「印旛医科器械歴史資料館」という専門資料館があることを知ったのは、たまたまの偶然だ。運賃が高いことで有名な北総鉄道の印旛日本医大駅の近辺に用事があり、駅から目的地に行くために使用したスマホのアプリ google map にでてくるので気になっていたのだ。
存在すらそのときまでまったく知らなかったが、用事を済ませたあと立ち寄ってみた。それは大正解だった。じつに貴重な収集品を展示しているのだ。地味なネーミングに似合わない、じつに興味深い専門資料館である。
(「関東の駅100選」に選出されているという印旛日本医大駅 筆者撮影)
「資料館」というネーミングだが、文書資料ではなく、医科器械そのものの実物展示である。国立科学博物館には江戸時代以来の産業用機械が実物展示されているが、医科器械(一般には「医療機器」というが、ここでは「医科器械」となっている)だけに絞った実物展示は、少なくとも日本国内にはないだろう。世界有数のコレクションのようだ。
たまたま、その日が金曜日だったのが幸いだったのだ。なんと開館日は、平日の月・水・金の3日間のみ、しかも10時から16時まで。偶然とはいえ、なんとラッキーなことか! しかも入場は無料だ。
充実した展示内容で、10ある展示室を見ているうちに、あっというまに1時間近くたってしまった。もともと消防署の建物だったらしい。そのスペースをうまく活用している。
公式ウェブサイトがあるので、説明書きを引用しておこう。
■資料館の概要
当資料館には、世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術を行った華岡青洲の外科器具をはじめ、大正時代に作られた国産初の顕微鏡や膀胱鏡、昭和初期に使用された陸軍野戦用の移動式消毒器、手術台、そして戦後に開発された国産の麻酔器、人工腎臓、人工心肺装置など、医療機器の歴史を物語る貴重な製品が多く収蔵されています。その数は1,000点を越え、医療機器の専門博物館として世界でも有数の規模を誇っています。
展示は、いきなり心臓のペースメーカーから始まるのだが、展示品を見ていて思ったのは、医療技術が進展したのは、「近代」に入ってからの、この100年から150年ほどのじつに短い歴史であることだ。
(パンフレットより展示品の一部)
とくにペースメーカーに代表されるように、電気が使用されるようになった「第2次産業革命」以降のことなのだなあ、ということだ。そういう観点から、昭和初期に輸入された電気治療器など見ていると興味深い。
心電図や脳波計なども、人体を流れる電気を利用したものだし、機器そのものも電気がなければ動かない。
(パンフレットより展示品の一部)
昭和初期に使用された陸軍野戦用の「移動式消毒器」など、はじめて見るものばかりだ。戦争や軍隊について考える際、医療は不可欠でありながら、野戦用の医科器械というものは知らなかった。貴重な実物であり、ここならではの展示品だ。陸軍医療関係の展示はほかにもある。
実際に使用されていた各種の手術台、解剖台なども興味深い。当時の手術台は、山形県の酒田の旧開業医の資料館で見たことがある。麻酔機や保育器、人工腎臓(つまり透析器)、レントゲンなども、初期のものを見るのも初めてだ。医療関係者でもなく、医療機器メーカーの人間でもなければ、患者として見ることができるのは、最新型ではなくても、現在でも使用可能な機器に限られるからだ。
このほか、顕微鏡や各種の手術器具なども展示されている。「世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術を行った華岡青洲の外科器具」は「貸し出し中」ということだったが、まあ、そもそも展示品はレプリカなので、とくに残念という気はしなかった。
10ある展示室の詳細は、以下のとおりである。
1 心臓関連
2 手術台・消毒器・無影灯
3 患者監視装置・臓器保存装置・レントゲンなど
4 顕微鏡・眼科器械・ミクロトーム・天秤など
5 保育器
6 電気メス
7 心電計・脳波計など
8 麻酔器・肺機能検査器・酸素テントなど
9 透析装置・内視鏡・内科・外科各種手術器具・麻酔関連など
10 低周波治療器
展示されている医科機器の多くは、ドイツ製が多い。ついで米国製である。日本の医学がドイツ医学が主流だっただけでなく、先進工業国としてのドイツの独壇場であったためだろう。その後、日本の医療技術の深化と工業化があいまって、日本で国産の医科器械が開発され製作されるようになっていく。
その一躍を担ったのが、この資料館の基礎となった個人資料館を設立した泉工医科工業株式会社の社長(当時)だった青木利三郎氏だった。
■資料館の歴史
当資料館が開設されるきっかけになったのが昭和50年(1975年)、故・青木利三郎氏(当時、泉工医科工業株式会社社長)が大会長を務めた第50回日本医科器械学会(現・日本医療機器学会)大会です。青木氏は「医科器械の歴史展」を企画し、自ら日本全国を巡って歴史的価値のある医療機器を収集、また旧家に伝わる江戸時代の医療機器のレプリカを製作するなどして、歴史的価値のある医療機器の数々を一般公開するため青木記念医科器械史料館を開設し、その後、千葉県印旛郡印旛村(現・印西市)からの誘致を受け、平成19年(2007年)現在の地に開館。以降、市町村合併により印西市立印旛医科器械歴史資料館として現在に至っています。
なるほど、印西市(当時は印旛郡印旛村)が誘致したわけか。印旛日本医大駅の近くには、日本医大付属千葉北総病院がある。医療の町としての一環かな?
非常に貴重な実物資料を収集展示さいた資料館だが、あくまでも「資料館」であって「博物館」ではないのが残念だ。博物館ではないので学芸員がいない。そのため、個々の医科器械についての研究成果が展示されていないし、目録もないのだ。写真撮影は不可。一部は公式サイトで見ることができる。
工業国日本を支えてきた産業用機械については、それなりに収集され研究蓄積もあるが、医科器械についてはかならずしもそうではない。医療関係者ではない限り、自分がそのお世話にならない限り、見ることもない。医療機器の展示会は、最新の機器しか展示していない。ましてや、歴史的価値のあるものなど見る機会もない。
どんな産業であれ、歴史的展開をたどって整理することは重要だ。今回たまたま入って見学することができた「印旛医科器械歴史資料館」(千葉県印西市)は、思わぬ収穫であった。機会があれば、ぜひ一度は訪れる価値のある「資料館」である。
<関連サイト>
「印旛医科器械歴史資料館」公式サイト
非公開の展望台と松虫姫伝説 終点・印旛日本医大駅“4つの謎” (通勤電車乗り過ごしの旅・第3弾)(文春オンライン、2017年11月11日)
(印旛日本医大駅のドームを内側から見る 筆者撮影)
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