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2023年5月9日火曜日

物理学者・池内了氏の『江戸の宇宙論』(集英社新書、2022)と『司馬江漢 ー「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(集英社新書、2018)を読む ー 江戸時代後期に地動説や宇宙論を展開した民間人たちに目をむけることの意味

 
江戸時代の天文学については、800年ぶりに改暦を実現した立役者の渋川春海(しぶかわ・はるみ)がもっとも有名だが、江戸時代後期の「寛政の改暦」を実現した高橋至時(たかはし・よしとき)と間重富(はざま・しげとみ)のコンビもまた、それに劣らず重要だ。

だが、こういった専門の天文学者だけでなく、天文学に多大な興味をいだいて、それぞれ独自の思索を行い、一般向けに啓蒙活動を行った人物にも関心を向けるべきであろう。

それは、サイエンス・コミュニケーターとしての司馬江漢(しば・こうかん)であり、江戸時代後期の1780年から1820年のあいだに「宇宙論」を一気に世界水準に押し上げた志築忠雄(しづき・ただお)、山片蟠桃(やまがた・ばんとう)といった民間人たちである。


■江戸で生まれ育ったが長崎で開眼した司馬江漢

司馬江漢といえば西洋風の銅版画を日本ではじめて実現したアーティストとして知られているが、それは多面的な人物であった司馬江漢(1747~1818)の一面であるに過ぎない。

美術にくわしい人なら、江戸に生まれ育った司馬江漢が最初は鈴木春信の弟子として美人浮世絵からキャリアを開始し、その後さまざまな画法を身につけて、生涯をフリーで過ごした人物であることを知っているだろう。

だが、サイエンス・コミュニケーターとして「地動説」を一般向けに啓蒙し続けた人であることは、なかなか視野に入ってこないのではないだろうか。
 
物理学者の池内了氏のリタイア後の余技というべきであろうか、『司馬江漢 ー「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(池内了、集英社新書、2018)という本を読むと、そのことがよくわかってくる。

さすがに「日本のダヴィンチ」というのは褒めすぎだと思うが、絵も描き、ガジェットも自分でつくって、文章も書いてなると、たしかに多彩多芸で博覧強記の人物であったことは間違いない。しかも、毀誉褒貶相半ばする「奇人」であったことも確かなことだ。
 
もちろん、科学に多大な興味をもつ素人としての限界はあるが、「地動説」を19世紀初頭の日本で普及させた功績は大きいというべきだろう。司馬江漢は長崎遊学で目覚めたのである。


■長崎で発展し大坂で花開いた蘭学

おなじく池内了氏の『江戸の宇宙論』(池内了、集英社新書、2022)によれば、コペルニクスの地動説とニュートンの万有引力について、日本ではじめて認識し、理解したのは、志築忠雄(1760~1806)であった。

長崎のオランダ語通詞出身の翻訳家である。早々と通詞をリタイアして、自分の興味と関心にまかせて、さまざまな科学文献を読んでは自分で日本語に翻訳しながら、理解を深めていった人だ。業務として翻訳を行ったのではなく、あくまでもイニシアティブはかれの側にあった。


志築忠雄については、『蘭学の九州』(大島明秀、弦書房、2022)でも大きく取り上げられている。いわゆる「蘭学」は江戸で始まったという、「『蘭学事始』神話」の解体の一環である。

当然といえば当然だが、漢訳洋書やオランダ語の原書がもっとも入手しやすかったのが長崎である以上、蘭学が長崎から始まったのである。その影響は、地の利からいってまず九州で、その後は瀬戸内海ルートをつうじて大坂で花開いたというべきだろう。

高橋至時と間重富の師匠であった麻田剛立は、もともとは現在の大分県にあった杵築藩の侍医だったが、脱藩して大坂で好きな天文学に打ち込んだ人である。町人中心の大坂の知的風土に魅了されたからのようだ。その麻田剛立と密接な交流をもっていたのが、生まれ故郷の豊後にとどまり続けた自然哲学者の三浦梅園であった。

山片蟠桃(1748~1821)は、大坂の商人であり懐徳堂で学んだ思想家である。ペンネームの「蟠桃」は「番頭」をもじったものだ。辣腕の商人だったからこそ、合理的で現実的な科学思想家でもありえたわけである。主著『夢の代』で、無限宇宙論や複数宇宙論を展開しているのである。18世紀の西欧社会とおなじ知的関心となっていたのである。


池内了氏は、『江戸の宇宙論』の「はじめに」で以下のように書いている。

1780~1820年のほんの短い間に、西洋から天文学・宇宙論を学ぶなかで、日本人はコペルニクスの地動説(1543年)からの250年間の遅れを取り戻しただけでなく、無限宇宙論の描線において一気に世界の第一線に躍り出たのである。
その意味では、一瞬とはいえ日本人の宇宙論が世界の第一線にまで到達したと言えるのではないか。自由な発想で学問を楽しむなかでこそ世界の最前線に立つことができた、このような江戸の文化の豊かさをともに味わいたい、そう思ったのが本書を執筆した動機である。

このように、司馬江漢や志築忠雄、そして山片蟠桃といった人たちは、あくまでも自分の趣味や知的好奇心から出発して、それぞれ独自の世界を探索している。科学がまだ、知的遊戯であった時代の幸せな人物たちであったとえいるかもしれない。

あまりにも専門分化がすすんで個別分野ごとに「バカの壁」ができあがって、相互にコミュニケーション不全状態となっているのが、現在の科学の世界である。

こんな時代だからこそ、司馬江漢や志築忠雄、そして山片蟠桃といった「科学の素人たち」にも目を向ける必要があるといっていいだろう。なんといっても、かれらは科学を楽しんでいた先人たちなのであるから。

  
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