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2026年9月29日火曜日

TVアニメ『ブルーロック』(シーズン1:2022~2023、シーズン2:2024)は、大人をのめり込ませる面白さと知的要素にあふれている(2026年9月29日)

 

TVアニメ『ブルーロック』を amazon price で視聴した。第1シーズンの全24話と第2シーズンの14話をあわせて38話を3日間で。  

「まもなく配信終了」なので急いで視聴することにした。「切迫感」というものは、人をして行動に移らせるものがある。それは「追い詰められ感」という言い方も可能かもしれない。* 

* ということで切迫感に駆られて視聴したのだが、引き続き amazon prime で視聴可能になっているのでご安心! もちろんその他のネット配信もある 2026年10月4日記す)


タイトルだけは知っていたものの、ストーリーをよく知らないまま見始めた。第1話からいきなりぶっとんだ展開になって、どんどん先を見たくなる。 

「ブルーロック」とは、日本サッカーをワールドカップで優勝させるという至上命題を実現するための実験的プロジェクトだと設定されている。 

日本人選手に欠けているのはゴールを奪う攻撃力であり、世界レベルのストライカーを作り出さなければ、世界一など実現不可能だという認識がある。 




日本全国から高校生を300人集めて隔離された特別な施設で合宿生活を行い、そのなかから「世界一のストライカー」を選び出す。3次にわたる過酷な「選別」をクリアして生き残ったものだけに、最後のチャンスがあたえられる。究極の「レッドオーシャン」状態である。

デスゲームのような展開であり、主人公たちとともに参加しているような気分で、思わずのめり込んでしまう。 

「ブルーロック」を貫いてる基本哲学はじつに興味深い。しかもまったく理にかなっている。それは「エゴイストになれ!」というものだ。強烈なまでの「エゴ」を持てというものだ。 

とかく「協調性」が強調され、「仲間意識」を大事にしろと繰り返し刷り込まれるのが日本社会である。欧米人と違って日本人は「エゴ」(=自我)が弱いと言われているが、そんなことでは世界で戦うことなどできるわけがない。この哲学は説得力がある。 

まずは「エゴ」(=自我)を確立することだ。強い自我をもつことだ。「エゴ」(=自我)は「志」(こころざし)と言い換えてもいいかもしれないが、日本社会で否定的に語られる「エゴ」ということばがもつインパクトは、強烈なまでに効果的だろう。 




このアニメ全編をつうじて、「仲間」とか「友情」など前面にでてくることはない。しかも、「切磋琢磨」や「成長」ということばもでてこない。「根性」でもない。なるほど、原作のマンガは『少年マガジン』(講談社)の連載か。ということは、『少年ジャンプ』(集英社)のアンチテーゼということなのかな? 

重要なのは個人の「エゴ」であり、自分自身を「進化」させることだ。ステージを上げることだ。そのためのシステムが「ブルーロック」というシステムにビルトインされている。 

自分の「強み」を的確に認識すること。短所を克服するのではなく、徹底的に自分のアタマで考え抜き、自分に欠けている強みをピースとして加えていくこと。それが個人レベルの「進化」であり、現場での「実践」(=実戦)をつうじて「覚醒」が起これば、さらなる「進化」が加速していく。徹底的な目的合理性の世界。そのためのアスケーゼである。 

チームを組むのは、あくまでも「協調」することが「合理的」だからだ。チーム先にありきなのではない。一番できるヤツが、自分エゴを貫くのに必要なヤツを選抜してチームをつくる。勝てるチームとは、こういう性格のものだろう。いわゆる一騎当千の精鋭集団である。 

こんな認識が全編をつうじて展開されるこのアニメは、中学生や高校生だけでなく、ビジネスパーソンにも刺さる要素が多い。「モチベーション」にかんする行動心理学などの知見をベースにしており、その主張はまったく理にかなっている。「ゾーン」だけでなく、なんと「フロー」の概念まで登場するくらいだ。 

もちろん、「ブルーロック」は脱落者が大量に発生するシステムである。だが、脱落者は去るのみであり、脱落後のケアなどまったく想定されていない。そんな点は、おそらく教育界から批判されることだろう。 

とはいえ、やる気のある若手社員が、「ぬるま湯」的な職場に愛想を尽かして次から次へと退職する、そんな現象が実際に発生していることを知るべきではないか? 

ブラック企業の真逆で、楽園であるはずのホワイト企業で、なぜ退職者が続出するのか? その意味と理由を知りたければ、このアニメを視聴したらいい。

恋愛要素も皆無だが、スポーツアニメの新展開ということか。 つまらないビジネス書を読んで時間をつぶすより、はるかに意味ある体験となるだろう。 






<関連サイト>

TVアニメ『ブルーロック』公式サイト



<ブログ内関連記事>

・・「世界一の歌舞伎役者」はこうして生み出される



・・「1985年には、河合隼雄につよく依頼されて京都で開催された「第9回トランスパーソナル国際会議」のディレクションを担当しているが、吉福伸逸も河合隼雄とおなじ問題意識をもっていたようで興味深い。それは、欧米人とは違って、自我(エゴ)の確立しない日本人が、自我を超えることを意味するトランスパーソナルにはまることの危険性についてである。」

・・セルフ(自己)とエゴ(自我)の違いについて

・・「エゴの塊のようだったジョブズがなぜ、禅仏教と出会って生涯にわたって多大な影響を受けることになったのか、その意味もあきらかになっていく。」

・・強烈なまで名エゴによって大成功しても、その後エゴを飼い慣らすことができるかどかが問われる


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2026年9月27日日曜日

書評『ジャパナメリカ ― 日本発ポップカルチャー革命』(ローランド・ケルツ、永田医訳、ランダムハウス講談社、2007)― 米国における日本アニメへの熱狂は「第3次日本ブーム」の中核にある

 

現在の日本アニメの主戦場が米国であり、米国を起点にして世界展開がされていることは、最近読んだ『アニメ経済圏』(日経BP、2026)で知った。 

「2025年がアニメ産業にとって転換点になった」ということだが、それ以前の状況について書かれているわけではない。 

そこで、『ジャパナメリカ ― 日本発ポップカルチャー革命』(ローランド・ケルツ、永田医訳、ランダムハウス講談社、2007)という本を読んでみた。この本で20年前の状況がどうなっていたのか知ることができたが、内容が濃くてじつに面白い。(*出版社はすでに解散しており、したがってこの本も絶版である) 。

原題は、JAPANAMERICA: How Japan Has Invaded U.S. Pop Culture, by Roland Kelts, 2006 、現在でも入手可能だ。kindle版もある。




どうやら、米国では「9/11」、つまり「2001年9月1日」が日本アニメの定着に決定的な影響を及ぼしたらしい。建国以来はじめて「ハルマゲドン」を体験したのであり、表面からはうかがいにくいが、アメリカ人の精神の深層では後遺症がいまなお続いている。 

そんな精神的状態のなか、2000年前後に一気に拡がっていったのが日本アニメなのである。日本はすでに1945年8月6日と9日に「ハルマゲドン」を体験しており、この過酷な体験が日本アニメの世界観の深層にある。 

アニメに繰り返し、繰り返し壊滅的な破壊シーンが登場する意味はそこにある。無意識レベルかもしれないが、われわれは「ハルマゲドン後」に生きているのだという日本人の自己認識であり、それは国民全体の共通認識になっている。

アメリカ人の認識をはるか半世紀前に先んじているのである。「9/11」がアメリカ人にあたえたインパクトは、日本人にとっての意味とは大いに異なるのである。



■始まりは『科学忍者隊ガッチャマン』のローカリゼーション





おなじくタツノコプロの『マッハGoGoGo』(1967年)が同年に『Speed Racer』と改題され米国市場向けにアダプテーションされたうえで放送されていたことは、さすがにわたしも知っていた。だが、評価していたのはコアなファンだけで、あくまでも子ども向けのコンテンツと見なされていたようだ。

先にみたように、「9/11」後に日本アニメが米国で市場が拡大し、市民権を得ていくことになっていくわけだが、もちろんその中心になったのは若年層であることは言うまでもない。 

日本アニメをめぐっては、「ミレニアム世代」とその先行世代「ベビーブーマー世代」とのあいだで、世代的な断絶が生まれているのである。日本とは40年近い時間差がある。この間の日本アニメの蓄積は、それこそ膨大なものがある。



■現在のアニメ熱は「第3次日本ブーム」の中核

歴史をさらに振り返れば、2001年以降の米国における日本アニメの普及と定着は、「第3次日本ブーム」と位置づけることも可能だ。それぞれ50年単位(=半世紀)ごとの「日本ブーム」である。


●「第1次日本ブーム」:19世紀後半から20世紀初頭。「浮世絵」
●「第2次日本ブーム」:1950年代。「禅」(ZEN)
●「第3次日本ブーム」:2000年前後から現在。「アニメ」(ANIME)
 

「第1次日本ブーム」は、「ジャポニスム」(Japonism)の時代である。「開国」後の日本から海外に大量に流出した浮世絵や漆器などの工芸品が引き金となって、フランスを中心とした欧州で大流行した。19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことであった。 

英国では「ジャパニズム」(Japanism)として大流行したが、この事情はおなじ英語圏の米国でも同様であった。日本庭園から柔術(jiujutsu)に到るまで大流行し、米国では「日露戦争」(1905年)時に流行のピークに達し、日露戦争後は「黄禍論」の台頭もあり、ブームは衰えていった。そして日米戦争という破局を迎えることになった。 

「第2次日本ブーム」は、日本の敗戦後の1950年代に訪れた「禅」(Zen)のブームである。アメリカ的な物質主義に対する「カウンターカルチャー」(対抗文化)として、当時の若者たちの熱狂的な支持を得たものだが、当時米国で活動していた鈴木大拙(D.T. Suzuki)の影響が大きい。

ヒッピー文化が衰退し、ブームが去ったあとも禅仏教が米国社会に定着していることは、スティーブ・ジョブズを引き合いに出すまでもないだろう。宗教色を払拭した「マインドフルネス」の瞑想法が米国に定着する素地となっている。

それだけでなく、1980年台後半の「日米経済戦争」に到るまでは、ジョブズに代表されるように、品質重視でシンプルさを追求した「メイド・イン・ジャパン」の製造業哲学への共鳴もあった。

そして、日本アニメの大流行という「第3次日本ブーム」となって現在に到っているわけだ。

 今後このブームが下火になることはあってもアニメ視聴が定着し、その担い手である「ミレニアム世代」や「Z世代」が社会の中心になっていくなかで、現在のフランスやイタリアのような状況になっていくことだろう。 

フランスのマクロン大統領の『ドラゴンボール』、イタリアのメローニ首相の『北斗の拳』がその代表的な例だが、1970年代以降に育った欧州のリーダーたちは、当時からTV放送されていた日本アニメにどっぷり浸かって人間形成してきた「アニメ第一世代」である。ヨーロッパはすでに「アニメ第二世代」になっている。



■米国生まれのポップカルチャーが英国や日本という「島国」で変容

 『ジャパナメリカ』で、もう1点興味深い視点は、2000年代以降の米国における日本アニメは、1960年代の米国におけるブリティッシュ・ロックに匹敵する存在だと見ていることだ。 

日本アニメは、もともとディズニーなど米国生まれのアニメの影響下に発展していった経緯は、をもつ。ハリウッド映画に太刀打ちできない状況で、クリエーターたちがアニメ業界に集中していったことで日本がアニメ大国となった。 

おなじく米国生まれのロックンロールが英国で独自に進化を遂げ、米国に「逆輸入」されるようになった。 クイーンのメンバーたちがエルヴィスをリスペクトしていることを考えてみたらいい。手塚治虫がウォルト・ディズニーをリスペクトするのとおなじことだ。

英国はおなじ英語圏とはいえ、移民国家で市民社会の米国と階級社会で王国である英国では、文化に大きな違いがあるのだ。(・・ただし、近年の英国はすでに移民国家化している)。

日本は米国とは文化的に大きく異なっているが、敗戦後は米国の影響を大きく受けている。 英国と日本という独特の文化をもつ「島国」において、米国生まれの ポップカルチャーが変容して独自に進化し、それが米国に逆流する。考えてみれば面白い。 

アニメを中核とした「第3次日本ブーム」が今後どう変化し、進化していくのか興味深く見守っていくべきであろう。 





目 次
まえがき 
第1章 Gフォースのご加護を 
第2章 アトム・ボーイズ
第3章 アニメというビジネス 
第4章 トイ・ストーリー 
第5章 日本が抱える知的財産問題 
第6章 奇妙な変身 
第7章 コスプレとオタク世界 
第8章 フューチャー・ショック 
第9章 アニメの魅力 
日本語版読者へのあとがき 
訳者あとがき 
索引 

著者プロフィール
ローランド・ケルツ(Roland Kelts) 
アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、アメリカと日本で育つ。主にニューヨークで「ヴィレッジ・ヴォイス」や「プレイボーイ」「ニューズデー」等でライターやエディターとして活動。2006年に創刊されたアメリカの文芸誌「Public Space 」では、副編集長として、日本文学特集を担当した。



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・・ディズニーこそアニメの原点

・・フランスやイタリアはすでに「第2世代」が親世代となり「第3代」に入ってきている

・・中国はそろそろ日本アニメとマンガの「第2世代」への移行期に入っており、中国独自のアニメが生まれる土台ができあがりつつある



■「島国」の優位性



■「第1次日本ブーム」




・・「第1次日本ブーム」のアメリカから登場した画家。




■「第2次日本ブーム」


■「第3次日本ブーム」


・・宮崎アニメに体現された日本的なスピリチュアリティ


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2026年9月26日土曜日

『アニメ経済圏』(平島綾子、日経BP、2026)と、『アニメビジネス』(大貫祐介、木谷高明=監修、総合法令、2026)を読むと、アニメにかんする「常識」をリセットしなくてはならないことを痛感させられる

 

 自分はアニメ業界の人間ではなく、アニメはもっぱら視聴する側なので、アニメをめぐる動向を詳しく知っているわけではない。 

とはいえ、物心ついたときからアニメ(・・半世紀以上前のその当時は「テレビマンガ」といってただけでなく、しかも白黒TVで画面はモノクロだった!)を見てきた世代なので、ある種の「常識」というものが自分のなかに形成されてしまっているようだ。 

ディズニーに代表されるように、もともと米国で生まれて成長したアニメだが、戦後にアメリカ文化の圧倒的影響下で発達した日本アニメは、現在では日本を代表するポップカルチャーとなり、マンガやゲームとならんで世界中に影響する日本文化になっている。 

日本人の視聴者を相手に、日本人によって日本で製作されたアニメが、日本を越えて世界中に愛好者を増やしているのは、たいへん結構なことではないか。日本が誇るべき「ソフトパワー」だな、と。 

自分がもっている「常識」は、ざっとこんな感じである。



■「常識」」を捨てよ! アニメはすでに世界全体を視野に入れたビジネスだ

ところが、こんな「常識」は急速に変化していることを思い知らされた。「常識」をアップデートしないと、世界の動きを理解できなくなってきているのだ。いやリセットするべきだというべきか。 

前者の『アニメ経済圏』は、業界誌である「日経エンターテインメント」の記者のよる最新リポート。この本では「2025年が転換期」であったことが強調されている。そう、急速にかつ劇的に変化しているのである。

それを象徴するのがアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限城編第一章猗窩座(あかざ)再来』 だ。日本映画史上初の全世界興行収入1000億円超を達成したのである。「日本」だけではない、「全世界」である。そしておなじくアニメ映画『チェーンソーマン レゼ編』だ。

Netflix や Amazon Prime など、サブスクリクション(以下、サブスクと略す)によるネット配信がアニメの視聴方法を根本的に変化させているだけでなく、ネットによる「世界同時配信」によってメガヒットを生み出す構造ができあがっているのである。 

その中心地が米国であり、米国か英国やカナダや豪州の英語圏、そして中南米のスペイン語圏へという流れをつくりだしているのである。

アニメ配信の専業であるクランチロール(Crunchroll)の本社がテキサス州ダラスにあることの意味を考えることが重要だ。米国の産業の中心がカリフォルニアからテキサスにシフトしているだけでなく、メキシコと国境を接するテキサスは、ヒスパニックというスペイン語人口を豊富に抱えた地域なのである。

巨大だがアニメ配信にかんする予測不能な規制によって安定性を欠いている中国市場に対し、英語圏とスペイン語圏をがっちり押さえることで成り立つ市場構造。これに加えて、いわゆる「グローバルサウス」の人口大国インドネシアとインドを発信源としたアニメ熱の拡大。市場はさらなる拡大傾向にあるのだ。 

世界中の「ミレニアル世代」と「Z世代」をあわせた世代(1981年生まれ~2010年代生まれ)の約半数が、週1回はアニメを視聴しているという。驚くべきことだ!

これがなにを意味しているかというと、もはや日本のアニメ視聴者は世界の一部に過ぎなくなったという状況なのである。

かつてのように、日本でヒットしたTVアニメが世界でも愛好されるという構造ではなく、最初から世界市場でヒットを狙った作品が製作されるという方向に変化しているのである。日本国内の人口減少が、海外市場開拓に向かっただけでは説明できないのである。 



■アニメ業界の構造的変化に目を向けよ

アニメ関連業界で働きたいという若者を主たる対象に、業界の「中の人」が書いた『アニメビジネス ― 漫画・小説・アニメが100倍おもしろくなるアニメの教養』を読むと、この構造的変化がもたらす光と影が明確になる。 

現在日本で製作されるアニメの9割は世界市場狙いであって、日本市場を狙ったものではないのだという。だから、やたら「異世界転生もの」ばかりになってしまうのだ。 なるほど、そういうことなのか。個人的にはあまり食指の動かないジャンルなのだが・・・

このほか「悪役令嬢」、「成り上がりバトル」、「日本要素の強いバトル」が上位のラインナップとなるという。いずれも、わかりやすいので再生されやすいというのがその理由だ。消費者サイドにおける時間奪い合いの結果である。ネット配信時代ならではの現象である。

 「TVアニメの1クルー12話の制作費が約3.5億円」という数字をアタマに入れておこう。製作決定にあたっては、資金回収が可能かどうかがカギになることはいうまでもない。また、企画から完成まで2~3年かかる。人気マンガなのにアニメ化されない、アニメの第1シーズンが人気なのに第2シーズンが製作されない理由がそこにある。

「日本要素の強いバトル」が売れ筋だというのは、これはまあ良ししよう。いや、それは大いに勇気づけられることだ。日本的要素が濃厚なほうが、かえって世界中で受け入れられているのだから。そして、これはきわめて重要な教訓にもなる。

だが、「ラブコメ」はどうもそうではないらしい。TVアニメで育った世代としては、淋しい限りではある。グローバリゼーションの波に呑まれたローカル産業の宿命というべきなのであろうか・・・。 

キリスト教やイスラーム圏どの異文化摩擦という問題もある。ある程度まではローカライズで修正可能だが、個別市場での法的規制など、コンテンツをめぐる状況は日本の「常識」が通用しないことも多い。

それはさておき、これだけ世界中が熱狂し、市場規模も拡大傾向にあるアニメ関連業界だが、中国や韓国という競合の台頭だけでなく、アニメ製作の本拠地である日本の収益性が高くないこと、それが業界内でさまざまなひずみを生んでいることは、依然から指摘されてきたとおりだ。 

この件にかんしては『アニメ経済圏』に書かれているが、高市政権が重点分野として「コンテンツ産業」を選択していることもあり、改善が期待される。形をもたない IP(知的財産)で稼ぐために、家電業界や無残にも失敗した「クールジャパン」の轍を踏まないことを切に願うばかりだ。 

日本の「ソフトパワー」であるアニメが、今後もそうであり続けますように! 少なくともわたしの世代以降の日本人は、ほぼすべてがアニメで自己形成してきたのだから、そう願うのは当然のことなのだ。 





目 次 
はじめに 
第1部 日本アニメのグローバル・エポック 「2025年」の舞台裏 
 第1章 映画『鬼滅の刃』&『チェンソーマン』が世界を変えた 
 第2章 数字が証明する "ANIME" の世界進出 
第2部 米国発・スペイン語圏・インド&インドネシア “熱狂” の最前線を行く 
 第3章 日本アニメを拡張する動画配信サービス「クランチロール」と「ネットフリックス」 
 第4章 4日間で170億円の経済効果 なぜ米国が "ANIME" の起点なのか 
 注目地域① スペイン語圏 南欧「バルセロナ」から拡がる可能性 
 注目地域② インド&インドネシア(グローバルサウス) 言語圏から人口圏へ―2大注目地域に迫る 
第3部 日本アニメ&IP  官民それぞれの「新たなる挑戦」 
 第5章 次のアニメ原作・韓国ウェブトゥーン、中国・2D手書き風アニメの台頭 
 第6章 2033年、海外売り上げ20兆円への道~「IP360」の始動で拡がる未来 
 第7章 ハリウッドで映画化 ガンダム&キティの挑戦の意味 
 第8章 三菱商事・アミューズ・サイバーエージェントのグローバル展開 
おわりに 

 

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目 次
はじめに 教養としてのアニメビジネス 
第1章 なぜ異世界転生ばかり増えるのか ―  アニメとマーケティング 
第2章 アニメ化できる原作が枯渇している!? ―  アニメと原作の関係性 
第3章 アニメを見ない若者たち ―  アニメと視聴者 
第4章 アニメが完成するまでになにが起きているのか? ―  アニメと制作現場 
第5章 アニメ業界での生き方 ―  アニメとキャリア


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2026年9月23日水曜日

映画『利休』(1989年、日本)― 「バブル時代」と「桃山時代」の同時代性が生み出したアート系伝記映画。利休自刃に到るラストシーンに秀吉の末路だけでなく、暴走の末に崩壊へと向かうバブルの予兆を見るのは、うがち過ぎというべきか?

(DVDよりスクショ 以下同様)


 昨日(2026年9月22日)のことだが、映画『利休』(1989年、日本)を DVD で視聴した。 リアルタイムでは見ていないので、公開から37年目に初めて視聴したことになる。 

「バブル時代」の1989年の自分は、あまりにも多忙で、かつ心身ともに多難な年であった。この映画の存在を知らなかったのかどうか、それすら記憶にない。 

利休とは千利休のことだ。茶の湯を大成し、のちの茶道につながる道をつくあげた人物である。 

その利休を主人公にして、利休が側近として仕えた秀吉、そして秀吉の弟である秀次や石田三成など周辺の人物たちがからみあい、利休の死に到るまでの10年間を描いた、アート系の伝記映画である。 

原作は、野上彌生子の『利休と秀吉』だそうだ。この映画は、利休と秀吉という、まさに極めつけの個性の持ち主だった「ルネサンス人」たちの葛藤劇というべきだろう。 




生け花の草月流の第三代家元の監督のもと、利休を演じる三國連太郎と秀吉を演じる山崎努などの名優たちや、美術や音楽には当時を代表するようなアーチストが多数参加している。 

音楽はあるが、ナレーションによる説明も解説もまったくない映画なので、ある程度の背景知識がないと、この映画を読み解くのは難しい。 

もし公開当時に見ていたとしても、茶道の心得があるわけでもない自分は、よく理解できないで終わったことだろうな、と。 



■「天下人」と「天下一の宗匠」 

利休がその美意識を完成させたのが、信長のあとを継いで天下一統を完成し、「天下人」(てんかびと)となった秀吉の茶頭、すなわち「ナンバーワンの茶人」として仕えた10年間のことである。 

「天下人」の秀吉、「天下一の宗匠」と呼ばれるようになった利休。政治とアートの両輪で回っていたのが、16世紀後半の「桃山時代」の日本である。時代は中世から近世への移行期であった。その点で、本家本元のイタリア・ルネサンスとよく似ている。

戦国時代という「下克上革命」によって農民から成り上がり、新興勢力の代表として権力を握った秀吉は、天皇という既存の権威を巧みにあやつりながら、みずからの権力の地盤固めを行う。そして、その秀吉のパートナーであったのは、自由港であった堺に生まれ育った町人出身の利休。

 戦国武将としてだけでなく、派手好みで発想は自由奔放、しかも独自の美意識をもっていた秀吉。「茶の湯」をアートとして極限まで突き詰め、「日本的美意識」をつくりだした利休。 


(茶室に一輪の朝顔 利休の美意識 映画より)


利休と秀吉は、ともにみずから茶を点て、花を生ける人である。茶室には刀は持ち込めない。茶室では上下関係なくみな平等であり、主客が入れ替わることも可能である。これが茶の湯の本質なのであろう。 茶室という空間において、主客は対等な関係としてパートナーを組むことが可能だったのだ。


(茶室で対面する利休と秀吉 映画より)


日本の「ルネサンス時代」というべき「桃山時代」に登場した、天才ふたりの協同と美意識と政治意識をめぐる葛藤。そして、側近として仕えた秀吉とのあいだで、ついに埋まることのなかった溝が、最終的に利休を死に追いやることになる。

 「天下人」と「天下一の宗匠」であった二人。天才は天才を知り、ともに天才であるがゆえに互いを評価しあったわけだが、ともに天才であるがゆえに最終的に相容れなかったのであろう。 



■余韻あるラストスシーンと意図せず重なり合う2つの時代 

信長時代の末期から始まり、秀吉との密接な関係の10年間の日々。利休が秀吉に詫びを乞うことなく運命を受け止め自刃へと向かうのは、利休の矜恃というべきであろう。

竹林のなかを歩み去って行く利休。余韻の残るラストシーンである。だが、この映画では腹を切り、介錯人によって首が切り落とされるシーンは描かれない。勅使河原宏監督の美意識は、映画『憂国』の原作者であり、監督も主演もした三島由紀夫の美意識とは異なるのであろう。 




「利休の最期」というと、どうしても岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea)の最終章 Ⅶ.  Tea Masters における、死を前にした利休(Rikiu)の茶会と弟子たちとの別れ、自刃にまつわるの美しい文章を想起してしまう。だが、天心の文章は創作にもとづくフィクションであり、史実とは異なるようだ。 

もちろん、利休の生涯についても、残された史料の制約もあって、そのすべてが明らかになっているわけではない。「利休の最期」についても、クリエーターがイマジネーションを働かせる余地が多いのである。 

公開37年目にして初めてこの映画を見ていて思ったのは、まさに「バブル時代」のまっただ中に製作され公開されたこの作品が、「バブル崩壊」を暗示しているかのように思われることだ。

 秀吉との意識の乖離が、諌言を発して秀吉の不興を買うこととなり、最終的に利休の自刃に到るわけだが、その伏線にあるのは秀吉の弟でナンバー2であった秀次の病没である。 

「朝鮮出兵」へと突き進もうとする秀吉の暴走を止めるストッパーが不在となったのである。利休も自刃を余儀なくされた。その果てに待っているのは、豊臣氏の滅亡である。もちろん当事者の関知するところではなかっただろうが。 

利休の死によって「日本のルネサンス時代」は終焉へと向かい、「バブル時代の日本」もまた暴走の末に自壊へと向かっていく。 

前者の背景にあった「第1次グローバリゼーション」も終焉へと向かい、後者の背景にあった「第3次グローバリゼーション」も暴走の末に終焉に向かうことになる。「バブル崩壊後の日本」は、グローバリゼーションの終焉を先取りしていたといえようか。 

監督や制作陣の意図には関係なく、「桃山時代」と「バブル時代」という2つの時代が重なりあって見えてしまうのは、後の世に生きる者だけがもつ視線というべきか。 



■「桃山時代」と違って「バブル時代」はなにも生み出さなかった? 

「桃山時代」は、その後の時代につながるような文化を生み出したが、「バブル時代」は狂乱の時代であり、なにものも生み出さずに泡のように弾け散った。 

「バブル時代」が終わっことが確認されてからしばらく、そんな言説が当たり前のように語られていたことを思い出す。バブル時代はあだ花を咲かせて終わったのだ、と。 

だが、はたして「バブル時代」は現在につながるような文化を生み出さなかったのかどうか、いろいろ検証してみることが必要だろう。時間が立たないと見えてこないものがあるからだ。ポップカルチャーの世界では、それこそ枚挙に暇(いとま)がないないにではないか?

 映画『利休』を視聴して、そんなことを考えた。 



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