ここ数年のことであるが、博士号を取得したものの学問の世界で定職を得ることができず、前途を悲観して自らの命を絶つ研究者が後を絶たない。いわゆる「ポスドク問題」である。ポスドクとは、ポスト・ドクターの略。博士号取得後の研究者の就職問題を指している。
つい最近も仏教学の分野で自死を選んだ43歳の女性研究者がいた。「文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死-大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、43歳で自ら命を絶った。」 (ハフィングポスト、2019年4月10日)ことが、静かな話題になっている。
自死を選んだ研究者の方はお気の毒としかいいようがないが、人文系で博士号を取得しても喰っていけないというのは、はるか昔から「常識」であったことは、この際あえて強調しておかなくてはならない。
実際に、私自身が「歴史学」のゼミナールに在籍していたこともあるが、「歴史では喰っていけない」というのは、その世界では「常識」であった。よほど家が裕福で金銭的な余裕がなければ断念すべきだ、というのが「処世訓」だったのだ。
この点は、理学部も同様だろう。数学で喰えるようになったのは、グーグルなどのアルゴリズム駆使のIT企業が21世紀に入ってからではないかな? 生物学は、そもそも「殿様学問」だ。今上天皇(2019年4月31日退位予定)をはじめ、昭和天皇から秋篠宮も含めて生物学をライフワークにしておられることは、よく知られたことであろう。
■「意図せざる結果」を招いた文部科学省の大罪
それにしても罪が重いのは「大学院重点化」という文部科学省の方針だ。
この方針がでた当時、私は経営コンサルタントとして、大学学部の新設と大学院の新設プロジェクトのお手伝いをしたことがあるのだが、いわゆる「出口」(=卒業後の就職)が確保されているか否かという点にかんしては、工学系以外は危ういものを感じていた。工学部ですら、日本では博士号取得者は敬遠されるのに、いわんや文系で博士課程をや。末路は目に見えている。
文部科学省による「大学院重点化」が、「政策」として「予算」と連動していたことが罪を重くした真因である。「大学院」の設置を認めるアメだけでなく、大学院の定数に対する「充足率」をキープしないと、大学に予算がおりない(!)というムチが振るわれたのだ。
アメとムチは政策遂行において車輪の両輪ではあるが、安易な大学院進学熱を煽った罪は計り知れないものがある。これは私立大学においても同様だ。私立大学もまた国からの財政補助なくしては運営できないのが現状である。
そう、大学院進学を煽った張本人は文部科学省なのである。「ゆとり教育」をはじめ、理想にもとづいて設計された教育政策の多くが無残な失敗に帰している。良かれと思って導入した政策の悲惨な末路。まさに「意図せざる結果」の最たる事例の一つと言わなくてはならない。
専門性にもとづいて合理的に設計された政策を立案、実行しても失敗責任を取らない官僚という存在。政治家だけでなく、官僚の行動の監視も厳しく行わなくてはならない。官僚とて、結果責任を免れうると考えるのは大間違いだ。
■大学院に進学しなくても生きていく道はある
そろそろ卒業後の進路を考えなくてはならないという時期になると、「歴史家になろうかな」なんて安易な考えは捨てて、さっさと就職したのは、あの当時は就職するのが当たり前だったからでもある。
身近に大学院生も多数見ていたが、「御殿女中の世界」みたいで(失礼!)、自分にはまったく性に合わないと思っていたこともある。そもそも、先の見えない状態なんか耐えられないからね。努力が実を結ばない世界なのだ。早くカネが欲しかったというのがホンネだ。
といいながらも、会社で2年くらい働いてカネを貯めてから大学院にいくか、なんて考えてもいたのだが、いかんせん、毎日が残業の連続で、仕事のあとは飲めや歌えの毎日なのでカネなど貯まるはずがない(笑)そうこうしているうちに、大学院なんてどうでもよくなってしまった。時代は、バブル期のまっただ中だった。
そんなとき、会社の留学制度ができて、タダで留学できるというチャンスをつかんだので、MBA(経営学修士号)を取得するためにアメリカに留学。これで、ますますビジネスマンへの道へと邁進したという次第。しかしながら、景気変動の波をもろに受け、その後は、山あり谷ありのジェットコースター人生を歩んでいるのだが・・・
私の半生が事例になるかどうかわからないが、研究者の道に魅力を感じたとしても、周囲の状況や自分の能力の限界を考慮に入れて考えてみた結果、将来性がないという結論がでたなら、さっさとあきらめたほうがいいのである。
■カネかコネがなければ大学院進学じたいやめたほうがいい
日本においては、ようやく修士号までは許容範囲になってきたが(理工系はかなり以前から修士号取得はマスト)、博士号取得者は自分社会科学系はもちろん、理工系であっても「つぶしがきかない」という理由で歓迎されないのが現実なのである。
そもそも、人文社会科学系で大学院に進学して学者を目指すというのは、ビジネス用語をつかっていえば、まさに「レッド・オーシャン」、つまり「血の海」なのだ。血みどろの闘いを勝ち抜いて、はじめて大学にポジションを得られるというものである。
そしてまた、人口減少に対応して、大学教員の募集も減少していくことが明らかだ。つまりパイは縮小しつつある。というよりも、大学が知の中心であった時代は終わりつつある。初期近代の西欧と同様、真の意味で「大学冬の時代」が続くことになる。
とはいえ、大学院に進学する人の多くは、私の個人的な偏見かもしれないが、斬った張ったの実社会が怖いからという理由が多いように思われる。だが、そんなことでは「レッド・オーシャン」を泳ぎ切ることなどできないというのが現実なのだ。
いずれにせよ、現実は厳しいということを、指導する立場にある人が、研究者志向の学生に最初からわからせておかないと、「リアリティショック」に耐えられなくなる人が続出することは間違いないということだ。
学者の世界も、アーティストの世界とおなじで、そもそも食えないのが当たり前だと教え込んでおかねばならない。それでも、あえて茨の道を歩むという人がいても、それはその人の生き方の問題だから、他人がとやかく言うことではない。
「学者貧乏」という表現があるが、役者もその昔は「河原乞食」と呼ばれていた。学者もアーティストも、ともに「喰えないが、オレ(わたし)は自由だ」という主観的な幻想が、かれらを支えていているということは、知っておいたほうがいい。
結論としては、身もふたもない言い方になるが、よほど「カネ」に余裕があるか、よほど「コネ」に恵まれていない限り、すくなくとも人文系では学者を目指したりしないほうがいい。好きなことはあくまでも「趣味」にとどめておいたほうがいいのだ。 「趣味」なら、人の迷惑にならない限り、とやかく言われることもないはずだ。
これが人生を世渡りするための「処世訓」である。
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