『安政江戸地震 ー 災害と政治権力』(野口武彦、ちくま新書、1997)をはじめて読んだ。
1855年に江戸を直撃した「安政江戸地震」が、いかに13年後の幕府崩壊への道筋に大きな影響を与えたか、徹底的に調査し詳細に跡づけたものである。
江戸時代の文学と思想史の研究者の野口氏は、出版当時は神戸大学教授で1995年1月の阪神大震災の体験者である。研究室の書棚が崩れ去って、必要な本が取り出せないなか調査と執筆であったという。
1997年の出版時に購入していながら、東日本大震災の際にも読んでなかったこの本を、2024年1月に読むことにしたのは、元旦に発生した能登半島地震をがあったからだ。購入してから、なんと27年後のことである。
大震災の体験者ゆえの着眼点と洞察力。じつに読ませる本であった。もっと早く読んでおくべきだったかもしれない。
■「安政江戸地震」と「関東大震災」、「元禄地震」(1703年)との違い
「安政江戸地震」(1855年)は、「関東大震災」(1923年)とは異なる「都市直下型」の大地震であっただ。
「安政江戸地震」は実質上の首都であった江戸の心臓部を直撃した。「安政東海地震」(1854年11月)の翌日に連動して発生した「安政南海地震」(1854年12月)の翌年、1855年10月に襲ってきたのが「安政江戸地震」である。安政年間に発生したこの三者は、あきらかに連動してている。
マグニチュードは 6.9~7.4で、最大震度は江戸で震度6と推定される大地震であった。地震による死者数は、4千人から1万人のあいだとされているが、正確な統計はない。
自然災害が社会体制に与える影響を考えるとき、「大地震」は発生した時期がいつであったかが決定的に重要である。著者は指摘は重要だ。
「元禄地震」(1703年)も220年後の「関東大震災」と同様に相模トラフ巨大地震であり、江戸にも被害をもたらした。だが、江戸時代前期から中期への移行期であり、「元禄バブル」に水を浴びせかけることになったもの、幕府じたいは安定期に入っており盤石であった。
だが、「安政江戸大地震」(1855年)は江戸時代後期で、いわゆる「幕末」であり、幕府の能力も信頼もゆらぎつつあった時期である。文字通りがたがたになってしまった。
「元禄地震」から150年間にわたって、江戸では大規模地震は発生していなかった。だから、江戸時代初期の大地震の記憶も、埋め立てによって造成した土地であることも、とおの昔に忘却されてしまっていたのだ。
(本書 P.99 に掲載の地図。地形・地盤、地震被害の相関関係がわかる)
■「安政江戸大地震」が幕府上層部に与えた深刻なダメージ
幕府の崩壊は1868年、安政大地震から13年後のことである。ペリー艦隊の来航が1853年と翌年のことであり、いわゆる「幕末」となる。
だが注意しなかればならないのは、後世に生きるわれわれは結末を知っているから「幕末」というのであって、その時代にリアルタイムで生きていた人びとにとっては、「幕末」などという時代認識はなかったのは当然のことである。
「安政大地震」についても同様で、「ビフォア&アフター」式に捉えて、地震前をカウントダウン式に歴史を理解すべきではない。著者の注意喚起には傾聴する必要がある。
地震は突然、いきなり突き上げるように襲ってきたのである。地震予知なることばも概念もなかった時代のことである。江戸では元禄地震以来、150年以上も巨大地震はなかったのだ。
地震に襲われるまでの江戸社会は、厳しい社会統制を行った「天保の改革」の失敗後に、ある種の自由化が実現した社会であったのだ。そのある種の享楽的な社会は、夜の10時頃に発生した大地震によって崩れ去ったのである。
関東大震災のような流言飛語による悲劇はなく、暴動も発生しなかったのは、江戸時代後期には救済システムがそれなりに確立していたからだという。
(大地震の直後から大量に販売された「鯰絵」の1つ 「ピクシブ百科事典」より)
備蓄白米の供出がただちに可能だったのは、「寛政の改革」による「七部積み金」による被害救済体制ができあがっていたからであり、「お救い小屋」という仮設住宅の建築が震災後にすばやく行われたのは、災害慣れしており対応もノウハウ化していたからである。その年が、たまたま豊作だったのも幸いだった。
偶然とはいえ、南北の町奉行所は比較的被害が小さかったこともある。町奉行所の立地していた地盤は軟弱ではなかったからのようだ。奉行所の役人たちが大車輪で活躍し、その指示のもとで町民の相互扶助のシステムが機能的に動いている。
これに対して、幕府の上層部は地震の直撃をくらっているのだ。徳川幕府の心臓部は、開府後に埋め立てられた軟弱地盤のうえにあったからだ。もともとは入り江だった土地である。
震源地の東京湾北部と荒川河口付近にあった「下町」が壊滅的被害を受けただけではないのだ。しかも、対外防備のために急ぎ建設された品川の砲台もほぼ全損し、江戸は無防備都市状態になっていた。
被害を受けた上層部のあわてふためきぶりと当事者能力の欠如に対して、先に見た奉行所の大車輪ぶりは大きなコントラストを示している。なんだか「現場」の下士官と兵が強かった旧日本陸軍を想起させるものがある。
民間の死者数が正確に記録されているのは、寺社奉行が比較的正確に把握していたからだという。お寺で行われる葬式で死者数がわかるからだ。
ところが、武家の被害は低めに報告されていたらしい。地震に対応できなかったことを批判され、お家取りつぶしを恐れていたためだという。こういうところにも、リアリズムにもとづくファクトよりも名誉を重視していた江戸時代の武家の弱点が露呈しているとみるべきだろうか。
幕府の上層部の当事者能力の欠如に対して、町人層の支配層への期待感ゼロ状態と徹底的な政治無関心。なるほど、こんな状態のなかで徳川幕府はずるずると沈んでいったわけだ。
■首都東京を襲うつぎの大地震は「安政江戸大地震」タイプの可能性が高い
大規模自然災害がいかに社会体制に大きなダメージを与えるか、その重要な事例研究として「安政大地震」を捉えることも必要だろう。
初版の新書版がでたのは、阪神大震災から2年後の1997年だが、現在までに文庫化もされていたことをはじめて知った。
タイトルの変更なく、『安政江戸地震 ー 災害と政治権力』としてちくま学芸文庫から2004年に出版されているが、そちらもすでに重版未定のようだ。ぜひ重版すべきではないか?
なぜなら、つぎに首都東京を襲う大地震は1923年の「関東大震災」タイプではなく、1855年の「安政江戸大地震」タイプの可能性が高いからだ。
ただし、次回の大地震がどのような形で、どれくらいの規模になるのかわからないが、南海地震と東南海地震に連動して発生する可能性がある。しかも、規模の大きな地震が数回起こる可能性すらあるのではないか?
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目 次第1章 歴史は揺り返す第2章 地震前夜の江戸第3章 江戸官庁街直撃ー安政2年10月2日夜・その1第4章 日本橋と深川 ー 安政2年10月2日夜・その2第5章 世は安政、民のにぎわい第6章 運命の卯年あとがき参考文献一覧
著者プロフィール野口武彦(のぐち・たけひこ)1937年東京生まれ。作家、文芸評論家、神戸大学名誉教授。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院博士課程中退。近世日本文学、日本思想史専攻。1970~72年、ハーバード大学イエンチン研究所客員研究員、1975~6年、プリンストン大学極東言語学部客員教授、1981~2年ブリティシュ・コロンビア大学アジア学部客員教授。1973年、『谷崎潤一郎論』(中央公論社)で亀井勝一郎賞、1980年、『江戸の歴史家』(筑摩書房)でサントリー学芸賞、1986年、『「源氏物語」を江戸から読む』(講談社)で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『江戸の兵学思想』(中央公論社)で和辻哲郎文化賞、2003年、『幕末気分』(講談社)で読売文学賞を受賞。代表作として『石川淳論』(筑摩書房、1969年)、『江戸がからになる日―石川淳論第二』(筑摩書房、1988年)『三島由紀夫の世界』(講談社、1968年)などがある。(野口武彦 公式サイト から転載)
PS 佐藤一斎が数え88歳で天寿を迎えられた理由
儒者の佐藤一斎は、70歳のときに幕府の儒官に任命され、「愛日楼」と命名していた八重洲の自宅を引き払って湯島の昌平坂学問所に併設された官舎に移っている。1841年のことだ。
『言志録』シリーズの最後となった『言志耊録』を出版したのは82歳。1853年のことだ。この年にはペリー艦隊の第1回遠征があって、佐藤一斎はペリーが持参した国書の解読を命ぜられている。国書はオランダ語と漢文の2通あったが、一斎がかかわったのは漢文のほうである。
「安政東南海地震」は1854年、その翌年の1855年に江戸を直撃した「安政江戸大地震」では、八重洲周辺に集中していた大名屋敷の多くで大きな被害がでている。佐藤一斎の自宅があったのは林大学頭の屋敷の隣地だが、林大学頭の屋敷地では倒壊などなかったようだ。
とはいえ、84歳の老人が被災していたら、かなりこたえていたのではないか? 昌平坂学問所は本郷台地に立地しており、地震の被害はそれほど大きくなかったのだ。八重洲が江戸時代初期の埋め立て地であるのに対し、本郷台地は縄文時代から台地であった。
佐藤一斎は82歳以降は、公の記録には登場しないので、その間の消息は不明だが、88歳で天寿を全うしたのは、被災しなかったことも大きいのではないか。本書を読みながら、そんなことを考えていた。
<関連サイト>
・・阪神大震災(1995年1月17日)に記録。揺れた時間は「たった10秒」
(2024年1月17日 情報追加)
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