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2026年8月5日水曜日

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(吉田守男、角川書店、1995)で知る「事実」。 原爆投下計画の実際と占領軍の情報宣撫工作に乗せられた日本人たちがまき散らした「美しいウソ」、そして積極的に受け入れた日本国民による「共同幻想」

 

明日(2026年8月6日)は「原爆の日」である。NO MORE HIROSHIMA (& NAGASAKI)は、日本国民の悲願である。いや、全人類の願いだと思いたい。 

なぜ広島に、そして3日後に長崎に原爆が投下されたのか。その理由については、あまりにも長くなるので、ここではあえて語ることはしない。 

だが、「なぜ他でもない広島だったのかという問い」は、「なぜ京都に原爆が投下されなかったのかという問い」と裏腹の関係にある。この事実は知っておく必要がある。 

ほんとうは、1発目の原爆は京都に投下されるはずだったのだ!

 広島と長崎に原爆が投下されたが、3発目の原爆が投下されなかったのは、その前に日本が降伏したからだ。もし日本が降伏しなかったら・・・。なんと、3発目の原爆は京都に投下される計画であった。京都が完全に投下対象都市からはずされたわけではなかったのだ。 

この知られざる事実、不都合な真実を明らかにしたのは、京都出身の近代史研究者である吉田守男氏。その著書である『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(角川書店、1995)である。  

副題の「ウォーナー伝説」とは、米国の日本美術研究者ラングドン・ウォーナー博士が京都や鎌倉などの古都を救ってくれたという、根拠不明の「伝説」のことだ。

百万都市の京都が空爆を免れ無傷で残ったのは、文化財ゆたかな古都であり、米軍が「空爆対象のリスト」からはずしていたからであり、そのリストを作成したのがウォーナー博士であったというのだ。 

だが、それはあくまでも「伝説」であって、「事実」ではなかったのだ。戦後来日したウォーナー博士は、その話題を出されてたいへん困惑していたという。 その話題を出されるのをいやがっていたのだ、と。

いわゆる「ウォーナー・リスト」は、連合軍による占領地域での文化財を保護し、とくにナチス・ドイツが略奪した文化財を返還させ、弁償させるために作成したリストの一部に過ぎなかったのである。リストに記載されている名古屋城や岡山城なども、空爆によって焼失していることが、そのなによりの証拠である。

わたし自身は直接見たことはないが、京都にも鎌倉にもウォーナー博士を顕彰する記念碑がには設置されており、現在にいたるまで撤去されることなく、「伝説」が再生産されているらしい。都市観光のアイテムとなっているからだ。 


(岡倉天心ゆかりの五浦にある「ウォーナー胸像と記念碑」 筆者撮影)



■なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか? 

「なぜ京都が原爆投下の第一目標だったのか?」という問いは、「なぜ京都は一部を除いて空爆が実行されなかったのか?」 という問いと裏腹の関係にある。

米国で原爆開発計画が最終段階にさしかかっていた1945年5月、軍部が強硬に主張した原爆投下対象が、京都、広島、横浜、小倉、そして新潟であった。共通点は、百万都市であり人口密集地帯があること、三方を山で囲まれた盆地であること、空爆が実行されていない都市であること、などであった。

原爆という新兵器の効果を最大限に発揮させること、実戦では使用されたことのない新兵器の効果を検証するためという、あくまでも軍事的観点からする主張である。 いまだ空爆がされていない手つかずの状態であることが、原爆そのものの効果を測定するために必要不可欠だとしたのだ。

ソ連参戦を控えた8月に原爆投下がおこなわれるまでの3ヶ月間、シビリアンコントロール原則のある米国では、政権上部と軍部のあいだで激論が交わされている。 最終的に決断を下すのは、あくまでも大統領である。

結論として、第一目標から京都がはずされたのは、戦後をにらんだ米国の政治的思惑からであった。京都への原爆投下がいかなる反発を招くか想定しづらいこと、結果として米国の国際的威信を傷つけることになるのではないかという懸念である。文化財を守るのが第一目的ではなかったのだ。* 

*ただし、一点だけ違和感が残るのは、スティムソン国務長官が京都への原爆投下に反対した理由だ。国際関係におけるアメリカの道徳的優位性を確保するため京都を対象からはずすべきだと主張したのだが、なぜ京都に原爆投下すると国際的な非難につながるのか、日本国民の米国への反発が生まれるかについて、スティムソンが京都がもつ「シンボリックな意味」を理解していたかどうかまでは、本書では踏み込まれていない。理由のさらに背後にある真因についてである。


だから、京都が無傷で残ったのは、偶然の結果に過ぎないのである。広島と長崎に原爆が投下され、ソ連の参戦が日本の降伏につながったため、3発目の投下対象であった京都に原爆が投下されることはなく、したがって空爆も実行されることなく終わったのである。 

敗戦後の日本国民は「敗北を抱きしめ」、敗戦国に寛大な「アメリカ様」に感謝することになる。「ウォーナー伝説」はその重要なテーマのひとつであった。 

「ウォーナー伝説」は、アメリカ占領軍のGHQ「民間情報教育局」(C.I.E.)によるプロパガンダ工作の一環であり、それに乗せられた美術史家の矢代幸雄をはじめとする日本の文化人たちがまき散らした「美しいウソ」であり、積極的に飛びついて受け入れた日本国民による「共同幻想」が成立したのである。この「共同幻想」から、日本国民の多くは、いまだに囚われたままだ。 

京都や鎌倉以外でも、類似の「ウォーナー伝説」が生き続けている。東京神田の古書店街や、文京区にある「東洋文庫」が空爆を免れたのは、空爆リストから外されていたからだという「伝説」がそれだ。現在では否定されているにもかかわらず、この「伝説」は生き続けている。 

『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』という本を読んだ第一の理由は、「京都の原爆が投下されるはずだった」という件よりも、岡倉天心の薫陶を受けた日本美術の研究者としてのラングドン・ウォーナー博士にまつわる「ウォーナー伝説」の真偽に関心があったからだ。横山大観も戦後の回想録『大観画談』でウォーナー伝説と博士との交友について語っている。

この本はその後、『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫、2002)として文庫化されたが絶版、現在は『原爆は京都に落ちるはずだった』(パンダ・パブリッシング、2017)として再刊され、kindle版で読むことができる。 出版社とタイトルを変えながらも読み継がれてきたのである。




ただし、副題の「ウォーナー伝説」がはずされたのは、残念なことである。ウォーナー博士が亡くなってすでに70年以上、その名はもはや忘れ去られ、読者の関心が「京都と原爆」というショッキングな「事実」にむかうからであろう。

日本近現代史を正確に理解するため、アメリカという国家の本質を理解するため、本書で論証されている内容はかならず知っておくべき「常識」となってほしいものである。そのためにも、この本はぜひ読んでほしい。 

あらためて、原爆という非人道的な兵器による犠牲となった広島と長崎の人びとに哀悼の意を表します。合掌



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目 次 
はじめに
第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?
 1 志賀直哉のハガキ
 2  《ウォーナー伝説》の定着
 3  六つの記念碑
 4  《伝説》の根拠
 5  《伝説》の真相1─ロバーツ委員会の目的
 6  《伝説》の真相2─〈ウォーナー・リスト〉の正体
 7  石仏を盗んだ?
第2章 京都に原爆を投下せよ!
 1  第一目標は京都
 2 投下目標の〈予約〉
 3 空襲の実態
 4 戦時下のうわさ
 5 奈良・鎌倉・会津若松の場合
第3章 京都の運命 
 1 京都案をめぐる確執
 2 〈スチムソン恩人説〉批判
 3 原爆投下のリハーサル
 4 五〇発のパンプキン爆弾
 5 〈八月六日〉以後のリハーサルの意味
 6 原爆ラッシュの開幕
終章 『ウォーナー伝説』を創作したのはだれか?
 1 占領軍からの呼び出し
 2 民間情報教育局の使命
参考文献
あとがき

著者プロフィール
吉田 守男(よしだ もりお)
日本の歴史学者。1946年、京都生まれ。1971年、京都大学文学部(国史学専攻)卒業。1978年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学。1987年樟蔭女子短期大学講師、助教授を経て、1994年より教授。2001年より大阪樟蔭女子大学教授。 京都が太平洋戦争で米軍の大規模な空襲を免れたのは文化財保護が目的だったという説や、このためにラングドン・ウォーナーが尽力したという「ウォーナー伝説」を否定し、京都は原爆投下目標の一つであり、原爆の威力を測定するために通常の空襲が抑制されていたことを明らかにした。またウォーナーが作成した文化財リストは枢軸国の被侵略国への賠償用のリストであること、ウォーナー伝説は民間情報教育局(CIE)のプロパガンダであることを明らかにした。 著書 『京都に原爆を投下せよ――ウォーナー伝説の真実』(角川書店[[]]、1995年)。 Wikipediaより


<関連記事>

ラングドン・ウォーナー(1881~1955  Wikipedia英語版)
・・英語版には日本に建てられた「ウォーナー記念碑」の写真、ウォーナー博士による「略奪問題」が記されている。中国での美術調査の際、ウォーナーが敦煌の莫高窟の壁画を持ち帰って所蔵しているが、中国に返還しようとしないハーバード大学についてである。中国共産党は返還を求めながらも実際的な対応をしているが、日本の「ウォーナー伝説」のような情緒的でおめでたい態度はとっていない。


<ブログ内関連記事>










■ナチス・ドイツが略奪した文化財の返還プロジェクト





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2025年8月6日水曜日

原爆投下から80年目の2025年8月6日、原爆投下から8年目の広島で製作された映画『ひろしま』(1953年、日教組プロ)を YouTube ではじめて視聴

 


「原爆投下」(1945年8月6日)から8年目に製作された映画だ。原爆被害者を含め、広島市民が8万8千500人以上(!)も手弁当で参加しているという。

原作は『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』(長田新編、岩波書店、1951)。原爆を体験した子供たちの作文を収録したものだ。1990年には岩波文庫から文庫化されている。

再上映されていることがネットニュースで取り上げられているので、この機会に視聴してみることにした。 


(広島出身の月丘夢路と子どもたち Wikipediaより)


一瞬の閃光がすべてを変えてしまったのだ。原爆投下のビフォア&アフターのすさまじい違い。直接の被害者たちだけでなく、バラバラになってしまった家族、何年もたってから発症する白血病をはじめとする原爆症。そして復興へと立ち上がる市民たち・・・




ドラマ性を極力排して、徹底的にリアリズムにこだわったという(・・ただし、さすがに寸止めで、ケロイド状の火傷などは映像化されていない)。CGなんてまったくなかった時代の作品である。

この映画に登場する日本人も、2020年代の日本人ではない。いまの俳優にやらせても再現はむりだろう。生活習慣がまったく変化してしまっているからだ。

視聴していて驚いたのは、原爆投下から8年目の学校の教室のシーンで取り上げられる『僕らはごめんだ 東西ドイツの青年からの手紙』(篠原瑛 訳編、光文社、1952)という本と、急性白血病を発症した少女の病床で読み上げられた一節だ。あるドイツの青年の発言である。 


(画面をスクショ)


「20何万かの非武装の、しかも何の罪もない日本人が、あっさりと新兵器のモルモット実験に使われてしまった・・・」「つまりそれは、日本人が有色人種だからということにほかならない・・・」(*はじまりから8分頃のシーン) 


「有色人種だから原爆が使用された」。そう思ったのは日本人だけではなかったのだ。ドイツの青年がそのような発言をしていたとは・・・

ドイツに使用されなかったのは、原爆開発がドイツ降伏までに間に合わなかったからだが、なぜ日本に対して使用されたのか、現在にいたるまで定説となるような確たる答えはない。 明らかなのは、トルーマン大統領が原爆投下を最終決断したという事実である。これは否定しようがない法的責任である。


すでに1952年には「サンフランシスコ講和条約」が発効し、日本は独立を回復していたにかからわず、GHQによる検閲が当たり前だった時代のマインドセットが消えていなかったのだろう。

「反米ナショナリズム」が燃え上がったのは、1960年の「安保闘争」の年である。1953年時点では、まだそこまで至っていない。

全体的なトーンはとくに反米的だというわけではない。とはいえ、1950年からはじまった朝鮮戦争が影を落としている。この映画を製作した日教組は、1951年に「教え子を戦場に送るな」というスローガンを打ち出していた。

当時の日本人は、ふたたび戦争に巻き込まれるのではないかと不安を抱いていたことも確かなことだ。一方では、朝鮮戦争の特需で復興が早まったことも事実ではある。このアンビバレントな状況は映画にも描かれている。 

この映画は、なによりも原爆被害の悲惨さを映像として残したい、伝えたいという思いで一貫している。 

カラー化されたこのバージョンを見ていると、瀬戸内海がほんとに美しい。原爆投下さえなければ、戦時下とはいえ平和な日常が維持されていたのだと思うと、なんともいえない気持ちになってくる。 

本日8月6日は、広島に原爆が投下されてから80年。そして、8月9日は長崎に原爆投下されたから80年。

いまはただ鎮魂を祈って手を合わせるのみ。合掌 


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<ブログ内関連情報>




・・夢の島には、広島・長崎につづく「第3の被爆」である第五福竜丸が保存展示されている

(2025年8月19日 情報追加)


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2016年12月28日水曜日

安倍首相とオバマ大統領がともにハワイの真珠湾(パールハーバー)で戦没者を慰霊(2016年12月27日)

(NHKニュース報道よりキャプチャ)

2016年12月27日、安倍首相とオバマ大統領がともにハワイの真珠湾(パールハーバー)で慰霊した。

現役の首相として発の真珠湾訪問というのは、どうやら誤報だったようだが、それでも現職の日本の首相が、しかも現職の米国の大統領と一緒に慰霊を行ったということには大きな意義があると言うべきだろう。

オバマ大統領が生まれ故郷のハワイで冬期休暇を過ごす機会を捉えたということのようだ。もちろん、入念に準備は行われていたのだろう。記念日である12月7日でないことにも意味はあるかもしれない。オバマ大統領の広島訪問も2016年5月27日と記念日ではなかった。

ちなみに複数の首相がじつは訪問しているようだが、吉田茂首相はサンフランシスコ講和条約(1950年)調印の帰国途上でハワイで訪問した際に真珠湾に立ち寄ったようだ。

当時は日本と米本土を結ぶ直行便は燃料キャパの関係から不可能だったので、中間地点のハワイに立ち寄ってで給油するのが当たり前だった。わたしがはじめてサンフランシスコに行った1991年には、残念ながら直行便は当たり前の存在だったので、じつは、いまだにハワイにいっていない。したがって真珠湾も訪問したことがない。

本題に戻るが、日本政府は、オバマ大統領の被爆地広島訪問とは、公式には関係ないとしているというものの、受け取る側としては、返礼に近いものだと考えるのが常識的な見方というべきだろう。つまり解釈は、日米双方の個々人にゆだねるということだ。

わたし個人としては、真珠湾攻撃に対する「謝罪」がなかったのは当然だと考える。日本は米国に追い込まれていたという事情があったことは否定できない。ローズヴェルト大統領としても、日本が攻撃を仕掛けてきたほうが、参戦に踏み切る大義名分を立てやすかったことも確かなことだ。

広島と長崎への非人道的兵器である原爆投下と、結果として宣戦布告通知の1時間前になってしまった真珠湾への奇襲攻撃は、本質において異なる。とても同等(equivalent)なものとは言い難い。

なぜなら、攻撃を仕掛けた側と攻撃を受けた側は非対称的な関係であり、これは真珠湾攻撃も原爆投下も(・・ほんとうは東京や神戸などの都市空爆による一般市民の無差別殺戮についても言及するべきだ)同様である。

とはいえ、日米同盟を継続する限り(・・個人的には、まだまだその必要性は強いと考える)、日米戦争の真相については、公式にはタブーとしなければならない事項は多々ある。

だが真相究明は継続されるべきだろう。時間がたてば、何事も変化する。日米同盟が100年後に存続していると考えるのは、あまりにもナイーブというべきだろう。残念ながら、たとえ「不戦」を誓っても、情勢次第ではわからない。

30年前のことだって、もう正確には思い出せないのだから、30年後もまた当然である。すでに戦後70年を過ぎており、日米両首脳ともに戦後世代である。直接に戦争体験はないのだ。

いろいろ思うところもあるが、日米は死闘を繰り広げたからこそ、お互いを知ることができたのは確かなことだ。あとは、戦争体験のない世代がいかに関係継続を維持していくかに注力するかが、「いまそこにある危機」に対応するために必要なことである。





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2016年6月21日火曜日

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)―「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?



アメリカ関連の本は、ふだん参照することはあまりないので、処分していないものはダンボール箱につめたままにしているのだが、ここのところ改めてアメリカについて考えてみたいと思うことがあって、箱の中を点検してみたら、『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)という本があるのを再発見した。

単行本初版は2001年に出版されている。文庫化されたのは2004年、初読したのは2004年と、すでに12年も前になるのだが、この本の存在も読んだこともすっかり記憶から消えていた。

パラパラとページをめくってみると、これがめっぽう面白い。いわゆる「唯幻論」で一世を風靡した精神分析学者によるアメリカ論であり、日本論であり、日米関係論でもある。結局、最初から最後まで再読してしまった。

アメリカの「黒船」による強いられた「開国」から始まった「近代日本」、アメリカの「子分」でありながら「親分」に刃向かったために徹底的に叩きつぶされた「近代日本」。原爆を投下されて無条件降伏させられた日本近現代史は、日本と米国をともに離れた地点から眺めると、このように理解すべきかもしれない。著者の指摘には説得力がある。

「黒船」をめぐるパーセプションギャップが日米に存在するのである。日本での扱いの大きさに対して、米国における扱いはひじょうに小さいのだ、と。つまり非対称的なのである。

「屈辱感、敗北感、劣等感に呻(うめ)きつづけて」きた被害者意識濃厚な日本に対し、非西欧の「後進国を文明化するという使命」を遂行したと思い込んでいる普遍主義と正義の立場に立つ米国。「黒船」の主体と客体の違いと言うべきか。植民地化は「かろうじて免れた日本だが、精神的には圧迫されつづけてきたことは言うまでもない。

お互いに無理解のまま、勝手にイメージをつくりあげた関係である日米関係の歴史。日米双方にに「自己欺瞞」があるという著者の指摘は興味深い。

日本人の自己欺瞞とは、外部から見れば明らかにアメリカの子分でありながら、それを認めたくないという気持ちを内向させているということ。たとえ無意識レベルの話だとしても、「外的自己」と「内的自己」の分裂だと著者は指摘する。これは一般的な表現をつかえばタテマエとホンネの分裂といえるかもしれない。この自己の分裂が、敗戦後は米国に従順に振る舞いながらも、ときどき日本側のホンネが噴出して米国を当惑させイライラさせ、ときに激昂させる。

アメリカ人の自己欺瞞とは、インディアン(=ネイティブ・アメリカン)虐殺がアメリカ史の原点にあることを隠蔽しようとする心的規制のことをさす。先住民の虐殺後も、南北戦争において連邦離脱をはかった南部諸州に対して非道な仕打ちを行っている。米国の眼中には殲滅戦しかないのである。無条件降伏を求めながら、敗戦後は寛大な態度を示すパターンは日本にも適用された。

先住民虐殺の延長線上に、日本人に対する無差別空爆や原爆投下があるのではないか、という著者の主張には一定の説得力がある。だからこそ、無条件降伏に持ち込んだ対日戦とは異なり、ベトナム敗戦のショックが米国人のあいだで長引いた理由もそこにありそうだ。

出版後の出来事であるため本書には反映はないが、米国のイラク改造計画が失敗に終わったのは、日本での「成功体験」があまりにも大きすぎて、イラク人が従順に振る舞うと勘違いしたことにあるのではないか。

著者は、基本的に個人について適用されるフロイト流の精神分析を国民全体に拡大適用可能だとしている。その根拠はフロイトが『モーセと一神教』でユダヤ民族について行った分析方法にある。原点にあるトラウマを認めない自己欺瞞が自己の分裂を招いているのだが、現実をきちんとみつめることをつうじて、分裂した自己の統合を行うことが治癒につながるというのが著者の主張だ。

被害者意識を内向させている日本、加害者意識のまったく皆無の米国。この構図が続く限り、日米関係は健全な二国間関係とは言いがたい。現実をきちんと見て、現実を認めること、これは個人の治癒の前提であるが、国家間関係についても日米双方にとって必要なのである。

第11章が「日本がアメリカを赦す日」と題されており、原爆投下について取り扱っている。こういう一節があるので引用しておこうと思う。

日本国民は、謝罪されれば、つけあがって補償を寄越せというようなことを言い出す国民ではなく、謝罪してくれたというだけで、アメリカを赦すでしょう・・(以下略)・・

さて今回のオバマ大統領のヒロシマ訪問だが、公式の謝罪のコトバはなかったにしても、限りなく謝罪に近い感情を被爆者とのハグをつうじて言外に示したものと日本人の多くが解釈したのであれば、それ以上はグダグダ言わないと考えていいのかもしれない。

であれば、「日本がアメリカを赦す日」はすでに来たといえるかもしれない。もちろん、つぎの大統領の言動で日本人の気持ちが180度ひっくり返るかもしれないが・・・。いずれにせよ、いつの時点かわからないが「公式な謝罪」がおこなわれることを期待することには変わりない。

なんてことを考えてみたりするキッカケになる好著なのだが、どうやら肝心要の2016年において品切れのようだ。出版社も重版かけるなりして、もっと商売を熱心に考えたほうがいいのではないかと思うのだが・・・。


(画像をクリック!)


目 次

第1章 アメリカの子分としての近代日本
第2章 屈辱感の抑圧のための二つの自己欺瞞
第3章 ストックホルム症候群
第4章 嘘のプライド
第5章 平和主義の欺瞞
第6章 アメリカ文化の普遍性
第7章 和を乱す必要
第8章 東京裁判とアメリカの病気
第9章 侵略と謝罪
第10章 愛国心について
第11章 日本がアメリカを赦す日
補論 個人の分析と集団の分析
あとがき
文庫版あとがき
解説 東谷暁

著者プロフィール
岸田秀(きしだ・しゅう)
1933年香川県善通寺市生まれ。精神分析の立場に立つ思想家。人間は本能が壊れて、現実を見失い、幻想の世界に迷い込んだ変な動物であるとの唯幻論に基づいて、自我、神経症、セックス、宗教、歴史、国家、文化など、人間に関するさまざまな現象を解明しようとしている。著書多数。



<ブログ内関連記事>

書評 『戦争・天皇・国家-近代化150年を問い直す-』(猪瀬直樹・田原総一郎、角川新書、2015)-「日米関係150年」の歴史で考えなければ日本という国を理解することはできない
・・「「戦後70年」においては、近隣諸国である東アジアの中国と韓国との対応が焦点になっているが、じつは真の問題はアメリカとの関係なのである。アメリカとの抜き差しならない関係は、大東亜戦争の敗戦による占領期間中に実行された「日本改造」から始まったのではなく、黒船来航の恐怖から始まったことは、肝に銘じておく必要がある。 日米関係は、その原点から非対称的な関係にあるのだ。圧倒的な国力の差である。それはハードパワーだけでなくソフトパワーも含めた総力としての差である。1980年代後半には経済面でその差は縮まったかに見えたが、バブル崩壊以後は逆に差は開く一方だ。 アメリカのパワーは今後も依然として巨大なのか、それとも衰退しつつあるのか? この国には両極端の議論が存在するが、いずれも現実そのものを見つめた結果というよりは、論者の願望が強く反映されたものに過ぎないような気もしないわけではない。アメリカという存在を虚心坦懐に見ることは、局外中立的な立場にはない日本人にはむずかしい。日米関係が抜き差しならない関係とはそういう意味だ。
反米でも親米でもなく、自虐でも自分褒めでもなく、さらには主義主張の是非とは関係なく、「近代化150年」というスパンでものを考えることが、日本について考えるための大前提である。まずは、読みやすい本書から始めてみるのがよいだろう。」

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本
・・「1980年代後半はバブル時代だと片づけられてしまう傾向があるが、その一方では強大化する日本に対するアメリカからの「日本異質論」という猛反発がものすごい時代であり、開戦前夜のような空気すらあった。 その当時もまた日本人はナショナリズムをつよく刺激されていたのである。 現在はナショナリズムが向かう方向が中国に向かっているが、本質的にはアメリカに対しての愛憎関係が中核にあるといっていいだろう。日中関係はじつは日米関係であり米中関係である。アメリカを媒介変数にしないと日中関係も理解できないのだ。
「西洋の衝撃」(Western Impact)は日本人だけではなく、中国人も朝鮮人もその他のアジア人もみな受けたわけだが、なぜ日本人だけがいちはやくその挑戦を真正面から受け入れ、苦難と苦闘をへながらも乗り越えることができたのか。たとえ精神の奥底には衝撃のトラウマがあるかもしれないにせよ。 そしてまた、なぜ日本はアメリカの影響を受け、その後は旧世界であるヨーロッパの影響を受けて「脱亜入欧」し、こんどはアジアに向かい、そしてまたアメリカの影響を受け・・・と振幅のブレが激しいのか?」

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる
・・「アメリカ占領軍の占領政策が成功したのは、日本人の多くが「敗北を抱きしめた(ジョン・ダウワー)からだ。占領軍を進駐軍と言い換え(・・侵略を進出と言い換える心理的メカニズムを想起する)、日本人の多くがアメリカの占領政策を支えたことはまぎれもない事実である。見ないふりをしてきたツケがまわってきている。そのツケは精神的空洞をもたらしているし、いわゆるネトウヨに代表されるように、「いままで騙されてきた感」という過剰なエネルギーの逆噴射もある。見ないふりをしてきたが、もはや決壊も近いのなのかもしれない。いわば歴史を無視してきたことのツケ、歴史の復讐であり、歴史の逆襲といえるかもしれない」

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

本日(2013年7月4日)はアメリカ独立=建国から237年。いや、たった237年しかたってない「実験国家」アメリカ
・・「神話の国」である日本と「実験国家」であるアメリカ。価値観を同じくするとこの国の首相(=安倍晋三)はクチにしてますが、じっさいには日米は水と油のようなまったく異質の存在です。アメリカに住んでいたことのあるわたしはそう言い切って問題ないと思います。

オバマ大統領が米国の現職大統領として広島の原爆記念館を初めて訪問(2016年5月27日)-この日、歴史はつくられた

(2016年7月22日、12月4日 情報追加)


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2009年8月6日木曜日

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』(The Night of the New Moon)



 本日は毎年めぐってくる広島原爆投下の日だ。

 8月9日の長崎と二回にわたって行われた原爆投下は、白人が非白人に対して行った極悪非道の行為、原爆投下にかんしてはそれ以外の表現はない。今に至るまで米国政府からはただの一言の謝罪もないのは理解に苦しむ。

 ここにきて米国のオバマ大統領が「核廃絶」の一歩を踏み出したのは、彼が半分は白人の血が混じっているとはいえ、半分はアフリカの黒人の血が入っていることと関係なくはあるまい。果たしてオバマ大統領が「遺憾の意」を表明することはあるのだろうか?

 白人の非白人に対する差別視、蔑視は、恐怖感の裏返しであろう。鬼畜米英の裏返しは、ジャップは人間ではないという自己正当化。敵愾心は無知による恐怖感の裏返しである。

 えんえんと「昭和20年」の歴史を書き続ける民間史家・鳥居民(とりい・たみ)の『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(草思社、2005)は必読書である。

 原爆投下の意志決定を行ったトルーマンは、公式には自分の非をいっさい認めなかったが、内心では死ぬまで自らの意志決定を倫理的に正当化することができず、精神を蝕んでいったようだ。当然だろう。原爆投下こそまさに「人類に対する犯罪」である。

 昨年の8月、出張のついでにはじめて広島の原爆ドームを訪れた。「少年ジャンプ」に連載されていた『裸足のゲン』はリアルタイムで読んでいたし、大学時代には教室でドキュメンタリー映画『人間をかえせ』を見た。そして、大学の卒業旅行で友人たちと1ヶ月かけて九州を回った際には当然のことながら長崎の原爆資料館は訪れている。

 しかし、広島の原爆ドームには一回もいったことながなったのだ。


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 現在、東アジアの近隣某国が核ミサイル開発に狂奔し、日本もその射程圏に入っている。目には目を、歯に歯を、といいたいところであるが、核に対して核を、とは決して思わない。

 広島の原爆資料館を訪れてあらためて思ったのは、原爆の被害はあまりにも非道すぎる、核戦争は絶対に避けねばならない、という倫理観というよりも、生理的な感覚であった。あまりにも酷すぎるのだ。悲惨すぎるのだ。

 たとえ「敵」とはいえ、生身の人間だ。憎むべきは独裁政権であり、独裁政権のもとで苦しむ一般民衆ではない。核による核への報復はけっして望むものではない。


 米国ワシントンの「酢味噌に餡」博物館に、広島に原爆投下を行ったエノラ・ゲイが展示され、あまっさえミュージアムショップでは売れ筋だという。なんだか割り切れないものを感じるのは私だけではあるまい。


 米国の在郷軍人会は一貫して、原爆投下は戦争継続による日米双方の死傷者を増大させないための必要悪であった、と。このロジックは一見もっともなことをいっている。しかしほかに何も変わるべき手段はなかったのだろうか?なぜ原爆なのか?


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 しかし、こういう人がいた、ということも、頭の片隅に置いておきたいとは思う。

 その人とは、ローレンス・ヴァン・デル・ポスト大佐(Sir Colonel Laurens van der Post)である。

 南アフリカ出身、名字からもわかるとおり、オランダ系ブール人(ボーア人)の末裔、第二次世界大戦の際には、英国陸軍コマンド部隊の将校として東南アジア戦線に派遣され、オランダ領インドネシアのジャワにおいて特殊部隊を率いて日本軍と戦うが戦争捕虜(POW)となり日本軍の捕虜収容所に入れられる。

 このときに経験をもとに執筆されたのが、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス Merry Christmas Mr. Laurence』の原作『影の獄にて』(The Seed and the Sower, 1963)である。

 彼は、『新月の夜』(The Night of the New Moon, 1970)という回想風小説のなかで、原爆投下によって日本降伏が早まり、ジャワの捕虜収容所から解放されて再び生きて世界に戻ることができたことを、神秘的な体験とともに描いている。原爆投下によって救われた命もある、これは確かな事実なのだ。この小説は米国にいるときに Penguin Books で読んだので(上掲の写真)、非常に印象が強く残っている。


 若き日に南アフリカから、日本人船長の好意で日本船に乗せてもらい日本にきた親日家で日本通の文筆家が、敵となった日本軍と戦うにいたった運命の皮肉。

 第二次大戦後スイスのチューリヒで心理学者C.G.ユングと出会い大きな影響を受けた小説家は(・・Jung and the Story of our Time, 1976 という本をのちに書いている。この本は途中まで読んだままになっているが、実に面白い)、運命の不可思議さについて語っている。

 けっして日本人を憎んでいるわけではなく、また原爆投下が正しかったと主張しているわけではない。原爆投下によって日本の降伏が早まったことが、彼の命を救ったのである、これは否定しようのない事実である、と。
  
*******
 
 何事も一筋縄でいくものはない。ヴァン・デル・ポストという著名人の個人的体験だけでなく、無数の英国人、米国人そしてまた日本人も朝鮮人も中国人も、日本の降伏が早まったことによって命が救われたことは否定できない。そのかわり原爆によって多くの死傷者がでたこともまた事実であり、いまだ後遺症に苦しむ人たちが多数いることも事実である。

 では今後、核戦争を行うことが正当化されうるのか? もちろん NO である。
 
 かつて日本を代表する軍事思想家であった陸軍参謀将校の石原完爾は『最終戦争論』(1942年出版)において、「戦争をなくすための最終戦争」を構想し、西洋文明の代表選手である米国と東洋文明の代表選手である日本が最終戦争において激突し、その後に「永久平和」が訪れることになると、軍事科学と彼が信仰する法華経的世界観を合体した終末論的解釈による予言を行った。

 その結果はどうであったか? 日本は敗れ去ったが米国が最終勝者となり、その結果として米国の核の傘の下に入った日本には長く続く平和がもたらされることとなった。

 しかし、現実世界においては「永遠の勝者」はありえない。世界は流動化する。「永久平和」は錯覚だったのか?

 米国の支配力の弱体化にともない、核拡散は止まる勢いがない。東南アジア某国の軍事政権がすでに核開発に着手しているという未確認情報もある。

 終末論で語ることは現実世界においては不可能である。いや、別の形の終末がもたらされるのか?


 人間は痛い思いをしないと本当に目覚めることはない。
 しかしそれではあまりにも遅すぎる。

 オバマ大統領はいかなる構想をもって、先の発言を行ったのか? 核廃絶に言及はしても、陸上戦力によるアフガニスタン介入は積極的に推進しようとしている。

 お題目ではない、戦略としての核廃絶について詳しく知りたいものである。

               
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PS 読みやすくするために改行を増やした。内容には手は入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>をつけくわえた。(2014年6月21日 記す)

PS2 さらに読みやすくするために行分けを行い、写真の位置を変更した。また、リンクを増やした。(2025年8月15日 記す)



<ブログ内関連記事>

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える

書評 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、文春文庫、2013 単行本初版 2009)-"最初の被爆地" 広島と "最後の被爆地" 長崎の背後にあった違いとは?

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

(2014年6月27日 項目新設)


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