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2016年6月21日火曜日

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)ー「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?


アメリカ関連の本は、ふだん参照することはあまりないので、処分していないものはダンボール箱につめたままにしているのだが、ここのところ改めてアメリカについて考えてみたいと思うことがあって、箱の中を点検してみたら、『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)という本があるのを再発見した。

単行本初版は2001年に出版されている。文庫化されたのは2004年、初読したのは2004年と、すでに12年も前になるのだが、この本の存在も読んだこともすっかり記憶から消えていた。

パラパラとページをめくってみると、これがめっぽう面白い。いわゆる「唯幻論」で一世を風靡した精神分析学者によるアメリカ論であり、日本論であり、日米関係論でもある。結局、最初から最後まで再読してしまった。

アメリカの「黒船」による強いられた「開国」から始まった「近代日本」アメリカの「子分」でありながら「親分」に刃向かったために徹底的に叩きつぶされた「近代日本」。原爆を投下されて無条件降伏させられた日本近現代史は、日本と米国をともに離れた地点から眺めると、このように理解すべきかもしれない。著者の指摘には説得力がある。

「黒船」をめぐるパーセプションギャップが日米に存在するのである。日本での扱いの大きさに対して、米国における扱いはひじょうに小さいのだ、と。つまり非対称的なのである。

「屈辱感、敗北感、劣等感に呻(うめ)きつづけて」きた被害者意識濃厚な日本に対し、非西欧の「後進国を文明化するという使命」を遂行したと思い込んでいる普遍主義と正義の立場に立つ米国。「黒船」の主体と客体の違いと言うべきか。植民地化は「かろうじて免れた日本だが、精神的には圧迫されつづけてきたことは言うまでもない。

お互いに無理解のまま、勝手にイメージをつくりあげた関係である日米関係の歴史。日米双方にに「自己欺瞞」があるという著者の指摘は興味深い。

日本人の自己欺瞞とは、外部から見れば明らかにアメリカの子分でありながら、それを認めたくないという気持ちを内向させているということ。たとえ無意識レベルの話だとしても、「外的自己」と「内的自己」の分裂だと著者は指摘する。これは一般的な表現をつかえばタテマエとホンネの分裂といえるかもしれない。この自己の分裂が、敗戦後は米国に従順に振る舞いながらも、ときどき日本側のホンネが噴出して米国を当惑させイライラさせ、ときに激昂させる。

アメリカ人の自己欺瞞とは、インディアン(=ネイティブ・アメリカン)虐殺がアメリカ史の原点にあることを隠蔽しようとする心的規制のことをさす。先住民の虐殺後も、南北戦争において連邦離脱をはかった南部諸州に対して非道な仕打ちを行っている。米国の眼中には殲滅戦しかないのである。無条件降伏を求めながら、敗戦後は寛大な態度を示すパターンは日本にも適用された。

先住民虐殺の延長線上に、日本人に対する無差別空爆や原爆投下があるのではないか、という著者の主張には一定の説得力がある。だからこそ、無条件降伏に持ち込んだ対日戦とは異なり、ベトナム敗戦のショックが米国人のあいだで長引いた理由もそこにありそうだ。

出版後の出来事であるため本書には反映はないが、米国のイラク改造計画が失敗に終わったのは、日本での「成功体験」があまりにも大きすぎて、イラク人が従順に振る舞うと勘違いしたことにありそうだ。

著者は、基本的に個人について適用されるフロイト流の精神分析を国民全体に拡大適用可能だとしている。その根拠はフロイトが『モーセと一神教』でユダヤ民族について行った分析方法にある。原点にあるトラウマを認めない自己欺瞞が自己の分裂を招いているのだが、現実をきちんとみつめることをつうじて、分裂した自己の統合を行うことが治癒につながるというのが著者の主張だ。

被害者意識を内向させている日本、加害者意識のまったく皆無の米国。この構図が続く限り、日米関係は健全な二国間関係とは言いがたい。現実をきちんと見て、現実を認めること、これは個人の治癒の前提であるが、国家間関係についても日米双方にとって必要なのである。

第11章が「日本がアメリカを赦す日」と題されており、原爆投下について取り扱っている。こういう一節があるので引用しておこうと思う。

日本国民は、謝罪されれば、つけあがって補償を寄越せというようなことを言い出す国民ではなく、謝罪してくれたというだけで、アメリカを赦すでしょう・・(以下略)・・

さて今回のオバマ大統領のヒロシマ訪問だが、公式の謝罪のコトバはなかったにしても、限りなく謝罪に近い感情を被爆者とのハグをつうじて言外に示したものと日本人の多くが解釈したのであれば、それ以上はグダグダ言わないと考えていいのかもしれない。

であれば、「日本がアメリカを赦す日」はすでに来たといえるかもしれない。もちろん、つぎの大統領の言動で日本人の気持ちが180度ひっくり返るかもしれないが・・・。いずれにせよ、いつの時点かわからないが「公式な謝罪」がおこなわれることを期待することには変わりない。

なんてことを考えてみたりするキッカケになる好著なのだが、どうやら肝心要の2016年において品切れのようだ。出版社も重版かけるなりして、もっと商売を熱心に考えたほうがいいのではないかと思うのだが・・・。





目 次

第1章 アメリカの子分としての近代日本
第2章 屈辱感の抑圧のための二つの自己欺瞞
第3章 ストックホルム症候群
第4章 嘘のプライド
第5章 平和主義の欺瞞
第6章 アメリカ文化の普遍性
第7章 和を乱す必要
第8章 東京裁判とアメリカの病気
第9章 侵略と謝罪
第10章 愛国心について
第11章 日本がアメリカを赦す日
補論 個人の分析と集団の分析
あとがき
文庫版あとがき
解説 東谷暁

著者プロフィール
岸田秀(きしだ・しゅう)
1933年香川県善通寺市生まれ。精神分析の立場に立つ思想家。人間は本能が壊れて、現実を見失い、幻想の世界に迷い込んだ変な動物であるとの唯幻論に基づいて、自我、神経症、セックス、宗教、歴史、国家、文化など、人間に関するさまざまな現象を解明しようとしている。著書多数。



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書評 『戦争・天皇・国家-近代化150年を問い直す-』(猪瀬直樹・田原総一郎、角川新書、2015)-「日米関係150年」の歴史で考えなければ日本という国を理解することはできない
・・「「戦後70年」においては、近隣諸国である東アジアの中国と韓国との対応が焦点になっているが、じつは真の問題はアメリカとの関係なのである。アメリカとの抜き差しならない関係は、大東亜戦争の敗戦による占領期間中に実行された「日本改造」から始まったのではなく、黒船来航の恐怖から始まったことは、肝に銘じておく必要がある。 日米関係は、その原点から非対称的な関係にあるのだ。圧倒的な国力の差である。それはハードパワーだけでなくソフトパワーも含めた総力としての差である。1980年代後半には経済面でその差は縮まったかに見えたが、バブル崩壊以後は逆に差は開く一方だ。 アメリカのパワーは今後も依然として巨大なのか、それとも衰退しつつあるのか? この国には両極端の議論が存在するが、いずれも現実そのものを見つめた結果というよりは、論者の願望が強く反映されたものに過ぎないような気もしないわけではない。アメリカという存在を虚心坦懐に見ることは、局外中立的な立場にはない日本人にはむずかしい。日米関係が抜き差しならない関係とはそういう意味だ。
反米でも親米でもなく、自虐でも自分褒めでもなく、さらには主義主張の是非とは関係なく、「近代化150年」というスパンでものを考えることが、日本について考えるための大前提である。まずは、読みやすい本書から始めてみるのがよいだろう。」

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本
・・「1980年代後半はバブル時代だと片づけられてしまう傾向があるが、その一方では強大化する日本に対するアメリカからの「日本異質論」という猛反発がものすごい時代であり、開戦前夜のような空気すらあった。 その当時もまた日本人はナショナリズムをつよく刺激されていたのである。 現在はナショナリズムが向かう方向が中国に向かっているが、本質的にはアメリカに対しての愛憎関係が中核にあるといっていいだろう。日中関係はじつは日米関係であり米中関係である。アメリカを媒介変数にしないと日中関係も理解できないのだ。
「西洋の衝撃」(Western Impact)は日本人だけではなく、中国人も朝鮮人もその他のアジア人もみな受けたわけだが、なぜ日本人だけがいちはやくその挑戦を真正面から受け入れ、苦難と苦闘をへながらも乗り越えることができたのか。たとえ精神の奥底には衝撃のトラウマがあるかもしれないにせよ。 そしてまた、なぜ日本はアメリカの影響を受け、その後は旧世界であるヨーロッパの影響を受けて「脱亜入欧」し、こんどはアジアに向かい、そしてまたアメリカの影響を受け・・・と振幅のブレが激しいのか?」

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる
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