カエサルの『ガリア戦記』を読了(*)。岩波文庫版で読みかけたが断念して30数年。聞き慣れないガリア人の固有名詞がカタカナでごちゃごちゃと大量にでてくるのも、読むのを断念した理由の一つ。 (* 読了したのは昨年12月のこと)
これなら読みやすいかもと思って、あらたに購入した國原吉之助訳の講談社学術文庫版すら「積ん読」で20年以上たっていた(汗)
ふとしたきっかけで読み始めてみたら、こんどは面白いので最後まで読了。電車での移動中に読むから、聞き慣れない固有名詞が大量にでてきても、面倒なので読み飛ばしてしまう。よほどのことがない限り、注も見ない。それが、かえってよかったのかもしれない。
属州のガリア総督の職にあったカエサルが、9年間の任期中に毎年おこなったガリア遠征を元老院に報告したスタイル。簡潔でキビキビした文体が読んでいて心地よい。
全部で8巻あるが(カエサルの執筆は第7巻まで)、最初の2巻をすぎて第3巻に入ると、がぜん面白くなる。現在形を多用した簡潔な文体、描写が具体的で、戦闘シーンだけでなく、ロジスティクスや陣地構築を含めた戦闘準備、政治的なかけひきをふくめた戦争全体の描写が興味深い。
読んでいて、紀元前の共和制ローマのカエサルは、20世紀でいえばアメリカのマッカーサーのようなタイプの人物だな、と思った。自信満々で、やや尊大なところが似ているのだ。
いやそれ以上だろう。軍人でかつ政治家という人物でさえ、そうなかなかなかいるものではないが、弁説の才もあって、さらにこれだけの作品を自分で執筆する能力というのも希有なことだ。
なるほど、西欧世界では2000年以上にわたって、カエサルがリーダーのモデルとされてきた理由がよくわかる。あらためて、そう思った。
PS カエサルの『内乱記』(國原吉之助訳、講談社学術文庫)
ついでに、これも「積ん読」のままだったカエサルの『内乱記』(國原吉之助訳、講談社学術文庫)も読み始めた。すぐに読み始めたのだが、途中で中断。つい先日読み終えたばかりだ。
『内乱記』もまた、カエサルがみずからの行動を描いたもの。これだけの作品が描ける文筆の才は大したものだと思う。行動の人であり、思索の人であり、弁説の人であり、文筆の人でもある。
共和制末期のカエサル自身は皇帝にはならなかったが(・・その養子のアウグストゥスが初代皇帝)、皇帝に準ずる存在だと見なしたなら、ローマ皇帝で後世に残る書き物を遺したのは、カエサルとマルクス・アウレリウスだけである。
ともに書ける才能をもった二人であったが、資質の点ではまったく異なる。リーダーシップという観点からみたら、間違いなくカエサルである。だが思索の内容の深さでいえば、マルクス・アウレリウスである。
そんな観点から、二人を比較してみるのも面白い。そのヒントをもらったのは、『ローマ人の物語』で古代ローマ史を一人で描ききった作家・塩野七生氏のエッセイ『ローマから日本が見える』(集英社、2005年。文庫は2008年)である。同書に収録された歴代ローマ皇帝の成績表が興味深い。もちろん塩野七生氏の独断と偏見によるものだが、カエサルを絶賛する塩野氏らしい個性的なものだ。
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