『消された外交官 宮川舩夫』(斎藤充功、小学館新書、2025)という本を読んだ。知られざる日本人外交官の人生の軌跡を描いたノンフィクション作品だ。
宮川舩夫(みやかわ・ふねお)といっても知る人はきわめて少ないだろう。もちろん、この本が出版されるまで、わたしも知らなかった。残された関係者もきわめて少なくなっている状況で丹念な取材と研究を行い、発掘してくれた著者に感謝したい。
1890年(明治23年)に生まれ、1950年(昭和25年)にモスクワ近郊の監獄で獄死した宮川舩夫氏。享年59歳。本の帯に掲載されている丸刈りの写真は、逮捕後にソ連側によって撮影されたマグショットである。本書に挿入されている、逮捕される前の小柄で、穏やかな風貌の写真とは、いかに異なるものであることか。
日露戦争をきっかけにロシア語の世界に入ったこの人は、ロシア語だけでなく複数の言語に精通した抜群の語学能力の持ち主であり、外務省に採用されてからは、ロシア語のエキスパートとしてノンキャリの外交官人生を送ることになる。
宮川舩夫の人生は、ロシア革命から始まり、「日ソ戦争」で終わった、戦前の日ソ関係の歴史そのものである。派遣留学でロシア滞在中に革命を体験、その後も通訳官として、「日ソ中立条約」をはじめ、ほぼすべての主要な日ソ交渉の現場に立ち会っている。スターリンやモロトフといった政治家たちの通訳もしていたのだ。もし獄死することがなかったら、生き字引として貴重な財産を遺してくれたことだろう。
ノンキャリ外交官としての最後の赴任先が、満洲国のハルビン総領事であった。帝政時代のロシアが建設したハルビンは国際色豊かな都市であり、第二次世界大戦末期の当時は各国の情報工作が入り乱れた国際スパイ都市でもあった。帝国陸軍の「ハルビン特務機関」はそのひとつである。宮川舩夫自身も有能なインテリジェンス・オフィサーであったのだ。
終戦工作にあたって「中立条約」を結んでいるソ連に仲介に期待するという、日本の国家上層部の希望的観測による甘い認識に対して、宮川舩夫は、警鐘をならしつづけていた。だが、その警鐘は上層部を動かすには至らなかった。そのツケは日ソ戦争という形で最悪の状況をもたらすことになった。
日ソ戦争の停戦交渉に通訳として立ち会ったのち、外交官特権があるにもかかわらずソ連軍に連行され、そのまま二度と日本に戻ることがなかった。ソ連各地の監獄を移動されられたのち、裁判を受けることもなく、モスクワ近郊の監獄で獄死している。
問題は、ソ連はこの事実さえ日本側に伝えることなく隠し続けたということにある。死亡が通告されたのは、その7年後の1957年のことであり、ソ連によって名誉回復がなされたのは、ソ連崩壊の直前の1991年のことであった。スパイではなかったのだ。
著者によれば推測するしかないのだが、裁判にかけられなかったので刑期もなく、拘束されたまま死亡したということになるのだろう。真相は闇のなかである。
著者の斎藤充功氏のものは、スパイ養成機関であった「陸軍中野学校」関連のノンフィクション作品を読んでいたが、この最新刊が出版された時点でなんと84歳! その問題意識と使命感、旺盛な執筆欲と執筆力には驚かされるばかりだ。フリーライターならではなのだろう。
著者も「あとがき」で述べているように、現在の外務省のていたらくは目に余るものがある。そんな時代だからこそ、過去の日本には宮川舩夫氏のように国家と国民のため、使命感をもって奮闘しながらも、不幸な形で人生を閉じなくてはならなかった外交官がいたことを知らなくてはならないのだ。
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目 次プロローグ 屈辱の日ソ停戦交渉第1章 ハルビン陥落 ―「不当逮捕」された日本人外交官第2章 修験者の末裔 ― 山形からロシアへの道程第3章 外務省きってのロシア通 ―「勉強がなによりです」第4章 日ソ中立条約という頂点 ― 対ソ外交の最前線第5章 鳴らし続けた警鐘 ― 熾烈な情報戦から降伏に至るまで第6章 42年ぶりの遺書 ― 遅すぎた「名誉回復」と家族の物語エピローグ “獄中写真” が物語るものあとがき ― どうしてこのような宮川舩夫 略年譜主要参考文献/主要人物索引
著者プロフィール斎藤充功(さいとう・みちのり)1941(昭和16)年東京生まれ。東北大学工学部を中退後、民間の機械研究所に勤務。その後、フリーライターとなる。共著を含めて五十冊以上のノンフィクションを手がけ、中でも陸軍中野学校に関連する著作が最も多い。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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