過去2回聴いているが、法事の際の僧侶によるつまらないことの多い(失礼!)法話とは異なり、ブッダその人から説き起こした内容は非常に示唆するところ多く、いつも納得させられている。
 本日の法話は、釈尊誕生日という記念すべき日であることもあり、釈尊の一生について、出家(29歳)⇒さとり(35歳)⇒入滅(80歳)の各ステージについての話だったが、とくに出家については、王子としての身分を捨て、王宮から自らの意思で出たことを、自分で自分の道を選び取った決断の重さについて特に強調されていたことが印象に残る。
 長老は日本語で冗談交えながら熱弁をふるわれ、今回もまたたいへん印象に残るお話であった。とにかく話が論理的である点、これが本来の仏教なのである、と思う。

 祝福の読経は、パーリ語のお経があまりにも長くて正直言って合掌居続けるのは無理、眠くさえなった。我ながらいかんなあー、と思いながらも、聞き慣れてないお経なので、自分にとってはまったくもって「馬の耳に念仏」みたいなものだから仕方ない、と自己正当化する(苦笑)

 最後の聖糸はいわばウィッシュリングで、右手の手首に比丘(お坊さん)自らが祝福しながら、赤白黄の三色の糸をより合わせて縁を結んでくれるもの。これは自然に外れるまでつけたままでないといけないので・・・入浴を繰り返しても通常1か月以上は外れない・・・どうしたものかなあと迷ったのだが、せっかくの機会なので巻いていただくこととした。
 これも何かの縁、いや単なる縁ではなくて、たいへんありがたい仏縁である!
 聖水は祝福されたミニペットボトル入りのもの。ありがたくいただいた。
 
 最後になったが、本日のプログラムにもあった「慈悲の瞑想」を紹介しておきます。出典は日本テーラワーダ仏教協会による日本語版。
 日本語だがパーリ語と同じように独特の節回しをつけて朗誦するのだが、目をつぶりながら比丘たちの朗誦に唱和していると、なんだか心が清らかになるのを感じる。日頃の行いを反省しつつ、そうあるべきなのだ、と心の中で繰り返しつぶやいている自分を発見するのである。


 「慈悲の瞑想」

 私は幸せでありますように
 私の悩み苦しみがなくなりますように
 私の願いごとが叶えられますように
 私に悟りの光が現れますように
 私は幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 私の親しい人々が幸せでありますように
 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
 私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
 私の親しい人々が幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
 生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
 生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
   ※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。

 私の嫌いな人々も幸せでありますように
 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

 私を嫌っている人々も幸せでありますように
 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
 私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)


 いかがでしたか? 
 ではまた。
 
 合掌